俺の眼前に広がったのは、石畳で出来た廊下だった。その上に、真っ赤なカーペットが敷かれており、俺はその上を歩いている。歩いているが、視界の右端で、何かの数値が、目で追えない速度で変動していた。今ならわかるが、これは城の資源、つまり財源だ。更に視線で操作すると、穀物や、木材、石材、貴金属、それに資金といった内訳が表示できるようになっている。

 文官の役目は、こうした細かい数値に気を配る事だ。足りない資源を増やし、余った資源は騎士や外交官に連携し、兵の強化や外交の材料にしてもらう必要がある。あるのだが、正直、俺がこの数値を細分化して使う事は、ほぼない。この数値はリアルタイムに変化し、俺の動体視力では正確な数値を捉えることが出来ないからだ。流石に桁が一つ増えれば気づくが、それから対応するのは遅すぎる。

 外交官も、騎士も、似たようなシステムだ。外交官の場合、貿易状況や他の城との友好度。騎士は、兵士や武具の数、そして兵の練度といったような数値が表示される。

 俺の視界はやがて、一つの扉の前にたどり着いた。その扉が開くと、その中は会議室。その会議室で、NPCに囲まれているのは、ローブに身を包んだ一人の少女。アイリスだ。

「やっと来ましたわね」

 文官のプレイヤーだけが所属するグループに、アイリスが音声チャット機能でメッセージを送ってきた。

「わ、悪い」

「瑠利子さん、克実さん。文官の方は、合流いたしましたわ」

 今度はプレイヤー全員が所属するグループに、アイリスがメッセージを送る。すると、視界の左端にウィンドウが二つ表示された。そこにはそれぞれ、騎士と外交官を選んだ吸血鬼の姿がある。

『こ、これで、ぜ、全員、ですね』

 甲冑に身を包んだ克実がそう言い、胸元が大きく空いた豪奢なドレスを着た瑠利子の姿が手を挙げる。

『じゃ、はじめよーっかぁ!』

 視界に、『シミュレーションを開始してもよろしいですか?』という表示と共に、Yes・Noの選択肢が表示される。視線をYesに合わせて数秒経つと、Yesが選択された。瞬間、辺りにアラートが鳴り響き、視界が真っ赤に染まる。

『宣戦布告されました。プレイヤーは、自分の城を死守してください』

 視界は、俺達に宣戦布告してきた城から、兵が出撃する映像に切り替わった。あれは敵の初陣で、敵の城は、兵力が整い次第、俺達の城に兵を送ってくるのだ。それをいなし、退けるのが騎士の役目であり、敵の城と中立の城との関係を悪化させ、兵力が揃わない、揃っても兵站を送れない状態を作り、撤退させる様な工作をするのが、外交官の役目だ。

 続いて視界は、この世界の地図と、どの位置に敵の城が、中立の城が存在しているのかが表示される。中立の城は今、どことも戦闘状態になっていない。

 やがて視界から、その地図も消える。消えた地図は必要に応じて視線を操作する事で呼び出せるが、内政中心の文官が使うような場面は、ほぼない。

『そ、それじゃあ、よ、よろしく、お願いしますっ!』

『よろしくねー』

「よろしくお願いしますわ」

「よ、よろしく」

 挨拶をし終えた後、瑠利子と克実が写っていたウィンドウが消えた。アイリスの視界も、同じ事が起こっているのだろう。ウィンドウが消えたタイミングで、アイリスが文官グループで問いかけてきた。

「では、何から生産し始めます? 冬馬さん」

「も、もちろん、外交に必要なものからだ」

「……そうですわね」

 既に敵兵が差し迫っているにも関わらず、軍事を優先しない俺の選択に、アイリスは反論する事なく同意した。

「今の騎士役は、克実さんですものね」

 確かに、あのゲーム大好きっ娘なら、敵の初陣も、スタート初期時の生産力があれば、兵力の運用で上手くいなせるだろう。でも俺が軍事力強化を後回しにしたのは、それだけが理由ではない。

「が、外交官役は、今、瑠利子だからな」

「……冬馬さん」

「あ、あいつが外交に必要なものを用意する。それぐらいしか、俺達に出来る事はないだろ」

 余裕があるのなら、他の城との状況を把握しつつ、瑠利子のフォローをする事もできる。だが、俺とアイリスでは、自分の役割ですらこなせるか怪しい俺達には、そんな余裕はない。出来ない俺達は、一歩ずつ出来ることを、着実にやるしかないのだ。

