015「昼間はありがとね」

 涼の勤務する会社は家電製品のインターネット販売を行っている会社である。店舗のように多くの人手を要さないため、店舗で買うよりも安価で手に入れることができるが、その代わり個々の業務の正確性が大切だった。几帳面な涼にはうってつけの職場だった。


 涼はすぐに頭角を現し、都内の営業所の所長を任せられるまでに成長した。円滑かつ迅速に取引先との商談を行う手腕は上層部にも認められていた。

 しかし、そんな涼のことを啓吾は内心よく思っていなかったのだろう。啓吾は人当たりは良かったが、容量が悪かった。今勤めている会社も勤続年数がだいぶ経っているものの、未だ役職につけていない。収入は圧倒的に涼の方が多かった。


 でもだからといってそれをひけらかすようなことも、比べて罵るようなこともしていないのに――啓吾の方は不満を密かに溜め込み続け爆発した結果が、後輩との浮気だった。


(思いのほか……ていうか想像以上に器の小さい男だった……)


 我ながら人を見る目がなかった。お互い似た境遇だったこともあって、ある種『吊り橋効果』のようなものが働いたのだろう。秘密を抱え合うスリルはなかなか新鮮だったと思う。しかし、結局のところ錯覚でしかなかったのだ。啓吾は『いいとこの坊ちゃん』だっただけなのだ。

 溜息をつきながらも涼の心はそれほど重くなかった。何故なら、


「よ、雪紫樹ゆきしきくん姫綺ひめあやちゃん。また来たよー」

「あ、涼サン!こんちはー!」

「お疲れ様でございます」


 ここ最近ずっと涼の昼休みは決まってあのキッチンカーでとっていた。日替わりという言葉は本当で来るたびにメニューが違う。しかもホットサンドだけかと思えばおにぎりとそれに合わせたおかずなど、和洋関係なく提供され、どれも美味い。すっかり涼はハマっていた。

 アイドルのような見目の少年は雪紫樹といって、もうひとりの人形のような美少女は姫綺という。料理人と打って変わって愛想が大層よく、どうやら中にはふたりを目当てで来ている客もいるようだった。


「今日のオススメは〝豚みそおにぎりとサツマイモ入り豚汁のトントンセット〟だよ~!」

「ねえ、そのメニューって誰が考えているの?」


 ふと疑問に思ったことを涼が訊ねると、雪紫樹はその質問が意外だったようで不思議そうに答えた。


「へ? レシピは紅壽こうじゅが考えて命名は俺が勝手にしてる」

「へえ……」


 紅壽というのは中で料理をしている男である。もうひとりは緋色ひいろといい、紅壽の手伝いやゴミ捨てなど雑用全般を担っているという。顔はあまり良く見たことがなかった。


「あなたたちって大学のサークルメンバー? とか?」

「えぇ? うっそ、俺ってそんなに老けて見える?」


 ショックを受けたように雪紫樹が言う。


「いや、その……なんか組み合わせ的にそうかなって」


 涼が肩を竦めながら弁明した。雪紫樹と姫綺は制服を着ているし、見た目もそれ相応だった。逆に紅壽と緋色は高校生にしては成熟しているように見えるし、どう考えても高校生ではない。無理矢理組み合わせるとなると導かれる答えは大学のサークル活動だった。だとしても毎日来られる謎が残るわけだが。

 否定したのは姫綺だった。


「私共はお互いに恋仲でございまして。恰好はその……趣味のようなものでございますね。私と紅壽が、緋色さんと雪紫樹さんが想い合う仲でございます」

「……恋仲」


 ちくり、とその言葉は小さな針になって涼の心に刺さった。


「そうそ! んで、俺とアヤっちが結構意気投合? 的なカンジだったんで、緋色たちも巻き込んでなんかしない?ってことでー……って、涼サンだいじょぶ?」

「……えっ?」


 雪紫樹が涼の顔を覗き込む。どうやら知らぬ間に深刻な表情をしてしまっていたようだ。傷はもう治っていると思っていたが思いのほか深かったようである。慌てて涼が取り繕う。


「あーごめん、なんでもない! えっと、それじゃあオススメの――」


 注文を言おうとした時、その声が涼の耳に飛び込んでくる。


「あれぇ? 旗丹さんですかぁ?」

「……!」


 甘ったるい声。涼が恐る恐る振り返ると、そこにいたのはやはりあくるだった。

 所々にフリルが施された可愛らしいスーツに身を包んだ涼から婚約者を略奪した仇敵は、人好きのする笑みを浮かべて小走りに涼のもとへやってきた。その顔は勝ち誇っている。


「どぉうしたんですかぁ? こんなところまでぇ? あれぇ、もしかしてぇ、まだ先輩のことが忘れられなくてぇ――」

「……並べ」


 誰の声かわからず、涼は声の主を探した。そしてそれが紅壽から発せられたものだと気付く。表情こそそれほど変わっていないが、明らかに彼はあくるの介入を不愉快に感じていた。


「……えぇ? うわぁ! すっごいイケメン! もしかしてぇ、旗丹さん、先輩に婚約破棄されちゃったからぁ、もう新しい――」

「聞こえなかったか、並べと言ったんだが」


 ずい、と紅壽が身を乗り出して注意する。あくるは完全に横入りした形になっていた。後ろに並んでいる客も困惑している。


「……っ!」


 滅多に外に出てこないので涼も驚いて息を呑む。赤と金の瞳があくるを見下ろしていた。


「……え、えぇっとぉ……すみませぇん……てへ」


 可愛らしく謝罪をしてそそくさとあくるが去っていく。すると紅壽はのっそりと中へ戻って涼に向き直った。思わず背筋を正す涼。


「……注文」

「えっ」

「……食わないのか?」

「あっ、食べます!」


 何故か敬語になって、あたふたしながら涼は注文した。


 ◇


(やっば、すごい遅くなった……)


 残業に厳しい会社だったがごくまれに様々な要因で帰宅できないこともある。今日は少しばかり厄介なお客様トラブルに見舞われてしまい、その対応が長引いたせいでかなり帰宅が遅くなっていた。なんとか丸く収まったが、住んでいるマンションがやや遠方にある涼にとってこの残業はなかなか痛いタイムロスだった。


(うぅ~夜九時以降は食べないようにしてるのに……!)


 涼は遺伝的な肥満体質だった。しかしながらスタイルに対し毛ほども興味のなかった家族は、好きなように食べ好きなように肥えていった。幼い頃からそんな家族を見てきた涼は絶対にああならないと決心して以降、三食の時間を徹底して管理していた。特に夜は、遅くに食べれば食べる程脂肪に変わりやすいので、食事の時間には非常に気を付けていた。


「……ああ、間に合うかな電車っ、……あれ?」


 昼間のキッチンカーがまだ停まっていた。おかしい――営業時間はとっくの昔に過ぎているはずなのに。涼が近づくと、現れたのは――


「わ!」

「……?」


 暗闇に融け込んだ紅壽だった。彼はワイシャツとスラックス、どちらも黒なので見つけるのが遅れてしまった。


「……あぁ……えっと、紅壽君?」

「……そうだが」

「……あ、昼間はありがとね。助かった」

「……別に」


 そっけなく紅壽は答えた。料理をするときとは違い、彼は前髪を下ろしていた。今は赤い目しか見えていない。


「……飯、食うか」

「え?」


 紅壽が顎で指し示す。そこには折り畳みのテーブルを囲む三つの人影があった。公共の場なので長居はあまり良くないとは思ったが――しかし。


「……お邪魔、しても?」

「……ああ」


 なんとなく話がしたい。

 涼は不思議とそう思っていた。

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