「止めてっ!」

 突然避けんだ私の言葉に驚き、運転手は車を止める。

「ど、どうしたのですか葵様。もう少しで目的地に――」

 言葉を聞き終わる前に、私は彼の携帯電話を取り上げると、車を飛び出しながら電話をかける。宛先は――

『はい、もしも――』

「お母さん!」

『あら、葵? 珍し――』

「逃げてぇっ!」

 間に合わないと、既に私には視えていた。でも、叫ばずにはいられない。私の中に、入って来る。揺れる地面。降り注ぐ土砂。崩れる山。へし折れた木々。潰れる果実。崩壊した施設。捩じ切れた鉄筋。押し潰される人。人肌に突き刺さる破片。舞い上がる粉塵。飛び散る鮮血。獣の様に叫ぶ声。泣き崩れる人。立ち上がらない人。立ち上がれない人。立ち上がれるわけがない人。だってその人はもうそれとしか言いようがない。人と言うよりも物体。物質。押し潰され。分離され。切断され。引きちぎられ。ばらばらになり。もう人の形を保っていない。

 その中に。

 私の両親が、いる。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 叫んでいた。獣の様に。叫ばずにはいられなかった。駆けださずにはいられなかった。もう間に合わない。そう視えていたとしても。

 果たして私が視ていた通り、地面が、揺れる。

 この先はもう、視終えていた。

 それでも、私は全力で走った。安全な道も、もう視終えている。

 これから起こる事は、全て視ていた。私は私の両親が死ぬ未来をもう視ている。でも、まだあの二人は生きているのだ。生きているけど、助ける術がもうない。助けられないと、もう私は視てしまっている。視ている。見えているのに。両親がまだ生きている施設が見えてているのに。私が力を抑えていなければもっと早く視えていたのに。

 私なら、救えていたはずなのに。

 そして、私が既に視た光景が目の前に広がっていく。地震による土砂崩れで、施設は破壊。何とか一命を取り留めた人もいるが、目の前に広がる光景は、阿鼻叫喚、死屍累々そのものだ。

 私は土砂崩れの危険が過ぎ去ったのを視ると、足を引きずるように歩き出す。わざと靴底を擦り減らすような歩き方になったので、このまま私の寿命も擦り減ってなくなってしまえばいいと、そんなくだらない事を思ったからだ。でも、そうはならなかった。私は元々『びろう』の施設だった場所まで辿り着く。そして近くに落ちていた折れた木の枝を拾うと、地面へと突き刺した。

「……葵様?」

「どうされたのですか? 葵様」

 生き残りの信者たちが、私の奇行に引き寄せられてやって来る。私は彼らを振り向くことなく、小さくつぶやいた。

「……ここなの」

「こ、ここ?」

「……お父さんと、お母さん」

「! この下に、教祖様がっ!」

 信者たちはすぐさま私と同じように、地面を掘り始める。傷ついた信者も居たが、自分の傷をいやすのよりも、穴を掘るのを優先していた。しかし、木の枝で発掘作業が上手くいくはずがない。私たちがお父さんとお母さんを見つけるのよりも早く、警察と消防車、救急車が到着した。

 彼らは最初、被災しているにも関わらず穴を掘る私たちを見て、かなり驚いていた。しかし、すぐに重傷を負った信者から病院へ搬送し、残りの信者たちは毛布を配布し、仮設テントへ避難させる。私も他の信者たちと同じく、テントの中で毛布にくるまりながら座り込み、両親が埋まっている場所を、ただじっと見つめていた。テントの外から聞こえてくる声を、私は朦朧とした意識の中で聞く。

「怪我人はどうなっている?」

「はっ! 症状の思いと思われる患者から、順次病院へ搬送を行っております」

「残りの被災者についても、テントへ避難をお願いしております」

「ご苦労。そろそろ、自衛隊も到着するな」

「そちらの連携については、自分の方から――」

 テントの傍から、数人分の気配が離れていく。最早すべての気力をなくした私は、魂の抜けた肉の塊の様に、ただそこに居るだけの存在となっていた。

「あれが噂の、『ユウキの夕城』か」

「バリバリのキャリア組で、その中でも更に優秀なんだろ?」

「夕城程勇気を持って事件に取り組んでいる警察官はおらず、夕城程幽鬼の様に事件解決に執着する警察官もいない、っていう話が、霞が関でも通じるらしいぞ」

「……キャリア組なら、黙って仕事してるだけで昇任されるのにな」

「現場に口出されて嫌なのか? お前」

「いや、あの人は仕事できるから全然問題ない」

「俺も同意見だよ。事件を解決するには自分で現場に足運んだり、手段を選ばない辺りも、好感持てる。殺しがあったわけでもないだろうに、本当によくこんな田舎まできたもんだよ」

