血色の網が、吸血鬼たちを駆り立てる。その網は山の土を削り、木の幹を削り、岩を削り、触れるもの全てを切断していく。クゥニの操る髪は、吸血鬼を目的地まで追い詰める網であり、処刑台となっていた。その様子を、俺は彼女に抱えられながら見つめている。

 ……この山を超えた先、その谷に、ズゥニチェニをおびき寄せた『集落』がある。

 クゥニを狙い、彼女が駆り立てている吸血鬼たちが、『御業』を使って炎や氷を放ってくる。しかし、ズゥゼンとの戦闘を経験しているクゥニにとって、その攻撃はもはや、そよ風に等しい。繰り出されるそれらを、血色の髪で刺し、裂き、割り、砕き、断ち切っていく。目的地方面へ逃げる吸血鬼にその髪は伸びないが、別方向へ逃げようとしたり、こちらに攻撃する吸血鬼たちの腕を、足を、彼女の髪が射抜いていった。殺さない程度に吸血鬼たちを痛めつけつつ、クゥニはついに、山の頂上へと辿り着く。

 瞬間、山の谷から、土柱が上がる。あそこでズゥニチェニが、他の吸血鬼たちと戦っているのだろう。その激戦地方面へ吸血鬼たちが向かったのを確認し、クゥニは俺を地面へ下ろすと、髪を元の色に戻した。

「ラスカっ!」

 呼ばれた方に振り向けば、鮮血色の髪をしたメラスが現れる。俺は『御業』を解く彼に向き合うと、口を開いた。

「ズゥニチェニは、どうなっている?」

「どうもこうもありませんよ。見ての通りです」

 直後、谷から粉塵が舞い、煤塵が吹き荒れ、炭塵が飛び散り、砂塵が溢れ、煙塵が吹き荒び、風塵が吹き捲る。地盤をかち割ったかのような衝撃と爆音が、俺たちの所まで聞こえてきた。

「わかっていたことですが、ズゥニチェニは、規格外過ぎます。彼の『御業』は単純な身体能力の強化なので、ズゥゼンのように、炎や氷を使った広範囲の攻撃は出来ません。ですが、触れられたら、それで最後。ズゥニチェニが触れようと思うもの以外、それら全ては灰燼と化すような事になるでしょう。おびき寄せた『集落』の『管理者』も、人間の血を飲んで自分の『御業』を強化し、更に瞬間移動が出来る血まで飲んでいましたが、今さっき頭の形も残らない程木っ端微塵にされました」

「……ズゥニチェニが、もう勝ちそう?」

「このまま私たちが何もしなければ、それも時間の問題でしょう。なんとかズゥニチェニを二つの『集落』の共通の敵と認識させることも出来ましたし、チェティを戦闘に巻き込めましたが、それでも状況は不利です」

「ズゥゼンとは、会ったのか?」

「いいえ。まだ、こっちに到着していないのではないでしょうか?」

 俺は露骨に舌打ちした後、歯ぎしりをした。でも、俺がなすべきことは、変わらない。

「メラス。まだ俺の血は残っているか?」

「いいえ、もう飲み干しました」

 俺は小さく頷いた。

「飲め。そして行け」

 そう言った俺を、クゥニが無感情に見上げてくる。

「……ラスカ」

「一つ、いいですか?」

 メラスを一瞥すると、彼はクゥニに一度視線を送った後、少し疲れたように笑って、こう言った。

「今なら、逃げて体制を整える選択肢もあります。ズゥニチェニの大体の位置もわかったので、私たちで探し出せない事もありません。そして、今ならズゥゼンからも逃げられますよ」

 最後の言葉に、クゥニが少しだけ反応した。俺はそれを見ないように、メラスの方へ顔を向ける。彼も、俺の目を真っ直ぐ見つめていた。だから俺は、首を振って答える。

「それは、ダメだ」

「理由を、聞かせてもらっても?」

「この場で逃げて、体制を立て直すということは、ズゥゼン以上の戦力を用意する必要があるということだ。そんな吸血鬼、メラスは見つかると思うか?」

「難しいでしょうね。ですが、私たちのラスカへの愛を育てる、という手もありますよ」

 メラスはそう言って、肩をすくめた。

「私たちがあなたを愛せば、その分私たちは強くなる」

「なら聞くが、どうやってそれを育てたらいいんだ?」

 言った後に、昔クゥニと、そんな話をしたことがあったと思い出した。あれは確か、二人が出会ったばかりの頃。あの時は、ナスリィを殺すという二人の共通の目的に、一緒に向かっていけた。一緒に時間を過ごすだけで、ただ隣にいるだけで、互いの存在が大きくなったのを感じていた。今ならわかる。あれがきっと、愛し合うということだったのだろう。

 でも、今はわからない。どうすればもっと互いを愛せるのか、どうすればもっとクゥニを、そしてメラスの存在を感じられるのか。だから俺は、自嘲気味に笑う。

「時間をかけて、愛を育てる。そういう未来も、確かにあるかもしれないな」

「なら――」

「でも、それはいつ終わる? お前らがズゥニチェニを殺せるまで、お前らがそれほど俺を愛してくれるまで、どれだけ時間がかかる?」

 俺は、わからない。愛というものが、それがどういう形が正解なのか。

 俺は諦めたように、肩をすくめる。

「それに、ここで逃げたら、ズゥゼンに確実に殺される。あいつは、俺が血を供給するという約束を破れば、俺を絶対に許さないだろうし、絶対に逃さない。文字通り、地の果てまでも追いかけてくるさ。それに――」

 次は確実に、クゥニとメラスが殺される。この二人がズゥゼンに殺されていないのは、彼女が俺との約束を守っているからだ。だからそれがなくなれば、ズゥゼンはこいつらを殺す。俺を愛してくれるこいつらが、殺される。それは、それだけは、俺は絶対に認められなかった。

