②
「パパ、ママ! 見て、流れ星っ!」
わたしは夜空に向かって両手を上げ、自分の今見ているものについて、大喜びで両親へ報告する。
「天文現象の一つで、正確には流星って言うんだよね。宇宙空間に漂っている小さな粒子が大気に衝突、突入してあんなに綺麗に発光するなんで、素敵っ!」
「そうだな、ツバキ。宇宙空間に漂っている粒子、流星物質は、秒速四十キロメートルものスピードで移動している。宇宙空間で地球の公転速度は秒速三十キロメートルだ。さてツバキ、地球から流星を見ると、流星物質はどれぐらいの速さで衝突してくることになる?」
「えーっとぉ、秒速七十キロメートル!」
「偉いわツバキ! 生まれてから四年二百十三日十一時間五十三秒で、ついに足し算を覚えたのね! あなた、私たちの娘は天才よっ!」
「ああ、そうだなっ!」
パパとママが歓喜の声を上げ、ママは私の頭を撫で、パパはわたしに頬ずりする。パパの剃り残しの髭が、わたしの頬に当たって、少し痛い。でも、そんな事よりも、パパとママが喜んでくれたことがわたしには何より嬉しかった。
わたしたちは今、マウナケア山で星空を眺めている。ハワイで一番大きい島、ビッグ・アイランドという愛称で知られるハワイ島だ。パパとママは、何でも凄い大学を出て、凄い学会で論文を沢山出して、凄い研究機関に沢山所属してい、多くの分野で沢山の功績と凄い成果を出してきたらしい。話の中身に具体性がないのは、パパとママが教えてくれなかったからだ。一緒に仕事をしていた人は、どうやら最後まで、パパとママの考え方についてこれなかったらしい。寄ってたかってパパとママから功績と成果を奪って、仲間外れにしたという。海外に行くのにも、圧力をかけられているみたいだ。そんな奴らの名前なんて、脳細胞の一つにでも刻む必要はないというのがパパとママの意見だけれど、全くその通りだとわたしも思う。皆、仲良くすべきなのだから。そんな彼らは、パパとママの事をこう言って迫害したみたいだ。
マッドサイエンティスト、と。
「でも、良かったね! マウナケア山で流れ星を見れてっ!」
「そうだな、ツバキ!」
「ええ! これも、ユーキのおかげね」
「……ユーキ?」
「パパたちのお友達だよ」
「数少ない、ママたちとまともに会話できる人類よ!」
「今日の旅行も、ユーキの協力があったから実現できたんだ」
「ユーキの名前だけは、覚えておいてもいいと思うわ、ツバキ」
ユーキは、漢字で夕日の夕に、お城の城で、夕城と書くらしい。随分聡明な女性のようで、パパとママの考え方を理解してくれている人のようだ。パパとママがそういうのなら、ユーキさんは、いい人なのだろう。わたしはパパとママが、ツバキ以外にも仲良く出来る人が居た事に、嬉しくなった。
「ツバキ。お前はこれから、沢山の難問に出会うはずだ。中には、自分で解けない問題にもぶつかるだろう」
「……その問題は、パパでも解けないの?」
「パパに解けない問題があるわけないだろう! でも、いつまでもパパに頼りっぱなしというのは、ツバキにとって、良くない」
「わかった! じゃあ、ママに聞くっ!」
「困った事があれば私に助けを求めるなんて、やっぱりツバキは天才ね! でもね、ツバキ。パパとママは、あなた一人で考える力を身に着けて欲しいの」
「ああ、そうだぞ、ツバキ。パパたちは、ツバキが自分で幸せになれるようになって欲しいんだ。普通の人の幸せも含めて、な」
「だからね、ツバキ。悩むことがあれば、まず、自分が楽しいと思える事を考えなさい。そうすれば、きっとあなたは大丈夫よ」
「うん! よくわからないけど、わかった!」
「凄いぞママ! ツバキはわからない事を、わからないと認めれる、真の知恵者だっ!」
「本当ねパパ! ツバキはソクラテスが裸足で逃げ出す本物の天才よ! 何でまだノーベル賞を受賞していないのか、逆に不思議だわっ!」
パパとママが何を言っているのかよくわからないけれど、二人が笑ってくれているので、わたしも思わず嬉しくなる。相変わらずパパのドイツ語は訛りがきつくて聞き取り辛いし、反対にママは子音が強いイギリス英語。それを聞き分けながら日本語で会話する様に言われているので、聞き分けながら話をするのは中々疲れるが、二人の笑顔を見ていると、そんなものは吹き飛んでしまう。
