③
城を出た時には日はもう傾いており、夕日が城下町を茜色に染めていた。石畳で出来た道を歩きながら、俺はこの『牧場』を進んでいく。街はゴミが散乱しているというわけでもなく、煙突からは夕餉のいい匂いが漂ってきた。その匂いを嗅いで、俺の腹の虫が鳴る。
「……家に着いたら、食事にしましょう」
こちらに振り向いたクゥニが、無表情にそう言った。
「……今晩のご夕食は、私の方でなんとかいたします」
「明日以降は、どうしたらいいんだ?」
「……私が、食材を持ってまいります。物々交換、あるいは労働力の提供が必要となりますが、お店もありますので、そちらでお求めになっていただいても構いません」
『牧場』は人間を飼っている場所だが、人間は人間で、ある程度の生活の自由が許されている。それは家畜をあまり抑圧しすぎると、血がまずくなったり、上手く繁殖してくれないからだ。どこまで何をするのが許されているのかは、きっと『集落』の『管理者』によって方針が違うのだろうが、ここでは料理を作ったり、その見返りに働いたりするような事は、許されているらしい。ひょっとしたら、ナスリィの部屋の棚に並んでいた酒も、ここで人間が作っているのかも知れない。
『牧場』を歩いていると、二階の内椽で干していた洗濯物を取り込んでいる女性と、目があった。一瞬驚いたような表情を浮かべた後、彼女はクゥニの存在に気づくと、顔をしかめてすぐ家の中に消えてしまう。その後道ですれ違った大工の男性は、クゥニに向かって露骨に舌打ちをしていた。その反応に、俺は内心冷や汗をかく。
……吸血鬼が人間に好かれているわけがないけど、あまり反感を買うと、殺されるぞ。
吸血鬼にとって人間は、あくまで飼う存在で、必要なら狩る存在だ。特別な血を持った人間ならいざしらず、人間の生殺与奪は吸血鬼が握っている。一人ぐらい人間が減っても、人間より遥かに寿命の長い奴らは、また増やせばいいとしか思わないだろう。
だが、俺の心配を他所に、クゥニは相変わらず表情を変えないまま、その歩みも止めることがない。しかしその足も、煉瓦で出来た一軒家の前で、止まることになる。
「……ここが、今日からあなたの家です」
そう言われ、俺は家の中に入った。クゥニが言っていた通り、台所に寝具、机に椅子と、生活に必要そうなものは揃っている。
「……着替えは後で持ってきますので、先に食事にしましょう」
そう言うと、クゥニは俺を家に残して出かけていく。暫く経つと、食材を持った彼女が帰ってきた。そしてそのまま台所に立ち、野菜を洗い始める。その背中に、俺は問いかけた。
「あんたが、作るのか?」
「……ご自分で、お作りになられますか?」
「いや、俺、料理、出来ないから……」
「では、暫くお待ち下さい」
鶏肉を手早く包丁で捌きながら、こちらを見ることもせず、クゥニはそう言った。でも、その答えに納得できず、俺はなおも言葉を紡ぐ。
「あんた、何で俺に料理なんか作ってるんだ?」
「……面倒を、見るように言われましたので」
それっきり、クゥニは黙った。俺は、何故吸血鬼が人間の俺にそこまでするのか聞きたかったのだが、先程の言葉が繰り返される気がして、口をつぐむ。
そんな俺の疑問も、やがて漂ってきた肉が焼かれる芳しい香りと、野菜を煮込む甘い香りに、どうでも良くなっていた。クゥニが机に、飴色に焼いた肉と、具だくさんな野菜の汁物を並べる。
「あんたは、食べないのか?」
一人分、つまり俺だけの食事しか置かれていない机を見てそう言うと、感情のない瞳で、クゥニが俺の方を見つめ返してくる。
「……頂いても、よろしいのですか?」
「あんたが作ったんだろ? それに、聞きたいこともある」
「……そうですか」
そう言うと、クゥニは自分の分の食器を用意し始めた。
……何なんだよ、一体。
俺の中の吸血鬼像と、クゥニがあまりにもかけ離れていて、正直戸惑っている。吸血鬼は、独善的で、残虐な存在だ。ナスリィや、城の中で出会った三人。そして、俺の両親を殺したあいつは、吸血鬼らしい吸血鬼と言ってもいい。でも、クゥニは、何かが違う気がする。それが何か俺が答えを見つけ出す前に、クゥニが食卓についた。