「葵様、葵様!」

 呼ばれて、私は久しぶりに体を動かす。錆だらけの玩具が動くようなぎこちなさで、私は呼ばれた方へ振り向いた。そこに居たのは、地震が起こる前に車を運転してくれていた運転手だった。

「今です! 葵様っ!」

「い、ま……?」

 何を言っているのか、本気でわからなかった。でも、彼の目の中に尋常じゃないギラつきを感じ、私は怯えて身を強張らせた。

「今こそお救い下さい、世界をっ!」

「……そうだ。まだだ」

「私たちには、葵様がいる……」

「『神の子』、葵様!」

 テントの中で座っていた信者たちが、一人、また一人と立ち上がる。傷心と寒さで震えていた彼らの体は、今は興奮と内から湧き上がって来る狂った情熱で震えていた。内なる激情で体が熱いと言わんばかりに、包まっていた毛布も次々に脱ぎ捨てていく。その声は他のテントにも聞こえていたのか、次々に信者が集まって来た。

 その熱に浮かされ、朧気だった私の意識も覚醒する。そしてそれは、霞がかかっていた私の神通力も通常の状態になった事を意味していて――

「や、めて……」

 彼らの考えている事が、視える。でもそれは自分から視に行っているというより、瞼を無理やりこじ開けられ、視たくもない景色を直視させられている様な、暴力に近かった。

 それでも、彼らは迫って来る。

 私に視たくもないものを、視せようとしてくる。

「葵様! 葵様!」

「『神の子』!」

「救ってくれ! 世界をっ!」

「子供がこの地震でどこにいるのかわからないの!」

「救ってよ!」

「足が、足が痛いの、葵様!」

「『びろう』がなくなったら、俺は行く場所がないんだよ!」

「私だけでもいいから救ってよ!」

「『神の子』がいれば、まだやり直せる!」

「い、やぁ……。止め、てょぉ……」

「祭り上げろ!」

「救ってくれるっていうから入ったのに!」

「自然何てどうでもいいから、早く俺たちを救ってくれよぉ!」

「『神の子』を旗印にすれば、簡単に寄付金なんて集まるさっ!」

「僕たちを救ってよ、葵様!」

「『神の子』としての責任を果たせっ!」

「いやああああああああぁぁぁあああっ!」

 私は自分の両手で目を押さえながら走り出した。それでも、私は何にもぶつかる事はない。何処に向かって走ればいいのか、私は全部視る事が出来るから。でも、今はもう何も視たくない。視たくもないものしか、今は視えてこない。

 信者たちの欲望が、粘つく汚泥の様な情慾が、身を焦がす程の激情が、私の目に叩き付けられる。力一杯に眼球にタールを塗りたくられた様な、鉋で硝子体を削られた様な、液状化した鉄を両目に流し込まれた様な、痛みが、刺激が、熱が、振動が、寒さが、ああ、ああ、何? これ? わからない。もう、わからないよ、私。

「逃げたぞ!」

「追え! 逃がすなっ!」

「おい、お前たち、何を――」

「うるせぇ! 関係ない奴はどけよっ!」

「は、早く夕城さんに連絡を! 被災者が暴動を――」

「新しい『びろう』のために!」

「教団なんか関係あるか! いいから僕を救ってよっ!」

「やめろ、暴れるなっ!」

「お前たち警察こそ、『神の子』を隠したんだろっ!」

「ずるいぞ、自分たちだけ助かろうだなんてっ!」

「『神の子』狩りだっ!」

 もう、やめてよ。視せないで。私にこれ以上、こんなものを視せ続けないで。やめて、お願い。もう許してよ、お願いだから! ねぇ、やめて! 皆一緒にいたのに! 『びろう』の仲間だったのに! どうして? ねぇ、どうしてそんな酷い事を考えられるの? お願い、もうやめてよ! もう、もう私に、何も視せないでよぉぉぉおおおっ!

 地震発生から一時間後に暴徒と化した『びろう』の信者たちの鎮圧は、その後二時間ほどで完了したという。その間、私は『びろう』の狂信者からも、警察にも発見される事はなかった。全てが終わったのを視届けてから、私は警察の陣頭指揮が取られていたテントへやって来て。

 そして、気絶して倒れた。

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