「お父さん、お母さん! 見て、お花の冠っ!」

 私は教団の施設裏の山で摘んだ花を冠に編んだものを高らかと上げ、自分の両親へ見せた。それを見た父と母は、嬉しそうに笑う。父が優しく、私の頭を撫でた。

「おお、凄いじゃないか葵!」

「本当! 綺麗ねっ!」

 そう言って母は、私の作った冠を私の頭の上にのせる。本当は母の為に作った冠だったが、あんまり嬉しそうに母が笑うので、私はもうそれでもいいかと思って、母と一緒に笑った。そして自然に父の手を握り、母の手も求める。そしてその望みが叶うと、私はより一層、笑った。それはきっと、太陽の様な笑みだったのだと、我が事ながら思う。それほどまでに、当時六歳だった私は満たされていた。

 私の両親は、山奥の田舎で『びろう』という新興宗教団体の教祖をしていた。その教えは自然崇拝の一種のようでいて、その自然の中で生きる人間の精神を神聖視しているものだった。単純に言えば、素晴らしい自然を尊重しながら生きて行けば、その自然の力が全て人に宿ると、『びろう』では本気で信じていた。実際にそのような人間が居れば、尚そう思えるだろう。

 つまり、私の事だ。

 教祖の子供であり、神通力を扱える『神の子』たる私は、信者からの崇拝対象ともなっていた。

「お父さん、お母さん! このお花さんはね、前はお魚さんだったの。でも、次はカブトムシさんになるんだっ!」

「おお、そうなのか」

「……もう! そんな事言って、お父さん、信じてないでしょ? あ、お母さん大変! 夕方には、雨が降るよ! 洗濯物取り込まなきゃっ!」

「あらあら、葵が言うなら本当なのよね」

「もちろんっ!」

 私はあの時輪廻の輪を視ていたし、誰が何を考えているのかも、自分が本来知りえない事も視る事が出来た。そしてそれが外れていた事はなく、その噂を聞いた人たちが集まり、徐々に信者の数も増えていった。田舎での噂話は、時に真実以上に信じられる。『びろう』の教え自体も、山奥の田舎という立地にすぐに受け入れられた。

 過疎化傾向にあるこの田舎は、ただただ朽ち果てていくのを待つ疲弊感が漂っていたのだ。しかし、『びろう』の教えは、この山奥に居る事そのものが素晴らしいと謳うものだ。この場所は終わりを迎える場所ではなく、ここから始まっていく場所なのだという考え方は、そこに住まう人たちの心を滾らせ、また生きる活力を増加させていった。

「葵様! 今日のお告げをっ!」

「今世私が幸せになるにはどうすればいいのですかっ!」

「自分の事はいい! この子が、せめてこの子が来世幸せになるにはどうすればいいのですかっ!」

「葵様!」

「葵様っ!」

「葵様とお話を!」

「葵様の言葉を聞かせてください、教祖様っ!」

 時が経つにつれ、人が増えるにつれて、『びろう』の信者たちは、私の言葉を欲しがった。熱量を上げていく信者たちに、両親は根気よく、そして冷静に会話を続けていく。

「……勘違いしてはいけません。我々が耳を傾けるべきは、まずはこの自然。我々の手が届く、言葉が聞こえる、この目の前に広がる世界が、何よりも大切なのです」

「そうです。ここにある自然に、まずは目を向けてください。大切にしてください。そうすれば、葵は必ず、あの子の世界を救ってくれるでしょう。美しい、その世界を」

「本当ですか? 教祖様!」

「葵様が世界を!」

「世界を救ってくださる!」

「流石『神の子』葵様!」

「……皆さん。まずは――」

「わかっています! 自然が大切なんでしょ?」

「……自然は草木や森だけでなく、その中に暮らす動物も含まれているのですよ。ですから――」

「自然を大切にしていれば、葵様が救ってくださる! 世界をっ!」

 家の中で、両親の顔が暗くなっている時が増えていた。だからある日、私は二人に抱きついてこう言った。

「大丈夫だよ、お父さん、お母さん! 私、皆の期待に応える! 世界を救ってみせるから! お父さんとお母さんが信じてくれているみたいにっ!」

 両親を元気づけるためにした行動だったけれど、二人の顔は、心は晴れるどころか、より一層暗くなる。どうしてだろう? お父さんもお母さんも、私が世界を救うと信じているのに、私がその通りにすると言うと、とても悲しんでしまう。どうすれば二人を元気づけれるのかわからず、私はついに泣き出してしまった。そんな私を両親は優しく抱きしめ、頭を撫でる。

「大丈夫。大丈夫よ、葵」

「ああ、大丈夫だ。だから葵。ちゃんと、自分の世界を視るんだ。お前の視る世界を大切にしろ。お前は世界を、自分の視える世界を、ちゃんと救える子なんだから」

 だから私、救うよ? 世界を。お父さんとお母さんが言う様に、ちゃんと世界を救ってみせる。ちゃんと私、出来るよ?

 そう思うのに、両親二人の悲しみを取り払う事が出来ず、私は一層声を上げて泣いた。

 それから私は自分の役目を果たそうと、世界を救おうと、精力的に動い始めた。両親と一緒に過ごす時間が少なくなっても、『神の子』の話が聞きたいという人がいればその人の元へ、悩みを抱えている人がいればその闇を赤裸々にしてみせた。

 そうする事が世界を救う事になるのだと信じて。

 私が世界を救えば、両親の悲しみもなくなるのだと信じて。

 でも、この判断は結果として間違っていたのだ。その日、私は『びろう』の信者の一人が運転する車で、久々に両親の元へ帰る途中だった。両親は今、山の上に建っている『びろう』の施設で、事務仕事をしている。そう私には視えていた。だからこう考えていた。たまには黙って帰り、驚かせるのもいいだろう。だから運転手にその考えと行先を告げると、彼は感極まって、泣きながら、私の乗る車を運転できる栄誉に感謝をしながら、車を走らせる。その彼の言葉を聞きながら、私は小さく、それでいて重い溜息を付いた。

 最近、私は積極的に自分から信者たちの心の中を覗くのはやめている。覗いても、今彼が口にしたような内容ばかりだからだ。視れば視る程、心の中には私に対する賞賛で溢れ、私を渇望する熱量だけが渦巻いている。最近、その渦が私へ襲い掛かっている様に感じていた。いや、それは錯覚ではない。自分で意識をして力を閉じなければ、勝手に彼らが私に期待している情念が視えるのだ。

 世界を救ってくれ。私を救ってくれ。自分を救ってくれ。俺を救ってくれ。俺だけでもいいから救ってくれ。

 世界を救う。その役割を果たそうと思ったのは、私自身で、それは今でも間違いではないと思っている。思っているが、流石に、最近は疲れていた。早く、お父さんとお母さんに会いたい。会って、また抱きしめて欲しい。頭を撫でて欲しい。そう思っていた。それだけしか考えたくなかった。だから他の雑念が入って来ないように、自分の神通力を抑えていて――

 

 だから、気付くのが遅れてしまった。

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