第7話



 他の生徒が山ほどいる教室で林檎が話しかけてきたので、私は人目がない男子トイレの近くにやってきた。


 あと五分ほどでニ限目の授業が始まる。林檎さんに『学校で私に構わないでくれ』と伝えなければならない。

 林檎は傍若無人ぼうじゃくぶじんだからな、私の話を聞くだろうか?



「神木くん、まだ血が止まらないんだ? 僕が止めてあげようか?」


「断る! それ絶対に痛いやつだ!」



 男子トイレの入り口。私と林檎は壁に背を預けて口を開く。

 林檎の群青ぐんじょうの双眼はまるで銀河のようだ。み込まれたらもう抜け出せない。


 私は林檎から目線を外す。林檎は無防備むぼうびだ。肩と肩がぶつかりそうな距離に林檎はいる。


 ただたんに異性として認識をされていないだけだ。それに私は少しばかりがっかりしていた。私は自分の感情が不思議だった。



「ねえ、連絡先交換しよ? お祖父様は大丈夫だった?」


「あん? ああ。じーちゃんは夜に帰ってきた。めちゃめちゃ心配したが何もなかった」



 いや待て。気のせいだ。祖父以外とはしばらくコミュニケーションをとっていない。これは人と関わることができ喜んでいるのだ。人肌恋しいというやつだ。


 あー良かった。恋じゃない。安心した。



「良かったね。神木くんはお祖父様しか家族がいないんだ?」


「おう! 尊敬してるじーちゃんだ! 林檎は家族は?」


「あれえ?♡ あは♡ 神木くん、僕に興味があるんだあ?♡」



 林檎は私をもてあそぶ。林檎は自分の手の人差し指を立てる。左右の指で自分の柔らかなほおをつんつんとする。ついでに首をかしげる。


 ああああ!!! なんだ、その仕草!?

 可愛いいいじゃあああないかあああ!



「その♡マーク止めろおおお!!! めちゃめちゃ恐いだろ!」



 林檎は身体をしならせて下から私をのぞき込む。私がわずかに手を伸ばせば林檎の柔らかな頬に触ることができそうだ。

 そんな近距離から林檎が上目遣うわめづかいで見詰めてくる。


 余りの可愛さに鼻血が吹き出しそうだ。でも鼻にティッシュを詰めてるから大丈夫だ!


 しかし、そんな安易な考えはくだけ散る!


 鼻血塗 まみれのティッシュがぶっ飛ぶ。鼻血が勢いよく出たせいで汚れたティッシュが林檎の眼に刺さりそうになる!


 ヤバイ! 死亡フラグの回避が不可能だ!



 私は脳内で死刑を受けていた。頭の中で私は電気椅子にかけられ死んでいた。



 しかし、現実の私が見たものは予想とは違っていた。鼻血ティッシュが林檎に当たる前にスローモーションのように見えたのだ。


 林檎が第一ボタンが無くなったブラウスの胸元から扇子せんすを取り出す。扇子で鼻血ティッシュをはたき落としていた。


 私は自分の目を疑う。忍者のような俊敏しゅんびんさをそなえた凄まじいスマッシュだった。



「学校なのに、普通に話してくれるんだ?」


「いや、今は……人目が、ない、し。無視……すっと、また、林檎、に、フルボッコに、されるぅだろぉ?」



 ええええ!!? 何事もなかったことになってるううう!!?


 私は鼻血がぼたぼたと垂れている。林檎は『鼻血ティッシュ事件』をスルーした。何も見てない風で私との会話を続ける。


 私もミジンコ並のプライドを守るためになんとか林檎に合わせる。声が裏返って変なぎ言葉になっている。



「いやだなあ?♡ 人聞きの悪い♡ ちょっと脱臼だっきゅうさせただけだよ?♡」



 林檎はクスクスと笑う。夏服のワンピースタイプのスカートのポケットからティッシュを取り出す。

 あろうことか私の鼻血を綺麗に拭いてくれた。私の鼻血は驚きのせいか無事に止まった。


 その代わり、私の胸は痛くなった。


 私は林檎が見れなくなった。顔が熱い。



 私は林檎が好きなのか?


 私は林檎からゆっくりと離れる。うつむいたまま一歩二歩だけ教室へと足を運ぶ。



「もうニ限目が始まるだろ。教室では私に極力近寄るな。誤解されたくない。私の生存がかかっているからな! わかったな?」


「だ・か・ら♡ 可愛い林檎ちゃんがヘタレの神木くんを守ってあげるよお♡」



 私は林檎に背中を向けたまま強気な発言をする。私の気持ちを林檎に知られたくない。


 どうせ、気持ち悪いとか馬鹿にされるのがせきの山だ。林檎には絶対に言わない。


 これからもし私が直ぐに死ぬとしても、林檎に告白は絶対にしない。



 釣り合わない。わかってる。私自身が一番わかっている。だから、何も望まない。



 この感情にふたをしろ。


 林檎と友人でいたいならこの気持ちは邪魔になる。だから、気付かないふりをしろ。



「林檎がいじめられて悲しむのは困る。い、いち、一応、一応なあ、林檎は私の友人だろう? 林檎を助ける自信もない。私は臆病おくびょうだ。私は喧嘩しない主義なんだ」


「あは♡ 神木くん、人殺しする人ってどう思う?」



 林檎が真横に並び無邪気むじゃきに笑う。林檎から距離を取りたくて私はまた二歩進む。

 しかし林檎が私の腕に自分の腕をからめてきた。


 心臓が口から飛び出すところだった。



 泣きそうな顔を林檎がガン見してきた。私は頭の中がぐちゃぐちゃだった。



「な、なんの、つもりだ! 私を侮辱ぶじょくしているのか!?」


「神木くん? 何に怒ってるんだ?」



 林檎の群青の双眼が私の心を侵食しんしょくする。


 頭に上った血が一気に下がる。私がひとりで、自分の感情に振り回されただけだ。

 別に、林檎は悪くない。そうだろう?


 私は失いかけた理性を呼び戻す。



「はあ? 人殺し? とか言うからだろ!」


「そっか。変なこと聞いてごめんね」



 林檎はつまらなそうにつぶやく。私は悲しくなった。林檎が楽しそうじゃなかったから。

 林檎は残念そうに溜息をつく。そのまま私を置いて教室へと歩き出した。



「すまん。大きな声出して」


「教室に戻ろう?」



 林檎の声に、ああ……と返した。私は『恋』に振り回された。


 私はこの『恋』という問題を解決しなくてはならない。



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