皿洗いに、机と椅子の除菌と整理整頓、明日の仕込みの準備まで手伝って、俺はようやくイデェルナ食堂を後にした。散々飲み食いしたが、今日はこの街に来たばかりということなので、これぐらいで許してくれたらしい。

 食堂の外は相変わらず蒸気が蔓延し、街燈の光がぼやけて、ここが現実なのか夢の中なのかわからなくなる。しかし、防毒面越しに見えたズラドゥスの姿ははっきりとしていて、ここは人間が吸血鬼に支配されている世界なのだと、改めて思い出した。

「それじゃあ、ついてきてくれ」

 そう言ってズラドゥスは、蒸気の森の中を歩き始めた。俺も、彼の背中についていく。左右に立つ建物が煙の枝を生やし、街燈の人工的な明かりが、ありもしない果実を連想させた。通りを三つほど過ぎると、そこにぜんまい仕掛けの、馬車の出来損ないみたいなものが現れる。その屋根からも、黙々と蒸気が吐き出されていた。

「さぁ、乗ってくれ」

 ズラドゥスに促され、俺もその中に乗り込んだ。座面は思ったよりも固めに作られており、しかしそれは地面の凸凹を吸収するためなのか、車体が揺れても、その揺れを全て撥条が吸収してくれている。

「どこに向かってるんだ?」

「すぐに分かるさ」

 はぐらかすズラドゥスへ憮然とした態度で返すが、防毒面をつけたままだからか、いまいち相手に反応がない。俺は嘆息しながら、車体の外へと目を向ける。一応窓も付いているが、そこから見える光景は霧、煙、蒸気と、はっきり言って何も見えない。これしか見えないのであれば、もういっそ、窓など外してしまえと思った。

 やがて、俺たちを運んでいた馬車もどきは、ある場所で停車する。そこは――

「駅?」

「その通り。と言っても、これから『居住区』へ向かうわけじゃない」

 そう言ってズラドゥスは、外へと出ていってしまう。仕方なく俺も付いていくと、彼が唐突に問いかけてきた。

「ラスカは、この吸血鬼に支配された世界を、どう思う?」

「どう、って?」

「オレたちの街は一見幸せそうに暮らしているが、結局は全員、スェストヴァテルの家畜でしかない。そして奴も、オレたちのことはその程度にしか思っちゃいないよ。家畜が精神的な負荷で不味くならないように、『蒸気機関』の研究・開発を認めているだけさ。そして、家畜が作ったものは自分のものという精神で、奴らの『居住区』の発展も俺たちに丸投げしている。クソくらえだ」

 ズラドゥスは倉庫へ向かっていき、何のためらいもなくその中へと入っていく。明かりのないその場所を、彼は自分の家の庭を歩くような軽やかさで、進んでいった。俺もついていくが、その脇に現れたものに、驚愕する。

「これは、蒸気機関車か?」

「そうさ。オレたちが作った、オレたちだけの、六つ目の蒸気機関車だ。吸血鬼の奴らは、『御業』を使えば、オレたち人間の血を飲めば、こんなものは必要ない。だから奴らは『蒸気機関』の、『科学』の仕組みに興味もないし、理解しようともしない。蒸気機関車の整備も、俺たちに任せっきりだ。でも、それがオレたち人間の強みになる」

 更に倉庫の中へ進むと、そこは行き止まりだった。

「ラスカ。もう少し、こっちに来てくれ」

 言われた通りズラドゥスの近くへ寄ると、彼は壁に向かって、釦を押下する。すると、地面が突然揺れ始めた。

「オレに捕まって」

 ズラドゥスの手を取ると、揺れる地面は倉庫の床へ、そして更に深くへと潜っていく。俺たちのいた床も、自動で蓋がされていた。隠し通路だ。倉庫も暗かったが、ここも暗く、更に足場が揺れるので、不安定さが倍増される。

