・碧希 拓海SIDE
「悪いな、土曜日なのに」
「ううん。たっくんからの、お誘いだもん。無理しない範囲で、都合は合わせるよ」
そう言って、梟は気弱な笑みを浮かべた。
今日は、四月の第三週の土曜日。
俺たちは今、千葉県のJR本八幡駅、その中にあるカフェにいる。俺は頼んだコーヒーを啜りながら、梟に問いかけた。
「どうだ? REDの調子は」
「うんっ、絶好調だよ! ありがとうね、たっくんっ!」
昨日、俺は学校で梟のREDのチューニングをしていたのだ。古いバージョンでは、アプリやOSのサポートが行き届かない事も多い。だから梟へ、久々に話しかけるきっかけとしたのだ。
俺が手を加えたREDは、正常に動いているらしい。
「でも、私、嬉しいよ」
「何が?」
「こうやって、普通にたっくんと話せるのが」
そう言って、梟は本当に嬉しそうに笑う。思わず歯軋りしそうになるのを、俺はギリギリの所で堪えた。
「別に、普通に話せばいいだろ? 幼馴染なんだし」
「うん。そうだね! そうできるうちに、すべきだよねっ!」
手にしたコーヒーカップが、音を立てる。梟の一言一言が、俺の心を無造作に貫いた。
「……じゃあ、気分転換にお前を誘ったのは、良かったかもな」
「うん! お散歩するの、私、好きなんだぁ。たっくんは、神社とか良くいくの?」
「いや、あまり行かないかな」
行ったとしても、梟が失明するような運命を導く神の元へは、絶対行かないだろう。
「そうなんだ! じゃあ、葛飾八幡宮には初めて行ったの?」
「ああ、そうなるな」
「えへへっ。嬉しいなぁ」
何が嬉しいのかわからない。だが、梟が今笑ってくれるのであれば、今のうちに笑っていてもらいたい。休日、梟が移動しやすいように、京成本線の京成八幡駅近くの神社を選んでよかったと思う。今日俺は、幸せの森に梟を迎えに行き、この時間まで神社に参拝していたのだ。
だから、それに喜んでもらえるのであれば、素直に俺は嬉しく思う。これから俺がする事を思えば、なお一層そういう思いが強くなった。しかし、そんな俺の思惑を知らない梟は、ちょっとだけ照れたように、笑う。
「今日連れて行ってくれた葛飾八幡宮って、諸説あるみたいだけど、八幡宮の一つで、総本山は大分県の宇佐神宮なんだって」
「へぇ、そうなのか」
言ってから、自分から誘ったのに反応が淡白すぎるかと思った。そもそも、俺が誘ったのに、俺が誘った場所に詳しくなさすぎる。しかし、梟は気にした様子はない。
「祀られている八幡さまは、弓矢八幡っていう武運の神なんだけど、今日行った神社は、厄除、開運、安産、育児の守護もしてくれるんだよ?」
何か言うとぼろが出そうなので、俺は黙ってコーヒーを口に含む。一方俺の幼馴染は、何故だかほんのり、頬を朱に染めていた。
「目が見えなくても、人間って、赤ちゃん、産めるんだよ? たっくん」
「……まぁ、そうだろうな」
もっと言えば、人間以外でもそうだろう。生殖機能に異常がない限り、オスとメスがいれば、繁殖行為は出来るはずだ。それは一般常識であり、梟もわかっているはずだが、何故こいつはこんなに俺の前で照れているのだろう?
