②
「くそっ!」
悪態を付きながら、俺は乱暴にVRゴーグルを外す。覆われていた目の部分が十月の外気にさらされ、少し冷たく感じた。しかし、課題に失敗し続けて煮詰まっている俺の頭を冷やすには、この放課後の肌寒い空気がちょうど良いのかもしれない。見ればアイリスたちも、ゴーグルを外している。
初めて引き合わされたあの教室で、俺達は今、ペアリングの課題としてVRシミュレーションに取り組んでいた。吸血鬼三人娘は机を寄せて座っているが、俺だけは離れて座っている。離れているとは言え、目眩と冷や汗は、相変わらずだ。
「ダメですわね。何度やっても、どういう組み合わせでも、上手くいきませんわ」
アイリスが倦怠感を滲ませながら、銀髪を払いのける。
「瑠利子さん。わたくしにも一つ、お菓子をくださらないかしら?」
「いいよー。はーい、どーぞぉ」
にししっ、と笑って、瑠利子はアイリスに飴玉が入っている袋を差し出した。アイリスは一瞬宙に手を惑わせていたが、やがて包装紙にイチゴ味と書かれた飴を、細い指でつまみ上げる。
「わ、私も、ひ、一つ、い、頂いて、も、い、いい、で、しょう、か?」
「ほいほーいっ!」
袋を差し出された克実は、逡巡した末、選択したのはレモン味。包装紙をあわあわと外し、飴を口の中に放り込むと、すっぱそうに口をすぼめ、フードを目深に被り直す。
「とーまも、はーいっ!」
そう言って瑠利子は、確認もせず、俺に向かって飴を放り投げる。緩い放物線を描いて投げられたそれを、俺は宙でキャッチ。見るとそれは、パイナップル味の飴だった。
「とーま、それ好きだったよねーぇ?」
「あ、ああ。よく覚えてたな」
にししっ、と笑い、瑠利子本人は、ブドウ味と書かれた包を取り出した。
砂糖の如く白い指が、包装紙を捲っていく。取り出された楕円形のそれは、光沢のある唇に触れた。そしてそれは艶めく桃色の舌に絡め取られた後、口腔に飲み込まれていく。
「……瑠利子さんと冬馬さんは、随分仲がよろしいんですのね」
アイリスがそんな事を言い始めたのは、俺が受け取った飴玉を、ちょうど口にしたタイミング。アイリスは俺を一瞥した後、瑠利子の方へ顔を向けた。
「小学校三年生まで、一緒にペアリングされていたとか」
「そーだよ。あーし、バカだからさぁー。とーまが居ないと、ダメな子なんだよねぇー。学力テストも、ほぼビリっけつだしー」
そう言われて、金指先生からもらった瑠利子の成績を、俺は思い出す。確かに瑠利子の学力テストの成績は、学年で下から数えた方が早かった。でも小学生の時の瑠利子は、そこまで落ちこぼれだったという記憶が、俺の中にない。後ろ暗いことがあるとすれば、せいぜい俺のペアリングの偽造工作に、協力していたという事ぐらいだ。
首を捻る俺をよそに、瑠利子はその尖った犬歯で、飴を砕いていく。
「だからあーし、とーまに言われたことは覚えてるしぃ、守るんだぁー。あーしが考えるより、とーまの言うことの方が、ただしーし、そのほーがあーしも楽だからさぁー」
「ず、随分信頼なさってるんですのね、冬馬さんの事」
そう言ったアイリスに睨まれるが、その理由がさっぱりわからない。
「でも今回の課題では、その冬馬さんも妙案が出てこないみたいですけど」
「わ、悪かったよ」
俺は吃りつつも肩をすくめて、そう答える。なるほど。アイリスに睨まれたのは、課題クリアのアイデアを、俺が中々出せない事への抗議というわけか。でも、それを言うのなら、お前も同じじゃないか、と言いたくもなる。
……実際に言ったら、また揉めるだろうから、言わないけど。
とは言え、ペアリングの課題に行き詰まっているのは、確かだ。俺は席から立ち上がると、黒板の方に歩いていく。
「じ、じゃあ、クリアのために課題を板書して、もう一度おさらいをしておくか」
「わ、私が、や、やりますっ!」
克実が勢い良く立ち上がり、フードを押さえながら、黒板の前に仁王立ちした。
「そ、それでは、今プレイしている、げ、ゲームの話しをしますっ!」
「か、克実さん? キャラ変わり過ぎじゃありません?」
「あーしは、他の人がやってくれるなら、何でもいーよ―ぉ」
「……げ、ゲームじゃなくて、一応課題だからな」
かつて見たことがない程強気な克実に若干引きながら、俺はチョークで板書をし始めた吸血鬼の後ろ姿を見つめる。彼女は黒板の左上に、戦略シミュレーションゲーム(中世)という文字を刻んだ。
「わ、私達がやっているゲームは、こ、これです! じ、時代は中世のヨーロッパ辺りで、し、シチュエーションは、城の防衛と、て、敵の殲滅です。わ、私達四人のプレイヤーは、お、お城のキャラクターとなって、こ、このお城を守り切る必要がありますっ!」
「わたくし達が操作するキャラクターは、三つの役職から選ぶことになっていますわね」
「そ、その通りですぅ!」
