蒸気機関車が『居住区』側の駅に到着した時、吸血鬼たちは混乱の極みに陥っていた。しかし、それはある意味仕方がないのかもしれない。突如出現した蒸気機関車から、普段自分たちが飼い、狩っていた人間が、武装して現れ、自分たち吸血鬼を襲い始めるだなんて、奴らは想像すらしていなかっただろう。

 蒸気銃の炸裂音が響き、道を歩いていた吸血鬼の左腕が吹き飛ぶ。それを避けた吸血鬼に向かって、補助装置をつけた人間の鉄槌が振り下ろされた。余裕で受け止められるが、そこに一人、また一人と補助装置をつけた人間が群がり、多勢に無勢で押しつぶしていく。

「やったぞ!」

「人間でも吸血鬼に勝てるんだ!」

「今日が人間の夜明けになるのよっ!」

 歓声が湧き上がる中、補助装置をつけた人間が突然延焼した。

「人間風情が調子に乗るな!」

「囲まれなければ関係ない、蹴散らせっ!」

「お前らの飼い主が誰なのか、わからせてやる!」

 吸血鬼たちも負けじと、『御業』を使って人間たちに襲いかかる。

 それらをよそに、俺は一人駅から離れ、別の建物へと移動を開始した。懐から地図を取り出し、それに沿って走り始める。行き先は、クゥニから聞いていた、『居住区』で彼女たちに充てがわれている部屋だ。しかし、走り出してから、通路を四つ進もうかという辺りで、俺は背後から現れた何かに抱えられる。そのまま一気に、蒸気が立ち込める空へと急上昇。地面が霧で見えない恐怖に、一瞬体が硬直した。

 やがて俺は、一際高い建物の屋上へと降ろされる。水たまりに足を取られて転びそうになりながら、俺は後ろを振り返った。

「クゥニさんから、事前にラスカの防毒面の形を聞いておいて、良かったです」

「メラスか!」

 疲れたように笑う吸血鬼に、俺は安堵の溜息を付いた。

「駅の方で騒ぎが起きていたので、もしやと思って出てきたのですが、入れ違いにならなくて良かったです」

「そう言えば、吸血鬼は防毒面なしでも視界は関係ないんだな」

「ええ、少し見辛くなるぐらいです」

「……ラスカっ」

 屋上にやってきたクゥニが、俺の胸に飛び込んできた。

「……怪我は?」

「大丈夫だ。それより、ここを襲ってきた吸血鬼って――」

「ああ、ちょうど出てきましたよ。見えますか? ラスカ」

 メラスに支えられ、屋上の端に移動する。眼下には火の海と化した駅の全貌が広がっていた。吸血鬼の力でたやすく人はその首が落ち、氷で串刺しにされ、感電死した。対する人間は、鉄の巨人を盾にして、蒸気銃の集中砲火と補助装置を使った圧殺で、吸血鬼たちに立ち向かっている。更にそこへ、『牧場』からもう一台、蒸気機関車が『居住区』の駅へと突っ込んできた。吸血鬼を轢き殺しながら駅に入ってくると、そこからまた武器を手にした人間たちが降りてくる。混沌に次ぐ混沌。この戦闘は、一向に収束の気配を見せなかった。

 だが、その戦場に、そいつが現れた。

 足取りは、ゆったりとしている。青銅色の髪をなびかせ、笑う端には鋭利な牙が覗く。青白い肌は、透けて血管すら見えそうだ。着ている服は、幾重にも布が体に巻き付いているようなもので、体の線がはっきりと分かる。何十種類もの黒で体を覆っているようなその服は、吸血鬼のその豊満な胸も強調していた。

 ……ん?