「それに、なんです? ラスカ」

 全てを見透かしたようなメラスの瞳から逃げるように、俺は首を振った。

「別に、当たり前の理由さ。ズゥゼンという戦力を失うのは、惜しい。だから、俺の血を求めてやってくるあいつを待つさ。ズゥニチェニだって、同じ手に何度も引っかかるとは思えない。警戒されたら、なお殺し辛くなる」

「……なら、私、行く。戦いに」

 クゥニがそう言って、俺の手を握った。彼女は出会ったときと変わらない瞳で、俺の目を見つめる。

「……その代わり、一つ、約束して」

「何を?」

「……この戦いが終わったら、私と、家族になって欲しい」

「は?」

 彼女の言葉に、俺は呆れたような溜息を付いた。そんな俺を、クゥニが怯える瞳で見上げる。

「……だ、ダメ? なら、わ、私、で、でも、わた――」

「俺たち、もう家族だろ」

 握られた彼女の手を、その指と指の間に、俺は自分の指を入り込ませ、彼女の見える高さまで上げた。

「共犯関係になった時から、俺とお前は家族だ」

 男女の愛情と、家族愛。愛がわからないから、そうやって愛を探り合ってきたのが、俺たちの始まりだ。両親と死別して、最初に出来た家族が、クゥニだ。そして二人の初めての共同作業が、父親(ナスリィ)殺しで、最後の作業は俺の仇討ちなのだ。それに――

「死ぬまで、一緒にいてくれるんじゃなかったのか?」

「……いる。絶対、いるっ」

 クゥニが俺に抱きつき、俺も彼女の体を抱きしめて、そのまま血を吸わせる。俺は、俺を愛してくれる彼女には、自分の血を与える事しか出来ない。ならば俺は、惜しみなく彼女にこの血を与えよう。この行為が俺たちの始まりで、だからきっと、この行為が俺たちの終わりになるのだ。

 今このときだけは、死すら二人を分てない。

「……いって、くる」

 頬を血色に染めた少女は、自らの髪をも血色に染めて、戦場へと飛び出していく。その髪は唸るようにして伸び、彼女の体を空高く飛び跳ねさせた。そして落下する速度を味方につけ、彼女の髪は、触れたもの全てを貫く断罪の雨となる。その髪一本一本が必殺の刃となり、触れた吸血鬼たちを屠りながら、やがてその刃がある所で停止する。舞い上がる土煙の向こうには、今は髪を血色に染めた、青白い肌の吸血鬼が佇んでいた。間違いない。あれが俺の仇、ズゥニチェニだ。奴に向かって、クゥニが吠える。

「……私たちの未来のために、死んでっ」

「やれやれ、僕はただ人間の血を飲みに来ただけで、誰かの人生に影響を与える程、何かをするつもりはないんですが」

 ズゥニチェニはクゥニの髪を弾き、一歩前に出る。その途中、吸血鬼が現れて溶岩を吐き出し、別の吸血鬼が台風のような風を生み出した。彼はそれを、腕を振るっただけで一蹴する。溶岩は吐き出した吸血鬼へ向かい、風は真っ二つに断ち切られた。そしてそれらを生み出した吸血鬼たちの懐に、既にズゥニチェニが潜り込んでいる。彼は相手の体を撫でるような動作で触れると、その瞬間、吸血鬼の体、その背中から、背骨、ぷるぷると震える内蔵、そして伸縮を繰り返す元気な心臓が飛び出していく。生ごみを詰めた袋が汚臭で膨らみ、膨らみすぎて破裂したような光景だ。吸血鬼たちの臓物と鮮血が、空気中に散乱する。その間を縫って、クゥニの髪の毛がズゥニチェニを強襲した。彼女の髪は、無数の経路でズゥニチェニに迫る。ある髪は槍のように一直線に、ある髪は地を這う大蛇のように、ある髪は振るわれた鞭のように。

「妹に、僕が以前逃した血が、成熟して戻ってきたと聞いたのでここまでやってきたのですが、その少年はどこにいるんでしょう? 何かそういう情報、知りませんか?」

 ズゥニチェニは迫るクゥニの髪を、全て正確に、自らの拳で撃墜していく。その最中、奴は彼女の髪を掴もうと、手を伸ばした。それを見てクゥニは舌打ちをし、一旦後方に下がる。それを見て、俺は小さくつぶやいた。

「クゥニのやつ、ズゥゼンと戦った時より強くなってないか?」

「いやはや、恋する少女は強いですねぇ」

 それを見ていたメラスは、小さく笑って俺の方を向く。

「手のかかる息子と娘のために、私ももうひと頑張りしましょう。二人の将来を見届けるまで、死なせませんし、私も死ねませんから」

「なら、包帯なんか舐めずに、直接俺の血を飲めよ」

 メラスと抱き合い、彼に俺の血を吸わせる。クゥニの時のように強く抱き合うのではなく、互いを支え合うような、程よい距離感。見守られているような優しさを惜しむように、俺たちは体を放した。

「では、安全な場所へ避難しておいてください」

「それだと、もしもの時にお前らが俺の血を吸いにくいだろ? 近すぎず遠すぎない所にいるさ」

「わかりました」

 メラスは空気を操り、宙を舞う。クゥニの髪の間を縫うように、彼は不可視の爆弾を叩き込んでいった。地面が裂け、ズゥニチェニの足場が崩れる。奴はそれを、近くの吸血鬼を踏み殺すことで回避した。クゥニとメラスは、他の吸血鬼を盾にするように、遠距離からの攻撃を主体として、ズゥニチェニを攻め続ける。二人の攻撃に巻き込まれる吸血鬼もいるが、それはもう致し方がない。

