十二月も中旬を過ぎようとしている今日、俺は、最後の課題に指定された幼稚園の前に立っていた。吐いた白い息は、肌寒い風にかき消され、それはすぐに無色の空気と混じり合う。相変わらず貧血気味だが、これも二学期が過ぎればおさらばだ。俺は両手をこすって寒さを紛らわしていると、後ろから声が掛けられた。

「あれ、冬馬さんじゃありませんか」

「あ、ほんとだっ! とーま、結局来たんだねーっ?」

「お、おおお、おはよう、ござい、ます」

 吸血鬼三人娘に三者三様の挨拶をされ、俺は軽く手を上げて答えた。今回の課題、俺は手出しする事が出来ないので、本来俺は幼稚園に来る必要がない。そもそも俺は、幼稚園に来たくもなかった。理由は、克実と同じだ。

 俺も、吸血鬼が怖い。幼稚園児であっても、怖いものは怖いし、何なら、最初に俺がトラウマを植え付けられたのが幼稚園の時なので、その時の事を、どうしても思い出してしまう。俺を殺しかけた、あの白髪と鈍色の瞳が脳裏を過ぎっただけで、目眩で倒れてしまいそうだ。

 だが、同じく人間を怖いと言っている克実が課外奉仕に来ている以上、俺だけ何もしないというわけにもいかない。金指先生と話し合い、克実のサポート役として、この場に来ることが許されていた。

 俺は克実に問いかける。

「だ、大丈夫か? お前」

「だ、だだだ、大丈、夫、じ、じゃ、あ、ありま、せん」

「そんなに緊張されなくても、心配ありませんわ、克実さん」

「そーそーぉ! あーし達もついてるからさぁっ!」

 同じ側の手足が同時に動き、唇が青くなる程緊張している克実を、アイリスと瑠利子が両脇から励ます。そのまま二人に挟まれる形で腕を組まれ、俺達は幼稚園の職員室へと足を向けた。

 職員室で挨拶をすると、保育士の先生に歓迎される。彼女は優しそうな笑顔を浮かべて、俺達を出迎えてくれた。

「本当に、よく来てくださいました。今日はよろしくお願いしますね」

「あまりお役に立てないかも知れませんが、僕たち、精一杯頑張ります」

 猫を被りつつ挨拶をすると、保育士は、そんなそんな、と首を振った。

「今日の出し物は、準備も色々あるので、人手があるだけでも助かるんです! それに、最近物騒ですし、人の目が多いほうが、子供達も安心ですから」

「……何か、あったんですか?」

 俺が首をひねると、彼女は表情に影を落とす。

「最近、物騒な事件があったばっかりなんです。園の近くの献血センターで、テロがあったみたいで……」

「……『人間撲滅派』ですわね」

 アイリスが、嫌悪感を隠さずに、そう言い捨てた。

「人間の撲滅を謳っているくせに、『変態』して自分たちの力を誇示するために血液パックを狙うだなんて、自己矛盾にも程がありますわ」

 瑠利子も克実も、いい表情、と呼べるものは浮かべてはいない。そういえば、いつぞや克実が、血液パックが手に入り辛くなったと言っていたが、『人間撲滅派』が持ち去っていたのか。

 それを見た保育士が、慌てた様子で口を開いた。

「す、すみません、変な話になっちゃいましたね。今日は楽しいクリスマス会ですし、皆さん、是非盛り上げてくださいね!」

 彼女が言った通り、今日この幼稚園は、クリスマス会が開かれる。その準備や手伝いを、俺達が行う事になっているのだ。

 この後俺達は、クリスマス会のスケジュールと、俺達の役割について説明を受けた。今日のイベントの俺達の役割は、ざっくりと二つ。事前の準備と、プレゼント配布だ。

「では、そろそろ時間になってしまいますし、準備の方、お願いしますね」

 そう言われて、俺達はこれから園児たちの集まるホールへ向かう。机を片付けたり、天井から色紙で作った輪飾りを吊るしたり、黒板に子供に人気のキャラクターを描いたりした。ここまでは、克実が既にバテ気味なのを除いて、問題なく進んでいる。

「では、わたくし達は、着替えて参りますので」

「とーま、まったねーっ!」

「い、いってき、ますっ」

 そう言って、三人は職員室から更衣室へと向かっていく。

「最近の子供たちは、私達がサンタの格好をすると、先生だー、先生だー、とうるさくて。だから、代わりにサンタ役をやってくださって、本当に助かります」

「そ、そうですか」

 一人になった俺を気遣ってか、話しかけてくれた保育士に、俺は愛想笑いを浮かべる。目眩と冷や汗、そして吃りが出るということは、この人は吸血鬼だ。離れてくれとも言えないので、自分から離れる口実を探していると、俺はあるものを見つけた。

「あ、あれは、トナカイのカチューシャですか?」

「ええ、最近使ってないんですけど、こうして飾ると、クリスマスっぽさが出るでしょ?」

 壁に飾られている、クリスマスリースやクリスマスツリー型に切られた色紙の中に混じっていたそれの前に、俺は立つ。

「こ、これ、まだ頭につけられるんですか?」

「大丈夫ですよ。つけてみますか?」

 俺の返事を待たず、保育士は壁からカチューシャを外し、こちらに手渡した。それを受け取ったものの、この目眩の中つけたら、酷い事になりそうな予感しかない。どうしようか思案していると、職員室の扉が勢い良く開かれた。

 そこに現れたのは、ミニスカサンタになった瑠利子だった。元々ミニスカートではなかったのだろうが、瑠利子のスタイルが良すぎるせいだろう。冬場なのにも関わらず、スカートから覗く健康的な白い足が眩しい。

