会議室には、容疑者の三人がそろっていた。

「それで、泰伸を殺した犯人は、一体誰なんですか……?」

「……凶器が、凶器だからな」

「だから、だから私じゃないんですよぉ!」

 藤谷逸美が、谷本義博が、堀居麻奈が、思い思いの言葉を口にする。彼らもきっと、わかっているのだ。また再び集められたこのタイミングで、井波泰伸を殺した犯人が明かされるという事を。

 スマホの時計を見れば、もうおやつの時間をかなり過ぎている。この施設の外では、既に太陽の光は朱色へ変わっている事だろう。

 日が沈む前の、夕暮れ時。

 今日という日の終わりを告げる時間。

 それは同時に、一つの事件の終わりも意味していた。

「この事件の犯人は、あなたです。藤谷逸美さん」

 葵が、いつものように淡々と、犯人の名前を告げる。その言葉は死刑の判決を告げる裁判官の厳格さと、絞首台に登る前の懺悔を聞いてくれるおおらかな神父の様な、相反する感情を聞くものに抱かせた。

 だが、その余韻に浸っている余裕はない。会議室では、容疑者たち、三者三様の反応がある。

「……そんな、お前が、井波を?」

「え? 借金? 彼女なのに? あ、逆に借金してたから同棲せざるを得なかったとかっ!」

「ち、違います! 私、借金なんて……」

「借金はしていなくても、犯人は、あなたです。藤谷逸美さん」

 そのリピートは、まるで昔から何度も見ている子供向けの映画の名シーンを再度見せられている様な、自分の記憶の中にある台詞、抑揚、その全てが完全に一致している様な錯覚に陥る。それほどまでに、葵の言葉には不思議な力があった。警察も含め唖然とする面々の中、犯人と言われた藤谷だけが、口を利ける状態だった。

「そんな……。私、カレを家から送り出した後、家にいたんですよ? 少なくても、地下鉄には、それどころか、泰伸が乗っていた列車に当日近づいてもいないんです。それは、堀居さんが映っていた監視カメラを見れば、わかるのではないでしょうか……? そんな私が、泰伸を殺す事なんて、不可能ですよ……!」

「あははっ! そんなの、簡単だよ。列車に乗る前に、被害者のお腹に凶器を仕込んでおけばいいんだ」

 朗らかに笑いながら、椿はそう言い切った。すかさず堀居さんが、反論する。

「だ、だから無理ですよ! 列車に乗った時点で凶器がお腹に刺さっていたら、その様子が監視カメラに映って――」

「そうさ! だから犯人は、被害者のお腹の中、胃袋に凶器を仕込んでおいたんだ」

 その言葉に、今度は谷本が反応する。

「……それは、おかしいだろうがよ。 アイスピックみたいな刃物を飲み込んだら、そんなもん、飲み込んだ時点で無事でいられるわけがねぇ」

「うん、そうだね!」

 元気よく反論に同意する椿を、皆が驚嘆を通り越して呆れた顔で見つめ返していた。

「そ、そうだね、って、君っ!」

「うん、だから、事件当日、凶器は普通の形じゃなかったんだ。例えば、こう、渦を巻くような、一直線の刃物ではなく、丸められて一口サイズになった状態で飲み込んだんだよ」

 会議室にいる誰かが、そんな馬鹿な、と言った。俺も、最初椿の話を聞いた時、全く同じことを思った。でも、違うのだ。この天才は、主人公に相応しい二人は、主役の見ている景色は、俺たちとは全く違っている。

「谷本義博さん。あなたが最後に会社の機材を井波泰伸さんが使った事に対して注意をしたのは、今から四十八日と七時間三十八分九・二三秒前だよね?」

「……は?」

「つまり、それ以降は井波さんが会社の機材で勝手に刃物を作っていたとしても、注意しなかったんじゃないか? って事ですよ! な? 椿っ!」

「うん! それそれ!」

 何が、うん、それそれ、だよ! 慌ててフォローを入れる俺は、内心冷や汗ものだ。間違った事を言っていないのだから、言い方を気を付けて欲しい。椿の目線は主役で主人公の焦点になっており、俺たちとはたまに違う視点で話すときがある。人によって、時と場合によって、伝わりやすい言い方と言うのはあるのだ。だから俺は、もう少し補足をしておく。

