メラスがズトラティと『集落』から駆け落ちをしたのは、今から二百六十年程前のことだという。

 吸血鬼は人間に比べて、圧倒的に寿命が長い。そのため子孫を残そうとする意思も薄く、生まれた子供や生んだ親、稀に生まれる兄弟に対しても、家族意識が希薄だ。だからこそ吸血鬼は、死ぬまでの久遠のような退屈を凌ぐため、新しい刺激に飢え、思考が過激に、つまり残虐性を帯びていく。そしてそのいらない好奇心は、大概人間に向けられるのだ。

 しかし、ズトラティと出会った当時、既に二百年以上生きていたメラスは、自分の人生に飽きていた。二百年も生きていれば、一通り人間の殺し方は経験している。それに飽きたので、同胞も同じように殺してみたが、それすらも飽きてしまった。かといって、試しに死んでみようとも思わない。今まで殺してきた人間、そして吸血鬼の亡骸が、とても楽しいものだと思えなかったからだ。

 だからだろうか? メラスには、ズトラティが光り輝いて見えていた。彼女は美しい銀髪の持ち主だったが、決して恵まれているとは言えない生活をしていた。いや、はっきり言えば、不遇だった。しかしズトラティは自らの境遇にめげることなく、いつも笑顔を絶やさず、常に誰かに寄り添い続けた。そんな彼女を、メラスは欲した。ズトラティはメラスの傍にいるのに、たった一つの条件を出し、彼もそれを受け入れた。しかし、その関係を、他の吸血鬼は許さなかった。いや、面白がって邪魔を、二人の仲を引き裂こうとした。何故ならその方が、吸血鬼にとって、面白かったからだ。一方、ズトラティにとって、その状況は、とても面白いと言えるものではなかった。

 ズトラティ。彼女は、人間だった。

「彼女は私の傍にいる条件として、もう私に人間の血を吸わないで欲しい、と言った。私はそれを、この森でズトラティと暮らし始めてから二百五十年間、律儀に守り続けていた」

 その彼女も、二百年前に死んでしまったけどね、と言って、メラスは少し疲れたように笑う。俺はそれを、少し考え込むようにしながら聞いていた。

「人間と吸血鬼の寿命は違う。違いすぎる。それを、私もわかっていた、つもりだったんだけどね」

「なら、ズトラティさんの死因は……」

「老衰。つまり寿命さ。彼女の最後は、非常に安らかなものだったよ。一人になっても、死ぬなと言われて、今までなんとなく生きてきたんだ」

 その時のことを思い出しているのか、一人残された吸血鬼は、どこか遠くを見つめている。

「『集落』から逃げ出すのは、大変だった。追ってくる吸血鬼を振り払って、色々会って、ようやくここで二人生活をし始めた。でも、すぐにズトラティが体調を悪くしてね。人間が、あんなに弱い存在だったなんて、初めて知ったよ。近くの『集落』に潜り込んで薬を手に入れたり、作り方を覚えたり、ああ、料理も覚えたな。とにかく、苦労の連続だった」

「……それで、塗り薬の用意があったのですね」

 クゥニの言葉に、メラスは頷く。

「習慣でね。もういらないとわかっているんだけれど、食事も多めに作ってしまうんだ。まぁなにかしてないと、暇で暇で、死にそうというだけなんだけどね」

 初めて会った時ならいざしらず、俺はメラスが語った言葉に嘘はないと、そう確信していた。食事や薬を何日も提供してもらっているから、というのも理由の一つだ。でもそれ以上に、メラスが俺たちを、正確にはクゥニを気にかける最大の理由に、俺が思い至ったからだ。

「それで、そんなにクゥニは、そのズトラティさんに似ているのか?」

 俺の言葉に、メラスは驚きの表情を浮かべる。

「よくわかったね。そう、その通りだ。初めて見た時は、驚いたよ。雰囲気や瞳の色、もちろん、人間と吸血鬼という違いはあるけど、その銀髪は、ズトラティのものと、そっくりだ」

「……この髪は、母さん譲りなんです」

 クゥニは思い出に浸るように、自分の髪を撫でた。

「……私の母さんは、人間でした」

「なら、クゥニさんは混血鬼なのか?」

「ひょっとしたら、ズトラティさんとクゥニの母親は、遠い親戚だったのかもな」

 俺がそう言うと、メラスは瞳をうるませ、左手で顔を覆った。

「ああ、クゥニさんが混血鬼だったなんて……。確かに、君の言う通りかも知れない。彼女と死別して、死ぬなと言われたから今まで惰性で生きてきたが、こんな奇跡に出会えるだなんて。なら、君は彼女の遠い親戚、私の子供みたいな存在なのか」

 それから少しだけ泣いた後、メラスはその場を後にした。残された俺とクゥニは、どちらが何か言ったわけでもなく、小川の辺で二人並び、手をつないで座っている。きっと、メラスの話を聞いたせいだろう。

 ……愛した人と、ああいう別れもあるのか。

 俺は、両親を目の前で殺されている。でも、もし彼らが天命を全う出来ていたら、そしてその場に居合わせていたら、俺は多分泣くだろう。

 クゥニは、母親を父親に殺され、自らの手で父親を殺している。それでも、母親の死に目に会えば、涙を流さずにはいられない。

 俺の手を握るクゥニの手が、少しだけ強くなった。俺も握り返しながら、この時間を止めてしまいたいとすら思う。

 ……人間と、吸血鬼の寿命は違う。

 ならば必然的に、混血鬼と人間の寿命も違うのだろう。時を止めることなんて俺には出来ないし、止めてしまえば、俺の仇討ちが出来なくなる。時が進めば、その分、俺とクゥニの別れも近づいてくるのだ。

 ……それでも、吸血鬼(メラス)と人間(ズトラティ)の間には、愛が成立していた。

 ならば必然的に、混血鬼(クゥニ)と人間(俺)の間にも、愛は成立するはずだ。その愛が果たしてどういう形なのか、そもそも愛とは何なのか、未だに俺はその正解にたどり着けない。

 それでも今握っている手の温もりだけは、決して放すまいと、俺は心に誓った。

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