第2話



 そう。事の次第は先週の月曜日からだった。

 私は回想かいそうを始めた。



*****     *****



 空は曇っていたが七月なので暑い。私は月曜日の朝、普段通りに中学校に登校した。早くもなく遅くもない。そんな普段の時間に校門から校舎に向かって歩いていた。


 刺さるような視線を感じた。いつも私は『空気』になっていた。誰かに見られることは随分となかった。だからきっと気のせいだろう、そう思い無視をした。


 月曜日、その違和感は一日中続いた。一日中見られているということは、クラスメイトが犯人だろうか。いや私は気にしない。『関わらない』ことで私は今、『平穏』を手に入れている。



 次の日火曜日、そして翌日の水曜日、その視線はほぼ四六時中あった。男女別々の時はなかった。つまり私をガン見しているのは女子生徒と特定できる。


 アクションがあったのは水曜日の午後。私立中学校なので教室内は冷房があり涼しい。しかし換気も必要なので窓は少しだけ開いている。そこから時折、生温い風が入ってくる。


 私はいつも教室でひとりでパンをかじっていた。私立中学校なので給食がないのだ。一階に購買部こうばいぶがある。昼ごはんはいつもそこで買う。



「神木くんって、いつもひとりね。友達いないの?」



 私は通路側の一番後の席だ。私の背後から声が聞こえた。私は『空気』に徹して無言で焼きそばパンを頬張る。一緒に買ってあった紙パックの珈琲牛乳も飲み干す。


 私の名前は神木空海かみきそみ八雲やくも私立中学校に通う中学二年生だ。今は七月なので夏服の制服を着ている。

 品のある白いワイシャツ。ちなみに女子は白いブラウス。


 男子は鮮やかな緑色のパンツ。女子はワンピースタイプのスカート。男女ともに鮮やかな緑色の生地をメインにしているが、裾部分すそぶぶんに黒と白のラインが入っている。


 白いシャツの左肩腕部分には、洒落しゃれた赤い紋章もんしょう刺繍ししゅうされている。

 男女ともに胸元に白を基調きちょうとしたリボンがある。男子のリボンは控えめで、女子のリボンは可愛さが際立きわだつようにある。



「神木くん、僕の名前は知ってる?」



 私が食事を終えるのを律儀りちぎに待っていたらしい。声の主は『僕』と言ったが振り返って見上げると、そこにいたのは美少女だった。女子のくせに一人称が『僕』とは変だ。


 私は見なかったことにして、自分の机の中から小説を取り出し読み始める。『人間失格』という有名な書籍だ。人は簡単に狂っていく。だから私は自分が『狂わない』ためのいましめとしてこの本を読んでいる。



「僕のこと知らないんだ。神木くんって変わってるね」 



 それは違う。意識して『知らない』ようにしている。万が一、クラスメイトを好きになってしまったら私は『透明人間』ではいられなくなる。学校では誰とも関わらない。

 それが私のモットーだ。私に必要なのは刺激ではなく『安定』だ。



「じゃあ僕のことを、教えてあげるね?」



 いやいやいやいや。遠慮します。全力でお断りします! んぐうう! 会話をしてはいかん。ひたすらスルーをする。無視をし続けるに限る。刺激はいらんっっ



「僕の名前は花村林檎はなむらりんご。友達はたくさんいるよ。神木くんと同じ中学二年生だ。一緒のクラスだよ」



 私は断じて興味を持たない。意識を『人間失格』に集中させる。私はこんな人生嫌だ。自分の人生のかじはしっかり自分で持つ。


 特別じゃなくていい。地味でいい。ただ肝心かんじんなことは、私が楽しいと感じることだ。それなりに毎日充実している。生活に小さなメリハリがある。



 私は中学生だ。新聞配達のアルバイトをしている。私の家族構成が知りたいか?


 祖父と二人暮らしだ。祖父の年金で生計を立てている。早く大人になって働いてお金を稼ぎたい。祖父に細やかな楽しみを満喫してほしい。それには多少のお金が必要だ。


 私はまだ中学生で、世間から見たら子供だ。


 何故高い予算がかかる『私立』に行っているかというと、それが祖父の希望だからだ。八雲私立中学校から徒歩十分の場所に家がある。


 祖父と私は家の敷地しきちにある小さな畑で野菜を育てている。今どき珍しいがにわとりを五羽飼っている。卵はそこから有り難く頂く。


 自転車で三十分走るとちょっとした山がある。そのふもとに綺麗な川がある。そこで時々川魚を捕る。


 お米はご近所さんが作っているので、そちらから安く買わせてもらう。たまにスーパーでセール品の鶏肉を買う。調味料を買う。野菜の種を買う。

 それでなんとか生活をしている。贅沢ぜいたくはできない。しかし、祖父は働き者で私に優しい。だから私は幸せだ。



「神木くん? 聞いてますか?」



 昼休みの終わりのチャイムが鳴る。林檎と名乗る女子は先生が教壇きょうだんに立つまで、私の横に立ち、ずっと話かけてきた。私はそれをかたくなに無視した。



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