「――では、まだカウンセリングなどは」

「ええ。あの子、自分にはいらない、必要ないと、そう言ってききませんで……」

 客間の方から、声が聞こえてくる。話をしているのはおばあちゃんと、もう一人は男の人の声だ。

「食事は、ちゃんと食べてるんですか?」

「……他の子より、食は細いですが」

「小学校は?」

「一度連れて行ったんですが、ここで学ぶものはもうない、と」

「もう、ない?」

「テストは小学校一年生から六年生まで全科目受けて、全て百点だったんです。だから小学校にはいかないって。知らない人とは、話したくないって」

「……そうですか」

 それから二人は十分ほど話して、今日はお開きという事になったようだ。

「それでは、また来ます」

「いつも、申し訳ありません」

 そう言っておばあちゃんは、客人を玄関から送り出した。一緒になって玄関まで出ていき、一言二言会話し、おばあちゃんは家の中に入って来る。

「もう帰った? 夕城さん」

 私が話しかけたことで、おばあちゃんは飛び上がる程驚いて私の方を振り向く。

「び、びっくりしたよ、葵。いたなら一言ぐらい――」

「もう帰った? 夕城さん」

 繰り返した言葉に、おばあちゃんは黙り込んだ。

 両親が死に、『びろう』が崩壊してから、私は母方の祖父母の元へと引き取られていた。あの日以来、私の神通力は、殆どが失われている。いや、自分で捨てた、と言ってもいいのかもしれない。自分の感情と一緒に、力も切り捨てた。

 私はあの力に、絶望していたのだ。信者から向けられる、剥き出しの欲望。自分さえよければいいという醜い人間の感情を視て以来、私は人間に何の期待も希望も見いだせなくなっていた。私は、人間に絶望していた。

 いや、一番絶望しているのは、自分自身に対してだ。両親の死を防げなかった、私自身。

 あの事件で、私は最後に警察のテントまで辿り着いた。そして一番最初に出会った警察が、先ほど帰った夕城さんだ。あの日以来、何かと私の事を心配してくれている。だが、それが善意から来るのか、裏に何か思惑があるのか、今の私には視る事が出来ない。だから、信用できない。だからと言って、あの人の心の内を視ようとも思わない。私が願うのは、ただただ私にもう関わらないで欲しいという、それだけだった。

「もう、帰ったよ。随分、葵の事心配しとった」

「……そう」

「カウンセリングも、学校も、行かんのかい? 葵」

「……必要な理由が、わからない」

 おばあちゃんは悲しい顔をするが、この話はもう何度もしてきたことだ。

 カウンセリングなんて、行くわけがない。相手が何を考えているのかわからないのに、自分の心の内をさらけ出すだなんて、怖くて出来るわけがなかった。

 だから、よくわからない人が大勢いる学校に通う事なんて、想像するだけで吐きそうになる。学校は勉強以外も学ぶべき事があるという意見もあるが、そんなものはないと私は断言する。仲間なんて、一瞬にして私を裏切る存在でしかない。そういうわけで、私にとって学校は勉強だけをする場所で、その勉強も必要な成績も私は維持できている。わざわざ学校に行かなくても好成績を保っているのだから、むしろ褒められてしかるべきだ。最も、知らない人に褒められたとしたら、私の全身を虫唾が駆け巡る事になるのだろうけれど。

「テストを受けに行ったとき、学校の先生も言うとったよ。葵は日本人形みたいに綺麗だけど、感情が見えなくて本当の人形みたいだって。他の子供も、葵ちゃんは無表情で、何考えとるのかわからんて」

 その反応が、私にとっては気持ちが悪い。勝手に私に期待しないで欲しい。私も他人に期待しない。それどころか、自分自身にすら期待していない。

 だからいい加減、私の事は放っておいて欲しい。

「そう言えば夕城さん、次に来るのが最後言うとったよ」

「……え?」

「最近、お仕事が忙しいみたいでねぇ。奥さんのお友達のお子さんも色々あったみたいで、中々時間が取れんみたいなのよ」

 それは、私にとって朗報だった。少しずつだが、私の求めている環境が整いつつある。誰とも話さなくても、接しなくてもいい環境。申し訳ないけれど、本当はおばあちゃんとも私は顔を合わせたくはないのだ。如何に血が繋がっていても、それは全く関係ない。

 だって、私は世界を救えなかったから。

 お父さんとお母さんは、嘘付きだった。いや、そもそもどうしてあの人たちは私を生んだのだろう? 神通力なんて厄介なものをくっつけて。こんなものがなければ、私はもっと違った人生を送れていたに違いない。少なくとも神通力を使って他の信者の話を聞きに行かなかった。こんな力がなければ、あの地震で、一緒に死ねたはずなのに。

「それでね、葵。最後に会う時は、夕城さん、自分のお子さんも連れて来る言うてたよ」

「……え?」

「葵と同い年の子みたいやし、ばあちゃんに話せん様な事でも、その子に話してみぃ」

 いや、そんな余計な事はしなくていい。おばあちゃんと話すのも辛いのに、それよりも命の恩人と言ってもいい夕城さんとは更に話すのが辛いのだ。それが、夕城さんの、お子さん?

