応接室には、容疑者の三人がそろっていた。

「それでぇ? せんせーを殺した犯人って奴は、一体誰なのぉ?」

「そんなもの、この下品な女に決まっています」

「ぼ、僕は、この中に犯人はいないと思いますよ。だ、だって、方法がないんだからっ!」

 古岡志野が、濵口沙代子が、そして久利芳紀が、思い思いの言葉を口にする。彼らもきっと、わかっているのだ。また再び集められたこのタイミングで、濵口貴英を殺した犯人が明かされるという事を。

 窓の外を見れば、既に太陽の光は茜色へと姿を変えている。

 日が沈む前の、夕暮れ時。

 今日という日の終わりを告げる時間。

 それは同時に、一つの事件の終わりも意味していた。

「この事件の犯人は、あなたです。久利芳紀さん」

 葵が、いつものように淡々と、犯人の名前を告げる。その言葉は死刑を告げる死神の様な冷徹さと、最後の審判の時に寄り添ってくれる聖母の慈愛の様な、相反する感情を聞くものに抱かせた。

 だが、その余韻に浸っている余裕はない。応接室では、容疑者たち、三者三様の反応がある。

「まさか、あなたが? あなたが夫を殺したって言うの?」

「そんな! 久利が、久利が犯人なわけないじゃんっ!」

「ち、ちょっと待ってください! ぼ、僕が犯人なわけないじゃないですかっ!」

「いいえ。犯人は、あなたです。久利芳紀さん」

 まるで先程見た映像を、繰り返しているようだ。それほどまでに葵の口は、先程と一語一句、一字一音全く同じ台詞を紡いでいる。警察も含め呆然とする面々の中、犯人と言われた久利だけが、口を利ける状態だった。

「で、でも、そんな、一体どうやって僕が先生を殺したって言うんですか? あの部屋で一酸化炭素中毒を起こすなんて、そんなの不可能ですよ!」

「あははっ! そんなの、簡単だよ。『ネオエアージェネレーター』を使えばいいんだ」

 朗らかに笑いながら、椿はそう言い切った。すかさず久利が、反論する。

「だ、だから無理ですよ! せ、先生の部屋にある『ネオエアージェネレーター』だけでは――」

「そうさ! だからキミは、二台目の『ネオエアージェネレーター』を持ち込んだんだ」

 その言葉に、今度は古岡が反応する。

「それ、おかしくないぃ? だって、せんせーの家に来るとき、久利とあたしぃ、二人一組だったのよぉ? 二台持ってきているなら、流石にあたしぃも気付くわよぉ」

「……そうですね。あれだけ大きな、スーツケースみたいな鞄が二つお持ちになれば、あたくしも気付いているはずです」

「うん、そうだね!」

 元気よく反論に同意する椿を、皆が驚嘆を通り越して呆れた顔で見つめ返していた。

「そ、そうだね、って、あなたねぇ……」

「うん、だから、事件当日持ってきた『ネオエアージェネレーター』は、一つだったんだ。でも、その前にもう一つ、別の『ネオエアージェネレーター』が運び込まれていたんだよ」

 つまり、事件当日久利が持ち込んだ『ネオエアージェネレーター』は、二台目の方である。

 応接室にいる誰かが、そんな馬鹿な、と言った。俺も、最初椿の話を聞いた時、全く同じことを思った。でも、違うのだ。この天才は、主人公に相応しい二人は、主役の見ている景色は、俺たちとは全く違っている。

「濵口沙代子さん。あなたが最後に書斎を掃除したのは、今から三十五日と十三時間二十五分三十二秒前だよね?」

「……はい?」

「つまり、しばらく書斎の掃除をしてなかったんじゃないか? って事ですよ! な? 椿っ!」

「うん! それそれ!」

 何が、うん、それそれ、だよ! 慌ててフォローを入れる俺は、内心冷や汗ものだ。間違った事を言っていないのだから、言い方を気を付けて欲しい。椿は天才過ぎて、俺たちとはたまに違う視点で話すときがある。人によって、時と場合によって、伝わりやすい言い方と言うのはあるのだ。だから俺は、もう少し補足をしておく。