 俺達は財源が出来次第、瑠利子へ連携していく。その最中、アイリスが資源の変動があったと教えてくれた。瑠利子の方も、ちゃんと外交に使っているみたいだ。

 遅々としながらも、財源獲得のため、城下町に住む住民に対しての税率調整や、農民に対して土地を有効活用した作物の栽培方法を開発していると、プレイヤーグループのウィンドウが二枚開く。その一枚に、あわあわと慌てる、克実の姿があった。

『た、大変ですぅ! て、敵の城から、だ、第二陣、でましたっ!』

 克実がプレイヤーグループに、偵察に出した兵が届けてくれた報告書を投稿する。そこには確かに、敵の城から第二陣が出立しと記載があった。出撃した第二陣の映像も、視界に表示されている。

「う、嘘だろ!」

「早すぎますわっ!」

 アイリスの言う通り、第二陣が来るのが早すぎるのだ。スタート時点で、各城の生産能力は一定のはず。そもそも、何度も失敗した経験から、敵の城がこれ程短時間に第二陣を俺達に送れる程財源を溜め込めるわけがないと、俺達は知っていた。

 ……どこか他の城から資源を入手しない限り、こんな事象――

 そこまで考えて、俺は嫌な予感に頬が引き攣る。俺は疑問の表情を浮かべる瑠利子が表示されたウィンドウに、視線を向けた。

『えー、何でーっ!』

「……お、おい、瑠利子。お前、連携した資源、どうした?」

「え? どーしたって、兵士いっぱい作ってる、強そーなお城に送ってあげたよ? そうすると、仲良く出来るんだよね?」

「つ、強そう、って……」

 シミュレーションスタート時点で兵力の生産が必要な城なんて、戦闘中の城しかない。つまり、敵の城だ。

「る、瑠利子さん、敵に資源を送ってしまわれたんですかっ!」

『へ? そーなの? とーま』

「そ、そうだよっ!」

『ご、ごめんなさい、皆さん。さ、流石に、わ、私でも、この短期間に、だ、第二陣が来ると……』

 ……そう言うな、克実。俺ももう、諦めている。敵に塩を送るという言葉があるが、それで送った側が死んでしまったら、無意味だろうに。

 それより、克実は大丈夫だろうか? こんな負け方、ゲーム好きの吸血鬼には耐えられないのではないだろうか?

『く、くっ、こ、殺せっ!』

 ……いや、以外に楽しんでる? それとも、そういう楽しみ方をしないと、もう耐えられないのか?

 その真偽を知る前に、俺達はまた、課題クリアに失敗した。その後も互いの役割を変えてみたが、結果は同じ。まぁ、それもある意味想定内だ。アイリスも既に教室で言っていたじゃないか。どんな組み合わせでも上手く行かない、と。

 結局、日が沈みそうな時間までプレイしたが、結果は全敗。理由はもう、ほぼ確定している。その敗因たる金髪のサイドテールをいじりながら、こんな事を言った。

「うーん、上手く行かないねぇ」

 瑠利子の言葉に、克実が我慢ならないと立ち上がる。

「ふ、ふざ――」

「ふざけるな!」

「……へ?」

「ふ、ふえぇ?」

 克実よりも大きな声を上げて怒る俺を、瑠利子だけでなく、立ち上がった克実も目を白黒させながら見つめる。自分の目眩も冷や汗も吹き飛ばすつもりで、俺は口を開いた。

「上手く行かない? お前、上手く行かない原因が何なのか、考えたことねぇのかよ!」

「そ、そんなのあーしに、わかるわけないじゃん! あーし、バカなんだしぃっ!」

「……なら、お前が今日どんなプレイしたのか言ってみろ!」

「冬馬さんっ!」

 アイリスは俺を制止するが、俺は気にせず立ち上がる。一方、最初に立ち上がった克実はあわあわとしながら、俺と入れ違いに席に座った。

「外交官になったら敵に資源を送り、騎士になったら敵兵を守って味方を攻撃する。文官では、そもそも城の財政が成り立たなくなる! これで一緒に組んでる俺達は、どうしろって言うんだよっ!」

「……とーまは、あーしのせいでクリア出来ないって言ってるの?」

 笑みを消した瑠利子が、揺れる碧色の瞳で、俺を見つめる。俺はそれを、真正面から見返した。

「あまりにクリア出来ないから、皆で一度金指先生に難易度調整の話をしに行ったこと、あっただろ? その時、先生からなんて言われたか、覚えているか?」

 

