第5話



「林檎、君はマジシャンだったのか。なかなかびっくりしたぞ。心臓が一度粉々にくだけたぞ? 悪ふざけが過ぎる。以後十分に気をつけるように」


「あは♡ 学校でもそれくらい堂々とすればいいよ♡ 仕方ないから僕が神木くんのこと、守ってあげるよ♡」



 真夏の晴れ渡る空と猟奇的りょうきてきな林檎のせいで、私は全身汗まみれだ。地べたにも寝転がったので夏の制服の白いシャツも砂まみれだ。早くシャワーを浴びたい。


 どうせ汚れているから、まあいいかと思い私は地面にあぐらをかく。先程まで我が家には木造りの門があったが林檎に壊されてしまった。そのお陰で外から生温い風が吹く。


 林檎の緑色のワンピースのすそが揺れる。赤い髪のツインテールも風になびく。



「何を言う? 私は男児だんじだ。強くなくてはならぬ。しかし君は女子おなごだろ。女子はいつか命を産む。大切にするべきだ」


「昭和の考え? 男尊女卑だんそんじょひなんだ?」



 林檎は敷地内にある大きな石の上に腰を下ろす。足をぴったりとくっつけているから、残念ながらスカートの中は見えない。



「違う。家事が出来る男児は魅力的で、仕事の出来る女子は凛々りりしい。ただ人間では『命を産む』のは女子おなごなのだ。それに対して国も男児も最大限の配慮はするべきだ。試験管ベビーもあるだろうが、まだまだ女子にはその大役たいやくを任せっきりになる」



 花村林檎。髪は肩につくくらいの短さで、器用に頭の上でツインテールにしている。鮮やかな赤い髪にはエメラルドブルーの大きなリボンがあり、やたら目立つ。

 小顔に不似合いな大きな群青ぐんじょうの双眼。小ぶりな胸元。夏服からのぞ華奢きゃしゃな身体。


 いつぶりだろうか。私が誰に興味を持つのは。



 去年の今頃は地獄の真っ最中さいちゅうだった。中学一年生の時はクラスメイト達にずっとリンチをされて私はボロボロだった。


 負けないように歯を食いしばりながら毎日登校した。今でも寝ると悪夢に襲われる。ふとした時にフラッシュバックを起こし私をむしばむ。

 私は立派な対人恐怖症たいじんきょうふしょうになった。



 林檎も私を玩具おもちゃにするのか?


 私は疑心暗鬼ぎしんあんきに駆られながら、内面の動揺どうようさとられないように早口で喋る。



「じゃあ? 赤ちゃんを産めない女性は?」


女子おなご自身の権限けんげんがある。自由があるのだ。背景に色々あるだろうし選べる立場であっても、『結婚しても子なしで生きる』や『結婚はしない』など価値観が違っていいのだ。


 それは男児だんじも自由だろう。しかし男児は最低限、責任と義務を果たさなくてはならない。もちろん、それだけでは家庭は崩壊する可能性が高いがな」



 私はじっと林檎を睨む。私は林檎のことを全く知らない。どうやって林檎を信用するか。

 林檎の雰囲気は不思議で真意をはかるのは難しい。何か理由があって私に近付いたに違いない。


 林檎の瞳から不穏ふおんな色は消えていた。

 私の知らないところで、林檎を傷付けていたのかもしれない。林檎はその恨みを晴らすために暴君をふるうっていたのかと思ったが、そうじゃないのか?



「『背景に色々』って?」


「例えばだぞ? 少女時代に暴行されてトラウマになり男性恐怖症になった。他にも女子校ばかりに通い男性との接点がなく育つと女性を好きになる。とかな」



 久しぶりだ。祖父以外とこんなに長く会話をしたのは。変な高揚感こうようかんが湧いてくる。

 緊張のどきどきなのか心配のドキドキなのかわからない。ただ私の鼓動こどうは激しく伸縮しんしゅくする。


 林檎の顔を見るのがどうしても恐くなった。じわじわと恐怖にわれる。

 押し寄せてくる不安を振り払うように私は空を眺めた。今日は晴天せいてんだった。



 祖父そふがよく言ってくれた。私の瞳の色は青空だと。

 何処どこまでも何処までも続く大きな世界。それは『そらの世界』。


 『空海そみ、お前は偉大な名を貰った。空と海だ。お前の瞳は青々とした空と海なんだ。お前の可能性は無限大だ。お前が自分を信じれば何でも叶う』



 こう言うとまるで祖父が故人こじんのようだが、めちゃめちゃ元気に生きてるから!


