第一章

 まだ朝っぱらだと言うのに、頬杖を付いた俺、川越 冬馬(かわごえ とうま)の口からは、特大の欠伸が飛び出した。昨日は久々に、あの嫌な夢を見たせいで、飛び起きてしまったのだ。大量に掻いた汗を拭っていると眠気も取れてしまい、早めに学校にやってきたのだが、今更ながら、眠気が戻ってきたらしい。

 四階の窓から外に目を向けると、ここ、星躅高等学校(ほしふみこうとうがっこう)へ登校してくる生徒たちの数も増えてきていた。それを横目に、俺は一年四組の窓際の一番隅にある自分の席で、欠伸を噛み殺す。四月から新たに通うことになったこの教室も、今では見慣れたものだ。そう思うものの、どこか懐かしさを感じるのは、夏休みという期間を経たせいだろう。

 今日は、九月一日。二学期の始業式だ。

「おっす、冬馬」

 生徒が徐々に集まり始めた教室の中、そう言って俺に、一人のクラスメイトが声をかけてくる。机に突っ伏していた顔を少し上げると、そこには俺と同じく黒い髪に、黒い瞳の、人間の男子生徒が居た。俺は内心、安堵の溜息とともに、体を起こす。

「おう、達矢か」

「なんだよ、その言い方。久しぶりだって言うのに。元気だったか?」

 そう言って、学ランを着た重友 達矢(しげとも たつや)は俺を肘でこついた。達矢とは、この高校に入学してから知り合った友達だ。初めは席が近いただの同級生、よりも、関係は良くなかった。それは俺の持病みたいなもののせいなのだが、腹を割って話してからは、良好な関係を築けている。

 そんな気さくに笑う達矢の顔は、俺の記憶よりも肌が焼けているように見えた。きっと夏休み中、部活でしごかれたに違いない。確か、サッカー部に所属していたはずだ。

「達矢は夏休み、ずっと部活だったのか?」

「まぁな。冬馬も一緒にサッカーやろうぜ? お前なら、人間の枠でレギュラー狙えるだろうし」

「いや、俺は……」

「二人とも、おっはよーっ!」

 言いよどむ俺の声を遮るように、女子生徒の声が聞こえてきた。聞き覚えのある声に、俺は一瞬硬直する。そんな俺をよそに、達矢は嬉しそうにその子に向かって笑いかけた。

「おはよう、加奈女!」

「おはようっ、達矢!」

 そう言ってセーラー服を着た生徒、彼谷 加奈女(かや かなめ)は達矢とハイタッチを交わす。手と手が合わさった瞬間、それに合わせて加奈女のポニーテールが揺れた。茶色の髪が宙に揺蕩い、橙色の瞳が宝石の様に輝く。その顔は、人間のものとは思えないほど整っていた。

 いや、それもそのはず。彼女は人間ではないのだから。では、一体何者なのかといえば、その小さな口から覗く鋭利な歯から、答えを知ることが出来る。

 彼女は、吸血鬼なのだ。

「冬馬もおはようっ!」

「あ、あぁ。おはよう」

 口角を引き攣らせながら、俺はなんとかそう答える。答えるが、今の俺は背中には冷や汗が流れ落ち、視界が渦を巻くような目眩に、卒倒しそうなのをなんとかこらえている状況だった。

