そして俺たちは『管理者』、スェストヴァテルとの面会を済ませ、予想通り、俺だけ『牧場』へと向かわされたのだった。

「なぁ、ここの『牧場』のことなんだが――」

 そう言った俺に、ズラドゥスが嫌そうな顔をして振り向いた。

「ラスカ。オレたちの街を、『牧場』なんて呼ぶのは止めてくれ」

「でも、『牧場』は『牧場』だろ?」

「違う! ここは、安全に生きていける、オレたちの街だっ!」

 強い意志を込めたズラドゥスの藍色の瞳に、俺は思わずたじろいだ。

「じゃあ、ただの街って言えばいいのか?」

「そうだ。味気ないけど、今はまだ、名前はなくていいんだ」

 言っている意味はわからないが、俺は彼の言う通りにしようと決めた。俺はこの『集落』に自分の仇を探してやってきたのであって、人間同士の価値観の違いを議論しにきたのではない。

「じゃあ、この街なんだけど、『管理者』のスェストヴァテル様からは――」

「あんなやつ、様付けする必要はない! どうせ吸血鬼も、こっちには来ないんだ。いちいちへりくだる必要なんてないよ」

「そうかい……」

 どうやらズラドゥスは、何かと自分で決めた法則に則って動きたい性質のようだ。俺は左手で口元を覆い、右手で蒸気をかき分けながら、言葉を紡ぐ。

「スェストヴァテルから聞いたんだが、この街は、かなり人間の自由意志が尊重されているみたいだな。吸血鬼にしては珍しく、人間が自分から勧んでより良い環境を作り出していくことを、むしろ推奨するとまで言っていた」

「ものは言い様だな。でも、あいつらが余計な口出しをしてこなかったから、この街、そして『集落』全体は『蒸気機関』が発達したんだろうよ」

 ズラドゥスが憎々しげにそう言って、俺と彼が最初に出会った場所、駅の方角を見る。

「この『集落』は楕円形に伸びていて、西側が吸血鬼たちの『居住区』、そして東側が、オレたちの街だ」

 ズラドゥスがそう言ったのを見計らったかのように、駅のある方角から大量の蒸気が吹き上がる。そして金属と金属が互いを互いで打ち付けたような音をがなり立て、出発を告げる鈴の音が、鐘の音が、姦しく騒ぎ出した。それを聞きながら、俺は言葉を紡ぐ。

「ここに来る途中に乗ってきたが、あれは一体何なんだ?」

「ああ、蒸気機関車の事か。オレたちの研究・開発の成果の一つだよ」

 そう言ったズラドゥスは鼻を啜ると、得意げな様子で話し始めた。

「高温高圧の蒸気を発生させ、高出力を実現させる。その力を往復運動に変換して、更にそれを回転運動に変換させるんだ。そうすることで歯車を無限に回し続けて――」

「ありがとう、もうわかったよ」

 彼の言葉が理解できないとわかった時点で、俺はズラドゥスの言葉を止めた。原理はわからないにせよ、人間が管理できる状態で、あれだけの力が生み出せるということは理解できた。

「その蒸気機関車だが、全部でいくつあるんだ?」

 ズラドゥスはまだ話したりなさそうにしていたが、渋々といった様子で、俺の質問に答える。

「駅にあるのは、五つさ。オレたちの街と『居住区』には蒸気機関車が走るための五本の線路で繋がれていて、こいつに乗らないと区域間の移動は出来ないようになっている」

「出来ない? でも、陸続きだっただろ?」

「徒歩でも移動しようと思えば確かに出来るが、吸血鬼共が許してないんだよ。見つかった時点で、処罰対象さ」

 まぁ、それを監視する仕組みも、オレたちが作ったんだけどね、とズラドゥスはつまらなそうに言った。

「でも、逆に蒸気機関車に乗れば、人間も『居住区』への行き来が許されている」

「人間も?」

「そうさ。他の『集落』じゃ、考えられないことだろ? 普通、吸血鬼は支配する人間と自分たちの差をわかりやすい形で、例えば住む場所とかでわからせようとするからな。そこが、スェストヴァテルの嫌らしいところさ」

 そう言って、ズラドゥスは自嘲気味に笑った。

「ラスカ。吸血鬼どものこの『集落』は、今も日に日に拡大してるんだ。それを効率的に進めるために、奴らはオレたち人間の力を使ってる」

「働かされてるってことか?」

「そうさ。でも、肉体労働じゃない。知的労働の方で、だ」

 ズラドゥスは煙立ち上る自分たちの街を眺めて、鼻を鳴らす。

「人間と吸血鬼じゃ、吸血鬼の方が力が圧倒的に強い。だから必要な資源の採掘や加工は吸血鬼共がやってくれる。で、代わりにオレたちは、『科学』を、『蒸気機関』を発達させ、その力で『集落』を広げているのさ」

