・早乙女 梟SIDE
迂闊だった。迂闊だった。迂闊だった。
本当に、迂闊だったと思う。たっくんは、やると言ったらやる人だ。私の太陽は、東から登って西に沈むのが当然とばかりに、当たり前にそれを成そうとする。たった一回の拒絶で、たっくんが、私を連れ出してくれたたっくんが、私を諦めてくれるはずなかったのだ。
そう思うものの、私はこうなる事を事前に受け入れていたようにも思える。Poliucos_132-134が江戸川に沈められた時、多少痛みを伴うものの、そこから抜け出す方法は既に考えてあるし、この状況はある意味贖罪の様なものだと思っていた。
たっくんと高校で再会できたのは、本当に嬉しかったし、幸運だったと思う。でも今の私は、たっくんに対して負い目と引け目を感じていた。今の私がいるのは、たっくんのおかげだ。たっくんのおかげで笑って暮らせているのに、私はたっくんからもらった私を犠牲にして自分たちの家を、幸せの森を守ろうとしている。彼からもらったものを代償に、他の物を得ようとしているのだ。私は彼と違って、何かを諦める事でしか、他の物を得られない。
本当は、そんな事したくない。そもそも、何故自分の生活を、両目を犠牲にしなければならないのだろうか? もっと言ってしまえば、私は誰かと争うのを好むような性格ではない。だからSWOWであっても戦いたくなんてないし、逃げ出せるものなら逃げ出したかった。失明のリスクを抱えて、アナブナヴィリオ製薬株式会社の言いなって、特別区管理者として戦う。そんな境遇、望む人の方が少ないだろう。
だからあの晩、私がPoliucos_132-134のプレイヤーだとたっくんと令恵ちゃんに告げた時、爆発させた想いこそが、私の本心だ。
助けて欲しい。
言うつもりはなかったのに、言ってしまった。普通の女子高生として暮らしていける令恵ちゃんが羨ましくて、何でもできるたっくんが妬ましくて。そんな二人に嫉妬する自分は、何か罰を受けるべきだと、そう思っていた。
だからたっくんから声がかけられたら、それには迷わず従おうと決めていたのだ。もちろん、こういう状況でなかったとしても、私がたっくんのお願いを断るわけがないのだけれど。
でも、ここまでとは思わなかった。こんなやり方で罠を用意しているなんて、考えもつかなかった。太陽は、当たり前の様に東から登り、西へ沈む。だから、当たり前の様に、たっくんは正々堂々、真正面から私に挑んでくるのだと思っていた。
いや、信じ込んでいたと言ってもいい。
何でもできるたっくんが、私なんかに絡め手を使うわけがない。太陽に手が届かない私如きに、そんな手間暇をかけるなんて、あり得ないと。
でも、違った。
彼は、何でも出来るわけじゃなかった。万能ではなかった。完璧ではなかった。全て一人で出来るわけではなかった。たっくんが過剰強化体質者だなんて、知りもしなかった。
いや、知ろうとしなかったんだ。
それと同じように、私も自分の事を知ってもらおうとしなかった。完璧なたっくんは悩みなんて持ってないと思い込んで、自分の事を伝えようとしなかった。
でも、彼も悩みを抱えていたのだ。問題の性質や大きさの違いはあるけど、たっくんも私と同じだったのだ。なら、互いの事情を最初から話し合えていれば、一緒に悩んだら、また違った結果になっていたのかな?
しかしそれは、詮無き事だ。既に賽は投げられ、私たちはもう、互いの想いをかけて戦うしかない。
私は桜さんに連絡し、JR総武本線で江戸川区に入った後、江戸川橋梁でSWOWにログインせざるを得ない状況である事を電話で伝えた。
《……そうですか》
《すみません、桜さん。私が不注意だったばっかりに……》
《いいえ、いいのです。私たちは、やはり間違っていました》
桜さんの何かを決意するような言葉に、私は首を傾げる。
《……桜さん?》
《試験薬は、お持ちなのですよね?》
《はい。もう服用しました》
《……わかりました。では早乙女さんも、ご自身が納得できるように振る舞ってください》
そこで、桜さんとの通信は途切れる。桜さんの言わんとしている事を、全て理解することは出来ない。でも、自分はまだやるべき事がある。幸せの森を、私の、私たちの家を、守るという使命があるのだ。
私の想いに正面から向かって来る、たっくんと令恵ちゃんに戦慄しながらも、私は私の意志を貫き通すために、これから一時間、私は電車の中から戦い続けるのだ。
私の乗っている電車が、JR市川駅を出発する。市川駅には総武本線の他に総武快速線も通っているが、江戸川区に入るのは、乗り換えをしてもあまり時間が変わらないからと、乗り換えをせずに総武本線の列車に乗っていた方がいいと判断した。
電車は進み、さくら堤公園付近に差し掛かる。江戸川スーパー堤防の上につくられた公園は、植樹された河津桜が並び、春の季節は絶好のお花見スポットとなる。しかし、既にその季節は通り過ぎ、もし時期だったとしても、今の私にそれを楽しむ余裕はない。
やがて列車は江戸川橋梁に差し掛かり、そして私はその中央で、SWOWにログインした。
瞬間、私の世界は私のいる現実に、もう一つの現実が重ねられる。私の存在は仮想世界に生み出されたもう一人の私、プレイヤーキャラクター、Poliucos_132-134としてSWOW上に生み直された。現実世界の私の体では決して感じる事のない重圧に、私は何度ログインしても慣れる事はない。
