『……なんですの?』

 電話越しに聞こえてくる不機嫌な声色に、俺は思わず苦笑した。でも、それが今の俺達の関係なんだと、改めて思い直す。

「やっと出てくれたな」

『……あれだけ鬼電されたら、出ざるを得ませんわ』

 猫の確保に失敗した帰路の中、晩飯を食べている間、湯船に浸かっている最中、ずっと俺は、アイリスにどうやって会話すればいいいのか、悩み続けていた。

 なんて話せば良いのか? という問題より、俺が精神的にまともに話せないのではないか? という不安が、どうしても拭えなかったのだ。達矢の時は気軽に踏み出せた一歩に、俺は躊躇していた。

 俺は、吸血鬼が恐ろしい。近くにいれば目眩もするし、冷や汗もかく。猛獣が放たれている檻の中に、進んで入りたいと思うやつは、きっとどこにも居ないはずだ。でも、檻の外なら、安全圏なら、猛獣と向き合えるのではないか? その状態なら、俺は声を掛けることが出来るのではないか?

 そう自分に言い聞かせて自室に戻り、結局アイリスに電話を掛けれたのが、もう日付も変わりそうな時間帯。アイリスはすんなり電話に出てくれず、俺もムキになって電話を掛けまくり、ようやく話が出来る状態が整ったのが、今というわけだ。

『……本当は、着信拒否にしたかったぐらいですけど、ペアリングの事を考えると、そうもいきませんから。それで? 夜も遅いですし、手短にしてくださらない?』

 そう言ったアイリスは本当に素っ気なくて、それでも俺の口は笑みを刻んでいた。目眩もする。冷や汗も相変わらず出る。でも、直接向き合った時程ではない。どうやら吃りもしていないみたいだ。

 俺は小さく息を吸い込んで、口を開いた。

「お前が、学校を退学したくない理由を教えてくれ」

『……はぁ?』

 アイリスの、呆れた声が聞こえてくる。

『退学になりたくて学校に通っている方は、普通おりませんわよ?』

「普通はそうだろうな。でも、俺は絶対に退学できないんだよ」

『……それは、何故ですの?』

「吸血鬼が、怖いからさ」

『はぁ?』

 再び呆れられるが、これが本心なのだから仕方がない。

「俺は、吸血鬼が怖い。近づくだけで目眩もするし、冷や汗も止まらなくなる。だから、なるべく吸血鬼との接点を減らして生きていたい。そして、生きるためには働く必要がある。つまり、吸血鬼との接点を減らせる職業、その選択の自由を得る必要が、俺にはあるんだよ」

 そのためには、最低でも大学に入る必要がある。

「大学のOBのコネだろうが何だろうが、使えるものは全部使って、俺は理想の職業に就いてみせる。正直、まだそれがどういうものなのかわからないけど、その職業に就ける選択肢を失くすような事は、絶対にしたくない。だから俺は、心の平穏のために、高校を退学するわけにはいかないんだよ」

『……貴方、どれだけわたくしたちの事が嫌いなんですの?』

「嫌いなんじゃない。怖いだけだ」

『それ、何が違いますの?』

「嫌いなら、お前の事なんて知ろうとしない」

 俺の言葉に、アイリスが息を呑む。

「どっかの誰かが言ってたんだが、協力って言葉は、話し合って、助けになる事なんだそうだ」

『……そう聞くと、随分胡散臭い言葉ですわね』

 思わず笑って、俺はその言葉に同意する。その勢いに乗って、俺は言葉を紡いだ。

「ほら、俺は言ったぞ? 退学したくない理由をな」

『ずるいですわ、そういうやり方』

 三度呆れられるが、しかし、その吐息は若干柔らかくなった様に感じた。でも、続けられる言葉は、柔らかいなんてものではなかった。

『わたくし、混血鬼(ダンピール)ですの』

「なっ!」

 混血鬼。吸血鬼と人間の間の子。それは、吸血鬼と人間の間に生まれた子供、という意味ではない。身体能力などが、吸血鬼と人間、その間という意味で、間の子なのだ。

 混血鬼の外見は、吸血鬼と同じく、美しい。だが、身体能力は吸血鬼よりも低い。『変態』したとしても、その力は吸血鬼の二分の一から三分の一程しか出せないと言われている。

