④
「こ、ここか?」
俺達は、途中コンビニに寄りつつ、あるマンションの一室の前に立っていた。先生から渡されたメモの場所は、確かにここのはずだ。表札にも、横超と刻まれている。
呼び出しチャイムを押すと、掠れたような電子音が聞こえてきた。暫く待っていると、少し影のある女性が出迎えてくれる。
「……はい、どちら様でしょうか?」
久々に猫を被り、俺はこの女性に挨拶をした。
「はじめまして。僕は星躅高等学校一年生の、川越冬馬と言います。学校をお休みされている横超克実さんに、先生から預かったプリントを届けに来ました」
「まぁ、それはご丁寧に、どうもありがとうございます。娘のために、わざわざすみません」
女性は俺に対して、深々とお辞儀をした。話の内容から、この人が克実の母親という事で良さそうだ。でも、だとすると――
「はじめまして、克実さんのお母様。わたくし、克実さんの友達の、アイリス・ド・アータートンと申します」
「はじめまして! あーしは、勝呂瑠利子って言いまーす。かつみ、だいじょーぶですかぁ?」
俺と玄関の間に割って入る様に、アイリスと瑠利子が前に出た。事前に打ち合わせていた通りの行動だが、若干瑠利子の言葉遣いが怪しい。しかし、もう始めてしまったものは仕方がない。どうにか克実と対面するまで、勢いで押し通す。
そのために必要なステップは、三つ。家に上がる、克実の部屋に行く、部屋の中で克実と会う、だ。この順番で話を進めないと、家の人も俺達に不信感を抱く。
「克実さん、最近学校にいらっしゃらないので、心配しておりますの」
「そーそー、だから、かつみと会わせて、むぐぅ」
いきなり最終ステップに話を飛ばした瑠利子の口を、アイリスが飛び跳ねて封じる。仕方なく俺が前に出て、話を引き継いだ。
「少しだけでも構わないので、克実さんとお話させて頂けませんでしょうか? 僕ら、いきなりこんな人数でお仕掛けてしまい恐縮なんですが、お願いしますっ!」
「は、はぁ……」
「少しだけでもいいですわ!」
「……わかりました。汚い家ですが、お入りください」
「ありがとうございます!」
克実の母親が玄関の中に下がっていくのを見送り、後ろを振り返ると、アイリスから開放された瑠利子が肩で息をしていた。
「ひ、酷いじゃんっ! 急にあんなことしてぇっ!」
「る、瑠利子さんが、急に順番飛ばすのがいけなんですのよっ!」
「だって、かつみとお話するのが目的でしょーぉ? そんなの、まどろっこしーよぉー!」
「い、いいから、とにかく入るぞっ!」
結果論ではあるが、克実に会いたいと言った(過剰な要求をした)後、部屋の前での会話を求める(小さな要求をする)という、ドア・イン・ザ・フェイスという交渉術が偶然決まり、俺達はなんとか克実の部屋の前まで辿り着く事が出来そうだ。
克実の母親が、家の中を案内してくれる。途中、金網がビニール紐で縛られ、廊下に立てかけられているのに気が付き、俺は一瞬足を止めた。
「ああ、それは昔、猫を飼っていた時に、敷居として使っていたものです」
「……昔?」
「ええ。克実が生まれるより、もっと前になりますが……。さぁ、克実の部屋はこちらです」
そう言って克実の母親は、俺達をある部屋の前まで導いた。彼女が、その扉を叩く。
「克実? お友達がみえたわよ」
母親の呼びかけに、しかし、部屋の中からは何も反応がない。来るもの全てを拒絶する様な扉は、まるで日本神話に登場する、黄泉比良坂をイザナギが塞いだ、千引の岩のようだ。
その扉の前で、克実の母親が困ったような、申し訳無さそうな表情を浮かべている。
「……ごめんなさい。あの子、私の呼びかけには、答えてくれないみたいで」
「いえ、そんな。急に来たのは、僕らの――」
「かつみー! 一緒にお菓子、食べよ―っ!」
克実の母親に話しかけている俺の脇をすり抜け、瑠利子が唐突に扉を叩き始めた。
「さっきコンビニでー、かつみの好きな、レモン味のお菓子買ってきたよーぉ! 塩レモン味もあるよーぉっ!」
「瑠利子さん、途中でコンビニに寄られていたのは、お菓子を買うためだったのですかっ!」
「うん! かつみ、喜ぶとおもってさーぁっ!」
「……うちの子、レモン味が好きなんですか?」
「うん、そーだよっ!」
はいこれ、と言って、瑠利子が母親にレモン味のバームクーヘンを差し出す。彼女は瑠利子に頭を下げて、それを受け取った。
「……あの子、こういうお菓子、買ってこようか、って聞いても、いつもいらないって言うものですから。てっきり嫌いなのかと」
「そんなことないよーっ! あーし達と居る時は、だいたいあーしのお菓子食べながらゲームしてるしー。あ、そーいえば、この前なんてぇ、かつみ、お菓子食べながらゲームしてたら、よだれが――」
「うわああああぁぁぁぁああああぁぁぁぁああああぁぁぁぁああああっ!」
突然克実の部屋の扉が開き、俺達三人は部屋の中へと引きずり込まれた。再び閉じられた扉の向こうから、克実の母親の声が聞こえてくる。