 ズゥニチェニ、そしてクゥニとメラスに対して、吸血鬼も翻弄されている。しかし、ズゥニチェニを倒さなければ、自分たちに未来がないと、本能的に察しているのだろう。吸血鬼は果敢に奴へと攻撃を仕掛け続けていく。しかし、地力の差は如何ともし難い。ある吸血鬼は喉を括り切られ、ある吸血鬼は皮膚を命ごと捲られ、ある吸血鬼は腹を殴られて爆散した。臓器が派手に飛び散り、その散弾に当たって別の吸血鬼が絶命する。吸血鬼が鮮血という花にその姿を変え、徐々にズゥニチェニがクゥニとメラスへ攻撃を仕掛ける動きをし始めた。周りの吸血鬼が減ってきたので、余裕が出てきたのだろう。谷は吸血鬼の血で、小川が作られる程、血で溢れかえっている。既に二つの『集落』の、四分の一の吸血鬼は絶命していた。

 ……相変わらず、化け物か。

 敗北の二文字が脳裏に浮かんだその時、俺とクゥニが登ってきた山とは、別の山の頂上から、炎が現れ、木々を焼き、氷が生まれ、枝から落ちる葉すら凍らせた。それらは山の頂上から、まるでこちらに、ズゥニチェニがいる方角へ道を作るように、山を下る何かの進行方向を定めるように伸びていた。そしてその頂上から、大量の黒い影がこちらへと押し寄せてくる。

 それは、吸血鬼だった。そして、彼らの表情は見覚えがある。チェティの『集落』に残っていた吸血鬼を、クゥニがここまで追い立てていた時に彼らが見せた、あの表情だ。つまり――

「ラースーカーくーんっ!」

 山の頂上から、馬鹿でかい、そして死ぬほど憎たらしい声が聞こえてきた。俺は思わず、安堵のため息を漏らす。

 ……間に合ったか。

 頂上から現れたズゥゼンは俺の作戦通り、三つ目の『集落』の吸血鬼をこの場に駆り立ててきたのだ。理由はもちろん、ズゥニチェニにぶつけるため。俺は最初からズゥニチェニを倒すために、三つの『集落』を巻き込むつもりでいたのだ。

 理由は単純に、数的な不安があったからだ。ズゥゼンは『集落』二つ分の吸血鬼がいればいいと言っていたが、今回の作戦では、ズゥニチェニをおびき寄せた『集落』の吸血鬼と、奴が戦い始めるのと、チェティたちが到着するまでの時間差が、どうしても発生する。その時間で、ズゥニチェニは確実におびき寄せた『集落』の吸血鬼の数を減らすだろう。そうすると、必要な吸血鬼の数が足りなくなってしまう。更に、最後にズゥゼンが奴と出会ってから、もう十年が経過していた。その間、ズゥニチェニは血を吸って、ズゥゼンと最後に会った時から、更に強くなっているはずだ。こうした理由から、俺は吸血鬼を『集落』三つ分用意すると、決めたのだ。

「さぁーさぁー、約束通り、ボク頑張ったよーっ!」

 髪の色を元に戻し、ズゥゼンが周りの木々を薙ぎ払いながら、俺の場所までやってきた。彼女は俺の左腕にすがりつきながら、猫なで声を上げる。

「ボク頑張ったからさぁー、ご褒美、欲し――」

「わかったから、さっさと吸って、そして行け」

「えー! なんかこう、最後の戦い的な? イチャイチャがあっても、ボクはいいと思う、がっ!」

 だらだらと喋り始めたズゥゼンの顔面に、俺は遠慮なく右拳を繰り出した。しかし、所詮人間のあがき。ズゥゼンは俺の拳を避けるのではなく、拳を丸呑みするかのごとく、俺の手に齧りついてきた。ズゥゼンの二本の牙が、俺の小指と薬指、人差し指と親指の間に突き刺さる。彼女は俺の拳を頬張りながら、俺の血を啜り、舐め取っていく。俺の手は彼女の涎と喘ぎ声でふやけそうになるが、彼女が逃さないように俺の手を掴んでいるため、逃げられない。むしろズゥゼンは、俺の腕まで飲み込むつもりなのか、更に俺の拳を自分の口へと押し込んだ。ズゥゼンの瞳は法悦と愉悦と悦楽で煌めき、体は震撼し、身震している。

「ふごふぃ、ふごふぃよぉらふかきゅん、ふごふぎふぅっ!」

「いいから、黙って済ませろ……」

 やがて満足したのか、ズゥゼンは顔を真っ赤に染め、その口から俺の拳を開放した。

「あはぁ、やっぱいいよほぉおぅ。ラスカくんは、やっぱりナマが一番だねー」

「ほら、もうする事済ませたんだから、早く行け」

「あはははっ! そーゆー、ドSなラスカくんも、ボク、好きだよーっ!」

 そう言って、ズゥゼンは猛り狂いながら『御業』を発動。炎と氷をその身にまとわせ、戦場へ一直線に飛んでいく。大気を灼熱の業火と、極寒の寒波が駆け抜け、その途中に存在している生物を、吸血鬼ですら例外なく、延焼させながら凍りつかせる。その波状攻撃を受けたズゥニチェニは、炎を割り、氷を砕きながら、ズゥゼンの方を一瞥した。

「ズゥゼンですか」

「やっほー! 兄さんっ!」

 そう言いながらも、ズゥゼンの攻撃は続いていく。そこで俺は、あることに気がついた。ズゥニチェニは、彼女の攻撃を、無傷で徒手空拳で捌いている。だが、腕は一瞬焼かれ、凍りつく瞬間があった。その後、傷が瞬きするよりも早く修復されている。奴は今まで、常に無傷で戦っていたわけではなく、ただ治りが早いだけなのだ。