「一か月と少し前から、谷本さんは自分の部下の井波さんを注意していなかった。会社の機材を勝手に使う独断を、注意出来なかった。それはもう注意をしても無駄だと井波さんの教育を諦めたのかもしれないし、井波さんが部下であっても、そのパワーバランスを崩す何らかの、貸し借りの様な契約があったのかもしれない」

「……それは」

「ほら! ほら! やっぱりお金っ!」

「いずれにせよ、井波さんがどんな刃物を会社で作ったとしても、それを咎める人はいなかったというわけです」

「そうそう! だから、被害者のお腹の中に仕込む凶器は存在する事になるのさっ!」

「え、でも待って!」

 椿の言葉を遮り、堀井さんが疑問の声を上げる。

「でも、凶器がお腹の中にあったとして、どうしてそれがアイスピックで刺された傷口になるの? そもそも、単に丸めただけなら――」

「そうさ。丸めても、すぐに元の形のに戻っては、今回の事件は成り立たない。形を一定時間保たせ、かつ被害者のお腹の中から凶器が飛び出す様な仕掛けが必要になる」

 見れば、藤谷逸美は右手で首を押さえながら、黙って俯いている。代わりに口を開いたのは、谷本さんだ。

「……そんな事、出来るのか?」

「包み揚げですよ」

 葵は自分の右手を巻いた刃物に見立て、それを左手で包み込んだ。

「こうして、デンプンで膜を作れば、この膜が消化されるまで、刃物は元の形に戻りません」

「刃物を飛び出す仕掛けは、弾けた空気さ。ロケットが大気圏を突破して宇宙に飛び出すように、多段式にすれば、凶器は無事、お腹を突き破る推進力を得られるというわけ。後は、同棲していれば普段の食生活も調整できる」

