第8話 世界最強たちの戦い

 豊穣祭で賑わっていたバスクルビアは超巨大モンスターの出現で一転、大パニックに陥っていた。


 いまなお膨脹を続けるポイズンスライムヒュドラの身体が再開発区から溢れ、禍々しい色をした毒液の身体が建物を飲み込み群衆へと迫る。


 悲鳴や怒号が木霊し、歴戦の冒険者たちでさえ我先にと危険度リスク9の怪物に背を向け逃げ出していた。そんななか、


「な……んだよ、これ……!?」


 少年、クロス・アラカルトは一人、ポイズンスライムヒュドラを見上げたまま呆然と立ち尽くしていた。……いや、へたり込んでいた。圧倒的強者を前にステータスオール0の身体がすくみ、情けなくもその場で動けなくなっていたのだ。


 そうして図らずもポイズンスライムヒュドラと対峙し続けることとなったクロスの目に映るのは、悪夢のような光景だった。


 城壁よりも高い位置で獣声をあげる無数の龍頭。

 雲を割る勢いで、天を覆うような大きさの首。

 そしてクロスたちを飲み込まんともうすぐそこまで迫っている毒液の壁。


 すぐ背後では小径に人が殺到して道がふさがっているのか、いまだ多くの悲鳴と怒号が響いていた。


「こんなの……もうどうしようも……!?」


 悲痛に満ちたクロスの掠れた声ごとその場にいる者を全員飲み込まんと、毒液の身体が無慈悲に押し寄せた――その刹那。


「最上級氷結魔法――〈アブソリュート・ゼロ〉!」


 高らかに声が響くと同時、異変が起きた。

 クロスたちへと襲いかかろうとしていた毒の壁が、突如として凍り付いたのである。


 しかし動きが止まったのは毒の壁だけ。


 胴体から生えた無数の龍頭は表皮に霜を散らして動きを鈍らせながらもお構いなしに動き回り、天を覆う一際巨大な首はクロスたち目がけて勢いよく落ちてくる。


「オラアアアアアアアアアアアア!!」


 と、天を覆うような巨大な首に、赤髪の人影が激突した。


 凄まじい衝撃が発生し、クロスは「うわあああああっ!?」と群衆の殺到するあたりまで吹き飛ばされる。「一体なにが!?」と慌てて顔を上げた。


 するとあろうことか、赤髪の人影が巨大な首を空中で捕まえて動かないよう押さえ込んでおり、金髪の人影から放出され続ける凄まじい冷気が怪物の膨脹を阻止していた。


「……っ!?」

 

 クロスはその光景に唖然とする。


(空に浮いてる女の人が2人……いや3人だけでアレを食い止めてる……!?)


 ポイズンスライムヒュドラの出現よりも遙かに非現実的な展開に、クロスにはなにが起きているのかすらわからない。


 だがしかし、これだけはわかった。


 なにもできない、何者にもなれない自分なんかとは違う。

 吟遊詩人が謳う物語の主役のような規格外の傑物たちが、その身一つで巨大なモンスターに立ち向かっているのだと。


      *


「おいハイエルフリュドミラ! 氷結魔法の出力もっと上がんねえのか! 毒の身体が街の連中を飲み込むのは防げたが、首はまだ元気だぞ! これじゃ体内の核まで凍らねえだろ!」

 そう叫ぶのは、異常なまでの身体能力で宙を蹴り、大河のように巨大な首を空中で食い止めている龍神族リオーネだった。


 そんな彼女に、杖で空に浮くハイエルフリュドミラは表情を曇らせながら応える。


「このヒュドラ、想定よりも遙かに魔防と回復力が高い……! 容易には凍らないし、凍ったそばから回復されて、固められるのは表面だけだ。かといってこれ以上出力をあげれば、その余波だけで凍死する者が出る!」


 その言葉に龍神族リオーネは激しく舌を打つ。

 彼女自身、宙を蹴った際の風圧で眼下の人々へ被害が出ないよう気を遣って本気が出せず、首の押さえ込みに苦労していたからだ。


「チッ! クソウザってえ! こんなデカブツ、いつもなら回復が追いつかねー速度でぶん殴りまくって終わりだっつーのに!」

「短気を起こすなよ龍神族リオーネ! 近づいてよくわかったが、このヒュドラの毒はやはり相当の劇物だ! 中級職以下の者なら数滴触れただけで即死すると思え! 絶対に砕くな!」

