第10話 最弱の意地

 下がるステータスなどなかったので、超広範囲にわたるステータス低下スキルを食らった時点ではなんともなかった。


 だが〈咆哮ハウル〉が放たれたその瞬間から、最弱の少年クロス・アラカルトは完全なる恐慌状態に陥っていた。


「うわあああああああああああああっ!?」


(――ダメだ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! 逃げないと! 嫌だ! 誰か助けて! もうダメだ! 嫌だ嫌だ嫌だ! 怖い怖い怖い! 死ぬ! 殺される!)


 悲鳴をあげるクロスの胸中であふれかえるのは、どうしようもない恐怖に染まった支離滅裂な懇願と命乞い。


 そのぐちゃぐちゃの頭の中に一瞬、「誰かがあの核を壊さないと……」という考えがよぎる。だが、


(む、無理! 無理無理無理無理! ステータスオール0の〈無職〉なんかにできるわけないだろ! 見ろよあの触手を! 少し凍ってて動きは鈍く見えるけど、僕なんか一撃で殺されるぞ! それが何本も! だ、大丈夫、ここは冒険者の聖地なんだ、すぐに他の誰かがなんとかしてくれる! 僕なんかが動いても無駄死にで終わりだ! そんなことより逃げなきゃ! 逃げないと!)


 その思考は恐怖の言い訳に埋もれて瞬時に掻き消えてしまう。


咆哮ハウル〉の効果は、〈咆哮ハウル〉を放ったモンスターとの実力ステータス差があればあるほど増大する。


 ステータス低下のスキルを食らうまでもなく圧倒的最下層であったクロスは間違いなく、この一帯で最も強く〈咆哮ハウル〉の影響を受け、最悪の恐怖に苛まれていた。


咆哮ハウル〉を受ける前からへたりこんでいたクロスが走って逃げられる道理などなく、少年は恐怖に打ちのめされたまま無様に地面を這いずり頭を抱えて助けを求めることしかできない。

 

 そうして恐怖に塗りつぶされていた心がわずかばかりの理性を取り戻したのは、その美しい声が響いたときだった。


「状況は把握しています! 私がトドメを!」


 地面に倒れ込んだまま顔をあげたクロスの視界に映ったのは、まばゆく輝く白銀の美少女。こんなにも恐ろしい〈咆哮ハウル〉を受けて、平然と走る若き英雄の姿。

 

 助けが来た。

 

 その事実が少しばかりの安堵をもたらし、クロスの心からほんのかすかに恐怖を取り除く。……そして恐怖が薄れた分だけ戻ってきた理性が、地に這いつくばる無様な自分をようやく客観視した。


「……っ」


 また、自分は助けられるだけか。

 無様に、惨めに、情けなく地に伏せる自らの姿に、これ以上ない自己嫌悪の念が湧く。

 でもきっと、これが現実。

 ジゼルやエリシアさんが言うように、どうしようもない僕の限界。

 生まれたときから決まっている。誰かに助けられるだけの役立たず。


 それが、クロス・アラカルトという〈無職〉の現実だ。

 最弱職のレベル0にできることなど、なにひとつありはしない。


(……でもこれで、誰も死ぬことなくあの怪物は討伐されるんだから)


 と、いまだ恐怖に苛まれる頭の片隅で、半ば自分を納得させる言い訳のように安堵の息を吐いた――そのときだった。


 クロスの眼前で、信じがたいことが起きたのは。


 石造りの家屋を破壊して地下から現れる触手。

 倒壊した建物に潰されそうになる人々。

 駆ける剣閃。

 その隙を突かれて捕らわれる勇者。

 響き渡るのは絹を裂くような少女の悲鳴。


 ――それは、いつかどこかで見たような光景で。


 クロスの双眸が大きく見開かれる。


「エリシアさん!!」


 それまで悲鳴を垂れ流すだけだったクロスの口が、はっきりとその名を叫んでいた。

 瞬間、クロスの胸に爆ぜたのは幼い頃の記憶。

 それは、いまも脳裏に焼き付いて離れない光景。


 故郷の村がモンスターに襲われたあの日、勇者の末裔一行が助けに来てくれるのことだ。


 モンスターを退けようと必死に戦う大人たち。

 自分の子供でもないクロスを必死にかばい、全力で戦っていた村の人々。


 そしてそんな彼らが次々とモンスターに敗れ倒れていく中……泣きじゃくるだけでなにもできなかった自分。


 それは、いまも思い出すだけでドス黒い後悔が胸中を満たす最悪の記憶だった。


(ああそうだ……だから僕は、こんなにも強くあの人に、エリシアさんに憧れたんだ)