 加奈女は、達矢の彼女だ。だから俺が、彼女と話をする時、吃ってしまう理由を知っている。そういう意味で、達矢と加奈女は、俺にとって本性を隠す必要のない相手だった。

 その二人が、俺の事情を知っている加奈女だけが少し距離を取って、楽しそうに話を続けていく。

「ねぇ、達矢。夏休みの宿題終わった?」

「ばっか! オレだぞ、オレ! 当たり前だろ?」

「嘘っ! 達矢、宿題やってきたの!」

「いいや、当たり前にやってきてないっ!」

「何よぉ、それぇっ!」

「と、言うことで、冬馬! すまん! この通りだっ!」

「……そんな事だろうと思ったよ」

 予め話の展開を予想していた俺は、机の中からぎこちないながらも、不自然にならないようにノートを机の上に取り出した。

「ほら、提出前に返せよ」

「流石成績トップクラスの秀才様! ありがたやありがたやっ!」

「ちょっと、あんまり達矢を甘やかさないでよねぇ、冬馬! 達矢のためにならないんだからっ!」

「ばっか! 加奈女、余計なこと言うな! 冬馬が宿題、写させてくれなくなるかもしれねぇだろうがっ!」

「宿題は自分でやりなさいよ! 大体、達矢が何にもできなくなると、ペアリングする私の成績も悪くなるかもしれないんだからねっ!」

「お、お前ら、そのぐらいにしたらどうだ? そろそろ先生も来るだろうし」

 冷や汗を拭う、歪んだ俺の口から、そんな言葉がこぼれ落ちる。俺の言葉を受けて、達矢は首を傾げ、加奈女に向き合った。

「そうか? なぁ、加奈女、ちょっと『変態(メタモルフォーゼ)』して『聴いて』くれよ」

「えっ! い、いいけど……」

 加奈女は先程の剣幕はどこへやら、頬を染め、急にしおらしくなる。そして達矢の手に導かれるまま、二人は体を重ねていった。

 抱き合う二人。近づく唇。そして、加奈女の唇が小さく開き、そこから二本の尖った歯が現れて――

 そこで俺は顔をそむけ、左手で目を隠し、右手で自分の首元を押さえつけた。見えないが、何が起きているのかは、耳に届く加奈女の熱い吐息、そして、何かを啜る音で、わかるというもの。

 達矢が、加奈女に血を吸わせているのだ。

「……んふっ。ごちそうさま」

 やがて加奈女が満足げにそう言って、達矢から体を離す。唇に付いた血をその舌で舐め取ると、吸血鬼は嬉しそうに微笑んだ。

 一方、吸血鬼に血を吸われた達矢はというと、慣れた様子で自分の首筋を拭いている。

「おい加奈女、あんまり強く歯立てなかったろうな?」

「失礼ねっ! 血を吸いたての子供じゃあるまいし、そんなにがっつかないわよっ!」

「悪かったって! そんなに怒るなよ。それよりほら、オレの血を飲んだんだから、ちゃんと『聴いて』くれよ?」

「もう、わかったわよっ!」

 そう言うと、茶色だった加奈女の髪の毛が、徐々に赤に、いや、それは血の色へと変わっていく。達矢の血を飲んだため、加奈女が『変態』したのだ。それに合わせて、俺の体調も悪化する。

 加奈女はその状態で目を閉じ、耳をそばだてた。

「あ、ちょうど先生、二階の職員室を出たみたい。足音の間隔から歩幅を推定すると、後百歩ぐらいで到着かしらね」

 加奈女の言葉に、達矢は関心したように頷いた。

「毎回思うけど、お前の『変態』、すげーなぁ。足音でそこまで聴き分けられるのかよ」

「私、というより、達矢の血のおかげでしょ? どんな能力が使えるかは、飲んだ人の血によって変わるんだから」

 そういった加奈女の髪は、もう元の色に戻っている。それを見ていた達矢は、なおも腕を組んで唸っていた。

「でも、俺の『血等(ブラッドレベル)』、C-3だぜ? もっと凄い血だったら、お前どうなっちゃうんだよ……」

「で、でも、私、達矢の血しか、飲みたくないし……」

 顔を赤らめて見つめ合う二人に、俺はわざとらしく咳払いをする。

「あ、あの、お二人さん? 恋人同士いちゃつくのは良いんだが、そろそろ先生が教室に来るんじゃないか?」

 達矢と加奈女は、はっと顔を上げると、慌てた様子で自分の席へと戻っていった。

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