第四章

「確かに、椿さんから聞いた通りの事件でしたね」

 車に乗るなり、葵はボクにそう言った。事件解決後、ボク、昼顔椿はいつものように、葵と一緒にパトカーで竜兵を待っている。竜兵が帰って来るまで、毎回運転手にはご退席をお願いしていた。

 何も竜兵だけに事件解決後の事務処理を任せる必要はないし、BMIチルドレンであるボクのチート能力ならむしろ竜兵どころか本職の警察よりも遥かに早く、そして正確に処理できる。が、どうにもそれは竜兵が望んでいるようには見えないので、ボクはそれを自分の仕事(タスク)として認識していなかった。逆に竜兵が望めば、ボクはボクの全てを使い、彼に応えるつもりだし、その準備も出来ている。

 だからボクは、彼を待っているのだ。

「ほら、昨日おっしゃっていたではありませんか。あの事件に似ている、と」

 何の応答もしないボクへ、葵はそう言いながらコンビニ袋の中を探る。竜兵が今朝、葵に渡していたものだ。彼女は中から、揚げドーナッツと書かれたお菓子を取り出す。

「あははっ! そうだろう? 海辺近くというのも、また似ているよね!」

 パトカーの窓ガラスの外には、まだ警察官の姿が見える。ボクはいつものように、笑顔を浮かべた。

「葵、たまには塩辛いお菓子は食べたくならないのかい?」

「そういう系統のお菓子は、もう人生の四分の一程食べたので、今はお休み中です」

「あははっ! 平準化してるんだね!」

 平準化? と首を傾げる葵をよそに、ボクは竜兵からもらった僕の分のコンビニ袋に手をかける。中身を取り出してみると――

「なるほど、ひねり揚げか」

「今日は、生菓子系ではないのですね」

「朝昼夕探偵団の活動は、朝から夕方までかかるからね。保冷剤を入れていても、お菓子が痛まないか不安だったんじゃないかな? 竜兵は」

「……心配してくださったのですね、私たちの事を」

 葵の言葉に、ボクはこくりと頷いた。そして、改めてその時の竜兵がどの様に思考(プロセッシング)し、行動(アクション)したのか、BMIで大脳皮質を活性化させて想像する。葵が少し、顔を歪めた。

 ボクらに何故だか負い目を感じている竜兵の事だ。恐らく、探偵団の活動前にボクと葵に約束していたお菓子、ボクは和菓子で葵は洋菓子、を渡せていなかった事に、相当責任を感じていたに違いない。それを補うために、彼の選択肢として、購入するお菓子に二つの選択肢が生まれる。つまり今回は、今までボクらへ提供していたお菓子より、質か、量、そのどちらかを増やす事で、自分の損失を取り戻そうとするはずだ。その損失というものを、ボクは、そして葵も九十九・九九九九九九九九九パーセント(イレブンナイン)の確率で感じていないのだが、竜兵の今までの振舞を観測すると、彼がそういった行動に出る可能性は、相当高い。とはいえ、竜兵が購入できるお菓子の金額には、制限がある。彼の母親は、どちらかと言うとボクの両親に性質的に近しいので、倫理面は警戒した方がいいのだけれど、高校一年生の男子高校生に大金を渡した場合どんな不利益が発生しるのか? という想像は出来る人だ。つまり、竜兵は両親から提供された資金源(お小遣い)の範囲で、ボクと葵にお菓子を購入する必要がある。

 ここで重要なのは、バランスだ。

 竜兵も、自分の買いたいものはあるだろう。その中から、ボクらのお菓子代も捻出しなければならない。しかし、今回は、質を選ぶにせよ量を選ぶにせよ、追加の出費が必要となる。そしてどこまでの金額なら出せるのか、大よその予想を付ける。その後、スーパーやコンビニに行く。そしてまたここで悩む。今回買う、和菓子と洋菓子のレベルを合わせる必要があるのだ。質か? 量か? せめて金額は合わせなくてはならないだろう。どちらかに偏りがあるという事は、ボクと葵に不公平な状態になるという事だ。そういう状態を、竜兵は許さない。彼はボクと葵に距離を意図的に取っている様にも見受けられるが、それを無理に壊そうとはしていない。むしろ、その距離を自分で縮めれると判断した時、それをゼロに出来るように準備をしている様な状態なのだと、ボクは想定している。だから、その準備が出来るまで、彼はこのバランスを崩す事を許しはしないのだ。

 そのため、竜兵は最初バランスを重視した買い物を、お菓子を購入したのだろう。そして、家に帰って気付くのだ。自分が買って来たものが、常温保存出来ないものだ、と。

 ボクが探偵団に協力する条件として出した、一つの事件につき一つの和菓子を届けるという、葵の分は洋菓子だけど、そんな子供じみた約束を守る事に、彼の意識は裂かれていたはずだ。高校生にしては子供っぽ過ぎる間違いかもしれないが、その条件で探偵団を結成したのはまだボクたちが中学生になる前だったので、子供じみたどころか、子供そのものだった。その時の感覚が、そんな他愛ない約束をした時と変わらない想いが、まだ竜兵の中にあるのだろう。