 ……あいつを傷つけることは出来る。つまり、殺せるんだ。

 他の吸血鬼たちが各々の『御業』を使って襲ってくるのを、ズゥニチェニは腕で叩き割り、足蹴にしながら進んでいく。奴は思い出したように、ズゥゼンの方へ視線を向けた。

「ズゥゼン。そう言えば、あなたが言っていた極上の血ですが――」

「あはははっ! それなら、ボクが先に頂いちゃったよぉーっ!」

 その言葉に、ズゥニチェニは確認するように尋ねる。

「まだ、飲めるのですよね?」

「さぁ? あんまり美味しすぎて、ボクが飲み干しちゃったかもしれないよーっ!」

「だとしたら、あなたの腹を掻っ捌いて、そこから飲むとしましょう」

 ズゥニチェニが近くにいた、巨大な鷲の姿になった吸血鬼の足を掴み、そのまま無造作にズゥゼンの方へ投擲した。錐揉み回転しながら飛ぶそれは、すぐにズゥゼンに丸焼きにされ、次の瞬間には氷塊となって砕かれる。蒸気を上げて墜落するそれをよそに、ズゥゼンはクゥニたちと合流を果たした。

「おやおや、手こずってるみたいじゃないのー?」

「…………遅れてきて、よくそんな台詞が言えますね」

「じゃあ、後はボクに任せときなよー。ラスカくんの思いは、ボクが成就させてあげるからさー」

「……誰があなたなんかに任せますかっ」

「喧嘩している場合じゃないですよ、二人共! 動きをあわせてくださいっ!」

 メラスの言葉を契機に、三人は飛び出していく。ズゥニチェニが吸血鬼の喉を砕いているその脇から、クゥニの伸ばした髪が迫る。だが、いつもの彼女の髪とは違う所があった。その髪に、炎が、氷がまとわり付いるのだ。旋回する猛烈な暖気と強烈な寒気が、疾駆する髪の速度を更に跳ね上げる。ズゥニチェニは無造作にそれを掴もうとするが、掴みきれずに奴の指が切断された。次の瞬間には再生しているが、血色の髪に滞留していたのは、寒暖の温度だけではない。飛んだ指と再生途中の指が、不可視の壁にぶつかり、爆発して四散する。だが、もうズゥニチェニの指は再生していた。しかし、その隙を付いて、巨大な爬虫類に変身した吸血鬼が、その身を水に変えた吸血鬼が、毒の霧を吐く吸血鬼が、他の吸血鬼たちが、ズゥニチェニに襲いかかる。その一つ一つを怯むことなく、ズゥニチェニは強靭で強堅で強剛な力技で、叩き潰していった。だが、奴の修復速度が、徐々に落ち始めてきている。乱戦状態を維持している効果が、ようやく出始めたのだ。他の吸血鬼たちも、クゥニたちも、ここが勝負時だと思ったのだろう。吸血鬼たちが、ズゥニチェニに向かって特攻を開始した。それを縫うように、クゥニの血色の髪が神速の矢のように奴へ向かい、炎は大気を食い破り、氷は触れるもの全てを凍らせ、空気中に潜む不可視の爆弾がズゥニチェニの周りに地雷原を作り出す。猛烈な爆音が聞こえて噴煙が上がり、激烈な轟音に硝煙が舞い、強烈な重低音に黒煙が吹き出す。

 ……煙で、状況が見えない。

 一定の距離を保ちながら様子を伺っていたが、俺の位置からでは、状況がうまくわからない。やがて煙が晴れてきて、その中から、巨大な影が現れる。それは、巨大な蜥蜴だった。しかし、その蜥蜴の尻尾はだらんと垂れ下がっており、瞳に光も存在していない。精気を感じさせないそれの背中が突然割れ、鮮血と共に、人形の何かが現れた。

 それは、蜥蜴の血に塗れた、ズゥニチェニだった。奴は他の吸血鬼の腹を裂いて、その中に隠れていたのだ。鮮血まみれのズゥニチェニの口が、もぞもぞと動いている。だが奴は、それをすぐに吐き出した。

「胃の中に少し人間の血は入っていましたが、吸血鬼の血と混ざると、飲めたものではありませんね」

 奴は、身代わりを作るだけでは飽き足らず、隠れている最中、臓器を食い荒らし、身代わりにした吸血鬼が取り込んだ人間の血を、飲んでいたのだ。飲めたものではないと言いながら、近くの吸血鬼の死体から回復するために臓物を取り出し、啜るズゥニチェニの異常な行動に、一瞬吸血鬼たちがたじろぐ。

 と、木々の向こうから、人影が現れた。

「ぬ? お前は我のものになった、人間ではないか? どうしてこのような場所にいるのだ?」

 その声に振り向くと、そこには全身血だらけになった、白髪、緋色の瞳をした、吸血鬼が立っていた。チェティだ。俺は後ずさりしながら、チェティに問いかける。

「あんたこそ、何でここに? 最前線は、もっと前だろ?」

「見てわからんのか? 人間。お前を付け狙うというあの異常な吸血鬼とやり合うには、捨て身で戦わねばなるまい。だが、死んでしまっては元も子もなかろう。我はこんな所で死ぬつもりはない」

 そこまで言って、チェティは合点がいったとばかりに、顎を撫でながら頷いた。

「そうか、わかったぞ! これは全て、メラス殿の奸計だな! 我を殺すためにお前を餌にして、我らをここまで引きずり出すのが目的だったのだなっ!」

 策を考えたのは俺だし、俺の狙いはチェティではないのだが、勘違いに勘違いを重ねた結果、チェティは自分が罠に嵌められたという正解に、何故だかたどり着けたようだ。俺は逃げるため、踵を返す。が、既にチェティが、そこに回り込んでいた。

「何故人間がここにいるのかはわからんが、お前の血を守るという名目で、我はこの場に立ち、傷を負ったのだ。ならばここから立ち去る前に、最後にお前の血を飲み干しても、ばちは当たるまい」

 首を掴まれ、俺は一気に引き寄せられた。手足をばたつかせ、俺は必死に抵抗する。

 ……両親の仇を討つ前に、ズゥニチェニに殺されるわけでもなく、こんな奴に俺は殺されるのかよっ!

