③
「ここから先は、二人っきりにしていただけますか?」
「あははっ! 大丈夫、大丈夫! 変な所は触らないからさぁっ!」
そう言って私、朝比奈葵と椿さんは、私たちを書斎まで案内してくれた刑事を部屋の外で待機させる。
書斎は六畳、いや、それより小さい大きさで、部屋に入って左側に本棚が置かれている。前方、例の横すべり出し窓の傍には黒に加工されたガラス張りの机と、リクライニングチェア。その下に白線が描かれているので、あそこに今回の被害者は倒れていたのだろう。そして入り口左側に、大きめの反射式の石油ストーブの様なものが置かれている。高さは五十センチに届かず、横幅はもう少し短い四十五センチほどだろうか? 奥行きは更に短く、三十センチを少し超えたあたりだろう。
あれが、『ネオエアージェネレーター』だ。ここに来るまでのタクシーの中で見た写真と、私の記憶が一致する。
でも、石油ストーブと自分で例えてみたが、実際そう言ってしまえば、その外見はそれとよく似ていた。
上の方に給油タンクを入れるような装置が付いており、あそこに化学反応を起こして発生させたい気体に合わせた物質を入れる作りになっている。そしてストーブで言う熱が出る所から、気体が出てくる仕組みなのだ。古岡自身も言っていたが、正直売れそうな要素を、私には見つける事が出来ない。
椿さんはその手前、何も置かれていないフローリングの床を、じっと見つめていた。そして、顔を私の方に向ける。その椿さんの表情に、私は戦慄した。
何も、なかったのだ。
感情という色が、顔から全て抜け落ちてしまったような表情。
これならまだマネキンの方が可愛げがあると、そう言ってもいいぐらいの表情を向けられ、私は知らず知らずのうちに一歩下がっていた。
「で、誰が犯人なの?」
まるで、音声ガイダンスを聞いている様なその声は、正真正銘、私の目の前にいる椿さんから発せられたものだ。竜兵さんがいる時には見せない椿さんのその声、その表情に出会う度、私は毎回気圧される。
私はそれでも、負けるものかと言わんばかりに、一歩前に出て答えた。
「犯人は、――――です」
だって、あの人の後ろに、殺された濵口貴英が立っていたのだから。
もう一度ここで、自己紹介をしておこう。
私の名前は、朝比奈葵。
かつて存在していた新興宗教団体『びろう』で、『神の子』と呼ばれていた存在だ。『神の子』と呼ばれているという事は、それなりに人とは違う力を、私自身持っている。霊能力者や巫女等、その力の呼び名に特別こだわりは持っていない。でも、私自身は『びろう』で呼ばれていた時の名前で、こう呼んでいる。
神通力、と。
私の神通力の効果は、人の因果を視るようなものだ。殺された人の姿が、殺した人の後ろに現れるように視える。だから私は、容疑者を見れば誰が誰を殺したのか、視る事が出来るのだ。そのために、竜兵さんのお父様には、なるべく広く容疑者を集めるように頼んでいる。無論、日本の警察も優秀なので、今まで出会った事件で犯人が誰もいないという事態はなかったのだが。
私のこの力は、六神通でいうところの、天眼通や死生智が概念的には近いと考えている。厳密に言うと、一切衆生の過去世(前世)を知る力ではないので、近いと言っていいかは微妙な所だが、神通力で言うと、一番近い概念がそれなのだから仕方がない。六神通が六つの神通力の名称なので、そこから例えるのは、筋がきっと通っているはずだ。
そしてかつて私は、この六神通全ての力に等しい神通力を使うことが出来た、時期もあった。でも、それは過去の話だ。過去、私はある事件に巻き込まれた。そして、心を閉ざし、同時に持っていた神通力の殆どをなくして。
夕城竜兵に、救われたのだ。
だから私は、ここにいる。
