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 僕が要約して話すと、課長はふうん、と理解したんだかしていないんだか不明瞭な返事をした。


「どうすれば理不尽クレーマーは他人の立場や状況を想像出来るようになるんでしょう」

 大げさにため息をつく中村さんをちらりと見、課長は天井を見て言った。

「そりゃあ、あれだ。マスクにも生産者の写真をつければいい」

「野菜みたいに?」高橋さんが揶揄するが、課長は真剣な顔で首肯する。

「出勤したくないのに出勤してマスクを製造するメーカーと、運転したくないのに運転してマスクを届けているドライバーと、接客したくないのに接客してているドラッグストアの店員の顔、全部写真で添える」

「今度は『なんだこれは、当てつけか!? 仕事なんだから当然だろうが!』ってクレームつける人が出そう」

 中村さんの言葉を受け、山本さんはやれやれと眉を下げて笑う。

「大変な思いをして売られているマスクだっていうのは事実でしょうに。……なんだか、毎日のご飯づくりと似てる」


 渡辺くんが小さく首を傾げた。一人暮らしの彼は、食事といえば外食やコンビニ弁当で済ませているらしいからピンとこないのだろう。彼に言い聞かせるように山本さんは話す。


「そうめんでいいよ、カレーでいいよ、って簡単に言うけど、作るのは思った以上に大変なの。けれど、どれだけ手間がかかっているかは作ってみないと分からないし、どう大変か話をしても相手が料理をしない人なら伝わらない」


 マスクに限った話じゃないですよねえ。高橋さんは両手を突き上げ、伸びをしながら漏らした。「野菜でもマスクでもごはんでも、手元に届けられるまで相当な手間がかかっているはずなのにねえ。100円の商品には100円分の手間しかかかってないと錯覚しちゃう」

「コストを明記すりゃいいんじゃねえの」課長はガサガサと音を立て、袋から買ったものを取り出し、ハイトーンボイスで演技する。「本来、製造と物流と販売にかかる諸費用でこれだけかかるところを、なんとコチラ!」

「テレビ通販じゃないですか」

「あれはいい手口だよな。いったん定価を提示して、そこから割引をするっていうのは」


 手口というと、まるで良心的ではないやり方のように思えるから不思議だ。

 購入品を出し終えた課長は、だしぬけに、あ、と素っ頓狂な声を上げた。


「あの店員またやりやがった。モノが違う」

「モノ?」

 問い返すと、課長は小箱をこちらに掲げた。加熱式タバコ用のヒートスティックだった。

「私も同じのですよ」中村さんが引き出しから同じパッケージを取り出す。

「俺はメンソール派なんだよ。ちゃんと伝えたのに」

「出したあとに見せてくれるじゃないですか。これで大丈夫ですかーって。ちゃんと見てなかったんでしょ」

「あの店員を信頼した」ていの良い言い訳を口にし、課長はうなだれる。「前も同じことがあったんだよな、同じ店員に。そのときはすぐ気付いたんだが」

「だったらなおさら、ちゃんと確認しないと。吸わない人には全部同じに見えますよお」

 高橋さんの忠告に、非喫煙者の山本さんと渡辺くん、そして僕はうんうん、と同意を示した。

「一回間違ったからこそ、次はないだろうと思って委ねた。裏目に出たな」

「もしかして、課長とお話したいからわざと間違えたんじゃ」

「中村、変なこと言うなよ。バイトの男子学生がオッサンと何を話したいんだ」

「3日に一度はマスク売り場を見に来るから、今度の入荷日を教えてあげよう、的な?」


 ゲームの攻略のようだ。一定期間同じ動作をすると親密度が上がり、アイテムを入手する情報がもらえる。

 課長も同じことを思っていたらしく、「なんだそれ、ゲームかよ」と呆れ顔で言った。


「これはクレームもんだ。帰りに寄ろう」

「大目に見ましょうよ。毎日忙しくて疲れてるだろうに、そのうえクレームなんて」

 昨日の件を受けてすっかり店員に肩入れしている山本さんが宥めるも、課長は首を振る。

「ミスはミスだ。二度目だしな」

「不要不急のクレームは避けましょう」

 幼子を諭すかのごとく優しい口調で説得する山本さんに、そうだそうだ、と中村さんも声を飛ばす。

「課長がクレーム入れたせいで、バイト店員くんが『もう接客なんてこりごりだ!』って辞めたらどうするんです。ただでさえ人手が少ないのにもっと大変になりますよ。人手が少なくなって、レジに立つ人が減って、混んでいるのにレジの応援が減ったら、また想像力欠如ジジイが怒り出しますよ」

「それは俺の責任じゃねえだろ」

「風が吹けば桶屋が儲かる、みたいですね」渡辺くんがどこか楽しげに言った。「クレーム入れたらジジイが怒る」

「2回目だけど許す、次はねえぞって穏やかに笑って言えばいいのか。そっちの方がよっぽど怖えだろうが」

 拗ねた口調の課長の姿を見、その場の全員がなんとなく宙を仰いで考えはじめた。バイト店員くんのやる気を削がずにミスを指摘する方法。

「Twitterで見たんですけど、ドラッグストアの店員さん、今ギリギリのところで踏ん張ってくれてるんですよ。ここで下手にクレームを入れると決壊しちゃいそうですよね。こんな客が来た、ってツイートをよく見ます」

「俺のクレームが全世界に発信される可能性があるのかよ。勘弁してくれ」

「『このクソ忙しい時に煙草の銘柄が違うと中年オッサンからクレームあり。間違えたのは申し訳ないがクレーム入れるほどだろうか。これだから喫煙者はクソ。大体お前しつこくマスク売り場見にくるんじゃねえ。不要不急の外出は控えろって日本語分かんねえのか、禁煙しろクソザコゴミカス』とか?」

「高橋、個人的な意見入ってねえかそれ」

「まさかあ」

「どう見ても俺が悪者になってるだろう」

 苦虫を噛み潰した顔の課長。とうに立ち上がったデスクトップパソコンに触れる気配はまったくない。

 すると、山本さんが名案を思いついたとばかりに手を打った。

「北風と太陽作戦はどう?」

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