「……いただきます」
「いただきます」
疑問はあるが、まずは腹を満たそうと、俺は野菜の汁物に手を付ける。瞬間、思わず声が漏れた。
「う、美味いっ!」
野菜の甘く温かい汁が、疲れた体に染み込んでいく。賽子状に切られた色とりどりの野菜もホクホクで、俺は無我夢中になって、それを匙で掻き込んでいく。飴色の肉も絶品で、外はカリッと焼かれているのに、中は柔らかく、肉汁で舌が火傷しそうになる。少しとろみの付いたタレも香ばしく、どれだけでも食べれそうだ。
「……少し、残りが――」
「くれっ!」
食い気味にそう言って、俺はクゥニが作った料理を全て平らげた。暫く振りにありつけた食事に、俺は満足げに腹を撫でる。
「……それで、聞きたいこと、というのは何でしょうか?」
洗い物を終えたクゥニが、抑揚のない声で俺に問いかける。その言葉に、俺も佇まいを正した。
「青銅色の髪に、青白い肌をした、男の吸血鬼を知らないか? 一人で『集落』を絶滅させられるぐらい、強い奴だ」
それは、俺の両親を殺した吸血鬼の特徴だ。名前も知らないそいつを探すには、俺はこうやって誰かに尋ねるしか方法がない。
果たして、問われたクゥニは、しっかりと首を横に振る。
「……いいえ、存じ上げません」
「そうか、ありがとう」
「……それでは私は、着替えを持ってまいりますので」
そう言ってクゥニは、また家から出ていった。そして俺に着替えを届けると、明日朝食を作りに来ると告げ、彼女はそのまま帰路につく。日はもう沈み、辺りは闇に包まれていた。
渡された服に着替えながら、俺はこれからの行動に、両親を殺したあの吸血鬼に、どうやって復讐するか、その計画を反芻していた。
……今の俺が自由にできるのは、俺の体しかない。
そしてこの体も、この体に流れている血も、吸血鬼に支配されることになる。ならば逆に、俺がこの血で吸血鬼を支配しようと、そう考えていた。
吸血鬼にとって、人間はただの家畜でしかない。しかし、特別な血を持っているのであれば、吸血鬼はその人間を優遇せざるを得なくなる。手放したくない程美味い血、もしくは強力な『御業』を授かれる血なら、吸血鬼もその人間の言うことをある程度聞くことになるだろう。その血を失う、自殺されるより、その人間を吸血鬼も生かしたいはずだ。
だから俺は自分の命を、この血を対価として、吸血鬼に俺の仇を殺させることにしたのだ。
……問題なのは、俺がどんな血なのか、わからないってことだな。
吸血鬼が好む人間の血の味は、人間の年齢が十代半ばを過ぎてからになるらしい。だから俺は、未だ吸血鬼に血を吸われたことがなかった。
血の味は、ある程度自信がある。両親の血が吸血鬼にとって美味いと言われるものだったので、その血を引いている俺も、同じく吸血鬼が求めたがる味をしているはずだ。
……でも、俺の血で得られる『御業』が何なのか、さっぱりわからない。
どの人間の血を飲めばどんな『御業』を授かれるのかは、吸血鬼なら血を飲めばわかるという。しかし、逆に言えば、血を吸血鬼が飲まなければ、その血の力はわからないままなのだ。
……俺が血を飲まれるまで、後五年かかる。
俺の血が成熟するまで、ナスリィは俺に手を出さないだろう。そして、他の吸血鬼が手を出すのも、許さない。俺としては、自分の血で支配する吸血鬼は、強ければ強いほうがいい。最終的に、その吸血鬼に俺の仇を討ってもらわなければならないのだから。
……この『集落』で最強の吸血鬼は、『管理者』のナスリィか。
ナスリィと協力関係を結ぶことを想像しようとするが、その度にクゥニを殴り飛ばし、笑みを浮かべる奴の顔も同時に思い出されてしまう。勧んで手を組みたいと思わないが、それでも俺の復讐の為に必要なことだと、俺は自分に言い聞かせてみる。
しかし、何度思っても、嫌悪感の方が先に来てしまい、俺は頭を振った。
……まだ、五年も時間がある。それまでに、心の整理をしておこう。
そう思い、俺はもう、眠りにつくことにした。
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