 小型の蒸気機関車みたいなものが、俺たちの眼前を通り過ぎる。そいつが大量の煙を吐き出した後、ズラドゥスの防毒面についている排気弁からも、煙が吹き出した。

「だからこの『集落』は、この街は、木の年輪を重ねるように増築している。蒸気機関車を格納している駅に近いほど美味い食堂が集まっているし、この街で一番求められる花形の仕事は、蒸気機関車の研究・開発さ。お、着いたぞ」

 そう言って彼が見上げたのは、薄汚れた建物だ。他の建物と同じように鈍色の管が張り巡らされ、時折煙を出している。それに絡みつくようにして出来ている、金属で編まれた階段を登り、途中蒸気で出来た水たまりに足を取られそうになりながら、俺たちは三階まで登ってきた。その一番奥の部屋まで歩き、俺たちは足を止める。

「ここが、今日からラスカの部屋だ。あるのは着替えと寝具だけ。食事は空いている食堂に行けば何でも食べれるが、食べた分は皿洗いとか労働で対価を求められる。基本的に、血を飲まれる家畜に成り下がるなら、そこまで働かなくたってこの街では今は生きていけるが、より良い生活がしたいのなら、駅に行けば仕事を斡旋してもらえるよ」

 そう言った彼から鍵を受け取ると、ズラドゥスは俺の耳元で防毒面越しに囁いた。

「今晩、お前の歓迎会をするから、夜、イデェルナ食堂まで来て欲しい。場所は、適当に歩いてる人に聞けばわかる」

 俺の返事を待たずに、ズラドゥスは手を降って去っていった。俺は釈然としないまま、扉に鍵を差し、部屋の中に入る。ズラドゥスが言っていた通り、部屋には着替えが数着配置されている棚と寝具が置かれていた。そして、轟々と唸りを上げ、部屋の蒸気を排出する巨大な物体も鎮座している。蒸気で発達した街は、蒸気を逃がすために、自分の生活空間を切り詰めなければならないらしい。

 ……こんなにうるさくて、今日眠れるかな。

 棚の方に歩いていくと、そこには蛸の足がいくつも伸びたような防毒面が置かれていることに、俺は気がついた。手にとって見てみるが、不審な点は見当たらない。ひとまずつけて見ようと悪戦苦闘するが、その途中、防護面に目を保護するような、黒塗りの眼鏡みたいなものがあるのに気がついた。そこを目に当てるようにすると、上手く防護面を付けることが出来た。

 ……息は、出来るみたいだな。

 多少の息苦しさは感じるが、それはきっと慣れの問題でもあるのだろう。俺は防護面を脱いで、用意されている服に着替える。天鵞絨を基調としたそれを着てみるが、初めて着る形の服なので、どうにも落ち着かない。新参者としてからかわれている気もするが、街で見かけた人たちも、そして『居住区』に居た吸血鬼ですらこのような格好をしていた。据わりが悪い気もするが、これがここの『集落』の普段着なら、無理に拒絶すると不審に思われる。仕方ないが、歓迎会とやらにはこれを着て出るしかないようだ。

 イデェルナ食堂という場所がわからないので、俺は上空の煙が橙色になった頃に、家を出た。夕日すらもまともに届かないこの街で、段々と街燈の明かりの存在感が増していく。防毒面のおかげで視界はまだ見えやすくはなったが、喋り辛さは如何ともし難い。

 結局俺はイデェルナ食堂へ辿り着くまでに、黒の外套を着た男性と、胸の下から腰までを革の装具で覆った女性、そして服の上から黄金の刺繍をあしらった小手をつけた片眼鏡の男性と、三人に道を尋ねる必要があった。もう街の光は、統一感のない街燈と建物から溢れる光しかない。

 俺は目的地の目印として聞いていた、赤く光る看板の店へ足早に駆け寄る。その扉をくぐると、中の喧騒が、イデェルナ食堂の活気が、俺の全身に打ち付けられた。中は五十人程入れる広さになっており、使い込まれた机と椅子が乱雑に並べられている。その机の上には、所狭しと皿が並べられており、そこには様々な料理が鎮座している。肉汁が溢れる牛肉。素揚げされた芋の傍には洋辛子が添えられ、狐色に煮た豚肉の周りを、煮玉子と大根、人参が彩っている。胡麻だれがたっぷりと掛けられている茹でた鶏肉の下に、刻んだ胡瓜と赤茄子が覗いていた。他にも、伸ばした麺麭生地の上に玉蜀黍や牛乳を発酵して作った乾酪を乗せて焼いたものや、米を魚介類と野菜を混ぜてだし汁で炊いたもの等、見ているだけでも飽きが来ない。防毒面を外すと、それらの料理の匂いが一気に俺の鼻腔を襲い、腹の虫が盛大に自己主張を始めた。

「ラスカ! こっちだっ!」

 取っ手のついた硝子の酒杯を高く上げ、ズラドゥスが俺のことを呼んだ。酒杯の麦酒は、既に残り四分の一しかない。彼は近くを通りかかった店員に、麦酒を二つ追加で注文してから、隣に腰を下ろした俺に話しかけてくる。

