第21話

 バイトのない土曜日の朝10時、ワクワク感でたまらない時間。


 窓から見た空は真っ青な青空。爽やかな微風に六月初めの日差し。セントジェームズのボーダーTにササフラスのデニムを着流して歩くだけでも楽しそう、そんないい天気。


 悩み事もなくなり、リフレッシュした気分だ。外に出るだけでも、楽しいことが約束されている。


 朝食を取り、洗い物をして、洗濯は、干したいけどまあいいか。帰りが遅くなってもいいように溜めておこう。


 高揚感につき動かされながら、身支度を終え、コンバースのスニーカーに足を入れる。紐を緩めて締め直し、よし、といい気分で扉を開いた。


 玄関を出てすぐ、特攻服を着た女の子と雑談に興じている水城さんを見つける。水城さんが、あ、という間の抜けた顔を俺に向けてきたので、踵を返して部屋に戻る。


 上下の鍵を閉め、チェーンロックをかける。


 土曜日だけど、家でゴロゴロしよう。もうちょっとしたら、洗濯機をかけよう。


 ベッドに寝ながら、小説を読んでいると、インターフォンが鳴った。


 玄関扉まで行ってのぞき穴から見ると、水城さんがつったっていた。チェーンロックを開けると、パタパタ、とドアから離れ、特攻服を着た子のもとへむかっていった。そして、なんか絡まれはじめた。