よくわからないが、俺は成すべき事を成そうと思う。出来ない俺は、出来る奴が出来るようになるために、バトンを渡していくべきなのだ。
「そう言えば、お前、時間は大丈夫なのか?」
「え?」
梟が、以外そうな顔をする。
「てっきり、今日は私をデートに誘って、ログイン時間に間に合わないようにする作戦に出たのかと思ったよ」
「……そんな風に思われてたのかよ」
やはりと言うべきか、俺たちがどういう作戦で『戦車』と戦うつもりなのか、梟の耳にまで届いていたようだ。
内心を悟られない様、俺はそう言うしかなかったが、何故だか梟は、デートの言質取ったっ! と両の拳を突き上げていた。
「おい。意味が分からないのと、恥ずかしいからやめろ」
「ご、ごめんね、たっくん。私、舞い上がっちゃって」
舞い上がる要素が一ミリたりとも感じれないが、梟が不振がっていないようなので、良しとする。
「そう言えばお前、ちゃんと記録(ログ)取ってるのか?」
「うんっ! たっくんに言われた通り、全部取ってるよ」
「……それは、その、仕事中も、か?」
「……うん。仕事中も、自分のREDに取ってるよ。たっくんの言う事なら、私、全部する。もう、出来る範囲でしか、出来ないけど」
今日初めて、梟の顔に影が差す。あまり、梟からすれば話題に上げたくない内容だったのかもしれない。だが、俺たちの計画を完遂するにあたり、これは非常に重要な要素であり、確認しないわけにはいかなかったのだ。
「ごめんね、たっくん。私、少し余裕を見て、後一時間ぐらいしかいられないんだ」
俺もREDで時間を確認する。陣地取り領域はそのルール上、特別区管理者は、前回ログインしてから二十四時間以内に、一時間はログインし続けている必要がある。つまり、梟は一時間後に江戸川区にいなければ、このルールを破ってしまう事になるのだ。この制約が守れない場合、他のプレイヤーが特別区管理者のフラッグを奪う事が可能となってしまう。
つまり、『戦車』が負けるのだ。
それは梟も、そしてその裏にいる、アナブナヴィリオ製薬も許容できないだろう。俺が自分から梟に説明しなくても、そこはちゃんと気にしてくれていたようだ。非常に助かる。
俺は俯きながら、梟に話しかけた。
「逆に言うと、後一時間は一緒に居れるのか?」
「……うん。そうだね。一時間あれば、出来るよね? 色々」
何故、そこで生唾を飲み込む。
コーヒーで口を湿らせ、そしてもう一口コーヒーを飲んだ後、俺はこう切り出した。
「俺、過剰強化体質者なんだ」
「……え?」
「流石に、過剰強化体質者の事は、知ってるよな」
その反応を見て、俺は頼慈の推測が正しかった事を知る。
自分一人で、誰にも頼らず生きていける。生きていくつもりだった。親が居ない、孤児として独り立ちするために、PCゲームの腕を磨いて、それが認められて、幸せの森にも、梟にも俺の活躍と凋落が伝わっていると、そう驕っていた。梟が転校して来てから、こいつは俺がどれだけ落ちぶれてしまったのか知ってくれていると、甘えていた。
ちゃんと、話さなかったのが原因なのかもしれない。甘えていたのが原因だったのかもしれない。俺が自分の胸中を打ち明けず、変に距離を取ったから、幸せの森の状況を、梟自身の事を、俺に言えなくなっていたのだろう。
だから。
だから今、その勘違いを、幼馴染との間に出来た溝を、埋めようと思う。
「俺はさ、梟。幸せの森を出て、一人で生きていけるって、勘違いしてたんだ。お前と一緒にあの家に居た時、俺は気付くべきだったんだ。型落ちのPCしかないってことは、世の中の流行から、REDがこれから流行って来るって、そういう世の中の事情に疎いんだって、井の中の蛙なんだって、気付くべきだったんだ。でも、俺は気付かなかった。そして気付かないまま、もう萎んで行くだけの、食って行けなくなる道で、生きていこうとしていたんだよ」
「……嘘。え? 嘘でしょ?」
サンタクロースの存在を信じていた少女が、実はその正体が自分の父親だったと告げられた様な顔で、梟は俺の方を見つめている。残念ながら、サンタクロースも、そして俺たちには父親も存在していない。
「最初の方は、まだどうにかなってたんだ。過剰強化体質者だってわかってても、中学生一年になるぐらいには、まだ仕事があった。流石に日本だけでは厳しくなってたから、海外の研究機関と連動はしてたんだけどな。最も、海外は更に進んでいて、俺の協力したプロジェクトも全て、REDの、もっと言えば、俺がプレイ出来ないREDGのために行われていたんだけどな」
新しい技術を売り込むには、古い技術をこき下ろすのが一番効果がある。それがクライアントに新しい時代が来ると感じさせるのに、一番効果がるからだ。インベーダーゲーム全盛期に、PCゲームを持って行った時の様な衝撃が、一番出資を得られる。金を生む。
そして俺は、そこで敗者の列に加わったのだ。持って生まれた体質は、変えられない。今から鰓呼吸が出来るわけがないのだ。俺にとって過剰強化体質者であるという事がわかったのはそのレベルの話で、つまりは溺れて沈んでいくしかないという事なのだ。
「俺は衰退するPCゲーム以外で稼ぐ方法を探しながら、生きるため、金を稼ぐ方法を、ずっと考えてたよ。情けない話、もう幸せの森に戻る事は出来なかったし。何より、独り立ちすると言って出て行ったあと足掻きまくる、こんな俺の姿、直接お前に見せたくなかったから」