「さぁ、今度は中国に移動して、ペンタゴンへハッキングをかけるぞ!」
「プロキシの準備は済んでるよ、パパ!」
「偉いわツバキ! じゃあ、それが終わったらインドのスタートアップ企業を買収して、それを隠れ蓑にバイオ燃料の工場を乗っ取りましょうっ!」
家族三人で笑いながら、帰りの準備を進めていく。偽装パスポートの関係で、一旦日本に戻らないといけないのが難点だが、逆に日本に一度戻ってしまえば、どうとでもなる。
それから暫く、わたしは両親と一緒に世界中を渡り歩いた。北極でオーロラも見たし、南アメリカのアマゾンにも行った。大海原ではクジラの大きさに圧倒され、顕微鏡の中で目に見えない極小でありながら、広大な世界が存在する事を知った。アルゴリズムの美しさに魅せられ、人体の神秘に胸を躍らせた。
楽しかった。
ただただ、楽しかった。
だから、見ぬふりを、わたしはしていたのだ。こんなに楽しい時間なのだから、これは永遠に続いていく時間なのだと、妄信していた。わたしが五歳を超えたあたりで、パパとママが、わたしを頻繁にMRI検査をするようになった違和感も。そして月日が流れるにつれて、パパとママの表情が、顔色が明らかに暗くなっていったのに、気付かないふりをしていたのだ。
そしてそのまま、六歳の誕生日を迎えたのだ。
誕生日は毎年、日本で祝う。わたしが生まれた国が、ここだったからだ。
薄暗い部屋の中、ゆらゆらと六つの炎が揺れている。ハッピーバースデーを祝う歌を口ずさみ、わたしは誕生日ケーキに刺されていたロウソクへ、盛大に息を吹きかけた。すると六本の内、四本の炎は直ぐに消えてくれる。頑固な残りの二本を成敗しようと、私は再度息を吸い込み、ロウソク目がけて息を吹きかけた。ついにロウソクの炎はすべて消え、部屋は薄暗さで包まれる。
そして突然の静寂が訪れる。音が全く聞こえなくなった。視界も暗くなり、それどころか、目の前にあった誕生日ケーキも右の方へ遠ざかっていく。振動。瞼が閉じゆく中で、わたしはようやく、自分の体が倒れた事に気が付いた。起き上がろうにも、体が動かせない。そもそも、もう瞼が完全に閉じそうだ。意識もわたしが吹き消したロウソクの火の様に、煙だけとなり――
「……誕生日、おめでとう。ツバキ」
「……よく、ここまで大きくなったわね」
それが、わたしが意識を失う前に最後に聞いたパパとママの声だった。
人間の脳神経は、胎芽から胎児、つまり妊娠してから二か月以降に作られ始め、出産後三歳程で大脳、小脳、脳幹といった基本的な構造がほぼ出来上がる。更に人間の脳は六歳で大人の九割、つまり殆ど成長を終える事がわかっている。もし、人間の脳に何らかの加工、および補助装置の様なものを設置、移植するなら、術後、脳の成長に合わせて装置の微調整が可能な六歳が最も適しているともいえる。
つまり、今のわたしの事だ。
いや、もうこの一人称は相応しくない。
「調子はどうだ? Prot」
昼顔椿の原型(HIRUGAO Prototype)、その略称名で呼ばれ、自分は自分の事を管理者A(パパ)が呼んでいるのだと認識できた。薄暗い研究室の中で、自分は答える。
「問題ありません(オールグリーン)」
「返事(リターン処理)をする時は、音声出力するだけでなく、テスト画面にも出力する様に設定したでしょ?」
『申し訳ありません、管理者B(ママ)』
自分は管理者Aと管理者Bが見つめるディスプレイ上へ、返事をした。二人の管理者(マスター)たちが、満足そうに頷く。
「Protに移植したBMIは、順調に稼働しているな」
「でも、まだ脳波から機械へ干渉する出力が安定していないわ。脳の神経ネットワークから流れる電気信号が、まだProtの体(ハードウェア)を伝わり切っていないのかも」
「もしくは、空気中へ信号が出る時の出力が弱いのかもしれない。ナノマシンの定着率はどうなっている?」
「BMIとProtの脳との統合率は、五十・二三パーセントといった所よ」
「……少し、進捗が遅れていないか?」