「あいつ、女か?」

「ええ、そうなんです。でも、似てるでしょ?」

「ああ、そうだな」

 性別の違いはあるが、俺の記憶の中に焼き付いた、あの吸血鬼と、そっくりだ。その俺の仇に似た吸血鬼は、散歩に出かけるような軽やかさで、吸血鬼と人間の戦場へと入ってく。奴の存在に気づいた血色の髪の吸血鬼が、自分の拳を全力で振るう。拳を振るった吸血鬼の足元は、その力で陥没した。だが、奴は平然と、何の変化もなくその拳を受け止め、果実を絞るが如く握りつぶし、扉を開ける動作で腕を引きちぎる。鮮血を巻き上げながら、悲鳴を上げる吸血鬼の後ろから出てきたのは、補助装置をつけた五人の人間たちだ。彼らはぜんまい仕掛けのその手足で、俺の仇に似た吸血鬼へと襲いかかる。だが、そいつは一瞥もくれずに、ただ、腕を振るった。そして、それで終わっていた。彼女は腕を振るうと同時に、先程千切った吸血鬼の指を投擲していたのだ。それが五人の人間、その眉間に、穴を開けている。頭から、血と脳漿が吹き出した時には、彼女は先程腕を千切った吸血鬼を、蹴飛ばしていた。瞬間、吸血鬼が血煙へと変わる。蹴られた衝撃が強すぎて、肉が、血管が、神経が、骨が、血が、煙のごとく粉微塵になって、上空へと吹き上げられたのだ。

 俺は戦慄で、舌が回らなくなる。

「あいつ、髪が、まだ青銅色のままだぞ……」

「ええ。彼女は、『御業』を使わずに、あの強さなのです」

 未だに『御業』を使っていないその吸血鬼は、巨大な鳥獣と化した吸血鬼の顔をもぎ、その死体で人間をなぎ倒す。歯車の巨人も意に介さず、紙を破るようにちぎり、それを吸血鬼に投擲して射殺した。

 あまりにも規格外の強さに、自然と吸血鬼と人間は、その場で動きを止めている。物言う存在は、燃え上がる炎と上がる黒煙だけになった中、無数の人と、数多の吸血鬼を、たった一人で黙らせたそいつは、駅の中から、拡声器のようなものを見つけ出してきた。

『あ、あー、あー、あー。ボクの声、聞こえるかなー?』

 毒を持つ花の甘ったるい香りのような声が、屋上にいる俺たちまで聞こえてくる。

『おー、おー、聞こえてそうっぽいね! なんだ、こんな便利なものあるんだったら、殺して回らずに、最初っからこれつかってればよかったよー』

 てへへっ、と笑いながら、そいつは髪を器用に紐で、左右に縛る。

『いやー、一応おえらいさんと会うから、それっぽい髪型にしてきたけど、やっぱこの方がボク、落ち着くなー。でも、あの人もいけないんだよねー。ボクの言うこと聞いてくれないなら、そりゃー殺しちゃうしかないよねー。ボクもそろそろ、大人になろーと思って試しに交渉とかしてみたけど、やっぱボクのガラじゃないやー』

 殺したおえらいさんとは、この『集落』の『管理者』であるスェストヴァテルの事だろうか? しかし、吸血鬼を殺した感傷を僅かばかりも感じさせず、それどころか、まぁ、失敗は次に活かせばいいよね、というぐらいの感覚で、彼女は言葉を口にする。

『いやー、ボク、ちょっと人間を探しててさー。髪は黒くて、瞳も黒くてー、肌は、褐色っぽい感じなんだけど、十五から二十歳ぐらいの人間、ここに、いるんでしょ?』

 後半からは、声色が間延びしたものではなく、真剣なものに変わった。

『この前話に聞いたんだけど、その人間の親の血、すっごく美味しかったんだって! そいつ、まだ飲み頃じゃないから子供の方は殺してないって言ってたから、まだどこかで生きてるはずなんだよっ! そして今、飲み頃なんだよ、その人間! いいなぁ、飲んでみたいなぁ、どんな味がするのかなぁ、想像そうするだけで濡れてくるなぁ、あぁ、あぁ、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ! ボク、その人間の血が飲みたいんだっ! だから――』

 

 だから――

 

『そいつ、早く連れてこいよ』

 その声を聞く全ての存在を支配し、洗脳するような声で、その吸血鬼はそう言い放った。

『ボク、その人間にしか興味ないんだー。極上の血の一滴。それがボクの生きがいで、それを邪魔するやつは、無駄にするやつは、全員殺す。人間も殺す。吸血鬼も殺す。混血鬼も殺す。男も殺す。女も殺す。老人も殺す。子も殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。次々殺して尽くして殺す』

 彼女は両手を広げて、聞くもの全てに命じた。

『だから、その人間、ボクの前まで連れてきてよ。逆に言えば、それ以外ボクはどうでもいい。だから、その人間が手に入るんなら、ボク、吸血鬼も、他の人間も、殺さないから。むしろ興味ないから。だから、連れてきたら、もうボク、誰も殺さないよ? だから、早くその人間、捕まえてきてねっ!』