「泣ぐ子は居ねがー! 悪い子は居ねがー」

「る、瑠利子ちゃん、そ、それ、ち、違うやつ、だから」

 その後に入ってきた克実のサンタは、なんというか、サイズが合っていない。クリスマス帽子ではなく、大きめの頭巾を被ってそれを隠そうとしているのだが、明らかに胸部が苦しそうだ。

「ちょっと、早く入ってくださいません? 子供たちに見つかってしまいますわ」

 二人を押すようにして部屋に入ってきたアイリスのサンタ姿は、サンタというより、妖精の姿に近い。瞳と同系統の服が華奢な体と相まって、童話から抜け出したかのようだった。

「それでは、そろそろ待機しておいてください」

 そう言われ、俺達はホールの入口で待機するために、移動を開始する。と、トナカイのカチューシャを持ってきてしまった事に、俺は気がついた。でも、これを使う場面もないし、俺はあくまで子供たちの前に出ないので、問題ないだろうと、そのまま歩くことにする。廊下を歩いているとアイリスが小声で話しかけてきた。

「……冬馬さん、何か、言うべき言葉をお忘れでは?」

「あ、ああ、似合ってるよ」

「あーしは? あーしはぁ?」

「に、似合ってるって。皆、似合ってるよ、その格好」

「わ、私も、です、か?」

「そ、そうだよ、似合ってる」

 ……逆に、それ以外、俺に何が言える?

 実際、似合っているのだから、嘘はついていない。ついていないが、似合わない等と言った日には、今回の課題は確実に失敗する。横目で見ると、アイリスは満更でもない表情を浮かべ、瑠利子もにししっ、と笑っている。克実の顔は、俯いているのと頭巾を深く被っているせいで、よく見えない。

 ホールの前に三人を待たせ、俺は用意されていたプレゼントの袋を別の教室へ取りに行く。スマホで時間を確認すると、年少組と年長組に分かれての合奏が終わり、今は保育士達の出し物の途中。オンスケだ。袋をホールの前に待つ三人に届け、一息つくと、彼女たちの出番がやってきた。

 ホールの中から、保育士の声が聞こえてくる。

『それではここで、良い子にしていた皆に、スペシャルゲストが、プレゼントを持ってきてくれました! 皆、誰が来てくれたか、わかるかなぁ?』

『サンタクロース!』

『サンタさんっ!』

『サンタだー!』

『それじゃあ元気よく呼んでみよう! せーの――』

『『『サンタさぁんっ!』』』

 呼ばれたタイミングで、俺は扉を勢い良く開ける。プレゼントが入った袋を持った吸血鬼たちが、ホールの中に飛び出した。ホールは子供たちの歓声で満たされ、我先にプレゼントをもらおうと、サンタクロースへ群がっていく。

「さぁ、今年も良い子にしてた君たちに、わたくしからプレゼントですわっ!」

 アイリスは、いつもの調子でプレゼントを配っている。問題なさそうだ。

「泣ぐ子は居ねがー! 悪い子は居ねがー」

「わ、悪い子が、プレゼントもらえるの?」

「違う違う! 名乗り出た子には、プレゼントあげないぞー、と思ってねっ! 静かにしてる子から、プレゼントあげちゃうぞぉ!」

 どうやら、瑠利子の方も、問題なさそうだ。克実も、きっと――

「ぷ、ぷぷぷ、ぷれ、ぷれぷれ、ぷれぷれぷれ」

「ぷれぷれ?」

「なにそれー」

「サンタさん、だいじょーぶぅ?」

 ……やばい、めっちゃテンパってる!

 アイリス、瑠利子と距離が離れたのと、人間の子供たちを目の前にして、克実は完全に正気を失っていた。他の二人に目を向けると、子供たちに囲まれている。プレゼントがなくなるまでは、子供たちから開放されるのは難しそうだ。そしてその頃には、克実は目を回して倒れているに違いない。このままでは、課題は失敗。全員退学だ。

 何か解決策は、と思うものの、既に俺はこの状況を打開する方法を知っている。知っているが、俺は今日、サポート役のハズだぞ? だとか、吸血鬼に近づきたくない、だとか、いろんな感情がない混ぜになって、一歩踏み出せない。ないが、その間にも克実は子供たちに飲み込まれそうになり、これはサポートの範疇内だという言い訳が頭に思い浮かんで、ええい、ままよ! ここは俺が、俺自分自身に白羽の矢を立てるしかないっ!

 俺はそれを頭に付けると、目眩と冷や汗で倒れそうになりながらも、ホールの中を突っ切って、克実の元へと駆けつける。

「ざ、ざんだぐろーずざん、い、良い子には、プレゼントをわだざないど、いげまぜんよぉ」

「あれ? おにーさん、だーれ?」

「あ、あのおみみ! となかいさんだー」

 そう、俺はサンタクロースと一緒にやってきた、トナカイだ。そういう設定なんだ。後から出てきた理由とかは、設定の誤差範囲内だと思って受け入れてくれ。どうして学ラン来てるのとかも聞くな。それに答える余裕は今の俺にはない。目眩で死ぬ。真っ直ぐ歩けない。汗が出すぎて溶ける。今にも倒れそうだ。倒れそうだが、言い訳を重ねに重ねないと、自分に恐怖の対象(吸血鬼)が群がってくるこの場に出れなかった俺と違い、真っ直ぐこの場に飛び出した克実を置いてここで倒れられるかっ!

 朦朧としていた克実の目が、ようやく俺を捉えた。

「あ、ああええ? ど、どうし、て?」

「い、いいから、はやぐ、プレゼント、くば、れ」

「は、はいっ!」

 克実が取りやすいように、俺は袋を広げ、二人でプレゼントを配っていった。

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