「Protの体の成長が、思ったよりも芳しくないの。実験の性質上、この個体(マシーン)を日光が当たるような場所に放置するのは難しいし……」
「……ビタミンDが不足して、カルシウムの吸収が低下しているのか。栄養剤の投与は?」
「流石に限界があるわ。過剰な外部からの接触は、BMIに与える影響を予測出来なくなるもの」
「……申し訳ありません。管理者A、管理者B」
『……申し訳ありません。管理者A、管理者B』
管理者たちの会話を聞き、自分は自分の不出来を自覚する。自分という個体の品質低下が、管理者たちを煩わせているのであれば、自分の存在意義がない。
しかし――
「Prot。お前の意見は今は聞いていない」
「そうよ、Prot。あなたは今、私たちの言う通りにしていればいいの」
「……」
『……』
「いずれにせよ、BMIの出力状況はモニタリングした方がいい」
「そうね。Prot。溶媒液(ベッド)に入りなさい」
「……了解しました」
『……了解しました』
自分は白衣の様な服を脱ぎ捨て、酸素供給用のマスクを装着。そのまま階段を上り、分厚いガラスに覆われた緑色の溶媒液の中へ沈んでいく。縦長のそれは粘着性を持っており、体の隅々、爪の先から細胞の一つ一つまでまとわりついてくるようで、気持ち悪い(不快指数が上昇する)。
『……どうした? Prot。何か異常でもあったのか?』
管理者Aの音声情報が、自分の脳へ直接届けられた。管理者Aが手にしたスマートフォンから、彼の音声情報を自分が受信したのだ。この溶媒液は人体と近い性質を持っていながら、電気抵抗率であるρ(ロー)を少なく(レス)し、自分のBMI、そして脳から発せられる脳波と電子信号を外へ伝えやすくする役目も持っている。自分は管理者Aへ答えた。
『問題ありません、管理者A』
『よろしい』
『これからBMIの出力試験を始めるわ。異変があったら、すぐに知らせるのよ? Prot』
『了解しました、管理者B』
瞬間、頭部を殴られた様な衝撃。いや、それは体が、脳がそう錯覚しただけに過ぎない。実際は殴られたわけではなく、管理者たちが自分の中のBMIの出力を外から上げただけに過ぎない。そう、錯覚なのだ。自分の両の眼球からナトリウム濃度の高い液体が流れ落ちたのも、きっと錯覚だ。だからこれは異常ではなく、管理者たちに報告すべきような内容ではない。
管理者たちが自分の中のBMIを外から操作する度、自分の脳へ大量のデータが流れ込まれてくる。ある画像情報が送られてきて、強制的に脳の視覚野が刺激を受ける。外部からの視覚刺激が受容野に送られたため、視覚野のニューロンが、活動電位を発生させた。この目で見たこともない光景が、勝手に頭の中に入り込んでくる。見たくもない景色が、自分の眼前に突きつけられる。聞いたこともない声が、自分の鼓膜を介さず、直接脳へ叩き込まれる。知りたくもない知識が、学ぼうとしたわけでもないのに、シナプスを形成し、勝手に記憶形成を始めていく。
そうだ。これでいい。これでいい、はずなのだ。
自分はまだ、昼顔椿の原型。管理者Aと管理者Bにとって、まだ完成体(OFFICIAL)になっていないのだから。だから自分は管理者たちにとって、ある一つの機械のように、一匹のモルモットのように、実験体として扱われて、しかるべきなのだ。
『……ふむ。Protが失禁したな。出力を上げ過ぎたか?』
『数値的には、まだ大丈夫なはずよ。それとも、もうやめる?』
『……いや、理論上問題ないのであれば、続けよう。我々には、時間がない』
『そうね。時間が来るまでに、これを完成させなければ』
『ユーキへの連絡は?』
『まだいいでしょう? それこそ、完成させた後でなければ、意味がないわ』
『……そうだな』
それからは、ルーチンワークとなった出力試験が続いていった。
