その恐怖で滲む瞳は、確かに俺を映し出していた。

 俺達が生きているこの世界は、人間と吸血鬼が、互いにコミュニケーションを取り合いながら生きていく事が大前提となり、相互に協力して成果を上げるのが当たり前の世の中になっている。

 そんな世界で、吸血鬼が、人間を恐れる? そんな事、普通、ありえない。ありえないが、俺という存在がその吸血鬼の存在を肯定している。なにせ俺自身が、吸血鬼を恐れる、人間なのだから。

「ご、ごめん、な、さい……」

 怖いと言いながらも、その恐れる対象に謝る克実に、俺は首を振って答える。

「あ、謝るな。お前のその恐怖は、きっと俺が一番理解できる」

 思い返してみれば、確かに、不自然な点はあった。

 俺達が出会って、そろそろ三ヶ月。俺はアイリスとの関係性も最悪からマシになり、瑠利子ともそこまで悪くない関係性を築いている。一方克実は、アイリスと瑠利子と、かなり親しい関係性になっているように、俺には見えていた。

 だが、俺と克実の距離感は、出会った時と、ほぼ変わりがない。最初の課題から俺の指示に従ってくれていたのは、あれは、俺が怖かったからではないのか? 恐怖の対象に、ただ隷属していただけなのではないか?

 そもそも、克実は何故落ちこぼれとして、俺達と一緒にペアリングを組んでいたんだ?

 アイリスは、理解できる。混血鬼のため、そもそもの吸血鬼としての力が弱いからだ。

 瑠利子も、理解できる。自分で考えて課題に取り組まないため、成績が悪化したからだ。

 俺は、言わずもがな。吸血鬼が、怖い。だから、そもそもペアリングを拒絶している。

 克実も、同じだとしたら? コミュ障で成績が悪くなったのではなく、人間が怖いから、ペアリングを拒絶し、俺と同じ様に成績が悪化したのではないか?

 俺が教室で距離を取っていたのは、克実にとっても都合が良かったのだ。それ以前に、俺にはコミュ障に見えていた部分は、ひょっとしたら、俺がいたからまともに話せなくなっていただけなのではないか? 勘ぐり始めると、きりがない。

 そんな、人間を恐れる少女は、俺が謝るなと言ったのに、俯き、涙を零しながら、まだ謝罪の言葉を口にしている。そんな克実を、涙ぐんだアイリスと瑠利子が、力強く抱きしめた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、克実さん。あなたがそんなに苦しんでいたのに、わ、わたくし、気づいて差し上げられなくて」

「ごめん、ごめんね、かつみ。辛かった、よねぇ。苦しかった、よねぇ。でも、だいじょーぶ。あーしが、あーし達が、ついてるからさぁ。あーし達、皆、かつみの味方だから、さぁ」

「ち、違い、ます。わ、私、私、が、お、おかしい、んです。だ、だって、皆、な、仲良く、しないと、いけないの、に。人間、も、吸血鬼、も、み、皆、仲良くしない、とぉ……」

 克実の慟哭が、俺の心を深く刺し貫いた。あいつの嘆きは、俺の嘆きだ。吸血鬼を恐れている俺も、皆と仲良くしないといけないのに、それが心の底から出来ない少数派。かつて血を吸わせてしまった自分の迂闊さと、この体に流れる血を、呪わなかった日などない。

 しかし、これで最後の課題をクリアするのが、かなり難しくなった。今までの課題は、俺以外に人間と接するようなものでもなかったから、克実は耐えられたかも知れない。でも、人間と普通に接する可能性のある課外奉仕を、いや、人間と吸血鬼が交じり、必ず人間と接する幼稚園という環境に、克実は耐えられないだろう。

 諦めの二文字が俺の脳裏を過ぎったその時、嗚咽混じりに、克実がこう口にした。

「わ、私、も、い、いっじょにぃ、み、皆、と、課題、く、くりぁ、したいよぉ。で、でもぉ、こ、怖い、怖いのぉ。か、川越くん、がぁ、こ、怖い、のぉぅ……」

「……なぁ、俺の事、怖いか?」

 克実に問うと、彼女は申し訳無さそうに、頷く。

「う、うん。ご、ごめん、な、さい……」

「あ、謝るな。じゃあ、俺の事、嫌いか?」

 その問に、克実は首を振って答える。

「こ、怖い、けど、き、嫌いじゃ、ない、よ? あ、アイリス、ちゃん、と、る、瑠利子、ちゃん、と、一緒、だったから、ほ、ほんの、ち、ちょっとだけ、な、慣れた、し、な、悩み、も、近い、し。そ、それ、に――」

「そ、それに?」

「か、川越くん、は、わ、私に、ふ、普通、に、接して、くれた、から、だから……ひっ!」

 克実が急に驚いたのは、俺が突然、自分の顔を両手で叩いたからだ。彼女を驚かせてしまったのは本意ではないが、これは致し方がない。弱った自分を追い出すには、これぐらいわかりやすい方がいい。

 俺は一体、何を諦めようとしていたのだろうか。既に金指先生には大見得を切り、俺達四人でペアリングの課題を解決しなければ、退学だと決まっているのだ。もう、退路はない。ならば、前に進むだけだ。