 チェティの口が開かれ、鋭利な二本の刃が見える。俺の血の味を思い出したのか、その口の中には大量の唾液が分泌され、口は三日月を作るように、頬が釣り上がっていた。

 奴の犬歯が俺の首に届く瞬間、俺を掴んでいたチェティの手首が、突然爆破された。突如襲ってきた不可視の爆撃に、チェティは怒号を上げながら、破壊され、なくなった手首を押さえて転げ回る。その吸血鬼の全身に、血塗られた剣山が突き立てられた。頭から足の先まで、文字通り髪の毛程の隙間しかないように、クゥニの髪がチェティに突き立てられている。チェティの最後は、血が吹き出すというよりも、あまりに精密に一本一本の髪という矢で貫かれたため、血煙のように肉片も残さず絶命した。残ったのは、俺を掴んでいた手首だけだ。それを外していると、メラスがやってくる。

「危ないところでしたね、ラスカ」

「すまない、助かった」

「……死ぬまで一緒にいるとは言ったけど、そんな短期間にするつもりもない」

 クゥニにそう言われ、俺は苦笑いを返した。

「勝てそうか?」

「ラスカが、信じてくれるのなら」

「……勝つ。私はもう、誰にも、負けない」

「頼む」

 そう言うと、二人は頷いてまた戦場へと返っていった。見れば、ズゥニチェニは、自分から積極的に吸血鬼を襲い、喰らい、そして飲み猛りながら歩いている。奴自身が持ちえる回復能力が低下しているため、吸血鬼の体内にある、人間の血を求めているのだ。つまり、弱っているということになる。もうひと押しすれば、きっと勝てる。

「……いい加減、もう、死んでっ!」

 クゥニはその髪を振るい、更に自身もズゥニチェニへ向かって突撃した。他の吸血鬼が俺を襲ったためか、あるいはもうズゥニチェニに血の補給をさせないためか、その髪は今まで以上に遠慮なく、ズゥニチェニ以外の吸血鬼も射殺し、刺殺し、圧し殺し、轢き殺し、巻き殺していった。ズゥニチェニに対しても、クゥニの髪が足を貫き、手を穿ち、体を切り裂き、奴の足場を絡め取っていく。もう、攻撃は届き始めていた。

「一生分の血は飲んだでしょう? ならば、もう眠りなさい」

 メラスも、クゥニに負けていない。不可視の爆弾は、威力は小さいが時に極小の礫となり、時にわざと見えやすいように色を付けた囮となる。ズゥニチェニの周りにいる吸血鬼の血がわざと吹き上がるように爆破させ、血の弾幕で奴の視界を覆った。手首に、足首に、肩に、膝に、不可視の爆弾が着弾し、確実にズゥニチェニの体力を削り取っていく。

「あはははっ! 兄さん、ボクの幸せのために、ここでもう終わっちゃってよーっ!」

 ズゥゼンは血の繋がりがあろうが関係なく、ズゥニチェニへ凍える炎を叩きつけた。触れたものが燃え盛りながら凍り尽くすという矛盾を内包したそれは、周りの吸血鬼を焼き凍らし、凍えさせながら燃やしていく。ズゥニチェニの顔の左側が燃やされ爛れ、右側が氷結して割れた皮膚から血が吹き出し、それもまた凍っていく。

 しかし、それだけの攻撃を仕掛けても――

「僕が血を飲むのを、邪魔するなっ!」

 一喝し、声量だけで周りの吸血鬼を吹き飛ばした。ズゥニチェニの近くに居た吸血鬼は衝撃で内蔵が押しつぶされ、臓物が口から逆流して血反吐を吐いて絶命する。クゥニの髪も吹き飛ばされ、メラスの爆弾は到達前に起爆し、ズゥゼンの炎と氷も掻き消された。だが、ズゥニチェニも常に五体満足の状態ではなくなっている。抉れた胸は心臓がむき出しとなり、吹き飛んだ手足はまだ骨の状態で、ようやく神経と筋肉繊維がそれに巻き付いている最中だ。爛れた顔からは煙が上がり、裂けた皮膚はまだ血を流している。足元がふらつき、ズゥニチェニは地面に手と膝を付いた。だが、その顔がすぐさまある一点を見つめる。視界の端に、生きている吸血鬼を見つけたのだ。奴は手足を地面につけたまま、獣が走るように駆けずり回り、その勢いそのままに、吸血鬼に向かって飛びかかる。ズゥニチェニの鋭い牙が煌めき、その吸血鬼の首元に、突き刺さる。直前――

「油断、しましたね」

 ズゥニチェニに襲われた吸血鬼、メラスが、自爆覚悟で、特大の不可視の爆弾を生み出した。

「私の愛すべき子供たちのためにっ!」

 閃光が迸り、熱風と光が俺の目を焼く。やがて目を開けると、吹き飛んだメラスの姿があった。彼の上半身は炭化しており、黒い湯気が立ち上っている。一方、ズゥニチェニは、同じく吹き飛ばされ、左足が吹き飛んでいた。あの一瞬で、直撃を避けるため、不可視の爆弾を左足で蹴り上げたのだろう。奴は既に、立ち上がろうとしている。そこへ――

「いったっだきーっ!」

 上空から、ズゥゼンが炎と氷をまとって、彗星のごとく落下してきた。熱気と冷気が彼女の腕を中心として、螺旋を描く。それをズゥニチェニは、右腕で受け止めた。奴の右腕が、燃やされ、凍らされ、削り取られていく。やがて指が削り取られ、手のひらが抉られ、手首まで削ぎ取られ、肘の先まで刪削されていく。ズゥゼンが奴の二の腕までその手を到達させた時、ズゥニチェニの左腕が、彼女の顔面を強かに捉えた。肉と骨が陥没する音が聞こえ、蹴飛ばされた小石のように、ズゥゼンは吹き飛ばされた。ズゥゼンが居なくなった、上空。そこには既に、クゥニの髪が迫っている。

