第三章
①
授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。帰り支度を始める人、部活へ向かう人、つまり、教室から出ていくクラスメイトに会釈をしながら、しかし私は自分の椅子から立ち上がるでもなく、ただ水筒を取り出し、そのコップに紅茶を注いだ。それなりの温度がある事を知らせる湯気が立ち上り、それと同時に紅茶の香りが私の鼻腔をくすぐる。紅茶を一口飲んで、浅い吐息を吐いた。そうやっていつものように私、朝比奈葵は彼、夕城竜兵を待っている。注いだ一杯の紅茶を飲み終わるまでは彼を待とうと、私は自分にそう課していた。
神通力を持っているとはいえ、私は所詮人の因果を視ることしか出来ない。だから他の人と同じように食事もするし、文明の利器にだって頼る。祖父母からも、スマートフォンは持たされていた。そして、肌身離さず持つようにとも言われている。流石に、寮で一人暮らしをしている孫の様子が心配なのだろう。私の両親が、そして私が巻き込まれた事件の事を思えば、そう思うのは致し方がないし、私も彼らのその優しさには感謝しているので、それには素直に従っていた。
しかし、ならばこそ、私がここに、教室に留まって居なければならない理由は薄い。竜兵さんも、自分のスマートフォンを持っているし、私の連絡先も知っている。反対に、私も彼の連絡先は知っている。
だから本当は、待つ必要はないのだ。わざわざ顔を突き合わせて話をしなくても、電話一本、メッセージを一通送れば、それで全て事足りる。朝昼夕探偵団への依頼と活動は、たったそれだけで開始されるのだ。
それでも私は、彼を待っている。
それは私が探偵団に協力する条件として出した、一つの事件につき一つの洋菓子を届けるという、そんな子供じみた約束を守ってもらうためだ。最も、その条件で探偵団を結成したのはまだ私たちが中学生になる前だったので、子供じみたどころか、子供そのものだったので、そんな他愛もない約束になってしまったのは仕方がないのかもしれない。
でも、それでもわざわざ学校で、この教室で、彼を待つ必要性はなかった。竜兵さんは、ただ必要な時、必要な場所に私を呼び出し、朝昼夕探偵団の活動を開始する前か後に約束のお菓子を私に渡せばいいのだから。
それでも彼は、そうはしないのだ。殆どの場合、探偵団の活動前、その前日にはお菓子を届けてくれる。だったらせめて、今日尋ねるからと、一言でも連絡をくれればいいのに、それもない。探偵団の活動を始めた頃から、子供の時から私たちの関係はそんな感じだった。だから今でも、その延長線上を歩いているという事なのだろう。
だから私は、この時間が好きだった。一人教室に残り、ゆっくりと紅茶を飲みながら、来るか来ないかもわからない竜兵さんを待つこの時間が、たまらなく愛おしい。誰も来ないのであれば、私の好きな紅茶を満喫できる時間になるし、もし来てくれるのであれば、それはとっても素敵な事に思えるから。しかも、私が一人になるのを彼が待ってからやって来るというシチュエーションが、その、たまらないのだ。
だからコップを少し傾けた時、教室の外に人の気配を感じた時、私は訳もなく背筋を正す。そしてその直後、私は落胆した。
「あははっ! 今日も一人なんだね、葵っ!」
「椿さん……」
殆どの場合竜兵さんがここに訪れる、という事は、稀に訪れないという事でもある。もちろん、私に用事があるのは竜兵さんだけではないし、竜兵さんも用事で来ることが出来ない事がある。椿さんが私の元にやって来たという事は、それは十中八九朝昼夕探偵団の活動の事だろうし、つまり今回は後者のパターンだったという事だ。
「おいおい、そんなにボクじゃ不満かい?」
わかっているでしょうに、と言わず、私は乱暴に紅茶を啜る。それで椿さんとは、意思疎通が出来た。
「竜兵は今日、お母さんに呼び出されて手が離せないんだってさ。何でも、研究所のお手伝いだとか。だからボクが代わりに、朝昼夕探偵団の活動があるって伝えに来たんだよ!」
だから何故先に椿さんに話をして私を後回しにするのですか! と言わずに、私はずるずると紅茶を啜った。
「手順(プロセス)はいつも通り、明日の朝竜兵の家に集合して、それからパトカーで移動だよ」
わかりました、と言わずに、私はまた紅茶を啜る。
口を利かないのは、いつまでも竜兵さんへ腹を立てているのではなく、自分の恐怖心を隠すためでもあった。私は今、誰もいない事を確認した椿さんが、朗らかに、それでいて無表情で話しているのが怖いのだ。どうやって犯行を行ったのか(How done it)を解き明かす時の、あの表情。椿さんが力を使う時に見せる顔が、私は怖い。
だって椿さんが力を使っている時、私は神通力が、因果が一時的に視えなくなる。椿さんは、私の神通力をかき消す事が出来る。でも、それは些細な事だ。何より怖いのは、私が犯人は誰なのか(Who done it)導き出せなくなり、竜兵さんに今までの私がまともに推理していなかった事がバレてしまう事だ。椿さんが常時力を使い続けていれば、竜兵さんに私が埒外の存在だったとバレてしまう。それだけは、それだけは何としてでも避けたかった。
幸い、椿さんも私の神通力を必要としているので共犯関係が成り立っているが、それはギリギリのバランスで成り立っている危ういものだ。例えるなら、コップ一杯に紅茶を並々注ぎ、表面張力状態のそれを持って高層ビルから高層ビルへ貼られたロープの上を綱渡りしているようなもの。コップの中の紅茶が一滴でも漏れるような事があれば、きっと私と椿さんの関係は崩壊する。
それも、最悪で害悪で禍悪的なものとなるだろう。
「そう言えば、次の事件は過去の事件と類似性があるみたいだね」
「類似性?」
椿さんの言葉に、私は疑問を返す。
「どの事件と似ているのですか?」
「最初の事件さ」
「最初……」
それはつまり、朝昼夕探偵団の最初、いや、その結成のきっかけとなった事件の事だろう。
下を見れば、もうコップの中の紅茶は殆ど残っていなかった。茶色い液体が、私の顔を映している。紅茶に映った顔が、その口が、こう動いた。
最初の、事件。
そう、私と竜兵さん、そして椿さんが遭遇した、あのレストランの事件。
でも、私が最初に遭遇した事件と言えば、それよりも過去に遡る事になる。
それは、夕城竜兵との遭遇。
そしてそれを思い出すには、私は自分の両親の事も思い出さなくてはならないのだった。
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