『――それで、カウンセリングの結果は?』

 自分の部屋の寝台で横になりながら、客間に備え付けられているスピーカーを自分の耳にして、自分は客人の会話を聞いている。客人は女性で、声紋からユーキであると自分は判断。次に送られてくる声紋は、管理者Aの生産者の一人、二親等の一人で、俗に祖父と呼称される生命体だ。自分は今、管理者Aの一親等、祖父母の家で生命活動の維持に努めている。田舎に建つ洋館の中で、祖父が口を開いた。

『ダメですな。もう引き受けてくれる先生がおりません』

『……と、言うと?』

『負けてしまうんですよ、先生方が。知識量で椿に勝てず、フロイトやアドラー、ユングを真似た小手先だけの精神分析だけをするなら意味がないという、あの子の言葉に、皆心が折れてしまうのです』

 祖父の言葉に、自分はその言葉を肯定した。管理者たちの発言通り、自分は単体で、単独で、単に独つの個体として完成している。不完全な存在(他の人間)からの助言は不要だ。

『……曲がりなりにも、あの人たちの子というわけですか』

『自分の倅ながら、お恥ずかしい限りで』

『食事は?』

『最初は点滴が最も効率的な影響接種の方法だ、と言って聞かなかったのですが、今ではどうにも食卓には出てきてくれますよ』

 それは、そうしなければ祖父が栄養の提供を遮断するからである。管理者たちの命令は、体に気を付けて生きる事。自分はただ、その命令を忠実にこなしているに過ぎない。

『学校は?』

『一度連れて行ったのですが……。病院の先生を論破する時点で、椿がどういったコミュニケーションをするのか、推して知るべしでした』

『確かに。成績は申し分ないけれど、同級生だけでなく、先生とも、その……』

『まぁ、扱い辛いでしょうな。口だけは達者な頭でっかち。あの子の育った環境を思えば想像に難くないですが、椿は絶望的なまでに、人間関係の構築が下手なのです』

 その評価については、自分は反論する用意がある。まず、自分は学校教育の必要性というものを感じてはいない。ユーキの評価通り、自分は学校でもはや学ぶ学問は存在していない。機械の中に存在している情報は、イコール自分の知識となる。電子のネットワークを通して、自分はサーバに保存されている機密情報から、空気清浄機の稼働状況まで、全て自分の手のひらに握っているのだ。それをいちいち口頭や紙媒体で、しかも視覚、聴覚情報を中心に情報を伝達、蓄積するだなんて、非効率的過ぎる。故にそんな非効率的な方法でしか情報伝達が出来ない教師と言う存在も、自分には不要であり、またその非効率な情報を授受する必要がある学生と言う存在も、自分は必要としていない。もっと言ってしまえば、今の自分は管理者たちよりも知識量はあると、そう自己評価を下している。故に管理者たちよりも劣っている存在と継続した関係を作ろうとは考えられず、当然の結論として自分は自分の生命活動の維持を優先するという、非常に論理的な思考の元、今の自分の在り方に落ち着いているのだ。

 だから自分は、人間関係の構築が下手なのではない。必要がないから、しないだけなのである。

 このような思想は、実際の疾患ではないが、病という言葉で存在している。中二病というそれは、自分自身を特別な存在だと思い込んで生じる、いばわ思春期に見られる背伸びをしている状態だ。空想、妄想、幻想を詰め込んだそれは、わかりやすい他者と自分の隔絶が根底にあるように思える。だが、自分の場合はBMIチルドレンという、実際にチート能力を持った存在なのだ。

 自分は、他の人間とは違う。

 祖父の溜息が聞こえて来た。

『そもそも、椿を最初に見た人たちに、言われるのですよ。椿は美しく、可愛らしい。フランス人形のようだ、と。でも、人間には見えない、とも。同じ血肉の通った人間ではなく、本物のフランス人形、マネキンに近い印象を受けるというのです。こうすれば美しく、可愛らしい子供に見えるでしょう? というように作られたと思ってしまう、と』

『……笑いませんからね、あの子』

 その評価についても、自分は反論する用意がある。それはあくまで個々人の主観的な評価に過ぎない。現に、管理者Aと管理者Bは、自分の事を綺麗で、可愛いと表現した。ならば、自分はそれでいい。実際、祖父の発言から類推するに、自分の外見を評価した人は、そのように発言しているではないか。後は程度の問題であり、感情論の領域は、自分の得意領域ではない。また、他人の感情領域まで自分が踏み込む必要性を感じない。自分は、自分単体で完成体なのである。他者への干渉をする必要性を、見つけることが出来ない。