 だから焦って、今朝彼はコンビニに駆け込んで、このお菓子を用意したのだ。間違って買ってしまったお菓子は、今も冷蔵庫の中で彼の帰りを待っているに違いない。

 ボクは普段と質も量も変わらないお菓子を食べながら、葵に言葉をかける。

「あははっ! 可愛らしいね」

「ええ、本当に」

 葵が水筒を取り出し、紅茶を入れる。ボクも鞄の中からペットボトルの麦茶を取り出し、蓋を開けた。

 今ボクが考えていた竜兵の行動は、最初に言った通り、全部想像だ。チート能力を使った、無駄に現実感がある、妄想。それでも確度はかなり高いものになっている、というのが、ボク自身の自己評価だ。

 一方でボクは、やろうと思えばチート能力を使って、竜兵の家の冷蔵庫の情報を取得する事だって出来るし、もっと言えば彼の行動範囲の監視カメラ、それどころか、彼が持つスマホの位置情報、ICカードの決済履歴から、どこの店に何分間滞在し、どういった商品を購入したのかまで、全てボクは演算し(知り)、検索する(知る)事が出来る。でも、ボクはそれをすることを、ボク自身に許していない。

 竜兵が望むのであれば、ボクはボクの力を使う事に、何ら躊躇いはない。彼がボクに用事があって、ボクが力を使う事で彼の負担を減らせる場合も、ボクは進んで自分の力を使う。彼が部室の扉を叩かなくとも、ボクはボクが茶道部の部室に居て、部室の鍵が開いている事を、ボクは竜兵に知らせる事が出来るのだから。

 でも、自分の力にこんな使い方があるだなんて、自分の空想を活性化させるために使うだなんて、思いもしなかった。ボクは、ボク自身が竜兵の事を考えるために自分の処理能力(チート能力)を使うのを、楽しんでいる。

 だからボクは、この時間が好きだった。正解か、不正解か、わからない。けれども、自分が考えたい事を考え、夢想し、思いを巡らせ、一喜一憂する。そうであったらいいな、という可能性に、思いを馳せる。竜兵はその時、どう思ったのだろう? どう感じただろう? どんな顔を浮かべるのだろう? ああ、その不確かさが、たまらない。これほどまでにこの力を肯定できるだなんて、想像もつかなかった。

 それが、竜兵に出会って、変わった。

 いや、全てをひっくり返された、と言ってもいい。似たような経験は、きっと葵もしているはずだ。それは、ボクの想像でしかないのだけれど。

 竜兵と葵の間にどんなことがあったのか? 葵にどんな過去があったのか? 葵はどんな力を持っているのか? ボクは演算し(知り)、検索しようと(知ろうと)思えば、その答えを得ることが出来る。でも、それをする事を、ボクはボク自身に許していない。

 もっと言ってしまえば、興味がない、と言ってもいいだろう。だからボクが力を使う時、葵に多少の変化があったとしても、それは些細な事だ。ボクは竜兵にしか興味がない。彼が過去にどういう経験をしていたのかは、確かに重要な事前情報(スーパーヴァイザァドゥラーニング)になり得るのだろうが、ボクはボクの力を、もっと竜兵の未来の為に使いたい。

 幸い、葵の力はボクにとっても有用だし、葵もボクのチート能力を必要としている。だからボクたちは、共犯関係が成り立っているのだ。大切なのは、バランスだ。ボクと葵の共犯関係は、本当にギリギリの状態で成り立っている。例えるなら、互いの喉元にナイフを突き付けている様な状態だ。瞬きする間に、それは相手の喉元を切りつける事が出来るし、逆に相手のナイフもボクの喉元を抉り取ることが出来る。

 繰り返すが、ボクは探偵団の一員としてどうやって犯行を行ったのか(How done it)を導くために、自分の力を使う事に躊躇いはない。しかし、それを導くのにボクがチート能力を使っているというのを竜兵に知られ、竜兵がボクを拒絶するような事態は、絶対に避けたい。ボクが唯一恐れるのは、彼に必要とされなくなるという、ただその一点なのだから。

 そしてそれが出来るのは、今の所、朝昼夕探偵団の犯人が誰なのか(Who done it)推理する担当、朝比奈葵、ただ一人。

 だから、互いの握ったナイフ、そのどちらかが相手の喉の薄皮一枚でも切ろうものなら、ボクたちの共犯関係は絶滅する。

 それも、最低で災厄で醜悪的なものとなるだろう。

「そう言えばあの時、椿さんは、何を一番に考えていたんですか?」

「……どれの話の事だい?」

 葵の疑問に、ボクは疑問で返した。

「最初の事件の事ですよ」

「最初、ねぇ……」

 それはつまり、朝昼夕探偵団の最初、いや、その結成のきっかけとなった事件の事だろう。

 パトカーの外を眺めると、まだ警察官がレストランの周りを行き来していた。竜兵が戻って来るのは、まだもう少しかかるだろう。車のガラスに映ったボクの唇が、こう動いた。

 最初の、事件。

 そう、ボクと竜兵、そして葵が遭遇した、あの海辺に近いレストランで起こった、殺人事件。

 過去にこだわり過ぎる必要性をボクは感じていないが、過去から学べることが多いのも、また事実。それに、葵の問いに答えるためにも、ボクは過去を脳の記憶領域から引っ張り出さなければならない。

 ならば、そこに至る前の、ボクにとっての最初の事件を遡らなければならないだろう。

 それは、夕城竜兵との遭遇。

 そしてそれを思い出すには、ボクは自分の両親の事も思い出す必要があった。

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