「たっくん……」
言葉を詰まらせる梟に、俺は更に息が詰まるような台詞を突き立てる。
「いいのか? 時間」
「え? だから、後一時間は――」
「覚えてるか? 古いREDは、脆弱性が修正されずに残ってるって俺が話したこと」
梟の顔から、血の気が一瞬にしてなくなる。俺の話した内容を、思い出しているのだろう。その内容を、俺は更に口にする。
「表示時刻ぐらいは、簡単に誤魔化しが効くんだ。特定の連絡を止めるのもな」
「まさかっ! 昨日、REDを見てもらった時に?」
幸せの森を一緒に出るまでは、梟のREDにはわざと正常な時間を表示させていた。だから、幸せの森を出て、神社を参拝している最中、少しだけ、少しずつ、時間差で梟のREDの時間を遅らせていたのだ。
「……急いだほうがいいんじゃないか? 地下鉄だと、もしもの時は通信が不安定でSWOWにログイン出来ないかもしれないぜ?」
俺のREDで時間を確認すると、余裕を持って帰りたいと梟が言っていた時刻が表示されている。梟は正しい時刻を確認し、俺に鬼の様な形相を向ける。
「……最っ低」
その台詞を聞くのが二度目となれば、流石に耐性が付いている。怒髪天を衝くと言った様子の幼馴染を、俺は苦さを含む笑みで見返した。
「お前がログインできなかった場合でも、俺たちの勝ちだ」
『戦車』を直接倒さなくても、フラッグを押さえれば、プレイヤーの勝利となる。頼慈に話してもらったチャットルームでも、頼慈は一言も、『戦車』を討伐するとは、直接ボスを倒すとは言わなかった。
それに気づいた梟は、俺を置き去りにしてタクシー乗り場へと走り出した。本八幡駅は、JR総武本線の他に、都営新宿線も走っている。しかし、『戦車』が根城にしている陣地取り領域、つまり江戸川区に到達するには、決まった時間に動く電車よりも、タクシーに乗って移動した方が早い。また、今からタクシーで移動するのであれば、今までアナブナヴィリオ製薬株式会社が根城にしていた、葛西臨海公園方面でSWOWにログインする事が可能だ。他にも俺たちが参拝のために乗って来た京成八幡駅もあるが、ここからでは徒歩八分程かかる。走っても東京方面の電車にすぐに乗れるかはきわどい所で、確実性の観点から、今回のケースでは梟が京成八幡駅を使うという選択肢は消える。
俺はカフェの代金を払いながら、梟の背中を追いかけた。
「お前以外のプレイヤーが『戦車』にログインする事は、ありえないのか?」
「薬の被験者じゃないのに、ログインしても仕方ないじゃないっ!」
梟の怨嗟の叫びは、俺にとって肯定の材料でしかない。今俺が立てた作戦の懸念材料の残りは、梟以外に新薬が服用されたプレイヤーがいないか? という事だけだったのだ。
これ以降は殆ど、後はSWOWをプレイできる、俺以外のプレイヤーに託す事になる。
そう考えながらも、俺は幼馴染の背中に追いついた。梟が、JR本八幡駅のタクシー乗り場で呆然としている。それはそうだろう。何せ、これだけ車椅子の乗客がタクシー乗り場に並んで、いや、全ての客が車椅子という光景は、異質過ぎるだろうから。
「タクシーに乗る時、駅によっては順番を優先する駅もある。お前がこの駅でタクシーに乗れる頃には、もう二十四時間は過ぎているだろうな」
「……どうして?」
「江戸川区の通信障害の影響を調べていた時、バスを含む時刻表や、タクシー乗り場の状況も調べててね」
梟が期待している応えではないとわかっているが、俺は彼女の目を見てそう言った。今タクシー乗り場に並んでいるのは、もうSWOWを引退した、元ルドウィッグのメンバーだ。車椅子をレンタルショップで借り、頼慈の呼びかけに応じてこの作戦に参加してくれたのだ。
もちろん、本当に車椅子が必要な乗客でない事が、タクシーの運転手にばれてもいい。むしろその方が、『戦車』のプレイヤーが江戸川区に入れない可能性が高まる。
梟としては、REDで江戸川区に最短で入れる経路を探していたのだろう。しかし、もう車での移動は無理だ。本八幡駅から、時間内にバスで江戸川区に入れるような経路はない。そして俺の言葉で、梟は都営新宿線も使えない。何せ、通信障害が起こってSWOWにログイン出来なくなれば、陣地取り領域の、『二十四時間以内に、合計一時間以上ログインし続けている』というルールに反するかもしれないのだ。
故に、梟の選択は一つしかなくなる。
「……全部、たっくんの手のひらの上だった、って事?」
「……いいから行けよ。アナブナヴィリオ製薬の迎えを呼んでも間に合わないだろうが、今ならまだ、JR総武本線経由で江戸川区に入ることが出来る」
JR本八幡駅の東京方面の隣駅は、市川駅となる。時間的に梟は、総武本線が通る、江戸川橋梁を通って江戸川区に入らざるを得ない。
梟は、俺の顔を親の仇の様に睨み、JR本八幡駅の改札を潜っていく。俺も、そして俺の幼馴染も、自分の親の顔を知らない。それでも梟の視線は俺の心を抉り取り、俺がその場で立ち尽くすのに十分なダメージを与えていた。
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