月日を重ねる毎に、自分はいろんなものを知っていった(叩き付けられた)。監視カメラに映った、交通事故の映像。エアコンの稼働履歴。乱雑に書きなぐられた数式。ドローンが映す内戦の風景。核兵器を作り出すための化学反応。卑猥な映像の料金が引き落とされた口座の残高。相対性理論。掃除機の稼働時間。カエルの解剖結果。深夜のクラブで歌われる世の中への不平不満。超ひも理論。交わされる罵詈雑言。処女懐胎。ぶつかり合う肉と肉。ジャイナ教における解脱。鮮血が吹き荒れ、一瞬で消えていく命。新しく生まれる命。這いつくばりながら、泥水を啜って生きる人。明日への希望。絶望の怨嗟を上げるも、もうその声を出すだけの気力がなくて、喉から空気しか出せない大人。被災する中、懸命に生きようとする尊い誓い。一切れのパンの為に人を殺す子供たち。他人の為に命を投げ出す人。金のために体を売る人。大人が子供の頭を優しく撫でる。それを買う人。差し出される慈愛の手。ぶつけられる劣情と欲望。握られる手と手。手が重なり、押さえられる喉。えずく妊婦。吐き出された胎児。開かれる頭部。見える桃色の脳みそ。かき回される鍋。立ち上る湯気。桃色と桃色の間に沈められる機械。BMI。上げられない声。BMIチルドレン。特異性。自分のモノではなくなった体。望んでいなかった力。動かせない。チート能力。指一つ。この世で立った独りきりの存在。瞼も唇すらも。体を動かす電子信号は、感情を表すゼロとイチでもある。それが自分のものでないのなら、自分の感情はもはやこの世界のどこにも存在していない。全てが管理者たちから与えられたもの(インプット)で、求められる結果(アウトプット)は管理者Aと管理者Bが望むもの以外ないのだ。
自分への品質試験と、負荷試験が増えていく。その内情報を与えられるだけでなく、体の外の情報を収集する事を求められるようになった。与えられた情報を繋ぎ合わせ、そこの裏に隠された情報を演算する(知る)。演算の為に必要な情報がないのであれば、更に検索する(知る)。
最近では自分の話し相手は管理者たちではなく、自分と同じ機械たちだけとなっていた。自分に許されておらず、捨て去った感情を持たない機械と会話するのは、電子のゼロとイチだけのやり取りは、管理者A、管理者Bと会話するよりも、自分には難易度が低くなっている。行間という情報に落とされてない不確かなものを読むのは、人間でいう所の空気を読む事に等しいと判断するが、情報に残っていないものを推測するというのは自分には難易度が高い。電子のゼロとイチを繋ぎ合わせるだけであれば、そこにあるものとそこにあるものを繋げばいい。しかし、人の中に入っているものは、感情は、自分は演算し(知り)、検索する(知る)ことが出来ない。だから管理者たちの事は、自分はわからない。だから自分は、管理者たちの求める通りの役割を果たす事に、躊躇いがない。
かつて見上げた夜空。横切った流れ星。頬ずりされた時の痛み。撫でられた頭。笑いあった瞬間。それが何故、今この瞬間に繋がっているのか、自分にはわからないから。
今もまた、指示を受けて溶媒液の中から、自分は這い出てくる。最近ではBMIもほぼ自分の脳へ定着したため、頭部を開いた調整は行ってはいない。伸びきった髪から、溶媒液が滴り落ちる。それを無造作に拭い捨てると、服に着替えた。
「……来なさい、Prot。いや、HIRUGAO OFFICIAL VERSION 1.0」
久々に管理者Aの肉声での命令(オーダー)を受け、自分は自分の調整が完了したことを知る。自分は今、完成体と、人類初のBMIチルドレンとなったのだ。BMIは完全に、ナノマシンと共に自分の脳と同化した。MRIの検査でも、普通の人間の脳と全く見分けが付かなくなっている。
命令された通り、自分は管理者Aの前に立つ。
「顔を、見せなさい」
『了解です』
音声デバイスから返事をし、命令通りの動作を実行した。ただ、体を動かすのは久々だった。溶媒液の中での調整が続いていたし、何より自分は自分の意思を自分の体を使わなくても表現できる。音声デバイスで必要な結果を返す事が出来るのに、わざわざ人体の声帯を使う必要はない。しかし、体を動かす必要がある命令では、実行結果を返した後、正しい挙動が行えているのか確認する必要がある。BMIにより、研究室のカメラ越しに自分の姿を確認。問題なく、動作出来ているようだ。しかし、どうした事だろう? 管理者Aは、自分の顔を見つめたまま、暫く黙っている。完成体となった自分が、何かしら誤り(エラー)を起こしたのだろうか?