 かといって、混血鬼の血を飲んでも、吸血鬼は『変態』する事ができない。そういう意味で、世間では人間というより、吸血鬼と同じ目線で見られる。

 完全に人間ではなく、それでいて吸血鬼より劣る存在。落ちこぼれ、出来損ないの吸血鬼。それが、混血鬼だ。

 俺は、アイリスの言葉に思わず声を出して驚いてしまった事を、後悔した。それは、こいつにとって、侮辱以外の何物でもない。

 しかし、当の本人であるアイリスは、電話越しに笑っている。

『気を使う必要はありませんわ。事実ですもの。体力テストの結果にも、表れていることですし』

「あの成績は、そういう事だったのか……」

『ライオンとウサギが、かけっこで競争しているようなものです。仕方が、ありませんわ』

 その言葉の字面とは裏腹に、アイリスは全然納得出来ないというような悔しさを、言の葉に滲ませていた。

『わたくしのお父様とお母様は、二人共吸血鬼ですの。とっても優秀で、一代で会社を起こして、成功しましたわ。イギリスでアータートン社と言えば、結構有名なんですのよ? 二人共、わたくしの自慢の両親ですわ。でも――』

 そこまで聞いて、俺は身勝手ながら、もうやめろと言いそうになる。自分から聞いておいて、耳をふさぎたくなった。だって、これから語られる内容が、悲劇的でないわけがないのだから。

『アータートン社の社長令嬢であるわたくしは、当然、それ相応の目で見られます。両親が優秀なんだから、その子供も優秀であろう、と。ですが、わたくしは混血鬼。どれだけ頑張ろうとも、血の滲む様な努力を重ねても、吸血鬼の中では落ちこぼれ。それがわかると、勝手な期待を押し付けた周りの人は、手のひらを返した様にわたくしを罵倒しましたわ。特に、同年代の方からは、それはもう、念入りに』

 スピーカーから、アイリスの無念を表すような歯ぎしりが聞こえてくる。それと共に、鼻を啜る音も。

『お父様とお母様は、わたくしの事を落ちこぼれではないと言ってくださるけれど、その優しさすら辛かった。二人の優秀さを身近で感じれば感じる程、辛かった。だから、逃げてきたのです、わたくし。ええ、貴方に謝らないといけませんわ。散々今日貴方を罵りましたが、わたくし、負け犬なのです。お祖母様が住んでいる日本に逃げてきた出来損ないに、色々考えてくださった貴方をどうこう言う資格、ありませんもの』

「……やめろ」

『……貴方が、最初に言えとおっしゃったんでしょ?』

「ならせめて、泣くのを止めろ」

『……これが、こんな話が、泣かずに言えるわけないじゃありませんのっ!』

 堪えず零した俺の言葉に、アイリスが吠えた。

『わたくしは、せめて両親に胸を張れるだけの、何かを成したいのです! 落ちこぼれでも、出来損ないでもなく、あの人達の子供なんだと、高らかに叫びたいっ! だから、退学なんて、絶対に、嫌。もう、何も出来ないのは、いゃぁ……』

 最後の言葉は、言語としての体を成していなかった。でも、それが何だというのだろう? アイリスの無念を、悲嘆を、その悔恨を理解するのに、もう言葉なんて必要ない。

 ……猛獣は、檻の外からなら向き合える、だと? 電話越しに涙に暮れる吸血鬼は、ただのか弱い少女じゃないかっ!

 確かに俺はまだ、吸血鬼の事を恐ろしく感じる。血を吸われた時の、あの命を吸い付くされる様な絶望は、今も俺の心に突き刺さって、トラウマになっている。

 でも、吸血鬼は恐ろしいだけで、嫌いではない。この世から居なくなって欲しいとも、思っていない。それなのに、俺はあえて見ないようにしてきたのだ。あれは違うものだからと、遠い存在だと思い込む事で、心理的な距離を取ることで、心の平穏を保ってきた。だから、思い違いをしていたのだ。

 馬鹿だ。俺は、大馬鹿野郎だ! 俺は一体、何をしてきた? アイリスに、今までどんな言葉をぶつけてきた?

 いくら恐ろしいからと言って、吸血鬼の人間性を無視していい理由にはならない。なっていいはずが、ない。

「だったら、なおさらあの課題は成功させないといけないな」

『……でも、どうすればいいとおっしゃるんです? わたくしは、出来損ないで、落ちこぼれで――』

「馬鹿野郎」

 啜り泣くアイリスの言葉を、俺は遮る。

「俺はな。お前を囮に指名したのは、適材適所。つまり、お前にしか出来いないと思ったから、今日はあの役割をお前に与えたんだ」

『わ、わたくしにしか、出来ない……?』

「そうだ。そうやって、出来ないなら出来ないなりに、一つずつ、出来ることを積み上げていくんだ。俺は、お前だけを落ちこぼれだなんて思ったことは、一度たりともない。俺達全員が、落ちこぼれだ」

『……それじゃあ、結局課題はクリア出来ないんじゃありませんの?』

「言っただろ? 出来ることを、まずはやる。四人も合わされば、なんとかなるさ」

『……貴方にそう言われると、本当にそうなりそうな気がしてきましたわ』

「気がするんじゃなくて、本当にクリアするんだよ」

 だから、アイリス。

「俺を、助けてくれ」

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