 ありゃ? そーいえば、じーちゃん今日は家にいないのか? いつもならそこの畑で仕事をしている時間だ。


 私は立ち上がり、周りに祖父がいないか視線を巡らせる。



「『選べる立場』ってなに?」


「まずは選べない立場。子供が欲しいけど授からない。男運が最悪で結婚が出来ない。それをまえて『選べる立場』とは。


 結婚したいとプロポーズをされてもその女性にとっては、『今は仕事が一番』だったら結婚しないだろう。また結婚しても『夫婦で一生仲良く恋人のようにいたい』と考えて、子供を作らないと選択することもある」


「『男性が責任と義務を果たしても家庭が崩壊する』って、具体的に教えて?」


定義ていぎとして『家庭』とはなにか? 個人差がある。しかしそこに必ずあるものがある。それは『じょう』だ。愛することだけではない。愛の形も様々だしな。私も『愛』は詳しくわからない。すまない。


 話を戻すぞ。『夫は大金をくれる。生活の保証はされる。証明書類の記入や手続きをする。子供の行事に参加する』それで、最低限の責任と義務は果たしているかもしれない。林檎、この家庭は幸せだろうか?」



 時間と言えばもうちょいしたら、私は夕刊ゆうかんの配達に行かにゃならん。

 じーちゃんどこ行った? スマホ見たけど連絡ないじゃん。


 じーちゃん心配だな。たまにギックリ腰やるからな。探しに行くか?


 私は林檎に声だけで答える。林檎を見ずにキョロキョロと庭を探したり、玄関から「じーちゃん!!」と叫んでいる。



「どうかな。価値観はそれぞれだし。まあ、僕は小さな頃は話を聞いてほしかったな」


「その通りだ。『コミュニケーション』がないだろ? 夫は外で浮気して妻はワンオペ育児だ。熟年離婚まっしぐらだ。『話し合い』そして、『協力』することだ。夫婦仲が良いと絶対に子供に優しく暖かく出来るだろう。家庭も幸せらしい。


 『子供第一』という概念がいねんも良いが、仮面夫婦になるかもしれん。夫婦がお互いに『思いやり、尊敬、感謝、愛情』を持っておかないとならないな」


「ねえ、神木かみきくん。何の話をしたいわけ?」


「うぬぬぬ。私も途中から何の話をしていたのか、わからなくなった」


「あは♡ 神木くんって独り言が多いよね」


「は? これは独り言だったのか?」


「神木くん、僕の名前、覚えたかな?」


「林檎だろ?」



 いつまでも林檎と喋っている時間はない。林檎が立ち去るようにうながそうと思い、一度だけ林檎を見た。


 そうしたら何故か、林檎は凄く嬉しそうな表情をせた。私は呆気あっけにとられる。


 そうか。林檎は容姿だけなら、めちゃめちゃ可愛いんだな。すとん……と私の心の中に何かが落ちてきた。



「神木くん、忙しいみたいだからまた明日ね♡ バイバイ♡」



 嵐のような林檎が去って行く。残ったのは林檎に壊された我が家の門。私は溜息を吐いた。

 忙しい私に仕事が増えた。夕刊をマッハで終えて、じーちゃんを捜索そうさくしなくては。それから門を造り畑仕事して家事をして。


 夕食後にじーちゃんと将棋しょうぎをする。


 それから門の残りを完成させる。勉強や家事をして寝る。夜中に起きて朝刊ちょうかんの配達。朝食の支度。畑仕事をして着替えて学校に行く。



 毎日慌ただしく忙しい。生まれて死ぬまで一生勉強だ。学校に通わなくなっても学ぶことは山程ある。



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