 そのために必要な話をしようと口を開く直前、強烈に何かが、顔面へ叩きつけられた。

「冬馬さん! 何克実さんを怖がらせていますの! 自傷癖なら、他の場所でやってくださいませっ!」

「そーだそーだ! くーき読んだほーがいいぞーぉ、とーまっ!」

 瑠利子が持ってきたお菓子の袋を全力でぶつけられ、俺はその場に蹲って、暫くやり過ごすしかなくなった。流石に途中で止めさせようかと思ったが、俺はもう少しこの姿勢を続ける。隙間から、アイリスと瑠利子にそそのかされた克実が、半泣きになりながらも、俺にお菓子をぶつけだしたのが見えたのだ。これで彼女の中の人間恐怖心が多少なりとも緩和されるのであれば、御の字である。

 でも、その恐怖がそう簡単に消えるはずがないのは、俺が一番理解している。だから、その対策を考えるべきだ。

 あらかた投げ終えたお菓子の袋を片付け、俺達は作戦会議を行うことにした。もちろん俺は、克実から一番遠い場所に座っている。

「克実さん。苦しいかも知れませんが、人間の事を怖いと思った原因に、心当たりはございませんか?」

 アイリスの言葉に、克実が小さく顔を伏せる。俺はこの家に来て、最初に感じた事を、克実にぶつけることにした。

「ひ、ひょっとして、お前の母親が、人間であることに関係しているんじゃないか?」

「ど、どうして、それを?」

 克実が驚愕の表情を浮かべ、俺の顔を見る。

「た、単にそうじゃないか、って思っただけだよ。あの人に対して、俺は吃らずに話すことが出来た。だからあの人は吸血鬼じゃないって、そう思ったのさ」

「そ、そう、です。お、お母さん、だけじゃなくて、お、お父さんも、に、人間、なんですぅ」

 おじいちゃんも、おばあちゃんも、と、克実はそう付け加えた。父方、母方の祖父母は、共に人間だったという。

「だ、だから、き、吸血鬼の、わ、私と、どう、接すれば、い、いいのか、わ、わからな、かったんだと、思う」

 この世界で吸血鬼として生まれるか、人間として生まれるかは、どの血液型になるのかという確率みたいなもので決まる。しかし、その確率で言えば、親類が全員人間であるにも関わらず、ある日突然吸血鬼の子供が生まれるというのも、十分ありえる確率の偏りだ。

 しかし、その偏りが、親子の心の距離を開かせた。

 克実が成長して、吸血鬼としての側面を見せれば見せる程、両親は克実と一緒に過ごす時間が減っていったという。一人の時間が増えた克実がのめり込んでいったのが、ゲームだ。

「ひ、一人でも、で、出来る、し、む、昔、お、お父さんに、か、買って、もらったのが、あった、から」

「そっかーぁ。だからかつみは、いっつもゲームやってるんだねーぇ」

「う、うん。ま、また、一緒に、ゲーム、出来るかも、し、しれない、し。で、でも、も、もう、わ、私、わかんない。お、お父さんと、お、お母さん、何考えてるのか、全然。こ、怖い、怖いよ。で、でも……」

「今でも克実さんは、お父様とお母様の事、好きなんですのね?」

 克実が目深にフードを被り、しかし、確かに頷いた。

「ま、また、一緒に、話したい、ゲーム、したい。お、お父さんと、お、お母さんだけじゃ、なくて、他の人とも、ふ、普通、に、お、お話、したい」

「それが克実さんの、まだ学校に残っていたい理由なのですね」

「いいじゃん、それっ! 皆でお菓子、食べよーよーぉっ!」

「で、でも、わ、私、お、お父さんと、お、お母さんとも、こ、怖くて、は、話せない、のに、ど、どうやって?」

 克実がそう聞くと、アイリスと瑠利子が、同時に意味ありげに笑いながら、俺の方へ視線を送ってくる。

「な、何だよ、一体」

「あら? 協力の意味をご存知の冬馬さんなら、既におわかりなんじゃありません?」

「そーだよとーまっ! 目的は、かつみと、かつみのおとーさんとおかーさんが、お話出来るよーにする事なんだから、早く呼んじゃおーよーぉっ!」

「……ま、まぁ、それもそうだな」

「ち、ちょっと、ちょっと、待ってっ!」

 俺達の話を聞いていた克実が、信じられないものを見るような目で、俺達を見つめている。

「ど、どういう、事? わ、私、お、お父さんと、お、お母さんと、お、お話、出来る、ように、なる、の?」

「あ、ああ、なんとかなるはずだ」

「ど、どう、やってっ!」

 わけがわからないという克実を、アイリスと瑠利子がなだめているうちに、俺は自分のスマホを取り出していた。

 今回、克実とその両親の溝は、吸血鬼と人間という、相手の事が理解できないという事から起こっている。理解できないものは、誰だって恐ろしい。でも、互いに理解できるものが目の前にあれば、どうだろう? それを共通点として、相互理解を進める事は、出来ないだろうか?

 これでいきなり、克実と両親の確執が埋まるとは、俺も思っていない。それでも、その一助となるであろう存在に、俺達は白羽の矢を立てたのだ。

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