 それから二人は十分ほど話して、今日はお開きという事になったようだ。

『それでは、また来ます』

『ありがとうございます。いつでもお待ちしておりますよ』

 そう言って祖父は、ユーキを家から送り出す。二人は玄関の外に出た。自分は情報の収集先を、家の外に設置されている監視カメラへ変更。映像情報から画像情報を抽出し、ユーキと祖父の口の動きを分析。二人が何を話しているのか分析する。分析した結果をすぐには受け入れられず、再計算。演算結果が変わらないとわかると、自分は寝台から飛び起きた。緊急事態(エマージェンシー)。これは由々しき事態だ。

 廊下を裸足で走り、足音が反響する。足裏に久々に感じるタイルの冷たさと、素肌に張り付いてくる感覚が、今はただただ不快指数を向上させる(煩わしい)。

 自分が玄関に到着するのと、祖父が玄関に戻って来たのはほぼ同時だった。自分の姿を見つけると、祖父は特段驚いた濯もなく、肩で息をする自分を一瞥する

「……また、盗み聞きでもしとったのか?」

「ユー、キ、は――」

 久々に体を全力で稼働させたため、呼吸器官が上手く脳へ酸素を供給出来ない。えずく自分を見下ろして、祖父は気にせず自分の方へとやって来る。

「……あの人は、瀕死状態だったお前を見つけてから、心配して下さってるんだ。今日もこうして様子を見に来てくれている。たまには顔を見せて挨拶したらどうだ?」

「そん、な、依頼は、して、――」

 まだ正常回復しない呼吸器官に、自分は煩わしさを感じる。やはり、体を動かすのは無駄が多い。音声デバイスがあれば、自分の思考をすぐに伝えることが出来るのに。

 管理者たちの命令通り、自分は自分がBMIチルドレンである事は、誰にも伝達していない。だからここで自分の肉声以外を使う選択肢は自分にはないし、祖父の言う盗み聞きをしていた範囲も、生身の人間で可能な範囲を類推した発言と行動が求められる。本当に、現実は、物質世界は自分には生き辛い。

「ユー、キ、は――」

「お前の事だから、聞いとったんだろ? 夕城さんは、次に来るのが最後らしい」

 それは、自分も演算して(知って)いる。ユーキの配偶者が仕事で保護した子供の件で、時間が取れなくなっているらしい。流石ユーキの配偶者と言った所か。ユーキも、学会を追放された友人の子供の心配をする事で、最近ではマッドサイエンティスト扱いされているらしい。ユーキの配偶者も、独断専行が行き過ぎて、勤め先での立場を危うくしているという。最も、ユーキも彼女の配偶者も、そんな子供にかかずらわなければ、すぐに元の栄誉を取り戻せるだろう。ユーキは管理者たちが認めた存在であり、その配偶者も、客観的に見て優秀だ。余計で余分で余剰な関係を断ち切れば、彼らの処理性能(パフォーマンス)は急上昇するだろう。

 しかし、自分が今問題視しているのは、そこではない。荒い息が収まらず、自分は右手を胸に当て、首を振る。言葉が出てこないので、別の方法で意思表示をすべきだという、合理的な結論に基づいた行動だ。だが、振った首について宙を舞う伸び放題の髪が顔に絡みつき、視界情報を阻害。不快指数が向上する(鬱陶しい)。

「……次、ユーキ、来る、時――」

「ああ。お子さんを連れて来るって言ってたな。お前と同い年だそうだ、椿」

 自分は胸に手を当てていた右手を、全力で握りしめた。緊急事態だ。これは由々しき事態である。自分は自分だけで完結しているというのに、どうしてまた不完全な存在と接触しなくてはならないというのだろうか。眼前の祖父であっても、栄養摂取の為に傍に居るのであって、必要以上の接触を避けていたというのに。自分は、自分以外必要としていないのに。

「……何ですか?」

 顔を上げると、祖父が不思議な表情を浮かべている。笑っていたのだ。しかも、自分を見て。嬉しそうに。理解不能。意味が分からない。自分は、何も笑われるような事はしていない。笑われるような、存在ではない。