「ラスカ。オレは、吸血鬼に反抗する、『反抗勢力(オポジツァ)』の長を務めている」

「何だって?」

 暗くてズラドゥスの顔色はわからないが、俺は愕然とした表情を浮かべているはずだ。吸血鬼の支配から人間を解放するため、どこの『集落』にも人間が立ち上げた『反抗勢力』が存在している。しかし、反抗とは名ばかりで、結局は本気で吸血鬼に勝てると思っている人間はほとんどおらず、吸血鬼を憎むことで人間の心の支えとし、慰めのためにその言葉を口にしているだけの組織だ。吸血鬼も『反抗勢力』の存在を認知しているが、人間の力では何も出来ないと知っているため、笑いの種になっているのが実情だ。

「オレは前に住んでいた『集落』を、スェストヴァテルに破壊されたんだ。そしてその時、オレの恋人は、死んだ。スェストヴァテルは、オレの恋人の仇なんだ! だからオレはスェストヴァテルを、吸血鬼を絶滅させるって、誓ったんだよっ!」

 突如明かされるズラドゥスの告白に、俺は二の句が告げなくなる。俺のような境遇で、俺のようなことを考えている人間と、まさかこんな所で出会うとは思わなかったからだ。

 降下していく中、しかし俺は、ズラドゥスに言わなければならない事があった。

「ズラドゥス。お前の意気込みや、想いは十分理解できる。でも、俺たち人間じゃ、どうやったって吸血鬼に勝てっこないじゃないか!」

 それは、俺がクゥニに出会う前に辿り着いた、絶対的な答えだ。人間だけの力で成し遂げられるのであれば、吸血鬼に勝てるのであれば、皆それをやっている。でも、それを成し遂げた人の話を聞いたこともない。俺は再度、ズラドゥスに向かって首を振った。

「人間の力じゃ、吸血鬼には勝てないんだよ……」

「そうだな。人間だけの力じゃ、勝てない。オレも、それはわかっている」

「ならっ!」

「だから、お前に見てもらいたい物があるんだ」

 やがて揺れが止まると、ズラドゥスはそのまま俺の手を引いて、そこにある扉を開け放った。そこから溢れ出てくるまばゆい光に、俺は防毒面をつけているにも関わらず、思わず手で顔を覆ってしまう。覆っていた手をどけると、そこにあったものに、俺は驚嘆した。

「なんだ、ここは……」

 そこは、イデェルナ食堂を何十倍も広くしたような空間だった。清潔そうな白に染められたその空間で、人間たちが忙しなく動き回っている。ある人は歯車の微調整を行い、ある人は人を模した藁に向かって、ぜんまい仕掛けの筒を向けている。すると、馬鹿でかい音が発せられた瞬間、立てかけられていた藁、ちょうど頭部の辺り、が吹き飛んだ。

「あれは、蒸気銃だ」

「何だって……?」

「蒸気の力を使って、物体を射出するのさ。飛ばすのはどの物体にするのがいいか、まだ研究中だが、来る日がくれば、吸血鬼の頭もぶち抜いてみせる」

「凄い……」

「おっと、驚くのはまだ早いぜ」

 ズラドゥスに手を引かれ、今度は人が歯車だらけの何かを背負っている場所へと連れて行かれる。それは人の手足を侵食するように伸びていて、関節周りから時折蒸気を噴き出していた。それを着た人が、自分よりも二回り程大きい岩を、気合の声と共に持ち上げていた。

「あれは、蒸気で動く、補助装置だ。人間の体に合わせて、蒸気の爆発的な力を解放する。まだ研究中だが、その時が来れば、吸血鬼を殴り殺してみせるさ。次は、こっちだ」

 次に現れたのは、蹲るように座る、歯車で組み上げられた、鉄の巨人だ。俺たちが近づいた瞬間、巨人の瞳に、赤い光が灯る。そして、凄まじい蒸気を吹き出しながら、立ち上がった。所で、起動を停止してしまう。

「こいつは旧型を改良した試作品なんだが、まだまだ実用化まで程遠いな。大型の蒸気銃や質量で吸血鬼を薙ぎ倒そうと思っているんだが、小型化が中々上手く行かない。当分、試行錯誤の実験が続くな」