田舎の祖父母の元を離れ、道行く人の背後に恨めしそうに後ろを付いて回る亡霊の姿を見続ける事になったとしても、朝昼夕探偵団を続けたいと願う竜兵さんの傍にいる。
ただの人間である、あの人の傍にいる。
いや、私が一緒に居たいと願ったのだ。
最も、竜兵さんは私が神通力を持っているだなんて、想像すら出来ないようですけど。
それ故少し、竜兵さんから壁を感じる時がある。この力を使って犯人を私が視る度、彼が私と距離を取っていると感じてはいた。その理由が、竜兵さんと違って、私には中々想像することが出来ない。でも、私はこの神通力を手放せないのだ。
だって、かつてあれほど忌み嫌っていたこの力がなければ、私は竜兵さんと一緒に居られない。朝昼夕探偵団のメンバー、犯人が誰なのか(Who done it)を推理する担当、朝比奈葵で居られなくなってしまうからだ。
だから私は、この力を使い続けなければならない。もし彼がこの力を知ったとして、私の事を気持ち悪がり、傍から離れる選択をする可能性があったとしても。
それでも私は、彼の傍に居続けるためにこの力を使い続けている。いずれ彼が、私の傍から離れていってしまう危険性があると、知っていたとしても。
でも、それでは余りにもリスクが高すぎる。私一人で私の秘密を抱えたまま、竜兵さんの傍に居続けるのは難しい。だから、共犯者が必要だった。
つまり――
「そうか。ならボクは、今回、――――について演算し(知り)、検索する(知る)としよう」
私の共犯者(昼顔椿)はそう言うと、目を閉じた。瞬間、私は全身に静電気が走ったような嫌な感覚を得る。椿さんが、力を使ったのだ。これで私は一時的に、椿さんが目を閉じている間、因果が視えなくなった。それが、経験則上わかる。
椿さんが目を閉じていたのは、せいぜい数十秒と言った所だった。次に目を開いた時、椿さんはあの人がどうやって濵口貴英を殺したのか、知っているのだ。これも、経験則上わかる。
そして、その通りとなった。
「演算、検索、正常終了(オールグリーン)。――――が行った、濵口貴英の殺害方法の証明は終了した」
「……そう、ですか」
私は、椿さんの言っている事が、何一つとして理解することが出来ない。でも、椿さんの言っている事が、朝昼夕探偵団のメンバーとして、どうやって犯行を行ったのか(How done it)を明らかに出来るのであれば、私が特に言う事はなかった。
つまり、そう言う事なのだ。
私も椿さんも、まともな方法で推理なんてしていない。
朝昼夕探偵団の中で、唯一まともに推理しているのは、竜兵さんただ一人だけなのだ。
これが、如何に凄い事なのか、想像できるだろうか? 既に埒外の存在である私には、想像する事なんて出来ない。そしてそれは椿さんも同じだ。だから私たちは、手を組める。
埒外の存在同士、互いの力の詳細はわからなくても、竜兵さんの傍に居続けたいという思いが一緒ならば、私たちは神でも、魔王でも、天使でも、悪魔でも、どんな魑魅魍魎とだって、手を組める。
と、そこに丁度、扉を叩く音が聞こえて来た。
『……俺だけど』
「あははっ! 竜兵かい? 大丈夫だよ。もう終わったからさっ!」
椿さんは既に、竜兵さんと一緒に居る時の表情に戻っている。
改めて書斎に入って来た竜兵さんの顔は、やはりどこか影があった。その理由を、残念ながら私は窺い知ることは出来ない。でも、それでも私は、こう思ってしまう。
……憂いのある竜兵さんの顔も、素敵。
きっとこれから、私と、そして椿さんの推理結果を聞いて、彼はこの事件の結末に、犯人の心情に、何故彼が犯行に及んだのか(Why done it)、その全てに迫るのだ。それを間近で見れる事に対する期待で、血圧が上がりそうになる。いけない、最近、洋菓子の食べ過ぎかしら?
