翌朝、俺たちがパトカーで降ろされたのは、ある施設。そこに降ろされて、俺は少し驚いていた。犯行現場が、ある地下鉄の車両の中だと聞いていたので、事件が起きた駅に案内されると勝手に想像していたのだが、俺の眼前に建つ建物は、搬入口。つまり、車輛搬入用の竪坑だ。事件の起きた列車は、現場保存の関係もあり、この施設の車庫に保管されている。中々訪れない場所とあって、俺はこの場所の雰囲気に気圧されていた。

 俺以外の朝昼夕探偵団のメンバーは、事件現場が電車の車内だろうが車の中だろうがやる事は関係ないと言わんばかりに、今日立ち会ってくれる刑事の後ろに続いていた。その後に続こうとした所で、パトカーを運転していた警察官が俺に向かって声をかけて来た。

「夕城さんに、よろしくお伝えください」

「……わかりました」

 一礼して、俺は他の二人の後を追う。苦みを噛み潰し、飲み込むように俺は足を動かした。言われた夕城が誰を意味しているのかぐらい、俺にもわかる。施設に入ると、まず会議室に通される。会議室には折り畳み式の机がロの字で並べられており、その外側を囲むようにパイプ椅子が並べられていた。椅子の数は、十四個。その内三つは、不機嫌そうな顔をした人たちで埋められている。

 この人たちが、今回の事件の容疑者だ。彼らを囲むように、制服を着た警察官が壁際に六人、立っている。その後ろにホワイトボードが置かれているので、この部屋は普段会議室としても利用されるようだ。

「……こんな朝早くに、一体何なんだね」

 三人の不満を代弁する様に、俺から見て右端に座る険しい顔をした男性が、そう言った。彼の眉には深い皺が刻まれており、その肌も浅黒い。作業服を着た彼は、俺たちがここへやって来る途中、パトカーの中で聞いた外見と一致していた。あの人の名前は、確か谷本 義博(たにもと よしひろ)と言ったはずだ。

「……私は忙しいんだがね。必要な事は、全て警察署で話している」

「そうですね。それは、私もそう思います……」

 そう言ったのは、真ん中の席に座る、どこか憂いを帯びた女性だった。幸薄、とでも言うのだろうか。パステルカラーと言えば聞こえはいいが、原色ではなく着ている服の色は桜色や藤色と言った淡い色。吹けば消えてしまいそうな儚さがある。しかしその儚さは、彼女の心中を思えば理解できるというものだ。その女性の名前は、藤谷 逸美(ふじや いつみ)。今回の事件の被害者、井波 泰伸(いなみ やすのぶ)の彼女だ。藤谷さんと井波さんは、同棲をしていたらしい。彼女は右手で自分の首を押さえながら、蚊の鳴くような声で、こう言った。

「必要な事は、もう私、話しました。泰伸を殺した犯人を見つけるためなら、私、どれだけでも協力します……。でも、それが、警察じゃなくて探偵って。それも、高校生って……」

「そ、そうです! おかしいです! こんなの、私、全然関係ないのに、こんな所に呼ばれてっ!」

 そう言って立ち上がった女性の名前は、堀居 麻奈(ほりい あさな)。白のカットソーに黒のパンツというラフな格好で、三人の容疑者の中で、一番落ち着きがない。

「私、絶対犯人じゃないのに! 何で? 何なの? 何で私がこんな目に合わないといけないの? こんなの、こんなのおかしいよっ! 朝昼夕探偵団っていうよくわからない高校生に犯人扱いされたら、私の人生、めちゃくちゃになっちゃうよっ!」

「……そうだ! こんな茶番、私は付き合い切れんっ!」

「犯人を逮捕してくれるのなら、何でもいいです。でも、真面目にやってください……」

「いいから私を早く帰してっ!」

 三者三様ではあるが、俺たちに対する不満、不安、不審が一斉に向けられ、苦笑いを浮かべる他ない。

 確かに、俺たち朝昼夕探偵団の実績は、公にされていない。だから、突然高校生の推理の為に集まってくれと言われて、それを拒絶したい気持ちがあるのも理解できる。事件現場に行く度、その場で容疑者たちからの罵詈雑言や罵詈讒謗に悪口雑言を投げつけられてきた。そして俺はその度に、心が挫けそうになる。自分のやっている事の正当性を、疑ってしまう。殺人事件を解決する。それは誰が聞いても解決した方がいいもので、後ろ指を指されるようなものではない。しかし、脇役である俺は、すぐに折れそうになってしまう。