「ズラドゥスさん、来てたんですね!」

 実験を続けていた人たちが、ズラドゥスの姿を見つけて集まってくる。

「ズラドゥスさん、いつ吸血鬼と戦うんですか?」

「皆で力を集まれば、人間の楽園を作ることだって夢じゃないぞ!」

「僕、早く自分の実験結果が正しいってことを、吸血鬼相手に証明したいなぁ」

「私も、もう血を吸われる生活から開放されたいっ!」

 集まる人々を、ズラドゥスはなだめていく。

「まぁまぁ、待て待てお前たち。気持ちはオレもわかっているが、まともに動かせないようじゃ、勝てるものも勝てないだろ? 皆、辛いのはわかるが、もう少しの辛抱だ。必ず吸血鬼に勝てるものを開発して、オレたち人間の街を作ろう。その時初めて、オレたちの街に、名前を付けるんだ」

 ズラドゥスを囲む人達が、彼の意見に賛同し、称賛した。それを見ていた俺は、震えが止まらなくなる。

 ……まさか、本当に人間の力で、知恵の力で吸血鬼に勝とうとしているだなんてっ!

 聞きたいことはあったが、俺はズラドゥスの考えに、既に賛同していた。吸血鬼を倒せるのなら、俺の仇を取れるなら、俺は何だって賛同する。しかし、今の俺は、手放しで賛同できない理由があった。

「ラスカ。どうだろう? 君もオレたち『反抗勢力』に合流して、吸血鬼を滅ぼすのを手伝ってくれないか?」

「なぁ、ズラドゥス。その滅ぼす相手には、混血鬼も含まれているのか?」

「当たり前じゃないか。奴らは弱いとは言え、『御業』が使えるんだ。オレたち人間の血を狙ってるんだぞ? 殺すに決まってるじゃないか」

「そう、だよな……」

 恋人を殺されたズラドゥスの、吸血鬼に対する憎悪は本物だ。だからこそ余計に、俺は言うことが出来ない。俺には吸血鬼と混血鬼の、愛する仲間がいるだなんて。

「じゃあ、いつ頃スェストヴァテルたちに反逆できそうなのか、時期の目処は付いているのか?」

 ズラドゥスに不審がられないように、俺はそう言って話題を変える。彼は肩をすくめて、小さく笑った。

「ラスカ。さっきの話、聞こえてなかったのか? 変に時期を決めても、勝てる状態になる前に戦いを仕掛けたって、負けるだけさ。そして負けたら、オレたちが挑戦する機会は、きっともう来ないだろう」

「でも、そんな悠長なこと言ってられるのか? ここの場所だって、奴らに気づかれるかもしれないぞ」

「大丈夫さ。言っただろ? 東西を結ぶ線路を監視仕組みも、オレたちが作ったんだ。この『集落』は、ある意味オレたちが作り上げたに等しい。だから、吸血鬼に見つかる心配はない。安心して、勝てるその日まで、じっくり、ゆっくりと実験を重ねればいいんだよ」

 俺が口を開くよりも早く、ズラドゥスは俺の肩に手を乗せる。

「オレたちの街に来たばかりで、疲れただろ? 返事はまた今度でいいから、今日はもう帰るか」

「そうだな……」

 言いたいことはまだあったが、俺は大人しくズラドゥスの言葉に従うことにした。その帰り道、揺れる馬車もどきの中で、ズラドゥスに俺の探している吸血鬼、仇の人相を伝えたが、そんな吸血鬼は知らないと言われる。そしてそのまま俺の新しい家となった建物の前で降ろされた。俺は階段を登り、三階に向かう。俺が一歩踏む度に、周りの煙の中へ、甲高い足音が響いていった。自分の部屋の前で、鍵を差し込む。が、捻っても鍵を開けた感触が返ってこない。俺はゆっくりと、扉を開いた。

