第9話



 そうだ! 林檎は私の小さなアフロヘアーを見て大喜びしていたぞ!

 病気の時は気が滅入めいる。私は林檎の笑顔が見たいんだあああ!!!


 よし! いたし方ない!


 林檎を元気にするために私はアフロヘアーに戻ってやろう! ついでになんか、面白いことはないか?


 ん? こそっと行って演劇部の衣装を拝借はいしゃくしよう。林檎を笑わせるのだ!



 私は職員室から演劇部に忍び足でやってきて、足音を立てずに来た道を戻る。そしてまた下駄箱に行く。自分の傘をさして最寄り駅まで小走りをする。



 恋は盲目もうもく。そんな言葉がある。しかし私は、恋した自分に盲目だった。




 林檎の家は学校から電車で三駅。片道二百円かかる。手土産に花屋で真っ赤な薔薇ばらを一本買う。私は予想以上にご機嫌だった。鼻歌を歌っていた。自分では気付いていない。


 まだ制服のままだ。林檎の家がある駅で下車する。演劇部から失敬しっけいした衣装はコンビニのトイレで着替える。その時に小さなアフロヘアーに変身した。


 林檎の家の住所とスマホの地図アプリを見比べる。借りたサングラスをかけたせいで若干じゃっかん視力が低下した。雨の湿気のせいでサングラスが曇る。サングラスを何度も下げながら見る。


 脱いだ制服とかばんはコンビニで買った大きなビニール袋に入れている。しっかりとかさもさしている。勿論、自前じまえの傘だ。毎朝スマホで天気予報を確認している。



「林檎なだけに『林檎』が好きかもしれん。しかし一個三百円する。めっちゃ高いぞ。薔薇一本が百円だったからな。んんー、電車賃が往復で四百円だな。今日の夕飯の予算は大人二人分で五百円だ。


 そうだ! 今日は鶏肉のセールだった!!! 五百円で大特価だいとっかの鶏肉を買う予定だったのだ! 林檎のことは早急に終わらせなくては! スーパーのタイムセールのタイムリミットが迫っている!」



 私は大きな声で喋る。もちろん話し相手はいない。私は紺色こんいろの傘をさしたまま林檎の家へと早足で進む。


 暫く走ること二十分。お目当ての建物が見えてきた。



 しかしそれは、かなり大きなお屋敷やしきだった。立派な鉄製のかこいと門。


 今どき珍しい洋風なレトロなアイボリー色のレンガの家。白い屋根白い窓や扉。童話に登場するような洒落しゃれた造りをしている。


 広い敷地内に色鮮やかな花が咲いている。小さなブランコがあったり、ちょっとした池があり小さな橋がある。



 表札ひょうさつには『花村』と書いてある。林檎はお金持ちのお嬢様だったらしい。



「何かご用ですか?」



 門の横の小さなドアから現れたご婦人ふじんが丁寧に対応をしてくれる。



「あ、あー、林檎さんのクラスメイトの神木です」


「さようでございますか。林檎様は不在でございます」



 お互いに傘をさしているから、相手の顔が見にくい。この人は林檎の何だろうか? 家政婦さん?


 いや林檎の家族だろうか?


 私は……林檎のことを何も知らない。



 今更その事実を目の当たりにして、その迫り上がってきた不快感に眉をひそめた。



「病院ですか。そんなに体調が悪いんですか。林檎さん、明日は学校に来れますか?」



 林檎は家にいないと言われた。雨のせいか暑さのせいか、凄く息苦しい。


 私は自分の身なりを思い出す。演劇部で借りたどピンクのスーツ。白いネクタイと革靴。紫色のサングラス。



 こんな変な格好で林檎の身内に会うなんてツイてない。第一印象が最悪じゃないか。


 いたたまれない。早くこの場から去りたい。でも失礼のないようにしないとならない。



「恐らく明日は普段通りに行かれると思いますよ。ご安心下さいませ」



 ご婦人は小さなアフロ頭の私を見ても、親切に接してくれる。それが返って私を惨めにした。


 まるで林檎の友人として『論外』と言われているように感じた。なにも私に関心を持たない冷たい目と声だった。



「ああ! 良かった!!! あ、良かったです。これ、あの、林檎さんに良かったら渡して下さい。今日は帰ります。ありがとうございます」


「かしこまりました」



 私は私に似た雨に濡れて萎んでしまった赤い薔薇をご婦人に渡す。ラッピングされた時はぴんっと立っていた黄色いリボンが、今はくたりとしている。


 受け取り拒否はされなかった。この薔薇は林檎の手元には届かないだろう。届く前に捨てられるんだろうなあと思った。


 それも仕方ないのだ。それでもご婦人から目の前で罵声ばせいをかけられないだけマシだろう。

 私はご婦人に深くおじぎをしてお礼を伝える。



 私の言動は変質者と勘違いされても仕方ないのだ。

 変な服装をした私が鉄製の門にへばりついて中を覗いていたのだ。警察に通報されずに済んで良かった。



 自分が情けなくて目頭が熱くなる。林檎の大きなお屋敷の庭園には薔薇もたくさん咲いていた。


 もし私が渡した薔薇を林檎が受け取ったとしても、林檎の目にはまらない。



 いや、いやいやいやいや!