 だが、俺の隣に立つ主役は、主人公たちは、どうだ? 心無い言葉を投げつけられようとも、まるで自分の関心ごとはそこにはないと言わんばかりに、平然としている。

 だから俺も、胸を張り、顔を上げた。この主役で、主人公たちを輝かせる脇役の役目を、俺は他の誰にも渡すつもりはないのだから。

 だから俺も、彼らを見ながらはっきりとこう、口にする。

「大丈夫です。俺たちが必ず、今日中、夕方までには事件を解決します。それまでお手数ですが、少々お付き合いください」

 断言した俺を、容疑者たちは驚きと嘲りの表情で見つめていた。堀居さんが、ヒステリックな金切声を上げる。

「そんなこと無理に――」

「ではまず、今回の事件の概要を振り返ってみましょう。間違っていたら指摘してください、刑事さん」

「わかりました!」

 刑事、そして壁際に立つ警察六人が、俺に向かって敬礼する。今度は容疑者たちの顔が、純粋な驚愕の色に染められた。溜息が出そうになるが、俺はそれを堪える。この儀式は、この場の主導権が、本当に高校生である俺たち、朝昼夕探偵団にあるという事を容疑者たちに知らしめるために必要な手順なのだ。親の七光りだろうが何だろうが、俺はそれを使うと決めたはずだ。だからいい加減、慣れろ、俺。悔いるのであれば、オヤジに頼らなければ朝昼夕探偵団の活動を、主役、主人公たちの傍に居る事が出来ない、俺自身の力のなさを嘆くべきなのだ。

 俺は気を取り直すように咳払いをすると、予め暗記していた内容を口にする。頭の中に詰め込んだ荷物を、丁寧に取り出す様に。

「今回の被害者は、井波泰伸さん。西浜鍛造所(にしはまたんぞうしょ)に勤められていて、会社では面倒見のいい先輩として後輩に慕われていたそうですね。井波さんの上司は、谷本さんでしたか?」

「……ああ、そうだ」

 谷本さんは、必要最低限の事だけ言って、黙る。西浜鍛造所は金属の鍛造に強みを持つ会社で、加工技術にも秀でており、薄くて丈夫な特殊な形状のものを作る技術に秀でていた。そのため勤めている人たちは職人気質な人が多いらしく、谷本さんもそのタイプなのだろう。

「井波さんは、元々日本刀を作る刀工になりたかったそうですね」

「え、ええ、そうです……」

 黙り込んだ谷本さんの代わりに、今度は藤谷さんへ話の水を向ける。

「でも、まだ完全にその夢を捨て切れてないみたいで……。たまに、オリジナルの刃物を会社で作っているみたいでした。私に、どんなものが欲しいか、聞いたりして……」

「……たまに、ねぇ」

 その時、先ほどまで黙っていた谷本さんがそう言って口を開いた。

「……困るんだよ。そうやって、勝手に会社の機材を使われるのは。客の注文も、こなさにゃならんのに」

「す、すみません……」

 別に藤谷さんが悪いわけではないのに、彼女は委縮して、小さな体を更に小さくしていた。そんな藤谷さんを、谷本さんが鼻で笑う。

「……料理研究家だか何だか知らんが、井波に妙なもん作らせんといてくれ」

「私、そんなに刃物、頼んでません……」

「藤谷さんは、料理研究家でいらっしゃるの?」

 泣きそうになっている藤谷さんへ、葵がそう言って話しかける。堅物っぽい谷本さんや男の俺より、女性の葵に話を振られて、心なしか藤谷さんの表情が和らぐ。右手で首を撫でながら、しかし弱々しく笑った。

「はい、僭越ながら……。泰伸も、私の料理目当てで、一緒に住むようになったみたいなもので……」

「あははっ! やっぱり料理の出来る女性の方が、意中の男性を制御(コントロール)出来るものなのかい?」

 急に椿に話しかけられ、藤谷さんがびくつく。葵は椿を非難するような目で一瞥するが、質問自体は取り消すつもりはないようだ。むしろしっかり聞こうと、一歩前に踏み出している。なんだ? この質問は、そんなに推理に重要なものなのだろうか?