「いや、何。お前も、やっぱり人間なんだな、と思ってな」

「……自分は、生物学的上、人間です。自分は――」

「お前、凄い嫌そうな顔をしているぞ、椿」

 なら、尚更理解不能だ。自分の孫が嫌悪の表情をしているのに、何故祖父はこうも嬉しそうに笑えるのだろう? そもそも自分は、本当にそんな顔をしているのだろうか? 試しに触ってみるが、そこに差分を見出す事が、自分には出来ない。特に表情は変わっていないはずだ。

「随分、人間らしい表情をしている」

 そっちの方がいいぞ、と言って、祖父は自分の傍を通り過ぎていく。人間らしい表情? それは、自分が生きて行くのに、自分単体で完全体な自分に必要なものなのだろうか? いや、それは必要ない。例え自分の表情筋がなくなったとしても、自分は他人と意思疎通が可能なのだ。そう、BMIがあれば、BMIチルドレンである自分なら、可能なのだ。

 自分は、他の人間とは違うのだ。そういう存在なのだ、自分は。何せ、管理者Aと管理者Bは、自分たちの欠陥を修復するより、自分を完成体にするのを優先させた。管理者たちなら、完全修復とまでは言わなくとも、十年単位で延命が可能だったと、自分は演算結果は告げている。何せ、自分を完全体にする事が出来た人たちなのだから。管理者たちが、自らの寿命よりも優先した存在が、自分なのだ。昼顔椿と言う個体の意志より、管理者たちが優先した研究結果が、自分と言う存在なのだ。自分は、管理者たちの命より優先され、昼顔椿よりも優先して完成された存在、HIRUGAO OFFICIAL VERSION 1.0なのだ。ならば、自分は特別な存在でなければ、おかしい。その優先度に見合う存在でなければ、ならないのだ。

 だから自分は、不要な要素は必要ない。表情なんて、感情なんて、無駄なものだ。自分で改めてそう結論付けると、自分は部屋へ、寝台へと戻っていく。確実に発生し、回避できないとわかっている事象ならば、対策を考案する方が有意義な時間の使い方だと、論理的に判断したのだ。

 そしてついに、その日がやって来る。祖父の傍で、自分は玄関の前に立っていた。予習(シミュレーション)は万全。どんな状況であっても、今日の自分は目的を達成する事が出来る。すなわち、侵入者の撃退である。自分は自分単独で成立する完全体。それを今日、祖父の前でも証明してみせる。ユーキの染色体を半分持つ存在との会話を通して、自分がいかに人と違う存在なのか示すのが、自分の命題と定義した。

 祖父が玄関の鍵を開け、ユーキを招き入れる。祖父とユーキが当たり障りのない言語情報の交換をしているが、自分の関心はそこにはない。自分の視覚情報は、自分よりも成長速度が高いと思われる彼を観察するのに、全資源(リソース)を割り当てている。彼が、今回の撃退対象。ユーキの子供。不完全な存在だ。

 彼は満面の笑みで、自分たちに向かってこう言った。

「あははっ! 初めまして。僕、夕城竜兵と言います! 十歳ですっ!」

「どうぞ、よくいらっしゃいました」

 祖父が相好を崩して、ユーキとその子供を迎え入れる。自分は冷静に、それを客観的な事実として受け入れていた。

 彼は、自分の方へと視線を移す。

「初めまして!」

「……っ」

 緊急事態。緊急事態。体の声帯が、上手く動かない。舌がもたつき、発声出来なくなる。そんな自分を見て、祖父が笑った。

「緊張しとるんだろ」

「……違います」

 よし、稼働を確認。起動が遅れただけで、自分の体は、正常に稼働している。自分は個体名称夕城竜兵、ユーキと混同しないために、リューヘーと定義、へ視線を移す。

「自分は、正式個体名称HIRUGA――」

「え?」

「ヒルガオ・ツバキです」

「今――」

「ヒルガオ・ツバキです」

 危うくBMIチルドレンとしての正式個体名を名乗る所だったが、直前で軌道修正(リカバリー)を完了する。流石自分。不慮の事態でも、完璧に一人で対応する事が出来た。自分以外であれば、きっと大惨事になっていたに違いない。