 同い年とか、そういう問題じゃない。同い年だからと言う理由で簡単に話が出来るのであれば、私は何の抵抗もなく小学校へ通っている。

「ちょっと待って、おばあちゃん」

「まぁ、そういうことだから――」

「……だから、待って」

 今までは、そう言えばおばあちゃんは私の意見を聞いてくれていた。だからそれが当たり前になっていた。

 でも――

「……これが、夕城さんと会えるの、最後になるかもしれんのよ?」

 そう言われ、私は黙った。

 最後に、なるかもしれない。

 最後と言う単語に、もういない両親の顔が脳裏を過る。何も言わなくなった私を見て、おばあちゃんは優しい声色で、こう言った。

「次は、ちゃんと、話しいな」

 私は、小さく頷いた。

 そして、その日がやって来る。私はある種の諦めに近い境地で、玄関の前に立っていた。おばあちゃんが玄関の鍵を開け、夕城さんを招生き入れる。おばあちゃんは夕城さんと話し込んでいるが、私の目は彼の下、私よりも少し身長が高い、彼に釘付けだった。そう、彼が夕城さんのお子さんなのだ。

 彼は満面の笑みで、私たちに向かってこう言った。

「あははっ! 初めまして。僕、夕城竜兵と言います! 十歳ですっ!」

「はいはい、よくいらっしゃいましたねぇ」

 おばあちゃんが破顔して、夕城さんとそのお子さんを迎え入れる。私は気が付くと、両手をぎゅっと握りしめていた。

 彼は、私の方へと視線を移す。

「初めまして!」

「……初めまして」

「……えーっと、お名前は、何ですか?」

「……朝比奈、葵」

「葵ちゃんですね! よろしくお願いしますっ!」

 そう言って、夕城竜兵はぺこりとお辞儀をした。おばあちゃんは嬉しそうにその様子を眺めていたが、私は絶対油断すまいと小さく唇を噛む。こういう手合いが、最初に背中を刺してきたりするのだ。

 客間の方へと移動する。十畳ほどの畳の部屋で、私たちは座布団の上に座った。夕城竜兵はきょろきょろと、珍しそうに辺りを見渡す。

「こちら、つまらないものですが」

 そう言って夕城さんは、小さな包みを取り出した。それにすかさず、夕城竜兵が反応する。

「ショートケーキ!」

「……」

「すみませんねぇ。うちじゃ、そういうもんは食べんのですぅ」

「……そうですか」

 おばあちゃんはそう言って、羊羹と煎茶を持ってきた。夕城竜兵はそれを嬉しそうに食べながら、父親が下げた包みを一瞥する。

「美味しいのにね!」

「……」

 湯気立ち上る湯呑を持って、おばあちゃんは啜るようにそれを飲む。それを横目で眺めていると、夕城竜兵が私の方を、じっと見つめているのに気が付いた。だからと言って、私の方から話しかける事はない、と思っていると、向こうから突然話しかけられた。

「食べたかったの?」

「……何がですか?」

「ショートケーキ!」

「馬鹿じゃないですか」

「これ、葵!」

「あ、いいんですいいんです! 僕がきっと葵ちゃんに失礼な事を言っちゃったんですよ! ごめんね、葵ちゃんっ!」

「……」

 私が黙り込んだことで、そこから先は、夕城竜兵からの他愛のない質問が続いた。そしてそれら全てに対して、私は冷徹に、冷血に、冷静に切り捨てていった。

 例えば、こんな具合だ。

「好きな食べ物は、何ですか?」

「ありません」

「好きなマンガは、ありますか?」

「読んでません」

「好きな科目は、何ですか?」

「ありません」

「学校は、楽しいですか?」

「行ってません」

「……テストの成績は――」

「満点です。全科目」

「……」

「……」

 やがて黙り込んだ夕城竜兵は、悔しそうに、本当に悔しそうに下唇を噛んだ後、夕城さんに向かって、こう言った。

「……お父さん、帰ろう?」

 やっぱりな、と、そう思った。夕城竜兵が夕城さんに何と言われて私の元にやって来たのか、それを視る事は、今の私には出来ない。でも、想像することは出来る。大方、ある事件で心を閉ざしてしまった、自分と同い年の子供の話し相手にでもなってくれ、と、そう言われたのだろう。そしてのこのこ、こんな所までやって来た。でも、待っていたのは、同い年の子供からの冷たい反応。これなら、心が折れて帰ったとしても仕方がない。結局、自分の利益にならないとわかったので、夕城竜兵は撤退しようとしているだけだ。

 と、その時、私は本気でそう思っていた。だから、次に夕城竜兵が放った言葉に、自分の耳を疑う事になる。

 

「だって葵ちゃん、怖がってるもん」

 

 私が? 怖がっている?

「……私が、何を怖がっているというんです?」

「僕だよ」

 残念だけど、と、夕城竜兵は本当に残念そうな顔を浮かべて、私の手に視線を落とした。

「……あった時から、ずっと握りしめてる」

 言われて私も視線を落とすと、確かに私は自分の両手を握りしめたままだった。手のひらは、冷汗でべっとりと濡れている。自分自身の体の反応に驚いていると、夕城竜兵は夕城さんを、自分の父親を揺すっていた。

「お父さん。僕、誰かの助けになれるなら、力になれるのなら、僕がどうにかしてあげたいと思って、葵ちゃんに会いに来たよ。でも、僕がこの場にいる事で葵ちゃん怖がらせちゃうなら、僕、ここにいたくない。帰ろうよ」

 そして彼はこの後、私にとって決定的な一言を言い放つのだ。

 それは――

 

「もう、この子が可哀そうだよ」

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