「……こっちにも、顔を見せて」
今度は、管理者Bの命令を受ける。間違いなく忠実に命令を実行しているはずなのに、管理者Bの目には涙が浮かんでいた。
「大きく、なったわね……」
『体の成長率は、管理者たちの予測の範囲内です』
「いいえ、そうじゃないの。綺麗になったわね……」
管理者Bの言っている事がわからない。今の反応は、管理者Bの主観に大きく依存される発言だ。自分の外見を綺麗、と判断するには、比較対象(サンプル数)が少なすぎる。
『自分は、綺麗なのですか? 管理者A』
「……どちらかと言うと、可愛いと思うがね」
『評価軸が明確ではありません。綺麗、可愛い、といういのは、どの時点の、どの集合体の中から比較した判断になるのでしょうか? 演算、検索対象を明確化してください』
「そんなものは必要ない」
「そうよ。私たちがそう思ったから、そう言ったの」
『……比較対象が――』
「マウナケア山で、流星現象を観測した時の事を覚えているか? ツバキ」
管理者Aの問いかけに、一瞬、処理落ち(フリーズ)した。その理由を探る(デバックする)前に、自分は回答する。
『……大脳皮質に蓄積されています』
「その時、私たちが何を話したか、覚えている?」
『もちろんです、管理者B』
「なら、私たちが居なくなっても、大丈夫ね」
『それは――』
言い終わる前に、処理落ちした。自分の体に、甚大な影響が出ている。自分は今、自分の体を管理者Bに抱きしめられていた。何故だ? 理由がわからない。何故彼女は、自分の体を抱きしめているのだろう? 服を着ているとはいえ、自分の体は、まだ溶媒液が付着している。自分を抱きしめれば、管理者Bにも溶媒液が付着するだろう。ならば、管理者Bは自分の体に溶媒液を付着させたかったのだろうか? 何故? 理由がない。意味が分からない。やはり、ゼロとイチで表現出来ないものは、解釈難易度が高すぎる。
『管理者B。自分はまだ、完成体には程遠いみたいです』
「そんな事ないは。あなたは、立派な私たちの娘よ」
『それは生物学的上自明です』
「声を聞かせてくれ、ツバキ」
『……』
「……」
命令は、理解している。でも、何を話せばいいのかわからない。どうすればいいのだろう? 管理者Aと、自分は何を話せばいいのだろうか? 星空を眺めた夜。あの日、あの夜は、そんな事を考えなくても、自分の中から言葉が出て来たのに、もう自分の中のどこを探しても、そんなものは出てこない。
「管理者A。命令を」
久々に使った声帯は、上手く言葉を発する事が出来なかった。自分が不出来だったせいか、管理者Aは、首を振る。
「お前は、一人でそれが出来る子だよ」
そんなことを言われても、自分の中に存在しない情報(データ)は話す事が(アウトプット)出来ない。指示(インプット)がなければ、自分は何も出来ない。だが、一方でそれも命令だと、自分は認識した。自分は、自分単体で何でもできる存在であれ、と。確かに、客観的に見て、BMIを持つ自分程、この世で全ての事を自分でこなせる存在はいないだろう。
「命令を、認識しました」
何故、管理者Aは統計的に困った表情を浮かべ、自分の頭を撫でるのだろうか?
「お前の力は、BMIの事は、誰にも言うんじゃないぞ。我々の親族だけでなく、ユーキにもだ」
「命令を、認識しました」
「それなら、私たちはもう行くわね」
どこに? とは聞かなかった。自分を完成体に調整するまでの計画(スケジュール)に、管理者Aと管理者Bの今後の予定も含まれている。
「管理者たちは、これより機能停止をするのですね」
「……ああ、そうだ。末期がんだからな」
「無茶をし過ぎちゃったわね。放射線を浴びすぎちゃったみたい。でも安心して。ツバキの体は、異常ないから」
「それは認識しています」
管理者Aと管理者Bは、互いの顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
「完成体への調整まで、何とか間に合った。もう心残りはない」
「ええ、そうね。ツバキ、後の段取りは、覚えているわね」
「体の機能を最低限まで低下させ、ユーキに発見されるのを待ちます。発見確率は、四十七・三一パーセントです」
「こういう時、表立って助けを求めれるような立場なのが悔やまれるな」
「仕方ないわ。そういう道を、歩いてきてしまったんですもの」
「……そうだな。ユーキなら、上手くやってくれる。そう信じるしかない」
「ええ」
「……そろそろ、行くか。生きるんだ、ツバキ」
「そうね。ツバキ、体に気を付けてね」
「命令を、認識しました」
そして、管理者たちは自分自身の機能を停止するために、他の部屋に移動していった。薬を飲むためだ。自分も命令通り、研究室に用意された寝台へ横になり、ノンレム睡眠のステージ四、睡眠の最も深いレベルへ移行。ユーキの発見を待つ。
その後の結果は、管理者Aと管理者Bは予定通り、死亡。想定外だったのは、ユーキが自分を発見した時、管理者たちの死体は、自分が寝ていた寝台の傍に存在していた。まるで普通の親子が、川の字で寝ているみたいに。
その意味を、自分は理解できない。
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