「沙代子さんは、一か月以上も貴英さんの書斎を掃除していなかった。それは貴英さんから掃除をしないように言われていたのかもしれないし、何らかの事情で、掃除をする気も起きなかったのかもしれない」

「それは……」

「いずれにせよ、書斎の中に『ネオエアージェネレーター』が置かれていても、貴英さん以外その存在に気付く事は出来なかったわけです」

「そうそう! だから、一酸化炭素中毒を起こすのに必要な状態はそろっていたのさっ!」

「ま、待ってよっ!」

 椿の言葉を遮り、古岡さんが声を上げる。

「も、もしそれが事実ならぁ、あ、あたしぃも、『ネオエアージェネレーター』を持ち込め――」

「いいえ、それは無理だよ! だって、あなたの腕力では『ネオエアージェネレーター』を持ち運ぶことは出来ない。だから毎回、同伴者が持ち運んでいたんだ」

 その同伴者とはつまり、久利芳紀以外あり得ない。

「事件当日、持って帰った鞄の中には、犯行で使った『ネオエアージェネレーター』がそのまま残されていた、っというわけさ! これで書斎には、事件発生前に持ち込まれていた一つの『ネオエアージェネレーター』だけが残されたわけ」

「で、でも、それなら窓! そ、そうだよ、窓は開いていたじゃないかっ!」

「そ、そぉねぇ。あたしぃたちが部屋に入った時、せんせーはまだ生きてたし……」

「……そうですわね。あたくしたちに、異常はありませんでした。つまり、あの時点で、書斎は一酸化炭素中毒が起こせる濃度になっていなかった」

「そ、そうですよ! ぼ、僕が仮に二台目の『ネオエアージェネレーター』を持ち込んでいたとしても、二台の『ネオエアージェネレーター』であの部屋に致死量の一酸化炭素を発生させるのは、不可能です! もし可能だったとして、寝ている先生と同じ部屋に居た僕も、中毒で死んじゃいますよっ!」

「うん、だから、そうしなかったんだよ!」

「……椿さん。結論からお伝えした方が、皆さん混乱しないと思いますよ」

 椿の説明に見かねて、今度は葵が手助けをする。

「つまり、こういう事です。お三方が書斎に入った時、既に殺人を行うのに必要な一酸化炭素は貯められていた。そして、それは窓から外に漏れないようにされていた」

「サランラップですよ」

 また同じ話が繰り返されそうになったので、すかさず俺が合いの手を挟む。ポニーケミカルカンパニーが業績を伸ばした、ヒット商品。安いのに密着率が高く、それでいて剥がしやすいそれが、事件当日、開かれた窓に貼られていたのだ。

「そう! サランラップが貼られていた窓からは、空気が漏れないっ!」

「で、でもそれだと、僕も中毒に――」

「うん! だから、二台目の『ネオエアージェネレーター』は、別の気体を生成していたのさっ!」

 久利は確かに言っていた。『ネオエアージェネレーター』が一台あれば、一酸化炭素は無理でも、他の気体なら部屋を満たす事が出来る、と。

 一酸化炭素は、骸炭(コークス)と水を化合させることにより、あるものと一緒に発生する。そしてそれを発生させる方法として、炭化水素の部分酸化の副生成物として作ることが出来る。それも、大量に。

 更にそれは、空気中よりも、軽い性質を持っている。

 それは――

「一台の『ネオエアージェネレーター』で一酸化炭素を、もう一台の『ネオエアージェネレーター』で、水素を大量に生み出していたのさ! 水素は空気の中で軽い物質で、無味無臭、そして人体には無害だ。一酸化炭素は水素と同じく、無味無臭だけど、水素より重い物質で、人体に悪影響を及ぼす。逆に言えば、重い一酸化炭素を床下に沈殿させれば、誰も中毒症状は起こさない! だって、吸わないんだもん、一酸化炭素」

 椿が言っているのは、空気の層の話だ。部屋の上側に軽い水素を、下に思い一酸化炭素の層が出来る様に部屋の空気を『ネオエアージェネレーター』で調整した。そうすれば、部屋に入って来ても、誰も中毒症状を起こさない。