「……あああぁぁぁあああぁぁぁあああっ!」

 猛り叫ぶクゥニは、その髪を一本に束ね、巨大な一本の槍となる。それは上空で旋回し、渦を巻いて、むき出しのズゥニチェニの心臓に向かって、一直線に突き立てられた。と思われた刹那、それをズゥニチェニが、残った左手と右足で受け止める。クゥニの血塗られた槍が回転し、ズゥニチェニの手足を削っていくが、徐々に、徐々に、押し返され始めていた。ズゥニチェニが初めて必死と言える表情を浮かべ、その額には汗が吹き出している。

 そんな奴に向かって、俺は言葉を紡いでいた。

「なぁ、俺のこと、覚えてるか?」

 突然現れた乱入者に、ズゥニチェニは目だけをこちらによこしてくる。

「キミは、人間だな?」

「その様子だと、忘れてるみたいだな……」

 激情が一周回って冷静となり、俺は無表情のまま、ズゥニチェニに話しかける。

「お前が潰した『集落』の、生き残りだ。まだ血が飲み頃じゃなかったから、見逃された」

「……ああ、前に僕がズゥゼンに話した血か。確かに、今なら飲み頃みたいだな」

「飲んでみるか?」

 そう言って、俺は転がっていた尖った石を拾い上げ、自分の指を傷つけた。俺の右手から、血の雫が、地面に垂れる。それを、ズゥニチェニは凝視していた。

「どうした? 飲み頃だぞ? 飲みに来いよ」

「そこまで言うのなら、これをどかした後、ゆっくり味あわせてもらうよ」

 ズゥニチェニがクゥニの髪をどけるため、手足に力を込めた。それに合わせて、俺もズゥニチェニに近づいていく。そんな俺に、ズゥニチェニは疑問を投げかけた。

「キミは、何をしている?」

「どれぐらい血が近づけば、我慢できなくなるのかな、って思ってさ」

 俺はどんどんズゥニチェニに近づいていき、ほぼ顔の横で、血を流す手を見せびらかした。また、俺の手から血が地面に向かって垂れる。その血がもったいないと言わんばかりに、ズゥニチェニは口を伸ばした。だが、届かない。逆に無駄に動いたせいで、クゥニの髪がズゥニチェニへと近づいていく。

「まだ、近づいたほうがいいみたいだな」

「止めろ……」

 そう言いながらも、ズゥニチェニは目の前の俺の血から、目が離せない。奴は俺の両親の血の味と、ズゥゼンからの証言で、この血が極上のものだと、知っているからだ。更に負傷した体の回復のためにも、この血はどうしても飲みたくて仕方がなくなっているのだろう。

 他の全てを投げ売っても、血を飲みたいという欲求には、抗えない。

「葡萄酒みたいに、血の香りも、吸血鬼は気にしたりするのか?」

「飲ませてくれるのなら、早く僕に飲ませろっ!」

 俺はその言葉に従うように、ズゥニチェニの顔の上に右手を持っていく。そして通過させた。奴の頬に、俺の血が垂れる。ズゥニチェニはそれを一口でも飲もうと、必死に舌を伸ばすが、残念ながら、どう頑張ってもその血まで舌は届かない。舌を伸ばせば伸ばすほど、クゥニの髪は、奴の心臓に近づいていく。それを横目で見つつ、俺はズゥニチェニの顔付近でしゃがみこんだ。

「ほら、頑張らないと、俺の血は飲めないぞ」

「ふざけるなっ!」

「失礼だな。ふざけてなんていない。俺はこの血に、全てを賭けてるんだ」

 一滴、また一滴と、ズゥニチェニの顔に、俺は血を垂らしていく。だがその血は、ズゥニチェニがどう頑張っても口に入れれない場所にしか、落下しない。奴は必死に顔を動かして、どうにか口に俺の血を持っていこうとする。もう少しで飲めそうだ、と言う所で、俺は地面の土をかけ、血を奴の顔から洗ってやった。ズゥニチェニの口が、俺に向かって罵声を発し、怒声を上げ、癇声を撒き散らす。その様子を、俺は冷めた目で見つめていた。

「やれやれ、そんなに飲みたいのに、人にものを頼む態度がなってないんじゃないか?」

「何だと!」

 俺はある方向を一瞥すると、すぐにズゥニチェニへ視線を戻した。

「人にものを頼む時は、なんて言うべきなんだ?」

 右手をズゥニチェニの鼻の付近まで近づけ、すぐに離す。奴の鼻が引き攣き、何かを逡巡するように、眼球が高速で上下左右を動き回った。こいつは人間に、いや、吸血鬼にすら、へりくだった態度を取るようなことはないのだろう。そうすることもないと、高をくくっていたのだろう。奴の自尊心と欲望が天秤に乗せられ、どちらが重いのか、ズゥニチェニは考えているに違いない。違いないが、その結論は、すぐに出ることになった。

「――――――、ください」

「何?」

「血を飲ませて、ください」

 奴の顔が、苦渋の色に染まる。それを見て俺の顔は、暗い笑みが刻まれていた。

「聞こえないな」

「お、お前っ!」

「出来ないなら、俺は別にいいんだぞ」

 俺はそう言って立ち上がると、ズゥニチェニは慌てたように、声を荒げた。

「待てっ!」

「待て……?」

「ま、待って、ください……」

 俺は再度しゃがみ込み、ズゥニチェニを睥睨した。

「で?」

「ち、血を飲ませてください」

「何?」

「血を飲ませてください、お願いしますっ!」

 俺は少し視線を別の所へ移してから、またズゥニチェニを見下ろす。

「そこまで言うなら、仕方がないな」

「あ、ありがとうございます!」

 俺は、右手をズゥニチェニの顔の前に持っていく。ぽたり、ぽたりと赤い雫が奴の顔にかかり、そしてついに、俺の血が、ズゥニチェニの口に向かって零れ落ちた。奴は喜色の顔をして、一瞬でも早くその血を味わいたいと、舌を伸ばす。血が重力に引かれて自由落下をし、やがてそれは、ズゥニチェニの舌に到達。する前に、奴がその口から血を吹き出した。

