第19話


「ねえ、愛ちゃん。私、汗臭くない!?」


 放課後、体育終わりの女子更衣室。私は、制汗剤片手に、下着姿で愛ちゃんに詰め寄っていた。


「多分、臭くないよ」


「多分ってどういうこと!?」


「そんなに気にするなら、自由時間に男子に混ざってバレーしなけりゃ良かったのに」


「うぅ、だってスポーツなんかガチでやんなきゃ楽しくないじゃん。女の子相手に本気でいったら引かれるし……」


 そう言うと、中村が笑った。


「男子に混ざって体育すんのも大概だけどね」


「だ、だよねえ」


「そうそ、私みたいな女子女子してる女は、何あいつ、って思っちゃうから」


「さすが中村。ねちこい」


「うっせ、ばーか。それより、こんな所で悠長に話してていいの?」


 中村にそう言われて、私は、あ、と声を出す。


「やばっ、早く行かないと帰っちゃう!」


 慌てて着替える私に、愛ちゃんはため息をついた。


「はぁ。本当に、デートに誘いに行くの?」


 愛ちゃんは、私が湊くんに恋していることに、いい顔をしていない。この前も諦めた方がいい、と言われたばかりだ。


 当然、理由を聞いたのだけれど、下世話な話はしたくない、との一点張り。


 何らかの理由はあるのだと思うけれど、わからない以上は止まるつもりもない。わかっても止まる、というか止められるようにも思わないし。


「うん。愛ちゃんは止めるけど、初恋だからさ」


 愛ちゃんは渋い顔をしたけど、すぐに表情を緩めた。


「じゃあ慰め方でも勉強しとくよ」


「振られる前提なのやめて!」


 そんな会話をしながら着替えを終え、二人を置いて更衣室を出た。


 オレンジ色に染まった廊下を早歩きで進み、教室前にたどり着く。すると、扉の前でうろうろしている知り合いと鉢合わせた。


「あれ、京香ちゃん、何してるの?」


「誘いに行きてぇけど、照れ臭えってか、顔をあわせづれえっつうか……って、小野!?」


 目を丸くしていた京香ちゃんは、こほんこほん、とわざとらしい咳をして首を傾げた。


「どうかいたしましたか、小野さん?」


 いや、別にどうもないんだけど。ただそこにいられると教室に入れないから、尋ねただけなんだけれど。


 とはまあ、言えないので、適当な言葉を吐くことにする。


「うちのクラスに用事かなぁ、なんて」


 京香ちゃんは少しの間黙ったのち、にやり、と笑って口を開いた。


「ええ。実は、橘くんをデートに誘おうと思ってまして。何せ、私と橘くんは仲がいいので」


「は、はあああ!?」


 衝撃的な告白に、思わず声を上げずにはいられなかった。


「くすくす、どうしたのですか、小野さん?」


「ど、どうもしてませんけど!?」


 どうもしてないことなんて、ぜんっぜんないのに、そう言った時、とんとん、と肩を叩かれた。びくり、として振り返ると、そこには背丈の低い銀髪の少女がいた。


「教室に入りたいんだけど……ってあ、水城京香」


「えっと、鷲見帝さんでしたっけ?」


 帝さんはむっとした顔になった後、すぐに黒い笑顔を浮かべた。


「湊ちゃんをデートに誘いに行くから、退いてくれるかなあ?」


「は、はあああ!?」


 今度は京香ちゃんが声をあげた。


 声こそあげなかったものの、私も内心動揺しまくりだ。屋上での告白の後、湊くんは帝さんの告白を誤解だったと言っていた筈。それなのに、どうしてまだ帝さんが? というか、京香ちゃんもなの?


 ダメだ、頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。


「水城京香、通して♡」


「鷲見帝、帰ってくださいます?」


 バチバチ、と火花が飛び散っている状況がうまく飲み込めない。よくわからないけど、私のすべきことが、この中に参戦することではないことはわかる。


 今はこの二人を出し抜いて、兎にも角にも湊くんをデートに誘わないと。


 私はひっそりと別側のドアから教室に入る。


 異様な状況に気づく。


 照明一つ点いていない、影が伸びた仄暗い教室。人がいないわけではないのに、妙に、しん、としている。嫌な空気、自然と喉が詰まるような、ピリピリした空気が流れている。


 何があったんだろう、そう思って、人の視線の行先を辿ると、座っている湊くんとメガネを掛けた男の子にいきついた。メガネの子は苛立たしげな顔をしていて、湊くんは逆に冷たい表情をしている。詮索などせずとも、二人の間に険悪なムードが漂っていることが一眼でわかった。


「っ、だから、海砂と山川さんがまた喧嘩したって言ってるだろ!」


「そっか」


「そっかじゃねえだろ! あの時、一緒に遊んで楽しかっただろうが!」


「楽しかったよ。仲直りしたら、また遊ぼう」


「そうじゃねえ! 友達だろ!」


「友達ではないよ」


 鈍い音が鳴った。


 拳が振り抜かれ、湊くんの顔が横に向く。その顔が、メガネの男子に向けられる前に、椅子がずれる大きな音が鳴る。


「いい加減にしとけよ」


 低い声を出して立ち上がった青山くんが、メガネの男子の胸ぐらを掴んだ。突然のことに、目を白黒させるばかりのメガネの男子の代わりに、湊くんが胸ぐらを掴んだ腕を押さえる。


「ありがとう、青山。でもいいよ、俺がわりいから」


 渋々といった様子で青山くんが手を離すと、湊くんはメガネの子に顔を向けた。


「俺さ、ずっと好きな人がいてさ、10年近く片思いしてた。んで、その人を振り向かせたくて、勉強だって運動だって、何だって頑張ってきた。それでその甲斐あって付き合うことができた」


 湊くんは自嘲気味に笑う。


「だけど別れた。彼女は喧嘩がしたいタイプで、俺はその逆。怒らせないよう、怒らせないよう頑張って、空回って、結果、1ヶ月で振られた。10年の努力がたったそれだけの時間で水の泡になったんだよ」


 湊くんは、見ているだけで切なくなるような顔をした。


「だから、友達とか恋人とか家族とか、壊れる関係を俺は作りたくない。ましてや、そのための努力、その関係でいる努力なんてしたくない」


 前の席でずっと俯瞰していた山田くんが、不貞腐れたように口を挟む。


「だけじゃねえってか、それじゃねえだろ」


「うん。でも、これだけでも、こんなんになる理由は十分だろ?」


 そう言って湊くんは、山田くんに向けた顔をメガネの男子に向けた。その顔は、今までが嘘みたいに優しい顔だった。


「今日のところは関係を取り持ちにいくよ。だけどこれからは、今日みたいな、友達でいるための努力とか、そういう友達に期待するようなことを望まないでくれると嬉しい」


 返答も聞かず、湊くんは歩いていく。教室の扉の前に行くと、恥ずかしそうに頭を掻いた。


「あー、その、水城さん、鷲見ちゃん。そういうことだから」


 湊くんはそれだけ言って、教室を出ていった。しばらくして、眼鏡の男子も出ていく。やがて、女子たちも着替えから帰ってきて、教室はいつもの放課後の賑わいを取り戻した。


 何もできずに立ちすくんでいた私は、ようやく我に返って、青山くんと山田くんのもとまで歩く。そして私は「何があったの?」と二人に尋ねた。

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