「久利さんが他の二人を書斎に招いた後、すぐに扉を閉めたのは、空気の層をなるべく崩したくなかったからですよね?」

 俺の言葉に、久利さんが下を向く。震える彼を擁護する様に、古岡さんが口を開いた。

「でも、それだと、死亡推定時刻がおかしくなぁいぃ? だって、『ネオエアージェネレーター』二台で一酸化炭素を生成しないとぉ、あたしぃたちが部屋を出て、二、三分で中毒になるための一酸化炭素の濃度、作れなくなぁいぃ?」

 その疑問に、椿は笑顔で答える。

「うん! だから、今度は取ったんだよ」

 窓を密閉していた、サランラップを。

 古岡さんも、それが何を意味するのか理解できたのだろう。

 濵口貴英だけが残された書斎。部屋の中は、水素と一酸化炭素の層が出来ている。その部屋に、窓に貼られたサランラップが外され、風穴が開くのだ。すると、書斎に充満していた水素は部屋の外へと流れだす。層が、崩れるのだ。一酸化炭素を押しとどめていた、層が。そして、それだけでは終わらない。書斎の一酸化炭素の濃度もまた、通常空気中に含まれている濃度よりも高くなっている。

 だから、一酸化炭素も外に出ようとするのだ。書斎の窓を通して。

 濵口貴英が近くで寝ている窓に向かって、一酸化炭素が、一斉に飛び込んでいく。

「何も、一酸化炭素中毒にするのに、部屋中を満たす必要なんてないんだよ! ただ被害者の顔の周りを、致死量の濃度の一酸化炭素を含む空気で一、二分覆ってやれば、今回の犯行は行えるでしょ?」

 古岡さんの顔が、蒼白に染まっていく。震えながら、彼女は久利さんへ問いかけた。

「どうしてぇ?」

「……動機は、あなたですよ。古岡志野さん」

 そう言った俺を、久利さんは弾けたように顔を上げて見つめる。その表情は、諦念の色で満ちていた。

「そ、そうか。もう、全部、ぜ、全部、わかってるんだね。君たちは……」

 久利さんはそう言うが、俺はやはり、今日も最後の最後まで事件の真相に辿り着けなかった。辿り着けたのは、葵から犯人と、そして椿から犯行方法を聞いた時だった。

 朝昼夕探偵団の他のメンバーが役割を果たしているのに、俺だけ何も出来ていないだなんて、あり得ない。

 何故犯行に及んだのか(Why done it)。それを解き明かすのが、俺の仕事だからだ。

 そして今の久利さんの言葉が、俺の推理が正しかったことを証明してくれている。

 しかし、急に名前を言われた古岡さんは、何の話をしているのか、理解できていないのだろう。

「え? 何ぃ? どういう事ぉ?」

「つまり、あなたを貴英さんから開放するために犯行に及んだんですよ。あなたの元カレの、久利さんは」

「ど、どぉして、それを……」

 古岡さんの目は、驚愕に見開かれている。

「ずっと、わからなかったんです。金払いの悪くなった貴英さんの愛人を、何故古岡さんが続けていたのか。でも、逆だと思えば、全てが繋がるんです」

 つまり、濵口貴英の愛人で居続ける事が、古岡志野の望みだった。

「被害者のポニーケミカルカンパニーに対する傍若無人っぷりは、良妻と言われていた沙代子の心すら変えてしまうものだった。なら、そんな貴英さんの元へ営業で気弱な人が担当したら、一体どうなるか?」

 例えばそう、久利さんの様な人が担当になったら。

「……あいつは、こう言ったわ。お前の彼氏が鬱病になった後、会社を首になるような目にあわせたくなければ、俺の言う事を聞け、って」

 古岡さんの口調が、今までの口それとは打って変わる。沙代子さんは、驚きの色で顔を染めていた。

「そ、それなら、あなたは、夫に恋人を人質に取られて……」

「……そうよ。そうじゃなきゃ、こないわよ、こんな所。来るたび来るたびあなたにねちねちねちねち小言を言われて、夜はあいつにもいいようにされて。そう、そうじゃなきゃ、私、こなかった……。あんな奴に、あんな奴の所なんかに……」

