②
「そうか。前の『集落』が、別の吸血鬼に、ねぇ」
俺に向かってそう言った男の名前は、ナスリィ。その顔は、人間とは思えない程整っている。それもそのはず、こいつは人間ではない。吸血鬼だ。人間離れした美貌も、そしてある程度の年齢から不老になるのも、吸血鬼の特徴である。
この『集落』にたどり着いた俺は、すぐに捉えられ、『居住区』、そこに住む『管理者』ナスリィの元に、この吸血鬼がいる部屋に連行されていた。ここには豪奢な調度品が並べられているが、用途に合わせて、似たような部屋はいくつも用意されているのだろう。棚には瓶が並べられており、その中には、琥珀色、黄金色、無色と、様々な色の液体が入っている。恐らくここは、酒を楽しむ部屋なのだ。
ナスリィが、手にしていた硝子の酒杯を傾ける。血のように赤い葡萄酒が、燕尾服を着た吸血鬼に嚥下されていく。飲み終えた酒杯を机に置き、ナスリィは褐色の髪を撫で付けると、俺の周りを、一周、いや、二週周る。その朱色の瞳からは俺に向かって、粘つく視線が発せられていた。
ナスリィが背後から、俺の両肩を掴む。その手は這うように俺にまとわり付いてきて、気持ち悪い。
「キミ、名前は?」
「……ラスカ」
「歳は、いくつだい?」
「数えで、十」
「……後五年、というところか」
ナスリィの手が俺の胸を這い、俺を後ろから抱きしめる。
「……まだ、誰にも血は飲ませていないね?」
耳元に近づけられた吸血鬼の口から発せられた言葉が、俺の耳を、鼓膜を震わせ、脳を犯す。あまりの不快感に吐き気を催すが、俺はそれを飲み込むように唇を噛んだ後、小さく頷いた。それを見たナスリィは、喜色の笑みを浮かべて、よろしい、とつぶやくと、ようやく俺の体を放した。
「ラスカくん。キミは、僕ら吸血鬼にとって、人間の血がどういう価値を持っているのか、知っているかね?」
ナスリィは机に置いた酒杯の元まで戻り、それに葡萄酒を注ぎながら俺に問いかける。俺はなるべく奴の顔を見ないようにしながら、口を開いた。
「……貴方達吸血鬼にとって、人間の血は、極上の美酒であり、力の象徴です」
「その通り。僕らにとって人間の血の評価は、味と、付与される『御業(プラスェ)』で決まる」
そう言ってナスリィは、酒杯を傾けた。
『御業』。吸血鬼が使える、人知を超えた業の事だ。
「元々僕らは『御業』を扱える状態で、この世に生を受ける。それがこの世界の、人間と吸血鬼の決定的な違い、吸血鬼を吸血鬼足らしめる優位性と言ってもいい。そして『御業』で何が出来るのかも、吸血鬼によって様々だ。炎や水を操るものもいれば、その姿を獣に変えれる吸血鬼もいる。だが、僕らが人間の血を飲めば、自分の『御業』を強化、あるいは一時的に、新たな『御業』を扱えるようになるわけだ。まぁ、どちらを得られるかは、人間の血によって違うのだがね」
それが、吸血鬼が人間を飼う理由だ。吸血鬼は人間の血を何よりも好むが、所有する人間の数が、吸血鬼そのものの力、所有する『御業』の数となる。
「故に、吸血鬼同士の争いが起きるのも、決して珍しくはないのさ。より美味な血を求めて、より強力な血を求めて、ね。なにせ、人間によって、味も、得られる『御業』も違うのだから。僕らは、より多くの人間を囲いたいわけだ。しかし、何をするにも、一人では限度がある。そこで作られるのが、『集落』だ」
ナスリィが酒杯を持ったまま、窓際に移動する。太陽はまだ空高く、そこからは『集落』の一望を眺めることが出来るだろう。
「力のない吸血鬼は自分単体では人間を囲う力を持たないため、より強い力を持つ吸血鬼の元に集い、おこぼれに与ろうとする。それが『集落』の始まりだ。そして、『集落』を管理する、『集落』の最高権力者であり、『集落』最強の吸血鬼が、『管理者』。つまり、この『集落』にあるもの全て、僕のものだ。だから――」
そう言ってナスリィは、俺の顔を掴み、傷ついた頬を自分の方へと向ける。
「キミの血は、キミの初物は、僕のものだ。勝手に傷つき、血を無駄に流すことは、ましてや他の吸血鬼に血を与えることは、絶対に許さない。覚えておきなさい」
そう言ってナスリィは、俺を乱暴に突き放した。そして、扉に向かって話しかける。
「クゥニ、きなさい!」
「……はい、ナスリィ様」
そう言って部屋に入ってきたのは、一人の小柄な少女だった。着ている服は非常に粗末で、着の身着のまま仇を追って、森や丘を越えてきた俺の身なりと、そう変わらない程に、彼女のそれは汚れやほつれが目立つ。しかし、それが逆に、クゥニと呼ばれた少女の美貌を引き立たせる結果になっていた。
腰まで伸びた銀髪は艷やかで、朱色の瞳は、それ自体が宝石なのかと錯覚する程の美しさだ。陶器のような白い肌は、シミひとつ存在しない。その人間離れした美しさから、俺は彼女が吸血鬼であると確信した。
……でも、何であんなに着ている服がボロいんだ?