 果たして藤谷さんは、狼狽しながらも、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「た、食べ方ぐらいは、素直に従ってくれてました……。これが一番美味しく食べれる方法だよ、って言えば、泰伸は素直に言う事聞いてくれてましたし……」

「「ほうほう」」

 葵と椿が、腕を組んで同時に深く頷く。その二人を見て、俺は暗い思考へと沈んでいく。

 あの二人は、主役、主人公たちは、自分たちの推理に重要な情報を手に入れたのだ。

 それはつまり、犯人が誰なのか(Who done it)の担当、朝比奈葵の推理と、どうやって犯行を行ったのか(How done it)の担当、昼顔椿の推理が終わろうとしているという事だ。事件についての情報量は、俺と同じパトカーの中で聞いた分しかないはずなのに。

 残念ながら、今の俺には何の閃きもない。俺の担当分の推理は、まだ完了していない。この時点で、犯行動機(Why done it)の検討何て、全くついてはいなかった。胸いっぱいに、焦燥感が募っていく。

 俺のそんな胸中をよそに、話はどんどん進んでいく。谷本さんが、思い出したように口を開いた。

「……そういえば井波の奴、やたらと自慢してやがったな。包み揚げが、どうとか」

「最近の、泰伸のお気に入り、だったんです……」

 自分で、過去形で言ってしまったからだろうか。堪え切れなくなった様に、藤谷さんが両手で顔を覆い、声にならない声で泣き始めた。流石に谷本さんも悪いと思ったのか、頭を掻きながら、ばつが悪そうにつぶやき始める。

「……井波の奴もよ。本当に、あんたの事大切に思ってたんだろ。あんたが一人旅に出てったって時も、心配で迎えに行ったって言うしな」

 先程よりも酷くなった藤谷さんの慟哭が、部屋中に響き渡る。どうしたものかと両手で顔を覆う藤谷さんを一瞥した後、俺は谷本さんへ話の水を向けた。

「井波さんは、職場では何も問題はありませんでしたか?」

「……さっき話に出た、会社の機材を勝手に使うぐらいだ。それは、私が注意していた」

「お、お金! お金はどうなんです? どうなんですかっ!」

 それまで黙っていた堀居さんが、耐え切れないとばかりに喚き散らす。

「こ、殺される理由なんて、推理小説とかでもそんなにパターンはないんですから! 色恋沙汰かお金か、大体怨恨なんですよぉ! あんな殺され方、快楽殺人じゃないですよっ!」

 狼狽し続ける堀居さんを前に、藤谷さんは泣き止み、顔を上げる。

「そう言えば、泰伸は、会社の人に少し前にお金を貸したって……」

「ほら! ほらほらほらほら! 怪しい、怪しいじゃないですかそれっ! わ、私じゃない! 私が犯人じゃないんですよぉ!」

「……そういやあんた、一体誰なんだ? 井波と、どういう関係がある?」

 谷本さんが、鋭い視線で堀江さんを睨む。一方の堀江さんは、涙目でその視線を見返しながらこう言った。

「関係ないです! 全くっ!」

「……何?」

「わ、私、私はたまたま乗り合わせただけなんですから! あの電車にっ!」

 面食らう谷本さんへ、堀居さんは両手を広げて訴えた。

「ですから! たまたま! たまたま地下鉄の列車に乗ってたんです! 井波さんと私の二人で! そして私が電車を降りた後、井波さん、次の駅に着く途中で死んじゃったんですよぉ! お腹を刺されてぇっ!」

「死因は、鋭い刃物だと、聞きました。刃物も、現場に残されていた、と。胃か腸辺りを、まるで、アイスピックみたいな刃物で……」

「だから、それも偶然なんですぅぅぅうううっ!」

 藤谷さんの言葉に、堀居さんはついに泣き始めた。

「わ、私が井波さんと最後まで一緒の車両に乗ってたのも、私がアイスピックを持ってたのも、全部、ぜぇぇぇんぶぐぅぜんなんですぅぅぅうううっ!」

「……お前、そりゃ」

「本当、本当なんですぅぅぅうううっ! そ、それに私、降りてますから! 井波さん、死んだとき、私、別の駅にいましたからぁ! 監視カメラにも、わ、わだぢぃ、映ってますからぁぁぁあああっ!」