アイリスの言葉に頷き、克実が新たに黒板へ、外交官、騎士、文官と書き足す。
「げ、厳密には、文官の中に、が、外交官も含まれるので、わ、私的には、こ、こういう名前の付け方が適当なゲームは、とても良ゲーとは――」
「話が脱線してるよー、かつみー」
瑠利子の指摘に、克実がはっとしたように、顔を上げる。その様子を見守っていたアイリスが、助け舟を出した。
「外交官は、その名の通り、わたくし達が守る城と、それ以外の城との交渉役ですわね。資源の調達や、敵対する城へ送る物資を届かなくしたり、裏工作までこなす、そういう役職です」
「き、騎士は、そのまんまだな。俺達の城の兵を育て、城を守り、逆に敵の兵站や、城を攻める」
「ぶ、文官は、お、お城の経済を、管理します。が、外交に必要な資金や、へ、兵が使う武器の素材を調達します」
「資材は、外交官も交渉で入手出来ますわよ」
「そ、そうですね! そ、そして、わ、私達は、三つの役職を選んで、ぷ、プレイします」
克実は、俺達が話した内容も、黒板に追加していく。更に黄色いチョークで、『プレイヤーは好きな役職を選択できるが、三つの役職全てが選ばれる必要がある』と記載した。
その様子を、瑠利子は、ほへーっ、という感じで眺めている。俺は頭をかいて、今回の課題の概要を口にした。
「か、簡単に言うと、だ。俺達の城を守るには、外交、軍事、内政の三つを成り立たせないといけないわけだ。そしてこの三つの中で、一つだけ二人で取り組めるものがある」
例えば、外交官をアイリス、騎士を瑠利子とした場合、文官を俺と克実が担う事ができる。
逆に、外交官をアイリスと瑠利子、文官を俺と克実が選ぶ、ということは出来ない。この場合、騎士の役職に、プレイヤーが誰も就いていない事になるからだ。
「そして、わたくし達がプレーを始めると、一つの城から宣戦布告されますわ。この課題は、その城を倒す事で、クリア出来ます。NPC戦ですわね。ですが……」
クリア出来ていないということは、つまり、その宣戦布告された城に負けっぱなしという事である。
克実が唇を小さく噛み、悔しさを露わにした。
「こ、このゲームは、く、クソゲーですっ! よ、四人も居て、クリア出来ないなんて……」
克実の言った通り、今回プレイヤーとして参加できるのは四人居る。つまり、俺は今回の課題について、金指先生から参加を許されていた。
その理由は、このVRシミュレーションのプレイヤーが、吸血鬼の動体視力を持っている事を前提に作られたゲームだからである。
つまり今回、人間の俺は、居ようが居まいが戦力にならない存在なのだ。
「す、すまん。今回俺は、完全に役立たずだ」
「い、いえ、そ、それ、でも、ひ、必要な、ぷ、プレイヤー、数、は、そ、揃ってる、は、はず、なん、です。か、金指先生も、そ、そう、おっしゃって、いました、し……」
ゲーム好きの克実にとって、クリア出来るはずのゲームがクリアできないのは、相当ストレスが溜まるものなのだろう。彼女の握りしめた量の拳が、戦慄いている。
「取り敢えずさ―、もっかいやってみよーよ。次は、クリア出来るかもしれないしねー」
瑠利子の脳天気なその声に、克実の頬が、一瞬引き攣る。慌てたように、アイリスがゴーグルを持ち上げた。
「そ、そうですわね! それに、プレイ回数を重ねれば、何かつかめるかもしれませんし。ね? 冬馬さんっ!」
「そ、そうだな」
「……わ、わかり、まし、た」
俺もアイリスに同意した事で、渋々、というでも言うように、克実も小さく頷いた。克実が、黒板の前から、自分のゴーグルが置いてある席まで戻ってくる。その間、克実は瑠利子の方を一瞥たりともしなかった。アイリスが、俺に意味ありげな視線を送ってくるが、俺はそれを無視して、ゴーグルを付ける。克実の心の中を覗き見ることは出来ないが、俺の心情は、今回は彼女のものに近かいはずだ。
「や、役割はどうする? また俺とアイリスが一緒の組でいいか?」
「ええ。ではわたくしたちは、文官にいたしますわ」
この課題、基本的に、俺はアイリスと同じ役職を選んでいる。普通の吸血鬼標準で作成されたこのシミュレーションは、混血鬼であるアイリスにとっても、中々ハードなプレイを求められるのだ。焼け石に水かもしれないが、俺が意見を出すなど、彼女をサポートしている。
アイリスは、自分が混血鬼である事を既に他の二人にも打ち明けていた。そのため、瑠利子も克実も、反対の声は上がらない。
「じ、じゃあ、わ、私は、き、騎士、で……」
「ってことは、あーしは外交官だねー」
それぞれプレイする役割が決まったことで、シミュレーションを開始する。しかし、俺には一つの確信があった。
今回もまた、俺達は課題をクリアできないに違いない、と。
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