 そして、こんな一言を付け加える。

『五分以内に見つけてこなかったら、皆殺しだぞーっ!』

 そこからは、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

「あいつの言った人相を探せっ!」

「馬鹿野郎、あいつの言いなりになるっていうのか!」

「五分で見つけるなんて無理だよ!」

「私、まだ死にたくないっ!」

「吸血鬼にどうせ殺されるなら、どの吸血鬼と戦おうが関係ない!」

「殺される前に殺せっ!」

 阿鼻叫喚の地獄絵図が、霧の下で蠢いている。俺はそれを、両手で防毒面越しに顔を抑えながら見ていた。あの吸血鬼が言った、人間の人相。黒髪黒瞳、そして褐色の肌に、十五から二十歳という年齢。更に、血の美味い両親を持ち、飲み頃ではないからという理由で、吸血鬼から見逃された過去。間違いない。それら全てを満たす人物を、俺は知っている。

 俺だ。

 俺自身だ。

 あの吸血鬼は、俺を探してここまでやってきたのだ。あの吸血鬼は間違いなく、俺の両親の仇とつながっている。

 ……でも、どうする?

 奴は、強すぎる。正直、奴は今の状態でも、俺の血を飲んだクゥニたちと同じぐらい強いと思う。そいつが『御業』を使ったら、どんな強さになるのか、俺には想像がつかない。

 しかし、あの吸血鬼は、必ず俺の仇と関係している。ここでみすみす、逃がすわけには行かない。あいつから、なんとしても情報を引き出す必要があった。

 クゥニがそっと、俺の手を掴んだ。

「……私、行くよ?」

「もちろん、私もです」

 メラスも、そう言ってくれる。

「ありがとう……」

 それ以外、もう言葉が出てこない。俺は防毒面を外すと、襟を自分の胸を見せんばかりに広げてみせた。露わになった俺の両首に、吸血鬼と混血鬼が、その牙を突き立てた。血を吸われ、命を吸われる感覚に、俺は喘ぐ。やがて二人は、上気した顔で、俺から離れた。

「……じゃあ、行ってくる。ラスカは、『牧場』まで逃げて」

「彼女の生け捕りが無理なら、遺言で勘弁してくださいね」

 二人は髪を血色に染めると、屋上から飛び降りた。俺も防毒面をして服を整えると、階段で地上を目指しながら、窓の外から状況を確認する。

 二人の赤い死神は、俺を求めてやってきた吸血鬼へ、踊りかかった。メラスが不可視の爆弾を量産し、その間を縫うように、クゥニの髪の毛が神速の槍となって彼女を襲う。襲われた吸血鬼は、素手で不可視の爆弾をかち割った。爆風と業風が吹き荒れ、それを突き破るように、髪の槍が血の雨の如く彼女へと降り注ぐ。が、それら全てを、奴は手刀で叩き落とした。しかし、クゥニもそこで終わらない。落とされた槍は、地面を這い寄る蛇のように、獲物に向かって突き進む。上空にはメラスによって、更に不可視の爆弾が生み出されていた。

 それを見て、青銅色の髪をした吸血鬼は舌打ちをする。そしてついに、彼女の髪が鮮血のように色を変えた。

 瞬間、上空の不可視の爆弾が凍りついた。可視化された爆弾が地上へ落ちてくるより前に、彼女に絡みつこうとしていた髪が、灼熱の炎で延焼させられる。凍らせた爆弾を粉砕し、彼女はクゥニとメラスへと視線を送った。

 そこへ、他の吸血鬼と人間が加勢に入る。クゥニたちの登場で、俺を探す吸血鬼を倒せる状況になったと考えたのだろう。しかし、彼らの一波は容赦なく極寒による氷の彫刻へと姿を変えられ、第二波は灼熱に巻き込まれて、炭と骨、いや、それすらも残さず燃やし尽くされた。その間クゥニとメラスも攻撃を仕掛けるが、相手の底上げされた身体能力と、交互に繰り出される灼熱と極寒の前に、徐々に押され始めていた。どうやら彼女の『御業』は、温度操作と身体能力の強化のようだ。でも、炎と氷、温度変化で一度に操れるのは、どちらか片方だけらしい。

 俺はこれらの混乱に乗じて、なんとか駅へ、辿り着いた。防毒面をしているおかげか、まだ俺が尋ね人であることは、ばれてはいないようだ。俺は、まだ形を保っている蒸気機関車の元へと辿り着く。動かせるかどうかはわからないが、ひとまず運転席の方へと足を進めた。扉を開けると、そこには先客が居る。

