第25話





 教室に着いた。しかし、ドアに手をかけようとして、手が止まる。小刻みに震える手。中学一年の時に、理不尽に虐められた過去が、フラッシュバックする。


 額の痛みより、心臓が重く痛くなる。呼吸が浅くなる。軽いパニック症候群と、軽い過呼吸になる。私は教室の前の廊下でへたり込む。息を止めて、目を閉じ、深く瞑想めいそうをする。


 私は自分の身体を確認する。心臓がばくばくと脈打つ。それから、極度の緊張状態で、手足の指先が凄く冷たい。全身には嫌な汗を大量にいている。


 冷たい廊下に、ひざと手をついている。私は自分の身体をめぐる血液の流れを感じる。そこまでして、恐る恐る息を吐く。それから、ゆっくりと時間をかけて、息を吸う。その三倍の時間をかけて、息を深く長く細く、身体の外に逃がす。


 私は目を開ける。私のパニックはおさまった。胸の痛みも引いた。もう大丈夫だ。



「大丈夫、林檎から、腕時計を返して、もらうだけだ。そのミッションをクリアしたら、ご褒美に、今夜は唐揚げを食べよう。鶏肉を大量に使ってしまうが、今日だけは良しに、しよう」


「は? 邪魔だ。誰かと思えば、ポチじゃないか? 大人しくしてないと、二年でも虐めるぞ?」



 私が振り向く前に、教室のドアが開く。私は蹴り飛ばされて、教室にダイブする。精神的な攻撃によって、私は受け身を取り忘れた。


 しかし。外傷的には、全く痛くない。ここで反抗しようものなら、仲間を引き連れて、精神的に社会的に抹殺される。だから、抵抗はしない。暴力を受けても、余り痛くない。心が苦しいだけだ。



「ポチ、林檎と仲良いんだって? 大したご身分だな。いつから、林檎と仲良しなんだ?」



 名前はなんだったかな。一年の頃、生徒会役員だったメンバーに、私はフルボッコにされたのだ。理不尽な理由だった。


 生徒会役員は、一年と二年の中からそれぞれ、副会長補佐と、書記と会計を選抜される。副会長補佐とは、名ばかりの雑用係らしい。


 えーと、名前は覚えてないのだが。顔は嫌でも思い出す。言われた数々の暴言やねちっこい仕打ちは、忘れたくても、忘れられない。ていよく、私は、彼らのストレス発散のための、サンドバッグにされたのだ。



 身体能力は、私の方が遥かに上だったが、暴力でじ伏せるのは、私の道理にそむく。たった一年間。それを耐えればいい。私は我慢した。我慢したから、今の平穏があると信じたい。警察沙汰になったら、私が不利だ。


 生徒会役員になるには、家柄も重要なのだ。裕福な家庭。両親がいる家庭。両親が権力者である。





 私は私のせいで、祖父が不幸になるのは、許せない。それだけは、絶対に許せない。何があっても、ゆるせないのだ。


 学校から帰れば、大好きな祖父が待つ、温かい家がある。それさえあれば、私は幸せなのだ。

 それは、そう。今も昔も、そしてこれからも。家に大好きな祖父がいることが、私のすべてだ。

 祖父と暮らす楽しい時間が、何よりも大切で、かけがえない幸せなのだ。




 祖父と林檎、どっちが大事かなんて決まっている。


 林檎には、私がいなくても、いいのだ。




「――――止めて」



 私は顔を上げる。教室の床に這いつくばって、一方的に蹴られ続ける私は、林檎の介入かいにゅうに酷く戸惑う。




 ――――林檎を守る!!!






 ……………………そう、自分と約束したんだ!!!




 しかし。私は身体が動かなかった。トラウマが、私の身体中に重々しい鎖を巻きつけている。



「林檎、お前さ、ポチが好きなんだ?」


「そうだよ。僕が一方的に、神木くんを好きになったんだ。邪魔しないで」


「知ってるか? ポチさ貧乏で、両親いないんだぜ?」


「だから、なに? 神木くんは神木くん。神木くんの家族や神木くんの環境を侮辱しないで」


「林檎さ、俺が彼氏になってやるよ? な! それがいいだろ? 大好きな神木くんが、また『ポチ』になったら、悲しいだろ?」



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