黒龍 後編

「お兄ちゃん!!」


 兄は私の声に、微かに反応したように見えた。


「何してる!離れてろ!!」


 鴉魔はそう叫んだけど、私は止まらなかった。

 この戦いの中に突っ込んでいくのは怖かった。でも、このままじゃどちらかが死んでしまうかもしれない。そう思ったら、身体が勝手に動いていた。


 兄は私に気がつくと、鴉魔への攻撃をやめて距離を取ろうとした。十年前のあの時と同じように。それがなぜなのかはわからなかったけど、とにかく追った。速度を上げて、兄の後をひたすらに追っていく。


「お兄ちゃん!!」

「……!ッ」


 兄を呼ぶと、またわずかに反応した。そのタイミングを見計らうように、“鴉魔”が羽を一枚、兄の足下に向かって飛ばした。


 その羽は兄の足に絡むように当たり、兄はバランスを崩した。ここまで追ってきておいて何をするかすら考えていなかった私は、とっさに兄を抑えようと抱きついた。


 兄は私を拒もうとして、鋭い爪を振りかざした。私はそれを避けきれず、髪の毛が腹当たりの長さで切られ、はずみで結んでいた部分もほどけた。でも、怪我はなかった。

 兄は、すぐに大人しくなった。少し苦しんでいるようにも見えた。

 私は戦えないし、仮に戦えたとして、兄を攻撃することなどできない。声だって届いていないかもしれない。


 それでも、呼び戻すくらいしか、私にできることはない。


「お兄ちゃん!お願いっ、お願い……」


「……」


「お兄ちゃん……!」


 兄は、何も言わない。それどころか、微動だにしない。それが、不安をかき立てた。


「……ユ……イ……」

「!お兄ちゃん!わかる?私だよ!結だよ!お願い、お兄ちゃん!!」

「ア……ッ……」


 兄は、私の腕の中から崩れ落ちるようにして、その場に座り込んだ。かなり苦しそうに見えるけど、これは、戻ってきているのだろうか?


「お兄……」


 言いかけたとき、ふと人の気配を感じた。

 顔を上げると、私たちより“あの人”より奥に、女の人が立っていた。

 私はその人を知らなかった。でも、ずっと前から知っているような気がした。


「あなたは、誰……?」


 思わず呟いた。そんな暇はないのに、お兄ちゃんを戻すことに集中しないといけないのに、それはわかっているのに。

 その人と話したかった。助けて欲しかった。抱きしめて欲しかった。どうしてかはわからないけど、無性にそんな気持ちになった。


 その人は、ゆっくり口を動かした。でも距離があるためか、何を言っているのかは聞こえない。口の動きを見て、予想するしかなかった。


「い、の……り……?」


 そう呟くと、兄は力が抜けたように倒れ込んだ。慌てて兄に視線を戻すと、兄の頭から角が消え、爪の長さも戻っていた。

 耳を澄ますと、穏やかな寝息が聞こえる。人に戻って、寝てしまったようだ。


「よかった……」

 ほっと一息ついてから、もう一度顔を上げた。でも、そこにあの女の人はいなかった。あの人は、誰なのだろうか。少なくとも、悪い人には思えなかった。


「おい。大丈夫か?」

 振り向くと、鴉魔がこちらに来ていた。少し怪我をしていたが、傷は深くなさそうだ。


「私は大丈夫です。お兄ちゃんも。……そうだ、あの人は!?」

 そこでようやく、かなりの深手を負っているはずのあの人のを思い出した。さっきの女性を見てから、なんだか頭がぼうっとしてしまう気がする。


「俺も平気だよ~。もう治したから」

「「!!」」


 顔を上げると、あの人が血だらけの服に似合わないヘラヘラした笑顔でこちらに来た。


「治ったんですか!?」

「うん。俺らは、治癒用の護符を持ってるからね。それ使えば、だいたいの怪我は治せるよ」

 「治護符っていうんだよ~」と言いながら、一枚の護符をヒラヒラと揺らす。どうやら、本当に大丈夫なようだ。


「……う、ゆ……い、?」

「お兄ちゃん!大丈夫?わかる?」

「俺、は……」

「おっ、起きたね?じゃあ、もう少し話していいかな。結ちゃん」

「あっ、はい。どうぞ」

 ためらいつつ答えると、彼はにっこり笑って、兄と目線を合わせるようにかがんだ。


「じゃ、まずは自己紹介しとこうかな。名乗るのが遅くなったけどーー」

 彼はそう言いながら、鴉魔と同じように、左腕のホルダーから警察手帳のような物を取り出して、広げてみせた。


「化物討伐部隊“忍”階級『黄』皇焔でーす。よろしくね封真くん、結ちゃん」


────────────────────


「すめらぎ、ほむら……さん?」

「うん!ちなみに僕は十八歳だよー。そこの羽闇くんは十六!君たちとあんまり変わらないよねー」

「そう、なんですか」

 あっけらかんとした明るい態度に、親近感は感じた。でも、黒い服に付いた真っ赤な血が、その感情を拭い去ってしまう。


「んで、ちょっと忍について説明しとくね。話し始めて大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫です」