 被害者は、食事は彼女の言う事を全て聞き入れていたみたいだしね、と言って、椿は太陽の恵みを全てその身に受けたように陽気に笑う。

「おかしくない……?」

 顔を上げた藤谷の顔は、幽鬼の様な様相になっている。

「おかしい、でしょ……。その話だと、泰伸は自分で自分のお腹を突き刺す凶器を作った事になる。そんな事、そんな人、いないでしょ……?」

 それに――

「私には、泰伸を殺す、動機がない……」

 その言葉は、液体窒素を更に絶対零度の温度で煮込んだ様な、この世ならざる冷たさを孕んでいた。藤谷の瞳は闇より黒く、極寒の暗黒が広がっている。

 その視線を受けて、葵と椿は、一歩下がった。いや、違う。そうする事で、俺を一番前に押しやったのだ。ここから先は、お前の時間だと。

 ああ、そう、そうだな。ここから先は、俺の、脇役の時間だ。そして脇役は、主役より、主人公より、目立つわけにはいかない。だから俺は、一言で終わらせた。

「右手を、首から離してもらえますか? 藤谷さん」

「ぁ……」

 彼女の纏っていた闇が、一瞬して霧散する。そして、泣き笑いの様な、全てを諦めた表情を浮かべていた。

「そっかぁ……。全部、ぜぇんぶ、わかってるんだ、君たちは……」

 藤谷さんはそう言うが、俺はやはり、今日も最後の最後まで事件の真相に辿り着けなかった。辿り着けたのは、葵から犯人と、そして椿から犯行方法を聞いた時だった。

 朝昼夕探偵団の他のメンバーが役割を果たしているのに、俺だけ何も出来ていないだなんて、あり得ない。

 何故犯行に及んだのか(Why done it)。それを解き明かすのが、俺の仕事だからだ。

 そして今の藤谷さんの言葉が、俺の推理が正しかったことを証明してくれている。

 一方で、今まで散々犯人扱いされていた堀井さんは、事態を全く飲み込めていないようだった。

「え? 何で? 何でカレシ殺すの? 同棲までしてたんでしょ?」

「同棲までいってしまったからですよ」

「うん、そう……。そこまで、いっちゃったから、私、耐えられなかったの……」

 そう言って藤谷さんは、押さえて、いや、隠していた首から手を放す。その下には、青紫色の反転。誰がどう見ても、鬱血した跡だ。それは――

「……井波の奴か」

「DV!」

 堀居さんと、谷本さんの顔が痛ましそうに歪む。その顔を見て、何故だか藤谷さんは恥じ入るように顔を伏せ、また首の傷を隠した。

「逃げようと、したこともあったんです……。でも、その時捕まって、連れ戻されて、もう逃げられないようにって、今の関係なって……」

 同棲は、牢獄の中に閉じ込められているようだった、と、藤谷さんの口から小さな言葉が零れ落ちた。

「逃げ出そうとしたというのは、井波さんが一人旅の彼女を迎えに行ったと吹聴した、その時ですね?」

「ええ、そう……。もう、殺す以外に、逃げられないと思った。だから、結婚指輪の代わりに変わったナイフが欲しいってねだってみせたの。あいつ、喜んで作ってたわ。それが自分の胃を、腸を、お腹の筋肉と脂肪を貫いて、自分の腹の中から出てくるだなんて、全く想像せずにね……」

 その言葉は、途中から笑い声になっている。サバトで魔女が異臭を放つ窯をかき混ぜる時に発するような声で、彼女は笑った。

 何が可笑しいのか、狂ったように彼女は笑う。その魔女の脇を、控えていた警察官が抱えて会議室の扉へと向かった。

 俺はその背中に向かって、問いかける。

「俺たちがここへ来て包み揚げの話をした時、あなた、泣いていましたよね? あれは――」

「決まってるでしょ! 嬉しかったのよ。あいつを、あの野郎を包み揚げで計画通り殺せたのがねぇっ!」

 俺の言葉を遮り、狂気を宿した瞳で、藤谷逸美は尚も嬌声を上げる。

「ああ、もっと列車に乗客が乗っていれば捕まらなかったろうになぁ。でも、無理か。どのみち君たちが私の前に現れたら、全部、ぜぇんぶぅ、バレちゃうかぁ。凄いよ、君たち。凄いよ、朝昼夜探偵団」

 そして体を痙攣させる程笑いながら、藤谷逸美は会議室の外へと消えていった。

 残りの二人も、他の警察官と話をしている。

 それを横目に、俺は朝昼夕探偵団の他のメンバーへ視線を移した。

「お前ら、何であんなに息ぴったりに動けるんだよ」

 突然一人にされた様な錯覚を覚えて不安だったとは、こいつらの前では口が裂けても言えない。だからせめて、抗議の言葉を俺は口にした。かくして俺の批判を聞いても、二人の主人公はびくともしない。

「だって私、もう犯人を解き明かしてましたし」

「ボクも、犯行方法は話しきったからね!」

「……それより、もう終わったのですから帰りましょう? 竜兵さん」

「小腹が空かないかい? 竜兵。僕は空いたよっ!」

 この主役は、主人公どもはっ!

「……いつもみたいに、事務作業が残ってるんだよ」

「では私、車の中で紅茶を頂いておりますので」

「ボクもパトカーで待ってるね! 早く来ないと、お菓子なくなっちゃうよーっ!」

 言うが早いが、二人は俺を置いてさっさと外に出て行ってしまう。それを見送った俺の顔を見た刑事が、魔獣にでも出会ったような表情で驚いた。事実、俺の顔は今、悔しさで歪み過ぎて、魔獣のようになっているだろう。

 今日もまた、俺はあの二人に推理で勝てなかった。

 また、葵と椿の推理を聞いた後でなければ、俺は犯人の動機に辿り着けなかったのだ。

 悔しい。どれだけ俺が容疑者たちから話を聞き出そうとも、走り回って情報を集めてきても、その俺の苦心を嘲笑うかのように、あの主役たちは、主人公たちは、一足飛びで俺の頭上を飛び越え、遥か遠くへ、真実へと辿り着く。改めて、あいつらと脇役の距離をまざまざと感じさせられた。

 それでも俺は、足掻くしかない。無様にもがかなければ、あの主役たちとの距離は離れる一方だからだ。だから、やれることは、全てやるしかない。頭で足りないなら、俺は足で稼ぐしかないのだ。

 いつか必ず、あの主役、主人公たちに手が届くと信じて。

 脇役の俺は、今日も無様にもがき続ける。

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