「ラスカ、魚に包丁を入れる時は、ワタを傷つけないようにしてください」

「わ、わかってるよ」

 クゥニと一緒に、俺は台所に立っている。左腕が使えないクゥニの代わりに、俺が今晩の夕食を準備しているのだ。しかし、料理の経験が殆どない俺は、常に悪戦苦闘を続けている。

「わっ! 何だ、この黒くてブヨブヨしたの……」

「……それが、魚のワタです。傷つけると、臭みが増すので、腹の内側についている黒い膜をはがすように、黒い膜とワタを一気に取り除いてください」

「そんな簡単に言われても!」

「……今晩魚を所望したのは、ラスカ自身ですよ? さぁ、私の分までしっかり捌いてください」

 俺の服の裾をつまんだクゥニから、容赦ない指摘が飛んでくる。魚を捌くのが、こんなに大変だったなんて、知らなかった。鱗の取り方や、鰭の処理も、全てが未経験で、戸惑いの連続だ。四苦八苦しながら包丁を動かしていると、誤って左手の指を切ってしまう。

「……ラスカ、血がっ」

 クゥニの右手が、瞬きするよりも早く、俺の左手を掴み取る。彼女の視線は、俺の指、そこから滴り落ちる赤い血に注がれていた。

 俺は驚きながらも、クゥニに問いかける。

「おい、魚を切ってた手だぞ?」

「……構いません。血。ラスカの、血」

 息を荒くし、彼女は頬を赤く染める。興奮したクゥニは、陶然としたような目で、俺の指にしゃぶりついた。彼女の舌が俺の指を絡め取り、傷口を這っていく。舐めれば舐める程分泌される彼女の唾液が、俺の指にまとわりついた。喘ぎ、指をしゃぶりながら、クゥニは恍惚な表情を浮かべている。

 やがて一通り俺の血を舐め終えたクゥニは、両腕で自分の腕を抱き、喜悦の声を上げ、その銀髪を、血の色へと変えていく。『御業』を使っているのだ。だが、僅かな血しか飲んでいないため、その髪の変化も、すぐに消えてなくなってしまう。俺たちは来る日に備えて、たまにこうして『御業』を使い、クゥニの感覚を慣れさせることにしていた。

 床にうずくまるクゥニの右肩に、俺は手を置く。

「おい、大丈夫か?」

「……ええ。でも、腕が治ってしまいましたから、また折らないと」

 そう言ってクゥニは右手で自分の左腕を掴み、『御業』で修復したそれを、自分自身でへし折った。骨が砕かれた音とクゥニの苦悶の声が、部屋に響く。それを見て、俺は眉をひそめた。腕の治りが早すぎると、ナスリィや他の吸血鬼たちに不審がられるため、治っていない状態を維持する必要がある。しかし、理由はわかっていても、その行為の痛々しさが軽減されるわけではない。

 少しでも痛みが治まればいいと、俺は彼女の頭を撫でる。

「さ、落ち着いたら、また料理の続きをしよう」

「……そう、ですね」

 クゥニに体を預けられながら、俺は暫くの間、彼女の頭を撫で続けていた。

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