 ……まあいいか。面倒くさそうだし。


 チェーンロックをかけ直して、ベッドに戻る。


 小説を読み始めて5分くらいたってから、また、インターフォンがなる。


 無視しようと思ったが、連続で押されたので、渋々外へ出た。


「何してるの?」


 俺はドア前にいた水城さんに声をかけたが、水城さんは何も言わずに特攻服の子の元へ。そして妙な小芝居が始まった。


「おいおい、姉ちゃん良い体してんなぁ」


「や、やめてください」


「うるせえよ、今すぐ脱げ」


「そ、そんなことできるはずがありません」


「できねえっつうなら、おら!」


 特攻服の子は後ろに回り込み、水城さんの両腕を掴んで上にあげた。


「どうだ、万歳の体勢を取らされて恥ずかしいだろ。道路に向けてやんよ」


 うわっ、普通にやだなぁ。


「こ、この外道!」


「さらに、おらぁっ!!!」


 膝カックンをして、水城さんが両手をあげて空気椅子の体勢に。


「恥ずかしい上に、辛いだろう?」


「きっつぃよぉ」


 涙声の水城さん。普通に可哀想。


「そら、解放されたかったら、早く脱げ! おらぬげ! 動画撮って、18歳以上の設定にした上でupして、BANになってやんからよお!」


「ちょ綾、ま、本気でちょっと、もう、きつい」


「おら! 脱げ!」


「うぅ、ひぐぅ……って、助けに来いや!!」


 泣きかけた水城さんが怒鳴ってきた。


 でも、体勢が非常にお間抜けになっておられるので、全く恐くない。ってか、別に普段でも恐くないか。


 ただ、この二人を放置しておくのは色々と恐いので、仕方なく近づく。


「この馬鹿!」


 解放された水城さんが、ぽかり、と叩いてきた。だけど全く痛くなかったので、何もなかったように尋ねる。


「こんなところで、何してるの?」


 水城さんは、さっきのがキツかったのか、しゃがみこみ、潤んだ目で見上げてきた。


「お前を落としにきたんだよ」


 水城さんが外にいた時、真っ先にその可能性に思い当たった。だが、さっきまでのやりとりを見たせいで、そうではないと確信していたのだけど……やっぱそうか。


 悩みは解決したと思ったんだけど。


「あのさ、水城さん。この前の放課後に言ったよね?」


「だから、なんとか落とせねえか、滅茶苦茶考えてきたんだろうが!」


 困った。でも、結局のところ、俺は落ちない理由がある、と言っただけ。水城さんにとっては、難易度が上がった程度にしかとらえられていなくても仕方がないのかもしれない。


 でも俺は落ちることはないしな。


 期待を持たせるのも悪いから諦めるよう言う? でももう十分に諭してるしなぁ。それに、考えてきてくれたのに無碍にするのもどうかと思うし。


 う〜ん、どうしたらいいんだろう。


「ちょいちょい、お二人。私を置いとかないでくださいよ〜」


 声が聞こえて目を向ける。ミルクティー色、襟足にパーマをかけた髪。挑発的な目に、泣き黒子。清楚系ギャルっぽいメイクをした、胸の大きな女の子が、不満げに唇を尖らせていた。


「おぅ、わりいな、綾」


「しゃーねーっすね、京香さん。紹介してくださいよ、紹介」


 水城さんは、そうだな、と続ける。


「こいつは、綾。ヤンキー時代の舎弟で、私の軍師だ」


 ぐんし〜? さっきの作戦の? たぶん、俺の知ってる軍師とは違うんだろう。


 そんな内心が顔に出ていたのか、綾は、あ〜、と責めるような声を出した。


「信じてないっすねえ? 『たまにきず』の漢字も書けなそうな人にそんな目で見られるなんて屈辱っす」


「いやまあ、書けないけど」


 あれ、『きず』って漢字が難しいんだよな。てかそもそも漢字を知ってる人も少ないだろ。


「何だ、お前。『たまにきず』すら、書けないのかぁ?」


 によによ、と煽ってくる水城さんに尋ねてみる。


「じゃあ、どう書くか言ってみてよ」


「偶然の『偶』平仮名の『に』、そして、すり傷の『傷』って書くんだよ!」


 両方間違えとるがな。たしか、あ、思い出した『玉に瑕』だ。


「さすが、京香さん、ぱねえっす。平仮名の、に、が合ってるっす」


「え……」


 綾は空中を指でなぞる。


「玉に瑕、って書くんすよ」


 水城さんの顔が真っ赤に染まる。それをみて綾はけらけら笑う。


「京香さんのこういうとこ、玉に瑕っすよね」


「うまい、こりゃ一本取られた」


「うるさい、うるさい、うるさい!!」


 そんな水城さんの泣き声を聞きながら思う。


「もしかして、このくだりをするために、突拍子もない『たまにきず』の話をした?」


「ふふん、軍師っしょ。そしてお前の次のセリフは、そんな子がどうしてさっきみたいな作戦を、と言うッ!」


「そんな子がどうしてさっきみたいな作戦を、ハッ!?」


 別にそんなこと聞くつもりではなかったが、ノっておいた。


「京香さんの作戦に付き合ってあげたんすよ」


「あー、なるほどそれで」


「何がなるほどなんだ!」


「ごめんて」


 テキトーに謝ったら、ぽかり、と叩いてきた。痛くなさすぎて、もはや可愛いしかない。


 うう、と唸る水城さんを、綾は、まぁま、と宥めた。


「京香さん、今日は何のためにきたんすか?」


「……落とす作戦を実行するため」


 話の軌道が戻って、悩んでいたことも蘇る。


「っつうわけで、えっと、みなちょむ、でしたっけ? 策にかかってもらえるっすか?」


「みなちょむではないけど。あー、えーと、その」


 言い淀んでいると、綾は笑った。


「ま、難色は示しますよね。じゃあ、こんなんどうです?」


「うん?」


「今日のため、私と京香さん、それぞれ作戦を考えてきたんすよ。それで、どっちの作戦か当てるゲームしましょう」


 ぽんこつの水城さんと綾。どっちが考えた作戦かを当てるゲームか。簡単そうだけど、綾がわかりやすくするわけはないだろうし、楽しそう、と思ってしまう。


「もし俺が当てたら?」


「その度に、京香さんが一枚脱ぎます」


 綾は心底楽しそうにそう言った。

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