 そう答えると、焔さんはニコッと笑って、言葉を続けた。


「忍ってのは簡単に言うと、さっき言った化物を討伐する部隊のことなんだ。かなり人数がいて、大まかな序列や地位の高い家っていうのも決まってる。そして、拠点は島だ」

「えっ、島!?」

「うん。祈将島っていう島を中心にした五つの島が主な拠点になってるんだ。俺と羽闇もそこに住んでて、君たちを島に連行する仕事で本土に来たんだよ」

「俺たちを、連行ですか?」

「別に乱暴はしないから安心して~。争いごとは好きじゃないからね」

 その言葉に、少しだけ安心する。その島に連行されて、どんな目に合うかはわからないけどーー……


「でね。何度か言ったかもだけど、君は十年前に一度暴走してるわけ。化物の純系ってのは、いろんな種類があってさ。力の強い者は基本、力を制御するか、飲み込まれて暴走するかの二択。君は間を彷徨ってる感じかな」


「連行されたらどうなるんですか?」

「それは態度と経歴しだいかな。ほとんど暴走状態のやつは化物専用の刑務所に行くか殺処分。力を制御できてる、もしくはこれからできる可能性が高いやつは島で暮らすことになるよ。“忍”としてね」


「化物でも、忍になれるんですか?」

「もちろん!純系のやつはね。後系の化物は、ほぼ全員が人を襲うから、鉢合わせたら即バトル!なんだけど、純系のは善悪が分かれるからね。そして羽闇も、比較的少ない化物兼忍のひとりさ!」

「べらべら人のことしゃべらないでください」

「あは、ごめんごめん」


 軽い調子の会話に、気が抜ける。隣を見ると、まだ立ち上がるとふらつく俺を、座ったまま結が支えてくれている。立てなくはないだろうが座っていた方が楽だし、ありがたい。


「鴉魔くんも、化物なの?」

「別に呼び捨てでいいです。年下ですし」

「そう?じゃあ羽闇で!」

「……まぁ、あなた方と種族は違いますが、俺も化物です。鴉葉莉という、鴉の化物なんです」

「からばり?へぇ。いろんな種族があるんだね」

「そうそう、いろいろあるよ。鬼族でも、鬼科の何属か?とかあるしね。家族でも違ったりするから」

「そうなんですか」

 自分が鬼化していた記憶はないけど、意識が途絶えたり、気づいたら身体が痛かったり、ふらついたりするし、俺が鬼なのは間違いないと思う。けど、結はまだ普通の人間な気がする。俺と同じく鬼なのは、わかってるのに……


「それとね、封真くん。君は、また暴走する可能性が高い」

「えっ?」

「というのも、人には必ず己を見守る存在、守護霊がいてね。結ちゃんには“巫”という、伝説上の巫女の魂が守護霊として宿っているんだ。その巫女と君の呪われた血との相性がすこぶる悪くて、その反動で暴走状態に陥ることがあるんだよ」

「呪われた血?」

「詳しいことは島についてから話すけど、君の血は呪われてるんだ。“黒龍”という、化物の宝玉に」

「黒龍?宝玉?」

 いきなり呪われてるとか言われて、落ち着いてはいられなかった。焦る気持ちが強くなる。


「化物の力を増幅させる宝玉さ。毒性が高くて、後系の化物の力の源にもなっている。俺ら忍は、それを壊すための戦いを千年続けてきた」

「千年!?」


「ああ。それを壊せば、戦いは終わる。後系の化物の力が消えるわけだからね。そのためにこの千年、多くの忍が戦いで死んでいった」

「……そう、なんですか」

 俺も、誰かを殺すかもしれないのだろうか。この手でーー……


「じゃあ、そろそろ行こうか」

「どこにですか?」

「もちろん祈将島だよ。連行しないとだからね」

「あ、そうですよね。あの、でも……」

「ん?どうかした?」

 ちらっと結を見る。結は俺の目を真っ直ぐに見てから、優しく微笑み頷いた。

 結は大丈夫そうだ。


「叔父さんと叔母さん、従姉にはなんて言ったらいいですか?」

「ああ、それは気にしないで。こっちで処理しとくから」

「大丈夫なんですか?」

「うん!任せて任せて~」

 何も問題ない、というような焔さんの態度に、不思議と安心した。この人がいれば、島に行っても何とかなるかもしれない。


 勝手にそんな期待をしながら、空を見上げた。比較的赤かった空は、もうだいぶ暗くなっていて、所々星が輝いているのが見える。今聞いたことを頭の中で処理しながら、ひたすらにその星々を眺める。


 空を見上げ呆けていた俺を、焔さんの声が現実に引き戻した。


「それじゃ行こうか。我らが祈将島へ!」

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