 つまり、今回の事件はこう言う事だ。

 井波泰伸は、地下鉄の列車に乗っていた所、アイスピックの様なもので刺殺され、死亡した。

 しかし、井波さんが刺された時、列車は次の駅へ移動中で、彼以外誰も列車には乗っていなかった。

 今回の事件の容疑者として集められた三人は、井波泰伸が生きている間に姿を見た人と、殺されなければその日会うはずだった人なのだ。

 前者が、井波さんと同棲していた藤谷逸美。そして井波さんと同じ列車に乗り合わせた堀居麻奈。

 後者は、会社で会うはずだった井波さんの上司、谷本義博。

 その三人が、

「……アイスピックで殺されたのなら、それを持ってた奴が一番怪しいだろ」

「だからぁ! 私、前の駅で降りてるんですぅ!」

「刺してから、列車から降りれば……」

「それだと井波さんと私、監視カメラに血だらけで映ってますよぉ! やっぱりお金! 金の切れ目が縁の切れ目なんですよぉっ!」

「……金のトラブルがあったとしても、殺す方法がねぇ」

「そんなの、先に井波さんに刺しておけばいいじゃないですか! で、たまたま私が降りた後、出血が致死量に達して死んだ!」

「泰伸は、家では普通にしてましたけど……」

「そんなの、あなたが嘘ついてるだけかもしれないじゃないですかぁ! もしくは狙撃! 列車の外から井波さんを刺したんですよっ!」

「……地下鉄で狙撃たぁ、随分腕のいい狙撃手じゃなきゃならねぇだろうなぁ」

「列車にも、傷、なかったみたいですしね……」

「あああ、違う! 違う違う違うぅ! 私じゃな、私、私じゃ、私じゃないのにぃぃぃいいいっ!」

 泣き喚く堀居さんを、警察官がなだめ、別の部屋へ移動させる。その背中を見送った後、藤谷さんが小さく言葉を漏らした。

「あんなに否定するなんて、本当に、違うのかも……」

「……わからねぇよ。人間、腹ン中で何考えてるかなんて、わかんねぇ」

「そう、ですね。その逆も、そうですから……」

 言葉にしようとした何かを、噛むようにして谷本さんと藤谷さんは飲み込んだ。その苦みは、酸いも甘いも噛み分けた人だからこそ、噛み殺せたものだろう。それこそ、俺たち高校生には想像も出来ない様な世界だ。大人でも出来ない事があるのは知っているが、それでも大人が俺たちより人生を長い時間生きているのは、事実。俺が事件について質問をしようとした矢先、何と椿と葵が身を乗り出していた。

「あははっ! ねぇ、それって、どういう意味?」

「確かに、気になりますね」

 こいつら主役で主人公だけど馬鹿なのかっ!

 主役、主人公だからといって、余計な台詞を話していては、物語のテンポというものが悪くなる。もしこれが本当に物語上必要な質問なのであれば、その相手の胸中は、もう少し迂遠に聞くべきだ。何でも馬鹿正直に聞いた所で、答えを返してくれるとは思えない。

 案の定、谷本さんは顔を歪め、藤谷さんも今までの三倍悲しそうな顔を浮かべる。

「……あれだ。他の奴の評価程、当てにならねぇ、って事だ」

「思いやりって、相手に届かないと、意味ないかな、と……」

「ふぅん……」

 ふぅん、じゃねぇっ!

「そうですか……」

 そうですか、じゃねぇっ!

 やはり二人からの返答は、抽象度の高いものになってしまった。もう少し具体的な返答が返って来ていたのであれば、まだ事件の全容を掴むのに役立つ情報が入手出来たのかもしれないのに。黙り込んだ会議室で、もう誰も口火を切ろうとはしない。俺は仕方なく、ある提案をする事にした。

「では、少し休憩しますか」

「……そうだな」

「喉が、乾きました……」

 警察官に頭を下げ、俺はお茶の用意をお願いする。会議室を後にするその背中を見送ると、俺は主役で主人公な奴ら(大馬鹿)に振り向いた。

「葵と椿は、どうする?」

「……そちらは、お任せします」

「あははっ! ボクらは事件現場、保管されている列車でも見て来るよ! いつも通り、葵と二人でねっ!」

「……わかったよ」

 朝昼夕探偵団は、分業制と言われている。

 犯人は誰なのか(Who done it)推理する、朝比奈葵。

 どうやって犯行を行ったのか(How done it)推理する、昼顔椿。

 そして、何故犯行に及んだのか(Why done it)推理する、俺、夕城竜兵。

 この役割分担の性質上、俺は容疑者から離れるべきではない。いつどこに、犯人の心が、犯行動機が垣間見えるのかわからないからだ。だから俺は、容疑者たちの話を聞く必要がある。

 でも、他の二人は違うのだ。

「あははっ! 行ってくるね、竜兵っ!」

「それでは、また後程」

 丁寧に一礼する葵と、快活に笑う椿の後姿を見送って、俺はパイプ椅子を引き寄せると、それに崩れるように座った。

 がむしゃらにやる以外、足掻き続ける以外、凡人の俺が真実の道を踏破する事は、出来ないのだから。

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