 あの人みたいになりたいと思った。

 けどそれは、ただの強くてカッコイイ冒険者になんかじゃない。


 いつも誰かを守ってくれている人がピンチになったとき、それを助けられるくらい強い冒険者になりたいと、僕はあのとき強く思ったのだ。


 自分を守るために命がけで戦ってくれた人たちが倒れるのを前になにもできないなんて、あんな気持ちは二度とごめんだったから。


 情けなく這いつくばっているだけなんて、絶対に嫌だったから。

 ――だから。


「……立て……動け……!」


 ここで動けなかったら僕は、きっと一生僕を許せない。殺したくなるほど、死にたくなるほど。だったらいまここで、あの人のために死んだほうがずっとずっとマシだ。クソの役にも立たない〈無職〉の僕が、僕なんかの命を大切にしてなんになるんだ! 


 だから……動けええええええええええええええええええええええええっ!


「う……ああぁ……!」


 地面に落ちた剣を拾い、ガクガクと震える足を引きずる。


「うああああああああああああああああああああああああああ!」


 口から漏れるのは恐怖に染まった噴飯物の情けない雄叫び。

 踏み出す一歩はいまにも倒れてしまいそうなほどに頼りない。


 だが世界最弱の少年はそのとき確かに、この場でただ一人。

 そのレベルで耐えられるはずのない恐怖をはねのけ、怪物の懐へとひた走っていた。


      *


「……っ! 骨のあるやつがいるじゃねえか!」


 一足遅れて到着した勇者の護衛かなにかだろうか。

 恐慌を来してヒュドラから逃げ惑う群衆の中でただ一人、あの〈咆哮ハウル〉をはねのけて走る一人の男を見つけ、龍神族リオーネが荒々しい笑みを浮かべた。


 一時はどうなることかと思ったが、触手が勇者に集中しているいま、勇者の護衛が援軍に来たなら勝利は固い。龍神族リオーネは先ほどまでの焦燥を沈めて密かに息をつく。


 ……だが、一息ついて冷静にその男を見てみると、明らかになにかがおかしかった。

 いくらステータス低下の影響を受けているといっても動きが遅すぎるし、なにより情けなさすぎる。腰は引けているし体捌きはなっちゃいないし、挙げ句の果てに子供のようなわめき声まで上げている。……いや、実際ガキだ。


 まるで今日の豊穣祭で〈職業クラス〉を授かったばかりのように幼い。


 一体なんなんだあいつは……と龍神族リオーネはほとんど反射的に上級共通スキルである〈下位鑑定〉を発動させたのだが……彼女はそこで信じられないものを見た。



 種族:ヒューマン 年齢:14

 職業:無職 

 レベル:0 

 ステータス:オール0



「……!? ああ!? なんだあのガキ!? 〈無職〉!?」


 何度〈鑑定〉し直しても変わらず視界に浮かび上がる数値、そして〈職業クラス〉に龍神族リオーネは愕然と目を見開く。だが次の瞬間には即座に意識を切り替え、全力で叫んでいた。


「ハイエルフ《リュドミラ》!  吸血族テロメア! 援護だ! あのガキを全力で守れ!」

「信じられん、なんだあの子供は……!?」

「うえぇ!? すぐ死んじゃうよあんなのぉ」


 龍神族リオーネに言われるまでもなく、彼女と同様に鑑定スキルで少年のあり得ない弱さを把握していた2人が即応する。


 これは恐らく、犠牲を払わずにヒュドラを打ち倒す最後の機会。

 そう確信したハイエルフ《リュドミラ》と 吸血族テロメアがそれぞれのスキルを発動させた。


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