『克実? お母さん、今度レモン味のお菓子、買ってくるからねぇ』
「い、いい、いい、い、いらない、いいから、よ、余計なこと、しないでっ!」
『それから、克実のお友達に頂いたレモン味のバームクーヘン、あなた、食べる?』
「い、いい、いい、い、いいから、あ、後で食べるから、も、もう向こう、む、向こういっててよぉぅっ!」
熟れ過ぎて破裂したトマトみたいに顔を染め、克実は扉の前で荒い息を吐きながら、上下に両肩を動かしている。部屋着もパーカーのようで、被ったフードも一緒に揺れていた。
そんな克実を横目に部屋を眺めてみると、部屋の中はゲームだらけだった。代表的なゲームのハードは当然のように揃っており、テレビの前に密集している。そのコントローラーは全て、ベッドの前に集まっていた。それでも以外に部屋が綺麗に見えるのは、そこまでゲームソフトのパッケージが見当たらないせいだろう。欲しいゲームは、DLで済ませるタイプらしい。それ以外に部屋の中にあるのは、勉強机と、タワー型の自作PCに、本棚ぐらいだ。
ふと見ると、アイリスと瑠利子は、もうベッドの前に座り込んでいる。
「……掃除は、ちゃんとしているみたいですわね」
「ねーねー、かつみ、最初は何食べたい?」
「あ、あの、う、嬉しいん、ですけ、ど、す、スナック菓子は、こ、コントローラー、よ、汚れ、ちゃう、ので――」
「割り箸もらってきたよーっ!」
「あ、あなたが神、か?」
「そういえばわたくし、ウエットティッシュ持ってますわよ?」
「か、神々の、集、い?」
暫く会っていなかったのにも関わらず、一瞬にしていつもの様に騒ぎ始める三人を見て、俺は安堵の溜息をつく。
「お、思ったより、元気そうだな」
目眩を抑えるようにこめかみを押さえつけ、冷や汗を拭いながら、俺は空いている床に座った。スティック状のスナックをアイリスに食べさせてもらっていた克実は、我に返ったように俺の方へ振り向く。
「そ、そうで、した! ど、どう、して、み、皆さん、う、うちに、い、居るん、です、かぁ?」
「克実さんが学校にいらっしゃらないからですわ」
「かつみががっこー来ないからだよ―ぉ!」
「お、お前が来ないからだ」
「す、すみま、せん……」
しょげかえる克実の雰囲気が、どことなく彼女の母親と重なる。
それにしても、ここまでの流れは、上出来だ。全く想定とは違う形になってしまったが、当初の目的通り、克実と対面で話せる状態となった。俺は鞄から茶封筒を取り出して、克実の方へと差し出した。
「こ、これ、金指先生から預かってきたものだ」
「せ、先生、から?」
克実が封筒の中からプリントを取り出し、内容を確認して、両目を見張る。
「こ、これ、こ、これって……」
「わたくし達が受ける、最後の課題の内容ですわ」
「皆でクリアしてー、三学期も、一緒にがっこーいこーっ!」
アイリスと瑠利子の言葉に、元々青白かった克実の顔色が、更に白くなっていく。それでも俺は、克実に向かって口を開いた。
「お、俺達は今までペアリングの課題を、ここに居る四人で乗り越えてきた。だから、最後の課題も、ここに居る全員、誰一人欠ける事なく、一緒にクリアしたいと思っている」
「そうですわ、克実さん。ここまで来たら、一蓮托生です!」
「あーし達、かつみと一緒がいーよぉ!」
「……ご、ごめん、な、さい」
アイリスと瑠利子の言葉を聞いて、克実は涙ぐんだ。
「わ、私、や、やっぱり、やっぱ、り、無理、ですぅ。か、課外奉仕、なん、て、ぜ、絶対、無理ですぅっ」
克実の息が荒くなり、その瞳からは雫がこぼれ落ちる。そんな震える彼女を両脇から抱きしめたのは、二人の吸血鬼だった。
「……何故、無理だと思われるのですか? 克実さん」
克実の不安を和らげるように、アイリスが彼女の頭を撫でる。それで少し安心したのか、ゆっくり、でも、確実に、小さな唇が言葉を紡いでいく。
「こ、怖いん、です。た、他人と、ほ、他の人、と、は、話すの、が。ど、どう、接すれば、いいか、わ、わからなく、て……」
「でも、あーし達とはふつーに話せてなーい?」
そう言った瑠利子が自分の左手で、克実の左手を優しく包む。克実はそこから勇気をもらうように、瑠利子の手を握りしめた。
「ち、違うん、です。ひ、人、ひ、人って、そ、そういう、意味じゃ、な、なくって……」
その克実の言葉に、俺は落雷を受けたかの様に、体を震わせる。
克実は、こう言った。他の人と話すのが怖い。それは、接し方がわからないからで、瑠利子達とは話せるが、そういう人ではない、と。
今のこの世界で、まさかそんな事が、という思いもよぎる。よぎるが、俺はそのまさかが存在することを、十二分過ぎるほど知っていた。
つまり、克実の言葉を総合すると、こういう事になる。
「お、お前が恐れているのは、もしかして――」
「は、はい」
克実は頷き、俺の方を向いた。
「わ、私、に、人間が、こ、怖いん、ですぅっ!」
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