第4話


「約束して? 学校から一歩出たらちゃんと僕と会話するって。わかった?」


「わかりました」



 八雲私立中学校からの帰り道、私は花村林檎という可憐な容姿の皮を被ったわがままな殺人鬼に襲われた。


 家の玄関まであと一歩というところで、私の左肩の腕は殺人鬼によってぎちっと折られる。私は負傷した腕を庇いながら、小さな石が散らばるごつごつとした地面にひれ伏す。


 七月の陽気は凄く暑くて私の汗が滴る。理不尽な目に遭いメンタルも殺られ、涙と鼻水も地面にぽたぽたと影を落とす。


 こんなに可愛い美少女に虐められてラッキー! とか思えるような残念な性質は生憎持ち合わせていない。


 心がえぐられる。去年の今頃学校で散々な虐めに遭っていた。それがフラッシュバックする。私は自分の身体と心が恐怖で震えていることに気が付く。



「それから神木くん、ぼっちでしょ。僕が神木くんのお友達になってあげるよ。嬉しいよね?」


「身に余る光栄でございます」



 呼吸が荒くなる。メンタルに重くのしかかるフラストレーションのせいで私は軽い過呼吸になった。


 ……苦しい。苦しい。苦しい。



 過呼吸は呼吸をしたくても、呼吸が出来なくなる。苦しみからのがれるためにさらに呼吸をしようとしても、この苦しみからはけして逃げられない。


 苦しさに耐えてこそ、苦しさから解放されるのだ。苦しくても我慢して息を止める。五分くらい呼吸を止めることで、過呼吸の発作は次第に収まる。



「変な敬語やめて? 安心して? 神木くんのことを奴隷どれい下僕しもべにするつもりはないから♡」


「……私を利用するのか?」



 やっと過呼吸が落ち着く。私は絞り出すように台詞をつむぐ。私の青白い顔を眺めながら林檎はぞっとするような美しい笑みを浮かべた。



「そうね♡ 否定はしないよ♡ でも諦めてね?♡ ……僕からもう逃げられないから♡」


「具体的に何をするんだ? 人殺しか?」



 私はへびにらまれたかえるだ。一方的な暴力に一矢報いっしむくいる覚悟で噛みつきたくなるが、ここは私の家の敷地内だ。


 私がここで蛇である林檎に反撃をして、万が一に祖父が待つ家の中で戦う羽目になったら最悪だ。私の理不尽に大切な家族である祖父を巻き込みたくない。


 辛抱するしかない。私は林檎を下から睨む。それが唯一できる私の意志表示だ。



「神木くんは人殺しができるの? 僕相手に挑戦的な態度を取るなんて神木くんは案外、度胸どきょうがあるんだね」


「死神相手にご機嫌を取ったところで、どうせ……最後は殺されるんだ。それなら生きているうちは自分を保ちたいだろ? ミジンコだって生きているんだ。私は生きているんだ。自分を大事にしたい。当たり前だろ?」


「あは♡ 神木くんって……オモシロイね?♡」



 ぞくぅぅっっと激しい悪寒おかんに襲われる。


 林檎の群青ぐんじょうの双眼に雄々おおしい殺意が見え隠れした。全身の毛が逆立つ。私の自慢のサラサラの黒髪が刹那に剛毛ごうもうな天然パーマに戻る。


 いきなり小さなアフロヘアーになった私を見て、怪物の林檎がぶはっっ……と盛大に笑う。



「ちょ……! 神木くん、本当に面白ぃっっ」



 林檎がフルボッコにした我が家の門の上に、林檎が座り込む。私にスカートの中身が見えないように上手に腰かけている。


 べ、別に、その美味しそうな太腿ふともも凝視ぎょうししてないからなああ! 勘違いすんなよおお! もうちょい、右に行けば見えるかああ!?



「仕方ないなあ〜。神木くんが予想以上に面白いから、ご褒美ほうびをあげるよ」


「遠慮する」



 なんだってえええ!? その隠しているものを見せてくれるのかあああ!!?

 いや、いやいやいやいや、そんなわけない!


 見た後にヤーさんが登場して、私をフルボッコにするんだろ!!?

 身ぐるみをがされてコンクリートめにされて、海にしずめる気だろ!!?


 なんて恐ろしいいい女だ! ぎゃああああ!



「特別に腕を治してあげるよ」



 私はひとりで頭がお花畑にいっていた。ひとりで百面相ひゃくめんそうしていたに違いない。


 しかし林檎さんは何を考えているのか、私のことを稀少価値きしょうかちのある生き物と勘違いをしたらしい。


 なんだがとっても優しい眼差しを向けてきた。


 あれか? 持ち上げといて落とす。奈落ならくの底まで真っ逆さま的なやつですか。


 私、もうすぐ死ぬのか?


 そうだ忘れてた! 林檎という宇宙人は天使のような外見とは裏腹に、悪魔も真っ青で逃げ出すような凶器的きょうきてきな性格の持ち主だった!


 事実、私はさっき腕をへし折られたからな。



「は? いや、いやいやいや! ヒビ入ってるし拳法の達人じゃなきゃ、治せんだろ!」


「実は折ってないよ? 脱臼だっきゅうさせただけだからすぐに戻るよ」



 私は怯えながら首を激しく左右に振りまくって、目を回していた。


 その隙に林檎が私の脱臼骨折した左肩腕を掴み上げる! ぐぎっっと鈍い音と同時に私は声にならない悲鳴を上げた!

 目ン玉が飛び出るかと思ったああ!



「ばっっかもん!!! 痛いだろうが!」


「えー? まだ痛い?」



 私はゆっくりと左肩の腕を動かしてみた。全然痛くない。調子に乗ってぶんぶん左肩を回したが違和感なく普通に動く。


 凄っっっっ!


 はあ!? 林檎は錬金術師れんきんじゅつしだったのか!? 錬成陣れんせいじんは無かったよな!?


 いや待て。そんな訳ない。


 元々、私の左肩の腕は無事だったのだ! 林檎の巧妙こうみょうなトリックにだまされただけだ。うん。そうに違いない。



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