そう俺が思った直後、ナスリィがクゥニの傍まで歩いていき、裏拳で彼女を殴り飛ばした。肉と肉がぶつかり合う音と、彼女が倒れる音が、部屋中に響き渡る。
「部屋に入る時は、失礼します、と必ず挨拶をするように言っておいただろう?」
「……も、申し訳、ありません」
クゥニは殴られた頬を押さえながら、無表情に立ち上がる。宝石のような彼女の瞳は、しかし虚ろな闇を抱えていた。その瞳を一瞥し、ナスリィは嗜虐的な笑みを浮かべる。
「『牧場』に確か、先日空き家が出来ただろ? そこをラスカくんの家にしよう。クゥニは暫く、彼の面倒も見なさい」
「……かしこまりました、ナスリィ様」
「と、いうわけだ、ラスカくん。クゥニについていきなさい」
「わかりました」
失礼します、と頭を下げ、部屋を出ていくクゥニの後に、俺もついていく。と、部屋を出る前に、ナスリィが俺の背中にこんな言葉を投げつけてきた。
「クゥニがキミに粗相をしたら、遠慮なく僕に相談しなさい。わかったね?」
なんと答えたらいいのかわからず、俺は一礼して部屋を後にする。部屋の外には、無言のクゥニが待っていた。その顔には、何の感情も宿っていない。
「……こちらです」
そう言ってクゥニは、城の廊下を歩き始めた。俺より背の小さいその背中に、俺はついていく。
「……何か、ご質問はありませんか?」
人間の俺に対しても腰が低い態度を崩さないクゥニに面食らいながら、俺は口を開いた。
「俺が住むことになる家って、どんな所なんだ?」
「……普通です」
「普通、って言われても……」
「……普通の、一軒家です。台所も、寝具も、生活に必要なものは一通り揃っていますので、ご心配なく」
「そんないい家が、何で空き家になってるんだ?」
「……先日、ナスリィ様がお楽しみになられましたので」
その一言に、俺は苦虫を噛み潰したように、口を歪める。吸血鬼が人間で楽しむなんて、血を飲みすぎたか、嬲り殺しにしたのかの、どちらかだ。人間の数は吸血鬼の力でもあるが、その血で得られる『御業』が使えなければ、吸血鬼もその人間を飼う必要性が薄くなる。更に味もいまいちなのであれば、嬲って楽しむぐらいのことは、吸血鬼ならするだろう。
歩いていると窓があったので、俺はそこで立ち止まる。それに気づいたのか、クゥニが俺の方へと振り向いた。
「……ここの『集落』は、『居住区』を囲むように『牧場』が形成されております」
「『居住区』は、どこからどこまでなんだ?」
「……この城全てが、『居住区』です」
「この城が?」
「……はい。必要に合わせて塔を増築し、連結していきます」
頷くクゥニをよそに、俺は再度窓の外へ視線を向ける。ここから見える景色は全て、人間を家畜として育てる場所なのだ。
「おいおい、どうにも臭いと思ったら、案の定クゥニがいたぜ」
窓の外を眺めていると、俺たちに向かって、そんな言葉が投げつけられた。振り向くと、下卑た笑いを浮かべた二人の男と、一人の女がこちらに向かってくる。笑みの端に見えた犬歯が、こいつらが吸血鬼であることを教えてくれた。
「おい、てえめぇは『牧場』の世話を任されていたはずだろ? 何で『居住区』にいやがるんだ?」
男の一人がそう言うと、クゥニを前蹴りで吹き飛ばす。壁にぶつかり、クゥニは苦悶の声を上げた。それに驚いている暇もなく、女の吸血鬼が俺の顔を掴み、頬の傷を見て舌なめずりをする。
「あらぁ? 血が出てるじゃない。もったいないわね」
「おい、そいつはまだガキだぜ? まだ飲み頃じゃねぇだろ」
「いいじゃない。私、青い果実も好きなのよ」
喜色の笑みを浮かべ、吸血鬼が俺の頬に舌を這わせようとする直前、クゥニが立ち上がった。
「……おやめください。その方の初めては、ナスリィ様がご所望されております」
その言葉に、女が動きを止める。その後、つまらなさそうに鼻を鳴らした後、俺の顔を放した。
「何よ。また初物はあの人のものなの? たまには私たちにも回して欲しいわ」
「しかたねぇよ。末端の俺たちじゃ、そうそう回ってこねぇ。初物を飲みたいのは、吸血鬼なら皆思ってることだしな」
「どうしても、っていうのなら、『管理者』を目指してみるか?」
「それが出来ないから、私たちはここにいるんでしょ? ああ、面白くないわ!」
そう言ってこいつらは、俺たちに興味を失ったのか、その場を立ち去っていく。
「……行きましょう」
感情のない声でそう言ったクゥニの後に、俺はついていく。さっきの吸血鬼の話しっぷりからすると、奴らの間にも上下関係があるらしい。
……クゥニの服がボロボロなのは、吸血鬼の中で地位が低いからなんだな。
納得したように頷くと、俺は感情のない少女に導かれ、歩みを進めていった。
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