 このシミュレーションはもう、吸血鬼が二人居ればクリア出来る難易度になっている。

 

 金指先生からは、そう言われたのだ。だから、クリアできない俺達の方がおかしい。俺は戦力外であったとしても、混血鬼のアイリスが居たとしても、俺達のペアには、吸血鬼が二人居る。勝呂瑠利子と横超克実という、二人の吸血鬼が。

 克実はゲームが得意なので、むしろ一人以上の働きをしてくれる。しかし、クリアできないということは、つまりはそういう事以外ありえない。

「……あっそ。そーか、そーか。とーま、あーしのせいだって言うんだ。何もしてないくせにぃ」

 瑠利子は気怠げに肘を机につくと、俺を見下した様に睥睨する。一方俺は、瑠利子に痛い所を突かれて、顔を歪めていた。

「た、確かに俺は人間だから、今回戦力になってない。でも――」

「ちーがーうー! あるじゃぁん? とーまが、いっちばん、ペアリングできょーりょく出来ることが、さぁ」

 ねぇ? と言って、瑠利子は他の吸血鬼達を一瞥する。一瞬何を言っているのか理解出来なかったが、アイリスと克実は、すぐに思い至ったようだ。無意識なのだろう。しかし、僅かに開いた口から、彼女達が二本、それを伸ばしたのを見て、遅まきながら、俺は瑠利子が何を言っているのか思い至る。

 

「とーま、血、吸わせてよぉー」

 

 俺は机を押し倒す勢いで、後ろに下がった。右手で首元を抑えると、べっとりとした冷や汗の不快な感覚がする。怒りで忘れていた目眩が、ぶり返した。忘れていた。俺は今の今まで、ただ虚勢を張っていたに過ぎない。

 太陽の沈む教室の中、日が沈むだけ光を増す両の瞳で、吸血鬼が俺を見つめている。

「とーまが血、吸わせてくれたらさー。のーりょく使えなくても、『変態』して、どーたい視力、上げられるんじゃないのー?」

 確かに、瑠利子の言うことは一理ある。動体視力が上がれば、シミュレーションでの処理速度も上昇し、クリアできる確率も上がる。それでクリアできる保証はないが、それでも、試す価値はありそうだ。しかし――

「瑠利子さんっ!」

「そ、そうで、す。さ、流石に、そ、それは……」

「えー、何でー? あーし、変なこと言ったぁ?」

 アイリスと克実に、瑠利子は不思議そうにそう言った。この場にいる誰もが、瑠利子に気圧されている。しかし、続く吸血鬼の言葉に、俺は我に返った。

「とーまの血を飲んだら、かつみだけでぇー、クリア出来るっしょーぉ?」

「……俺の血を飲んだとしても、お前、自分でどうにかしようとしないんだな」

「……はぁ?」

 苛立ったような瑠利子に、俺は更なる苛立ちをぶつける。

「誰かに任せてばっかりじゃなくて、少しは自分で考えて行動出来ないのかって言ってるんだよっ!」

 そうだ。俺の怒りの根源は、そこだった。

 倒さなければならない相手を助ける、倒すべき敵を守る、作らなくてはならないものを作れない。このシミュレーションで、俺達が勝つための行動を、瑠利子は何一つだってしてはいない。どうすれば課題をクリア出来るのか、考えていないとしか思えなかった。

 ……お前だって、退学したくないから、ここに居るんじゃないのかよ? それなら――

「少しは自分で考えて、れ、ば……」

 罵声を続けようとした俺は、瑠利子の表情を見て二の句が継げなくなる。何で、何でそんな、何でお前がそんな泣きそうな顔をしてるんだよ。

「……とーまが、言ったんじゃん」

「な、何を――」

「とーまが言ったんじゃんっ!」

 そう叫んで、瑠利子は教室から飛び出していく。俺達はそれを、ただ黙って見ていることしか出来ない。宙にたなびいた金髪の残像と涙の残滓だけが、瑠利子がここに居た証だった。

「あ、あの、ご、ごめん、なさいっ!」

 誰も何も言わなくなった教室で、克実が突然そう言った。

「わ、私が、お、怒った、から、ふ、二人、とも、け、喧嘩、して……」

「い、いや、お前のせいじゃない。あいつが――」

「冬馬さん」

 静かに、しかし、確固たる意思を込めた声色で、アイリスが俺を見つめている。

「冬馬さんは、協力という言葉の意味、ご存知のはずですわね」

 克実はその言葉の意味がわからずぽかんとしているが、俺は嫌と言う程その意味をわかっていた。

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