 最後の言葉は、もはや泣き声で聞き取る事が出来なかった。そんな彼女へ、久利さんが優しく抱きしめる。

「久利さんがその事を知ったのは、プロポーズをした時ですね」

「……はい。ぼ、僕は遅まきながら、全てを知りました。何も、知らなかった。呑気に日常を送っていたその裏で、志野さんがこんな目にあっていたなんて。ぼ、僕は、僕は、自分が許せなかったっ!」

「ち、違う! あなたは悪くない! 悪いのは全部――」

「違う! 僕のせいだ! 僕がもっと強ければ、君はあいつの誘いに乗らなかったはずなんだからっ!」

 抱き合う二人を、控えていた警察官たちが引き剥がす。その様子を、この数分間で一気に老け込んだ様な濵口沙代子が、虚ろな目で見送っている。

 俺は、小さくなった久利さんの背中に問いかけた。

「久利さんが訪問中、被害者が居眠りをしなかったら、どうするつもりだったんですか?」

「……させるさ。そのためにここ一か月、毎晩遅くまで仕事の話で電話をかけ続けたんだから。最悪、睡眠薬で眠らせたよ。司法解剖すればバレるだろうけど、殺害方法がバレなければ、不起訴になる自信はあったんだ。僕の最大の誤算は、君たちが今日ここに来たことだよ。朝昼夕探偵団の諸君」

 そして久利さんは、連行されていった。

 残りの二人も、他の警察官と話をしている。

 それを横目に、俺は朝昼夕探偵団の他のメンバーへ視線を移した。

「お前ら、俺が話してる時もちゃんと立ってろよ」

 俺が久利さんの動機の説明をしている時、決まって葵と椿は俺よりも一歩引いた所でくつろいでいる。俺の非難の声を聞いても、二人はどこ吹く風だった。

「だって私の担当、犯人を視つけるまでですから」

「ボクも、犯行方法を知る所までがスコープだよ!」

「……それより、もう終わったのですから、帰りませんか? 竜兵さん」

「そうだよ! ボク、お腹空いたよ竜兵っ!」

 この天才どもはっ!

「……俺たちはいいだろうけど、警察は事務手続きとかあるんだから。調書とか書くのに、今日の俺たちの推理結果も必用だろうしな」

 マンガやアニメの名探偵たちみたいに、謎を解決したらおさらば出来る程、この世界は甘くない。何せ、事件解決の依頼元が警察のオヤジなので、そういう事務処理から、俺は必然的に逃れられないのだ。

「では私、車の中で紅茶を頂いて待っております」

「ボクもパトカーでお菓子食べてる! 頑張ってね、竜兵っ!」

 言うが早いが、二人は俺を置いてさっさと外に出て行ってしまう。それを見送った俺の顔を見た刑事が、鬼にでも出会ったような表情で驚いた。事実、俺の顔は今、悔しさで歪み過ぎて、鬼のようになっているだろう。

 今日もまた、俺はあの二人に推理で勝てなかった。

 いや、本来、推理に勝ち負けなどないのかもしれない。それでも俺は、葵と椿より早く真実に辿り着いたためしがない。もっと言えば、葵と椿の推理を聞いた後でなければ、自分の役目が、犯人の動機に思い至らないのだ。

 それが本当に、たまらなく悔しい。俺は本当に、あの二人と一緒に居てもいいのかという、自問自答に押しつぶされそうになる。だから少しでもこの胸の靄を晴らすために、俺は探偵団でもこうした雑務を率先してこなすようにしていた。そうする事で、少しでも自分の存在意義を、自分は他の二人と一緒に居てもいい存在なんだと、思おうとしているのだ。

 それが本質的とはかけ離れた行動だと、自分でもわかっている。だが、俺は今は、足掻くしかない。もがくしかないのだ。

 いつか必ず、あの天才たちに手が届くと信じて。

 平凡で凡人の俺は、今日も無様にもがき続ける。

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