「遅かったじゃないか、心配したんだぞ」

「だったら、家まで迎えに着てくれてもよかっただろ?」

「仕方がないさ。オレたちには、やるべきことが沢山あるからな!」

「やるべきこと?」

「それより、早くこの料理を食べてくれよ! これ全部、食材をこの街で一からオレたちが作ったものなんだぜっ!」

 俺の疑問は、酔った彼の声に掻き消される。炒めた麺に、野菜と海老、帆立が入ったあんが、これでもかとかけたものを取皿にもられていると、先程ズラドゥスが頼んだ麦酒が届けられた。

 酒杯を持ったズラドゥスが立ち上がり、食堂中の視線を集める。

「さぁ、未来あるオレたちの街に、今日新たな仲間が加わった! ラスカに素晴らしい未来と、願わくばオレたちの同胞となってくれることを祈って、乾杯っ!」

「「「乾杯!!!」」」

 所々聞きたいことがあったのだが、周りの人達からの乾杯の嵐に、俺はそれどころではなくなった。

「あんた、どんな所から来たんだ?」

「この街はどうだい? 素晴らしいだろ!」

「ズラドゥスが皆をまとめてくれているから、俺たちはこんな生活でも希望を持って生きていられるのさ!」

「さぁ、肉ばっかり食べてないで、魚や野菜もちゃーんと食べておくれよ?」

「私の生まれた『集落』は吸血鬼の抗争に巻き込まれて、なんとかここまで逃げてきたんだけど、私はここでの生活が気に入ってるよ」

「僕たちの街以外に、『蒸気機関』が発達していた『集落』はあったかい?」

「他の『集落』の人たちは、『蒸気機関』なしでどうやって生活しているの? 私、そんな不便な生活耐えられないわ」

「『電子機関』の『集落』に行ったことは?」

「わしの『集落』はこの街に取り込まれたんじゃが、『蒸気機関』で悪い腰を補佐してくれるおかげで、なんとか生活出来ておるよ」

「ほらほら、お酒がもうないんじゃないか? 女将さん! 白葡萄酒の瓶二本と、酒杯も三つ持ってきてくれっ!」

「酒杯は四つだ! 今日はおいらも飲むぞぉっ!」

 どんちゃん騒ぎの中、もう俺はもみくちゃにされるのを、ただ受け入れることにした。もう俺をだしにして、騒ぎたかったとしか思えない。だが、この街の人達が口にしているように、この『牧場』の人間たちは、他の『集落』と比べて活気づいているし、人生に絶望もしていない。多くの『集落』では、人間は吸血鬼の家畜として身の丈にあった、ある意味諦めの暗さを抱えているのだが、そういったものは、イデェルナ食堂に集まった人達から感じることはなかった。

 散々飲まされ、食わされた後、ようやく俺は手荒い歓迎会から開放される。

「どうだった? ラスカ。ここでの生活は、やっていけそうか?」

「毎日こんなに騒がなければ、多分大丈夫さ……」

 机に突っ伏しながら、俺はズラドゥスへそう答える。水の入った酒杯を飲み干して、俺は厨房の方へと歩きだした。

「どこに行くんだ? ラスカ。便所はそっちじゃないぞ」

「知ってるよ。でも、飲んで食った以上、その分働かないといけないだろ」

「いや、お前の歓迎会なんだから、今日はオレがなんとかするって!」

「悪いが、そうやって誰かの好意に甘えるのは、嫌なんだよ」

 そういうのはきっと、信頼関係が成り立つ相手とだけ行うべきなのだ。あるいは、これから長い時間を欠けて、そうした関係になっていく人達と、すべきものだと思う。例えば愛し合う、クゥニや、メラスのような奴らと。

 ……でも俺は、自分の仇が居なければ、この『集落』からすぐに消える。仇が居たら、俺はこいつらの生死に関係なく、奴を殺すことを選ぶだろう。

 いずれにせよ、俺はきっとここにはいられない。だから、そういう関係を、俺は作りたくなかったのだ。

 ある意味信頼関係の構築を断った俺の言葉を聞いたズラドゥスは、何が面白いのか、自分の席で爆笑した。その反応が不可解で、俺は思わず振り向いてしまう。

「何だよ? 俺、そんなにおかしなこと言ったか?」

「いいや、言ってない。でも、オレはお前のことを気に入ったよ」

「そいつはどうも」

「ラスカが働くのを無理に止めはしない。でも、それが終わった後、少し顔を貸してくれないか」

「まぁ、それぐらいなら……」

「よし、決まりだ! オレが酔いつぶれる前には、戻ってきてくれよっ!」

「それはお前次第だろ?」

 俺の言葉を聞き届けるより早く、ズラドゥスは彼を待ちわびる人達の輪の中へと消えていった。ああいう人が、誰からも愛される存在なんだろう。自分の血(愛)を復讐に捧げた俺とは、大違いだ。

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