変身できる?

夕藤さわな

第1話

「今日のおべんとう、パパが作ってくれたの。がんばって作ってくれたことはうれしいんだよ? でも、みんなみたいにかわいいおべんとうじゃないの」


 小学一年生のちかちゃんは、ほっぺたを手で押さえてため息をついた。


「だから、ひとりでこっそり食べてくるね。……先生もわかってくれるでしょ、こういうオトメゴコロ」


「わかった、わかった。でも、先生が見えるところにいてちょうだいね」


 ちかちゃんのオマセな言い方に、先生はくすくすと笑ってうなずいた。にっこり笑って走り出したちかちゃんはちょっと離れた花壇の段差にすわった。

 手をふると先生も手をふりかえしてくれた。でも、すぐに男の子たちのけんかを止めに行ってしまった。


 ゆっくりと手をおろしたちかちゃんはリュックからお弁当を――。


「……」


 出すことなく、グー……となるお腹をおさえた。


 ――今日のおべんとう、パパが作ってくれたの。


 なんて、うそだ。

 今日のパパはねぼうして、遠足のこともおべんとうのこともすっかり忘れておうちを飛び出してしまった。

 病院にいるママに、


 ――ぜったいに忘れないでよ!


 って、あんなにもきつく言われてたのに。

 それなのに、ちかちゃんのおべんとうのことなんてすっかり忘れて会社に行っちゃったなんて知られたら、きっとママにたくさん怒られる。


「そんなの……パパがかわいそうだもん」


 グーグーとなるお腹をおさえて、ちかちゃんは背中を丸めた。

 それでもお腹はグーグーとなり続けている。お腹すいたよ、なにか食べたいよ……と、ちかちゃんに話しかけてくる。


「ちかもお腹すいたよ。なにか食べたいよ。でも……でも……」


 ちかちゃんはギュッとくちびるをかんで泣きそうになるのをがまんした。


 と、――。


「お腹すいたの? 赤いきつね、食べる?」


「お腹すいたの? 緑のたぬき、食べる?」


 心配そうな声がふたつして、ちかちゃんの右のひざと左のひざに手がおかれた。黒いふさふさの毛がたくさん生えてる、よく似てるけどちょっとちがうふたつの手……と、いうか前足。