 リューヘーは小首を傾げながらも、祖父に自分の名前がどういう字を書くのか聞いていた。その後、気を取り直し、ぺこりとお辞儀をした。

「椿ちゃんですね! よろしくお願いしますっ!」

「あなたは、誰に対してもちゃん付けなのですか?」

「え、ダメ?」

 問われ、自分はその疑問を検証する。自分は、自分の正式個体名を名乗る事は出来ない。ならば正式個体名以外で固有名詞を定め、意思疎通を行うのが現実的。逆に言えば、正式個体名以外であれば仮称や略称を用いなければならず、正式個体名以外で自分を表す名は、管理者たちに倣うのであれば、ツバキと呼称するのが妥当と判断。結果、その後にさんやちゃんや様を付けたとしても、自分自身を明示的に指定できる事実が存在する。つまり――

「いいでしょう。自分をツバキちゃんと呼称する事を許可します」

「わぁい! やったー!」

 何が嬉しいのかわからないが、リューヘーは破顔した。意味が分からない。祖父もユーキも、何故自分をそんなジド目で見つめるのか。やはり、不完全な存在は完璧な自分には理解し難い。

 客間の方へと、自分たちは移動する。十畳ほどの広さのそこは、綺麗に磨かれた机に、アンティークの椅子が六つ並べられている。その椅子に座りながら、リューヘーは頻りにある一点を見つめていた。壁にかかった、大き目な時計が気になるようだ。

「こちら、つまらないものですが」

 そう言ってユーキが、小さな包みを取り出した。それにすかさず、リューヘーが反応する。

「おまんじゅう!」

「……」

「すみません。少し、歯を悪くしておりましてな。そういうものは、どうにも……」

「……そうですか」

 そう言うと祖父は、奥からクッキーと紅茶、そしてミルクと砂糖を持ってきた。リューヘーはそれを嬉しそうに食べながら、母親が下げた包みを一瞥する。

「美味しいのにね!」

「……」

 湯気立ち上るカップを持って、祖父は優雅にそれを口にする。それを横目で眺めていると、リューヘーが自分の方を、じっと見つめているのに気が付いた。意図がわからない。これだから不完全な存在は、と思っていると、向こうから突然話しかけられた。

「食べたかったの?」

「……主語がないので回答できません」

「おまんじゅう!」

「馬鹿じゃないですか」

「これ、椿!」

「あ、いいんですいいんです! 僕がきっと椿ちゃんに失礼な事を言っちゃったんですよ! ごめんね、椿ちゃんっ!」

「……」

 自分が黙り込んだことで、そこから先は、リューヘーからの他愛のない質問が続いた。そしてそれら全てに対して、自分は無表情に、無防備に、無感情に切り捨てていった。

 例えば、こんな具合に。

「好きな食べ物は、何ですか?」

「定義が曖昧で、答えようがありません」

「好きなマンガは、ありますか?」

「定義が曖昧で、答えようがありません」

「好きな科目は、何ですか?」

「定義が曖昧で、答えようがありません」

「学校は、楽しいですか?」

「行ってません」

「……テストの成績は――」

「満点です。全科目」

「……」

「……」

 やがて、リューヘーは黙り込んだ。下唇を強く噛みしめ、俯いている。その様子を見て、やはりな、と思うのと同時に、自分は目的が達成できる目途が付いた実感を得る。つまり、撃退だ。撃退する予習をするのに、自分はまず仮想のリューヘーを設定した。リューヘーはユーキに、何と言われて私の元にやって来たのだろうか? 自分がBMIチルドレンである事は、誰にもどこにも話していないし、その情報が電子上の世界で出回っていない事も確認している。ならば、両親、狂ったマッドサイエンティストから虐待を受け、心を閉ざしてしまった、自分と同い年の子供の話し相手にでもなってくれ、と、リューヘーはそう言われたのだろう。そしてのこのこ、こんな所までやって来た。でも、待っていたのは、同い年の子供からの拒絶。更に、自分という存在とリューヘー自身の格差を感じたに違いない。これなら、リューヘーの心は折れる。折れ、帰る。結局、彼は自分が如何に矮小で未熟で粗陋な存在なのか理解し、撤退しようとしているだけだ。

 と、その時、自分は本気でそう思っていた。だから、次にリューヘーが椅子から勢いよく立ち上がり、放った言葉に、自分は自分の聴覚機能を疑う事になる。

 

「突然、いい加減いじけるのはやめろよっ!」

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