「待っていたよ、ラスカ」

「ズラドゥス! 来てたの――」

 彼が蒸気銃を俺に向かって突き出したのを見て、ズラドゥスがどういう立場なのか、瞬時に理解する。

「さぁ、一緒に来てもらおうか」

「お前、吸血鬼に恋人を殺されて、恨んでたんじゃないのか?」

 俺は抵抗しない意思を伝えるため、両手を上げながら、ズラドゥスへそう問いかける。こいつが俺のように、大切な人を奪われ、復讐に生きているのなら、俺の言葉が必ずこいつにも届くはずだ。俺の言葉に、ズラドゥスは頷いた。

「そうさ。オレは、吸血鬼を恨んでいる」

「なら、どうして蒸気銃を俺に向けるんだ? 向ける相手は、吸血鬼だろ?」

「いいや、これであってるよ。こうすればオレは、生き残れるんだから」

「お前、スェストヴァテルが、恋人を殺した吸血鬼が死んだから、そうやって自暴自棄になってるのか? でも、今ならスェストヴァテルの仲間を、吸血鬼どもを一網打尽に出来る絶好の機会なんだぞ? それなのに――」

「違うよ、ラスカ。お前は、勘違いしている」

 俺の言葉を遮り、ズラドゥスは首を振った。

「確かに、ミレネスを直接殺したのは、スェストヴァテルだ。でも、本当の意味で彼女を殺したのは、奴じゃない」

 一瞬、俺は言葉に詰まる。

「何を、言ってるんだ……?」

「だから、オレなんだよ、ラスカ。どちらか片方だけ生かしてやると言われたから、オレがミレネスをスェストヴァテルに差し出したんだ」

「は?」

 ズラドゥスの言っている意味が、俺には理解できない。いや、理解できているが、理解したくない。

「それじゃあ、何か? お前は、過去の恋人を身代わりにして、生き残ったっていうのか?」

 その言葉に、ズラドゥスは笑いながら頷いた。

「そうさ。だからオレは、吸血鬼を恨んでるんだ。オレにミレネスを身代わりにさせた、吸血鬼をね」

「馬鹿な! だったら、何でお前は『反抗勢力』を指揮していたんだ!」

 ズラドゥスは、授業で当てた生徒が、問題を回答できないと判断した先生のように、首を振った。

「だって、そうしないと、復讐しようとしていないと、まともに生きられないじゃないか。ミレネスを俺が殺したという現実に、オレは耐えられないんだよ。だからオレは、吸血鬼を恨んでる。勝てないとわかっているが、それでも、オレが生きていく為に、戦おうとしている行為を続けるのは、必要な事なんだ。だからまず、生き延びること、逃げ延びることが必要なんだ。安全に、安心な場所で、ただただ自分の牙を研いでいたいんだよ。そうすれば、死ぬまでまだ勝てない状況を続けれるだろ?」

「勝てない? じゃあ、お前は自分が恋人を過去に身代わりにした罪から目を背けるために、『反抗勢力』をまとめて、あれだけの施設まで作って、皆を巻き込んで、何もしないまま死んでいくつもりだったのか?」

「これから最初の部分に、ラスカも追加されるけどね。スェストヴァテルが死んだ時は、どうしようかと思ったけど、結果的にこれでよかった。お前が出発した後、オレが残らず他の奴らもこっちに連れてきたからね。今まさに、吸血鬼のせいで、『反抗勢力』は壊滅するだろう。そうしたら、また一らか、いや、ゼロから始めることが出来る。まだ勝てない戦いを、もう一度始められるよ。ありがとう、ラスカ」

 俺は言葉を失い、ただ立ち尽くす。こいつは、俺と同じ復讐者なんかじゃない。既に心の中で負けを認めている敗北者。いや、それ以下だ。敗北したことを表に出せないから、周りを巻き込んで、皆で一緒に自殺をしようとしている、殺人者。

 復讐者として、自分自身が果てるのなら、まだわかる。志を持って、一緒に死地へ向かってくれる仲間がいるのも、理解できる。でも、負けを認めてない人達を巻き込んで殺すのは、そんなやり方は、俺は、俺はそんなやり方、そんな存在、断じて許せるはずがない。

「ズラドゥスっ!」

 俺がズラドゥスに飛びかかったのと、彼の蒸気銃が火を拭いたのは、同時だった。

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