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 フロアワイパーをかけ終え、点在する観葉植物に水やりをしていた山本さんが、ふと口を開いた。


「そういえば昨日、私もドラッグストア行ったの。そしたらさ、店員さんにクレームつけてるおじさんがいて。可哀想だったなあ、店員さん」


 開店時の混雑防止に、ドラッグストアは開店と同時にマスクの販売を取りやめた。入荷時間に関するお問い合わせには応じかねます、という貼り紙が大きく店頭に貼られているにも関わらず、その中年男性は店員に入荷時間をしつこく聞き、教えられないと言われるなり激昂し怒鳴りつけたという。


「もう、レジでそれやっちゃうもんだから後がつっかえて」

「いますよね、周り見ないでギャーギャー喚くクソジジイ」


 中村さんが心底嫌そうに言う。前職が販売員だった彼女にとっては他人事とは思えないのだろう。


「ほんと迷惑だった。かといって口を出すと、今度は矛先がこっちに向きそうじゃない? でも知らんぷりすると店員さんが可哀想で。なんだか、自分の勇気が試されている気がして」


 山本さんは水やりの手を止め、はあ、とため息をついた。理不尽に怒鳴られた店員の心情を慮ってだろう。

 感染のリスクを負ってまで出勤しているのに罵倒されてしまう辛さは計り知れない。マスクはあるか、消毒液はどうか、いつ入荷するのか。類似する数多の問い合わせに日々対応しなければならない。そのストレスはいかほどのものかは想像に難くない。


「Twitterで見たんですけど、そういうときは別の窓口にクレームをつけると良いらしいです」


 渡辺くんがおずおずと口を挟んだ。

 彼はよく、Twitterでバズった投稿で得たライフハックや裏技、対処法を話してくれる。その際、「Twitterで見たんですけど」と必ず一言添える。知ったかぶりをして自分の知識だとしないところに、彼の実直さが垣間見える。


 少し前、それこそ会社がこの業務体制になる直前だ。小林課長が「おい佐藤、もしあれが全部嘘だったらどうする」と真剣な顔で僕に聞いてきたことがある。


「嘘、ってなんですか」

「渡辺が紹介するツイートってやつが、全部あいつの作り話だったら面白いと思わねえか」

「面白いというよりも恐ろしさが勝りますよ」


 課長は、時に突飛な思い付きや発言をする。そしてそれを真剣にこちらに言ってくる。どれほどエキセントリックな発想でも真顔で言ってくるのだから、聞かされる身としてはたまらない。

 渡辺くんの引用するツイートは何万人もの人がリツイートしていて、僕もTwitterをやっていて見たことがあります……そんなことを言ってみたが、課長には暖簾に腕押しだった。


「9割は事実で、1割は出まかせかもしれない」

「なぜそこまでして渡辺くんが嘘をついていると思いたいんですか」

「その方が面白いだろうが。入社2年目で誠実に職務をこなす努力家の渡辺が実は嘘つきだった、なんて、いい刺激だ」

「刺激?」

「同じことの繰り返しで毎日はあっという間に過ぎる。俺くらいの年齢になると、1日はとにかく早い」


 課長は僕の隣席に座った。勝手に椅子の高さを変え、くるくる回り出す。とても40をとうに過ぎた者のやることには見えない。


「そんな1日に何かの刺激が与えられると、ちょっと時間の進みが遅く感じて記憶に残る。4月13日、ビッグニュース。なんと渡辺の発言の1割はまったくの出まかせだった」

「それで渡辺くんを虚言癖に仕立て上げるのはいかがなものかと。確かに、バズったツイートも全て実話とは限りませんが。……刺激が欲しいなら変に人を巻き込まずに、何か刺激になるようなことを始めてみては」

 彼の手に握られている決裁願に視線を向けたまま僕は言った。

「もう始めてる」

「なんですか」

 いいから早くその決裁願に判を押してくれ。強く念じる僕など気にもかけず課長はにやりと笑った。

「マスク購入チャレンジだ」


 課長の運試しは、そのころからか。記憶の糸を手繰り終え、目の前で続いている会話の応酬に耳を傾ける。

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