 鮮血が飛び散り、俺の顔にも奴の血がかかる。奴の口に向かっていた俺の血は、ズゥニチェニが吐いた血に押し流されて、結局奴は飲むことが出来なかった。顔を上げると、クゥニの髪が、ズゥニチェニの心臓を貫いている。だが、奴の心臓は、まだ動いていた。ズゥニチェニが口から血の泡を吐きながら、何か言っている。俺はそれを無視して立ち上がり、まだ動く心臓へ、自分の足を振り下ろした。血が吹き出す。まだ動いている。振り下ろす。血が吹き出す。まだ動いている。振り下ろす。血が吹き出す。まだ動いている。振り下ろす。血が吹き出す。まだ動いている。振り下ろす。血が吹き出す。まだ動いている。振り下ろす。血が吹き出す。まだ動いている。振り下ろす。血が吹き出す。まだ動いている。振り下ろす。血が吹き出す。もう止まった。

 奴の血で、俺は全身、血だらけになっていた。

「……ラスカ」

 クゥニが、俺の方へとやってくる。血まみれの俺を見て、彼女は僅かに目を見開いた。そんな彼女に、俺はある依頼をする。

「クゥニ、この瓶に今から俺の血を入れるから、メラスとズゥゼンに飲ませてやってくれ」

「…………ズゥゼンも?」

「どうせ死んでないだろ」

 俺は右手の傷を少し広げて、血を瓶に入れる。それをクゥニへ手渡すと、彼女は俺の傷口を舐め取って、それを受け取った。瓶を持ったクゥニの後ろ姿を見送って、俺は心臓がぐちゃぐちゃになった、ズゥニチェニの死体を見下ろす。

 俺の口が、自然と笑みを形作った。出てくるのは、渇いた笑い声だ。全身血で濡れているのに、声は渇いているのが面白くて、俺は更に笑う。笑うが、俺の心が潤うことはない。目標を達成したというのに、復讐を成し遂げたというのに、やりきったという充実感もさほどなく、爽快感は皆無だった。

 ……まぁ、それも当たり前か。

 結局、俺が復讐を志した通りの結果となった。俺は最後の最後まで、復讐は、自分の血を使って成し遂げたのだ。それが何だかおかしくて、今度は俺は、狂ったように笑い始めた。その笑いは、髪の色が元に戻ったクゥニが、同じく『御業』を解いたメラスとズゥゼンを連れてくるまで、止まらなかった。

「いやー、これでひとまず一段落だねー、ラスカくん」

「一、段落?」

 ズゥゼンに言われた意味が一瞬わからず、俺は呆けたように、彼女へ視線を向けた。

「そうだよー、一段落、一段落。復讐も終わったんだし、これからラスカくん、どーするの?」

「どう、って……」

 クゥニにも、問われた問だ。その時は、復讐が終わるまで、何も考えられないと言った。そして、今、復讐は終わった。ズゥニチェニは死んだ。俺が殺した。俺の血で殺した。だから、殺した後、これからの事だ。これから、これから?

「これから、って、なんだ?」

「……ラスカ」

「これから、俺は生きていかないといけないのか? 復讐が終わったのに、それ以外、なにかすることって、あるのか?」

 そう言った俺を、クゥニは下唇を噛んで、メラスは眉間に皺を寄せ、ズゥゼンはつまらなさそうに、俺を見つめている。

「俺の血は、自分の血は、復讐に捧げた。捧げ終えた。なら、もう俺には何も残っていない。そうだろ?」

「……そんなこと、ない」

 クゥニがそう言って、俺の手を取った。

「……死ぬまで、一緒にいるって、私、言った」

「ラスカ。君には、私たちという家族がいるじゃないか。何も残っていないわけがない。私たちと一緒に、生きていこう」

「それは、違うよ、メラス」

 俺は彼に向かって、首を振る。

「共犯関係は、俺の復讐が終わるまでだ。それが終わったら、俺たちの間に、何もない」

「……でも、私は――」

「死ぬまで一緒ってことなら、今この場で俺が死んでも、叶えられるだろ?」

 俺がそう言うと、クゥニは何かに気づいたように、俺を睨んだ。

「……だから、チェティを殺した時、何も言ってくれなかったのね」

 そう。チェティからクゥニとメラスが俺を救ってくれた時、クゥニは俺に、こう言った。

 

『……死ぬまで一緒にいるとは言ったけど、そんな短期間にするつもりもない』

 

 それに俺は、何も答えなかった。短期間で死に別れる未来が、俺にはもう見えていたから。そんな俺の首元を、クゥニが掴む。

「……私は、ラスカを愛している。私たちの間に、なにもないわけがないっ」

「どうして私たちが君と一緒にここまで来たのか、その意味を考えた上で、私たちの間に何もないと、本気で言っているのか?」

 メラスにも詰め寄られるが、俺は反対に、クゥニの手を振りほどき、二人を睨みつけた。

「そんなことは、わかってるんだよっ!」

 クゥニも、メラスも、俺のことを愛してくれている。そんなことは、わかりきっている。何故なら――

「お前たちが俺を愛してくれているのは、お前らが俺の血で『御業』が発動できることから、わかりきってる!」

 そうだ。クゥニも、メラスも、そしてズゥゼンでさえ、彼らの俺に対する愛は、目に見えている。例えそれが、俺の血の味を愛しているのだとしても。でも――

「俺は、どうなんだよ! 俺のは、お前らに対する俺の想いは、どうやったら信じられるんだ? どうやったらお前らに、俺の気持ちを証明出来るんだよ! 俺のは、俺のは、目に見えないんだよっ!」