「……もう、葵も椿も必要ないかもしれないだろうけど、一応俺が聞いてきた話も共有しておくよ」
「おいおい竜兵、そんなに自分を卑下するなよ」
「そうです。是非、竜兵さんのお話を聞かせてください」
竜兵さんの眉に、皺が刻まれる。今のやり取りで、また彼の中で悩みが深くなったのだろう。でも、私はそれでいいと思う。何故なら彼は、悩んだ後、必ず答えを出せる人だからだ。
彼が悩んだ末に出す答えを、私は彼の傍で見届けたい。
「まず、ポニーケミカルカンパニーの状態だけど、被害者の濵口貴英とは、あまりいい関係じゃなかったらしい」
「おや? 製品開発に協力してもらっていたのに、かい?」
「だからだよ」
「……どういうことです? 竜兵さん」
「協力しすぎていたのさ。元々濵口貴英は、ポニーケミカルカンパニーの得意先だったが、奴の口車に乗って、『エアージェネレーター』なんていうものも開発してしまった。だが、会社単体で、こいつを売る事は出来なかった」
「なら、ポニーケミカルカンパニーは早々に濵口貴英と手を切ればよかったじゃないか」
「そこが貴英の上手い手でね。貴英はこの地域ではそこそこ顔が広いらしく、貴英が声をかければ、何とか『エアージェネレーター』も売れたんだとさ。教授歴が長いから、自分の教え子も多いんだと」
「コネって事ですか? 竜兵さん」
「そう言う事だ。そしてその後継機である『ネオエアージェネレーター』も、貴英は作らせた。こいつは、自分の実績づくりだな。大学の教授と言っても、学会や論文発表のノルマは大学によって課せられている所もある。貴英からすれば、自分の顎で使えて、ノルマも自動で達成できて、おまけに製品開発に協力して金も入ってくる様な会社は、手放せなかったんだろう」
「でも、流石にやり過ぎると会社の方としても、黙っていないんじゃないかい? 竜兵」
椿さんの疑問に、竜兵さんは溜息を付きながら答えた。
「教え子が多いって言っただろ? そいつらは、ポニーケミカルカンパニーにも入り込んでたんだよ。だから貴英は、ポニーケミカルカンパニーから営業でやって来る人たちにパワハラセクハラやりたい放題だったのさ。営業に来る社員も、貴英が選り好みしてたみたいで、それが原因で会社を辞めていった人もいたらしい。警察も、裏どりはしていたよ。ま、沙代子と古岡のやり取りを見てて、なんとなく察しは付いていたけどな」
そう言われて、私は椿さんと目を合わせる。椿さんも、私と同じ考えの様だ。だから私は、竜兵さんへ問いかけた。
「察したって、何をですか?」
「いや、濵口夫妻の夫婦仲は冷え切っていて、その原因は間違いなく、愛人の古岡志野だろ」
私と椿さんは、驚愕の表情を浮かべる。
「おや? それはおかしいよ、竜兵。濵口沙代子は夫想いの良妻だって情報があったじゃないか」
それを聞いて、竜兵さんは右手でこめかみを押していた。
「あー、椿には、こう言えばわかりやすいかな? 俺たちが聞いた情報。濱口夫妻の情報は、外から観測した評価だったろ?」
「なるほど! 評価者(インプット)が違えば、結果(アウトプット)が変わるのは自明だね!」
この二人が何故会話が通じているのか、私には理解できない。でも、仲間外れにされているという感覚だけは持っていた。
「……竜兵さん。それで、古岡さんが、その、濵口貴英さんの愛人だと思った根拠は、どこに?」
「沙代子への、露骨な挑発かな。ああいう人の心情は、理解しやすい。自分の得たものを誇示したいのさ。聞いたらすぐに認めてくれたしな」
「み、認めた? 自分が、濵口貴英の愛人だと?」
「ああ。最近金払いが良くないってぼやいてたよ。どうせポニーケミカルカンパニーからもらってた金を古岡に回してたんだろうけど、貴英がやり過ぎて会社からの金が減り、古岡の懐に入って来る分も減ったんだろ。それでも、古岡は貴英から離れなかったみたいだけど」
余程いい思いをしてたのか? と竜兵さんは自分の頭を掻いた。私はそれを見て、思わずこうつぶやいてしまう。
「……これだけの調査を、この短時間でお一人で?」
「調査と言っても、殆ど警察の証言をなぞっただけだよ。俺は聞いた情報から、直接容疑者と会って、話をして、彼らをただ、理解しただけだ」
何てことないと告げられるその台詞に、私の全身が恍惚と法悦と愉悦で一瞬振動する。ああ、きっとこの人は、普通の人でありながら埒外の私たちを軽々超越していく存在になるのだろう。
そんな彼が、悩まし気な表情を浮かべて、私たちに手を差し出した。私と、椿さんを求めていた。
「さぁ、聞かせてくれよ! お前たち天才の、犯人が誰なのか(Who done it)を推理する担当、朝比奈葵の答えと、どうやって犯行を行ったのか(How done it)推理する担当、昼顔椿の答えをなっ!」
その時の感情を、私は言葉に表すことが出来ない。ただ、そう、ただこの人に求められたいと、ただそれだけ願った人に求められる。たったそれだけで、これほどまでの幸福が得られるものなのだろうかと、そう自問自答せずにはいられない。
私は、彼が言うような天才でもない。ましてや彼の様な、普通の人間でもない。それどころか、彼から遠くかけ離れた、埒外の存在だ。
それでも。
それでも、彼が私に手を伸ばしてくれるのならば。
私はきっと、永遠にあなたに答え続けるだろう。例えその永遠があなたの拒絶で終わりを迎える事になろうとも、その終わりですらあなたと共にありたいと願うから。
だから、私は竜兵さんの右手を握る。
そして、答えた。
「それは――」
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