 おどろいて顔をあげると子きつねと子たぬきが、ちかちゃんをじっと見つめていた。ふさふさのうす茶色の毛をした子きつねと、ふさふさの茶色い毛をした子たぬきだ。


「お湯、あるよ」


「おはし、あるよ」


「五分で食べられるよ」


「三分で食べられるよ」


 どこから出したのやら。

 子きつねは赤いきつねを、子たぬきは緑のたぬきを、前足で器用に持ってちかちゃんに差し出した。


「わたしのお昼ご飯をあげる」


「ぼくのお昼ご飯をあげる」


「だから泣かないで」


「だから泣かないで」


 子きつねと子たぬきをきょとんと見つめていたちかちゃん。


「でも……」


 そう言って、こまり顔になった。


「赤いきつね、きらい?」


「緑のたぬき、きらい?」


 今度は子きつねと子たぬきがこまり顔になる番。目をうるうるさせて二匹はじっとちかちゃんを見つめた。


「ううん、ちがうの! あのね、あの……」


 ぷるぷると首を横にふってちかちゃんは自分のつま先を見つめた。


「ひとりじゃ食べれないの。いつもパパとママからちょっとずつもらって食べるから、ひとりでひとつは食べれないの」


 ちかちゃんの答えに子きつねと子たぬきは顔を見合わせた。

 耳をぴくぴく。しっぽをゆらゆら。少し考えて――。


「それなら、わたしのをちょっとあげる」


「それなら、ぼくのをちょっとあげる」


 二匹はもう一度、ちかちゃんに赤いきつねと緑のたぬきを差し出した。


「いっしょに食べよう?」


「いっしょに食べよう?」


 子きつねと子たぬきをきょとんと見つめていたちかちゃん。


「でも……」


 そう言って、またこまり顔になった。


「パパが言ってた。きつねさんやたぬきさんに人の食べ物をあげたらだめだよって。お腹をこわしちゃうんだよって。……パパはうそつきだったの?」


 ちかちゃんの答えに子きつねと子たぬきは顔を見合わせた。

 そして――。


「パパはうそつきじゃないよ」


「パパはやさしいよ」


「ふつうのきつねは人の食べ物を食べたらお腹をこわしちゃう」


「ふつうのたぬきは人の食べ物を食べたらお腹をこわしちゃう」


 耳をぴくぴく。しっぽをゆらゆら。

 うれしそうに、げんきいっぱいに答えた。


「だから、こう言って」


「だから、こう聞いて」


「変身できる? きつねさん」


「変身できる? たぬきさん」


 子きつねと子たぬきをきょとんと見つめていたちかちゃん。


「変身できる? きつねさん。変身できる? たぬきさん」


 おそるおそる聞いてみると――。


「変身できるよ、かわいい女の子に!」


 子きつねはくるりん! と、その場で宙返り。

 ちかちゃんと同じくらいの年の、とってもかわいい女の子に変身した。


「変身できるよ、かっこいい男の子に!」


 子たぬきもくるりん! と、その場で宙返り。

 ちかちゃんと同じくらいの年の、とってもかっこいい男の子に変身した。


「変身できるきつねなら人の食べ物を食べてもだいじょうぶ!」


「変身できるたぬきなら人の食べ物を食べてもだいじょうぶ!」


「いっしょに赤いきつねを食べよう」


「いっしょに緑のたぬきを食べよう」


 かわいい女の子に変身した子きつねが、赤いきつねにお湯をそそいでにっこり笑った。

 かっこいい男の子に変身した子たぬきが、緑のたぬきにお湯をそそいでにっこり笑った。


 ふしぎな子きつねと子たぬきにちかちゃんは目をぱちくり。

 でも、自分のお腹がグーとなったのを合図に笑い出した。


「ありがとう、かわいくてふしぎな子きつねさん。ありがとう、かっこよくてふしぎな子たぬきさん。うん、いっしょに食べよう!」


 ちかちゃんの笑顔に子きつねと子たぬきも笑い出した。


 ***


 遠足から帰ってきたちかちゃんをスーツ姿のパパが抱きしめた。


「おべんとう作るのをわすれないって、ちかちゃんとママと約束したのに。すっかり忘れちゃってごめんね。パパはうそつきの悪いパパだ。本当にごめん」


 ちかちゃんを抱きしめたまま、パパはしょんぼりと肩を落とした。

 そんなパパを抱きしめて、ちかちゃんはにっこりと笑った。


「そんなことないよ。子きつねさんと子たぬきさんが言ってたもん。パパはうそつきじゃない、やさしいパパだって」


「子きつねさんと子たぬきさん?」


 パパはふしぎそうな顔で首をかしげた。でも、すぐににっこりほほえんでちかちゃんの頭をなでた。


「ありがとう、ちかちゃん。お夕飯はなにが食べたい? おわびにちかちゃんの好きなものを食べに行こう!」


「ほんと!? それじゃあね、それじゃあね……!」


 ちかちゃんはぴょんぴょんとジャンプした。ハンバーグカレーもいいけど、からあげも食べたい。あまくてつめたいパフェをお夕飯かわりに食べるのはありかな?

 わくわくしながら考えているとパパのスマホがなった。あわててスマホを耳にあてたパパは大きな声で言った。


「え、生まれる!? す、すぐに病院に向かいます……!」


 言ったとたん、パパはハッとちかちゃんを見つめた。ちかちゃんもパパを見つめた。


「ちかちゃん、あのね……」


 ちかちゃんの好きなものを食べに行くことはできなくなっちゃったらしい。パパの泣きそうな顔を見て、ちかちゃんも泣きそうになった。

 と、――。


「変身できる? ちかちゃん」


「変身できる? ちかちゃん」


 子きつねと子たぬきの声が聞こえた、気がした。ふりかえってみても子きつねの姿も、子たぬきの姿もない。

 でも――。


「変身、できるよ」


 ちかちゃんはにっこりと笑った。


 だって、今日のお昼ご飯はとってもたのしかったから。

 子きつねと子たぬきとわけあって、いっしょに食べた赤いきつねと緑のたぬきはとってもおいしかったから。


 だから――。


「今日のお夕飯は赤いきつねと緑のたぬきね。病院で食べよう」


 ちかちゃんはパパの大きな手を、小さな手でにぎりしめた。 


「お昼ご飯は子きつねさんと子たぬきさんと食べたから、お夕飯はパパとわけあっていっしょに食べるの!」


「子きつねさんと子たぬきさん?」


 ふしぎそうな顔で首をかしげるパパの腕をひっぱって、ちかちゃんは走りだした。


「変身できるよ! やさしいおねえちゃんに」

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