 だから俺は、俺の想いを、信じることが出来ない。そして、こいつらからの愛も、俺の血を飲ませなければ、信じることが出来ない。そして、次に俺の血を飲んで、『御業』が発動しなかった(愛を感じれなかった)時のことを考えると、狂い死んでしまいそうになる。

「こんな関係、おかしいだろ? お前らとは、血でしかつながっていない。そしてその血はもう、復讐に捧げたんだ! だから、もう終わりにすべきなんだよ、俺たちはっ!」

 俺の慟哭に、クゥニとメラスは何か言葉を作ろうとして、失敗する。誰も喋らない時間が訪れ、その沈黙で、全ての答えが出揃ったと思った。俺は全てを終わらせようと――

「ほーい」

 ズゥゼンに顔面を殴られ、俺は後方へと吹き飛んだ。それを見て、クゥニが慌てて彼女に抗議する。

「……何をしているんですかっ!」

「あはははっ! いやー、なんか女々しい話してるなーって思ってさー」

 体を起こすと、ズゥゼンは俺を見て爆笑していた。

「何したい、どうしたい、なんて、最後は自分で決めるもんだよー。ボクは、極上の血、それを飲むために生きている。つまり今は、ラスカくんのために生きているといってもいい。で、ボクはそれでいいと思っている。なーんにも悪いとも思ってないし、自分のしたいことをする。だからボク自身が死にそうになっても、兄さんと戦った。ボクは、惚れている血のために、その愛している血のために、それを持っているラスカくんを愛しているから、戦ったんだよー」

 そこまで言って、ズゥゼンは背筋が凍るような目で、俺を見下す。

「今まで散々、復讐のために関係ない吸血鬼と人間殺してきたんだろ? それが自分の愛がわからなくなったぐらいで生きるのを諦めようだなんて、都合が良すぎるんだよ、クソガキが」

 そして倒れる俺を引きずりあげ、ズゥゼンは俺と目線をあわせる。

「それにボク、言ったよね? ボクが血を飲めない状況を、ボクは許さないんだ。ボクが惚れている血を殺そうとするなら、ラスカくんの心を殺すよ? ボク、キミの血にしか興味ないから」

「……そんなこと、させませんっ!」

 クゥニが、俺とズゥゼンの間に入り込む。その拍子に倒れそうになった俺の背中を、メラスが支えてくれた。

「……私は、ラスカと一緒にいたい。生きて、一緒にいたい」

「私も、君たちがどう成長するのか、見届けたいと思っている」

 メラスが、俺の顔を覗き込んだ。

「ラスカは、私たちのことを愛しているのかい?」

「だから、目に見えないからわからな――」

「見えてる見えてないじゃなくて、お前がどうしたいのか答えろっ!」

 メラスの言葉に、息が詰まる。答えはもう、出ているのだ。出ているのだが、それを口にしていいのか、そんな目に見えない、皆に形として証明できないことを言ってしまってもいいのか、踏ん切りがつかない。つかないが、もう答えが出ているのだ。

 ……何だよ、これ。何なんだよ、これっ!

 言葉は出ないくせに、目からは余計なものが溢れ出してくる。拭っても拭っても自分から出てくるそれが、早く言ってしまえと、俺を急かしているようだった。

「――――たい」

「……え?」

「好きでいたい。愛していたい! 愛したいよ、お前らをっ!」

 言った。言ってやった。言ってしまった。でも、口にしてしまったら、もう事実として認めるしかない。目に見えない、不確かなものだけれど、俺は確かに、こいつらを愛しているし、愛していたいのだ。

 俺の胸に、クゥニが飛び込んできた。

「……なら、一緒に居ましょう。ラスカが、私のことを愛していると思えるまで。私が血を飲まなくても、ラスカのことを愛していると、ラスカが信じれるまで。それまで、そしてその後も、ずっと、ずっと、一緒に生きていきましょう」

「でも、俺、いいのかな? こんな、お前らに愛の形を見せれないのに、一緒にいて、いいのかな?」

「そうやってわからない中で、見えない中で相手のことを慈しみ、共にいることが、共にいたいと思う気持ちが、もはや愛なのですよ、ラスカ」

「まぁー、性衝動とか束縛とか、愛も色々あるけどねー」

「ズゥゼンさん。今は茶化さないでもらえますか?」

 メラスがズゥゼンを睨むが、彼女は口笛を拭いて、挑発的な態度を取る。でも、俺はそんなことよりも、メラスの言葉に衝撃を受けていた。

「そんな、ものでいいのか? そんな不確かで、曖昧で、吹けば消えてしまいそうな、薄氷の上を歩くような、そんな危ういものが、本当に愛なのか?」

 メラスはいつものように、少し疲れたような笑みで、頷いた。ズトラティと死別するまで添い遂げたメラスにそう言われると、信じるほかない。でも、だとすると、信じられない。そんな、そんな危ういものを力にして、今までクゥニたちは戦ってくれていたのか?

「ラスカは、難しく考えすぎですよ。なまじ、本来見えないものを可視化してしまう血のせいで、愛の形や、見た目に拘ってしまっているのでしょう。普通は、見えないのが当たり前で、その中で愛を見つけていくものなのですから」

「まだ、よく、わからない……」

「……いいよ、今、答えを出さなくても」

 クゥニは、俺に向かって優しく微笑みかける。

「……何度でも、言うから。私は、何があっても、ラスカと一緒にいる。今悩んでるなら、悩みが見つかるまで、ラスカの満足する愛を、一緒に見つけに行こう?」

 彼女の言葉に甘えるように、今度は俺がクゥニを抱きしめた。その温かさが何故だかとても安心して、俺は暫く、泣いた。

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