 私は林檎の『友人』だ! めそめそすることはない!



 私は林檎の友人の中にいるのか?



「だあああ! 女々めめしいぞ!」



 私は自分をふるい立たせた。気分転換にスポーツは最適さいてきだ! 駅までアスリートのように走る! タイミングよく電車がやってくる! 幸先さいさきいいぞ!



「タイムセールの鶏肉を買って今夜は贅沢な『鶏肉団子の鍋』にする! 白菜も白ねぎも春菊しゅんぎくも畑にある。プランターに茗荷みょうがもあるし! あとは蒟蒻こんにゃくと豆腐を買えば、オッケーだ! あ、鶏肉団子に入れる生姜しょうがを買わねば! あれが美味いんだ!


 え? なんで茗荷みょうがだけプランターか? 茗荷は生命力が強いから、一緒に植えると他の野菜が育たんのだ。

 私も祖父も茗荷が大好きだ! いつか庭一面を茗荷だらけにして吐くほどに茗荷を食べ尽くしたい! と夢に描いている!


 あ! そこのあなた! 茗荷は優れた薬膳やくぜんだ。浮腫むくみ改善、葉酸も採れるから妊婦にんぷさんにもオススメだ! 是非食べてみてくれよな!」



 今から全速力でスーパーに直行ちょっこうする!

 うおおお! ご馳走ちそうを浮かべるとテンションが上がってきた!



 私は電車の中でひとりで喋り倒す。他の乗客からいぶかしげに睨まれる。しかし私は気にしない! 大声を出すことでストレス発散になるからだ。



 私は左首の腕時計を見る。アンティークチックな品のある腕時計だ。これは父の形見かたみだ。壊れたり取られたくないので、普段は付けていなかった。



 何故だろうか。水仕事と風呂以外は今週の月曜日からずっと身に付けている。また中学校でいじめられるかもしれない。それなのに、月曜日から学校にも腕時計をして行っている。



 気が緩んでいるのか? 大事な腕時計だ。明日からまた引き出しにしまっておくか?


 そうこう考えたり独り言を零していた。やっと学校の最寄り駅に到着する。先程まで土砂降りだったがすっかり晴れていた。


 私は傘をたたむ。コンビニで服を着替えなくてはならぬ。人々から不審ふしんな目で見られている。

 学校の最寄り駅でもあり私の家がある駅でもある。私は腕時計を見てぎょっとする! 時間がなあああい!!!



「うおおお! タイムセールまであと五分だとおおお!?」



 大大大・大ピンチだ!!! これは奥手を使わねばならぬ! 道無き道を行く! 最短ルートで行くぞおお!


 普通に走れば十五分かかる道のり。それでは間に合わない! 今日のミッションはやや難しいぞ!


 お前なら出来る!!!



 私は人様の家の庭を忍者のようにこそこそと歩く。人様の家の屋根や高いへいを、音を立てずに走り抜ける!

 人様の家の木や電信柱を忍者のようにぴょんぴょん跳び移りながら進む! 最難関の川を飛び越える!


 路地から三歩進めば目的地の激安スーパーが現れる! 任務は無事に遂行した。



 やっったあああ! 今夜はご馳走だあああ!!!



 私は器用に立ち振る舞い人波を抜ける。無事に特大大特価の鶏肉を大量にゲットした。

 ご家族様一パック限り! 鶏肉二キロがなんとっっ税込みワンコイン!!!



 私は猛烈もうれつに感激してスーパーの片隅で号泣した。今月はこの鶏肉でしのげる! これでじーちゃんの老人会の費用を確保出来た!!!


 良かった。本当に良かった。


 じーちゃんが元気なうちに楽しいことをたくさんしてほしい。じーちゃんが私を育ててくれたんだ。

 じーちゃんには感謝してもしきれない。私が真っ当な人間になれたのは、じーちゃんからの愛情と教育の賜物たまものだ。



 祖父は今、元気だ。

 でもいつかは死んでしまう。


 私は祖父の葬儀代そうぎだい納骨堂のうこつどうの費用をこつこつと貯めている。



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