「……おかえりなさい」

 部屋の中に待っていたのは、やはりと言うべきか、予想通り、クゥニだった。俺と同じような服装に着替えた彼女は、寝具の上で、無表情にこちらを見上げている。

「……どうしたの? その防毒面」

「変か?」

「……似合ってない」

 無言で防毒面を外し、棚の上に置く。

「どうやってここに?」

「……『居住区』から、最後の便に乗って『牧場』に来た。鍵は、開けた」

 その言い分に、俺は思わず苦笑いを浮かべる。

「それじゃあ、情報交換といこうか」

 クゥニの隣に座ると、彼女が感情を感じさせない瞳で、俺を見つめてくる。

「……お酒臭い」

「歓迎会があったんだよ。お前らは、そういうのなかったのか?」

「……メラスに、任せてきた」

「まぁ、お前、ああいうの苦手だからなぁ。じゃあ、情報はまだメラス待ちなのか?」

 そう言うと、クゥニは俺に指を絡めてきた

「……ここの『管理者』のスェストヴァテルは、結構用心深い」

「と、言うと?」

「……いつも、人間の血が入った瓶を持ち歩いている」

「どう考えても、『御業』のためだな」

「……それも、複数本常時しているみたい」

「常に元々持っている『御業』の強化し、更に新しい『御業』を使える状態を維持してるのか。確かに、厄介だな」

「……私がいるから、大丈夫」

 クゥニが俺の肩に、頭を乗せてくる。俺も、そうだな、と言って、彼女の手を握り返した。

「……スェストヴァテルの『御業』は、まだ調査中」

「脱出する時のために、奴の『御業』がどんなものなのか、それは押さえておきたいな。それで――」

「……ラスカの仇の情報は、明確な回答が得られなかった」

「俺たちに対して、取引材料になると思ってるんだな……」

 実際その通りなのだが、ここの『管理者』は中々どうして、抜け目が無いらしい。

「……ラスカの方は、どうだった?」

「凄いぞ。『反抗勢力』が、本気で吸血鬼を絶滅させようとしている」

 俺の言葉に、クゥニの手の力が強くなる。蒸気銃や他の仕組みについて、俺は彼女に一通り話し終えた。

「気になっている点はあるが、あれが大量生産されれば、確かに人間が吸血鬼を倒せる日が来るのも、夢じゃないな」

「……そうなったら――」

「馬鹿。あの武器があれば、もう少しお前らが楽になると思っただけだ」

 手に力を込めると、それに彼女が手で返事を返ってくる。

 確かに、人間だけで吸血鬼に勝てる力を手にしていたのなら、俺はクゥニと共犯関係を結ばなかったし、メラスとも行動を共にしていなかっただろう。

 だが、俺はもう、自分の道を選んでいる。クゥニとメラスがいない未来は、俺は想像できないし、したくない。そのもしもは、あり得なかったから、もしもなのだ。

 でも、俺が選ばなかった道であっても、人間の手で自由を取り戻そうとしているズラドゥスたちの道を、止める理由はない。むしろ、その時を見届けたいとすら思える。

 ……不確定要素が多いなら、『反抗勢力』が蜂起するのにあわせて、俺たちが逃げ出すのも、選択肢としてありえるな。

 スェストヴァテルの『御業』も不明で、俺の仇の情報も手に入らないのなら、いっそズラドゥスが仇討ち出来る機会を用意するのもありだろう。

 未完成であっても、今の蒸気銃の威力なら、複数当てれば吸血鬼も負傷はするはずだ。『牧場』にスェストヴァテルを引きずり込み、俺たちで負傷を追わせ、俺たちが離脱している隙きに、ズラドゥスたち『反抗勢力』が吸血鬼に総攻撃を仕掛ければ、勝てるはずだ。

「……でも、まずは、ラスカの仇の情報を引き出す手を打ってから。じゃないと、この『集落』に来た意味がない」

「そうだな」

 その後二人で今後の話をした後、久々に二人、一緒の寝具で朝を迎えた。

 

 でも、俺はこの時、不覚にもこの世界の常識を忘れていたのだ。

『反抗勢力』の蜂起にあわせる? スェストヴァテルの『御業』が不明な場合の代案を考える? そんなぬるい考え、そんな弱者の甘え、一体誰が見逃してくれるというのだろうか?

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