Poliucos_132-134はその重装備をした外見から、『戦車』と呼ばれており、装備品も戦車のパーツとほぼ等しい。当然、その重い装備品はSWOWのプレイヤーが感じるところであり、つまりは私がその重量感に耐えなければならなかった。でも、だからと言ってPoliucos_132-134(私)の身動きが取れなくなるというわけではない。鈍重ではありながらも、私は三十二門の砲門を、既に自分の手足の様に認識している。そして、目に見える全てがスローモーションの様に見えていた。
薬が、効いてきたのだ。
目の奥が、目と脳を繋いでいる神経が痛みと熱を発している様な感覚。眼球は、視神経という神経が脳と繋がっているらしい。その眼球の一番奥の眼底、視神経の出口が視神経乳頭といい、薬の作用でそこに負荷がかかるのだという。感じる痛みを、以前桜さんに説明してもらった内容を思い出して紛らわせようとするが、失敗。少しだけ口元を押さえて、私は自分の呻き声が周りに聞こえないようにした。
その甲斐あってが、薬の効き目は相変わらず順調そのものだ。SWOWを構成する、ゼロとイチの電気信号レベルで全ての存在が見えるのではないかと錯覚する。そして電気信号の流れが見えれば、次にどんなデータが流れてくるのか、つまりは他のプレイヤーの動きが予測可能。圧倒的な破壊力を持つPoliucos_132-134は、目に映る他のプレイヤーが次の瞬間、何処に移動するのかを予測して、決められた方向に攻撃を行うだけで勝てるようになる。これがアナブナヴィリオ製薬株式会社が目指した、攻撃型でありながら速度型と同じ速度域で攻撃が可能な世界だ。最も、その世界観を実現するための、一時間プレイし続けるための代償は私の両目の負荷という事になる。
私は現実では漏らせない苦痛を、SWOWの世界で撒き散らした。仮想世界の江戸川橋梁に出現したPoliucos_132-134(私)が、貴金属と駆動音の唸り声を上げる。
機械の獣の咆哮を、河川敷に立ち並んだプレイヤーたちが身をすくめながら受け止めた。本来ならすぐにでも眼前のプレイヤーを薙ぎ払う所だが、私の『目』は、別の所に向けられている。
それは、特別区管理者の私が守るべき、江戸川区のフラッグがある場所、葛西臨海水族園だった。
《今なら『戦車』はいねぇ!》
《ボスがいない間にフラッグを落とせっ!》
《『戦車』が足止めされている間に、早く攻撃しろっ!》
《俺たちが最初のボス討伐者だ!》
《賞金を手に入れるのは、オレたちのチームだぜっ!》
私の『目』が、フラッグ付近のプレイヤーたちの声を拾う。
私がログインした江戸川橋梁は、ほぼ江戸川区の最北部と言ってもいい。反対にフラッグがある葛西臨海水族園は、江戸川区の最南部に位置する。距離にして、十三キロ以上離れていた。私の三十二門で障害物も薙ぎ払えるとはいえ、自分の守るべきフラッグと射線が重なると撃ちづらい。
だから私は、私の『目』であり、まだ身に着けていない装備品を使う事にした。
《私を守って、『アイギス』》
言った瞬間、江戸川区上空から葛西臨海水族園に向かって光が差す。それは私のフラッグに纏わりついたプレイヤーを易々と貫通、過剰殺戮した。プレイヤーを貫いたレーザーの威力はそれだけにとどまらず、地面に着弾したエネルギーを、爆破という形で周りに撒き散らす。爆風と灼熱の炎が、他のプレイヤーを巻き込み、食い散らかしていく。
鈍色の雲を切り裂いて姿を現したのは、翼の様な巨大な楯だ。
《装備品に選べる武器に、楯を選んじゃいけないなんてルールはないものね》
私の最後の装備品、『アイギス』がその身を震わせ、空を駆ける。如何に私の目を薬で強化しても、見える範囲は人間の域を越えられない。ならば私の視界を広げ、『目』としての役目を十全に果たせるようにと、自律防御システム『アイギス』が私の武器として選ばれたのだ。私の支配する江戸川区に、私の目の届かないところはない。いつもは通常展開をしている砲門だけで事足りるが、私がフラッグの傍にいない以上、『アイギス』を使わざるを得なかった。
フラッグの周りにいたプレイヤーたちは、阿鼻叫喚の中、罵声と怒号と悲鳴を上げて、上空の『アイギス』へ攻撃を開始した。しかし、もともとフラッグを破壊するのに装備品を特化させていたのだろう。威力の高い攻撃は射程が足りず、射程が届いても『アイギス』は悠々とその攻撃を回避する。
反対に『アイギス』は、空の上という地の利を活かし、一方的な攻撃を地上のプレイヤーたちに叩き込んだ。高出力のレーザーでプレイヤーたちは薙ぎ払われ、残ったプレイヤーは出力を抑えた精密射撃で駆除していく。
SWOW上の葛西臨海水族園は、ほぼ焼野原となっていた。プレイヤーの姿はなく、動いているのは煙と業火の揺らめきだけだ。この後もフラッグ近くにログインするプレイヤー対策として、『アイギス』を自律モードでその場に残し、私は視界を前に向ける。江戸川橋梁に陣取った、プレイヤーの姿があった。
どこにいるかは、わからない。私は彼女のプレイヤーキャラクターの姿を知らないのだ。
それでも必ず、あの中にいる。
姿が見えないにも関わらず、私は確信をもってプレイヤーたちに砲門を向けた。
私の事を同じように睨んでいるであろう、どこかにいるはずの、令恵ちゃんに向けて。
そしてその後ろにいるであろうたっくんに向かって、私は引き金を引いた。
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