「わーってるよ! んなことくらい!」


 ハイエルフリュドミラの言葉が決して大げさでないことは、ヒュドラの表皮に触れる龍神族リオーネ自身の手のひらがピリピリと痛んでいることからも明らかだった。


 頂天職にまで至った龍神族の皮膚に痛みを与える毒。中級職どころか、量によっては上級職にも致命傷を与えるだろうことは想像に難くない。


 だからこそ龍神族リオーネはこの巨大な首を豪快に殴り飛ばすこともできず、ストレスの溜まる足止めに徹さざるを得なくなっていたのだ。


 このままではどう考えてもジリ貧。となれば、


「おい吸血族テロメア! そっちはどうだ!」

「ん~。やっぱりわたしの嫌がらせスキルは不定形の超回復持ちとは相性が悪いかなぁ。距離もあるし、あんまり効いてないっぽいね~」


 呼びかけに応えたのは、ハイエルフリュドミラの杖に片手でぶら下がっていた吸血族テロメアだ。


「う~ん、遠距離の嫌がらせスキルが効かないとなるとぉ……」

「うむ、あまり気は乗らないが、これしか手はないな」


 吸血族テロメアの呟きにハイエルフリュドミラが頷いた、次の瞬間。


 ゴオオオオオッ!

 

 ハイエルフリュドミラが一切の躊躇なく、吸血族テロメアの背中に強力な火炎魔法をたたき込む。


 その強力な炎の槍は吸血族テロメアを巻き込んだまま、凍結したヒュドラの胴体に突き刺さる。当然、そんな無茶苦茶をされた吸血族テロメアの全身は無惨に焼け焦げ、骨も何カ所か折れていたのだが、


「よ~し、無事着陸~」


 回復魔法を使ったわけでもないのに、その大怪我は即座に完治。

 吸血族テロメアは下半身全体がヒュドラの毒に蝕まれて白煙をあげても平然としつつ、


「あはっ。やっぱりヒュドラ系にはこのやり方が一番効率的だよねぇ。……嫌がらせスキル、全解放」


 その両手からヒュドラの体内へ直接、あらゆる邪法スキルを一斉にたたき込んだ。


『ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!?』


 状態異常、ステータスダウン、その他諸々。邪法と呼ばれるあらゆる嫌がらせスキルが周囲に被害が及ばないよう出力控えめに、しかし最早まともな手段では解除できないほどに重ねがけされていく。


 自らが毒液の固まりであるはずのヒュドラがその毒に苛まれ、断末魔のような悲鳴をあげる。だがそれだけでは絶命には至らない。それどころか、


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 自らの生命を脅かす強敵を前に、ヒュドラの胴体から生える無数の龍頭が一斉に動いた。


 そして眼下の街や龍神族リオーネたち目がけて放たれるのは、その数500に及ぼうかという長大なブレスだ。


 火、水、風、土、それぞれの龍頭が異なる属性のブレスを周囲一帯にまき散らす。

 一発一発が凄まじい威力を内包した規格外の範囲攻撃だ。

 だが、


「全基本属性での攻撃か、こしゃくな! 四重魔術師スキルオールメイジマジック、〈エレメント・バレッド〉!」


 ヒュドラを見下ろせるほどの高さまで高速飛翔したハイエルフリュドミラが、上空から大量の魔法攻撃を打ち出し、ヒュドラの放ったブレスを相殺した。


 バスクルビアの上空で凄まじい閃光がはじけ、超常的な魔力のぶつかり合いが激しい衝撃を生み出す。その人知を超えた弾幕合戦はいつまで経っても終わらない。


 ヒュドラは相殺されるそばから新たなブレスを打ち出し、ハイエルフリュドミラも人族とは思えない魔力量と集中力でそのすべてを打ち消し続ける。


「やああああああああっ」


 そんなこの世の終わりのような攻防が続くなか、吸血族テロメアは誰にも邪魔されることなく邪法スキルを流し込み続ける。


 そしてある閾値を超えた瞬間、ソレは起こった。


 グジュグジュグジュ――クパァ!


 規格外の邪法スキルに拒絶反応を起こしたポイズンスライムヒュドラの核が、自ら体外へ露出したのだ。ヒュドラの体表に洞窟のような穴が開き、その中で宝珠のような核が光る。


 吸血族テロメアたちの狙い通り、あとはこれを破壊するだけだ。

 だが、


「あー、なんか変なとこに核が出ちゃった……核露出の場所がランダムなのがこのやり方の欠点だよねぇ」

「首のあたりにでも出てくれりゃあいいものを、やっぱそう上手くはいかねーか」


 核が露出したのは、ちょうど3人の攻撃可能範囲から外れた死角。

 再開発区近くの大通りを飲み込もうとしていた毒液の壁、そこに地表と接するかたちで洞窟のような穴が開いていたのだ。


 3人の位置からは穴の端が見えるくらいで、その奥で光る核は角度の問題で視認できない位置だ。


 龍神族リオーネは現状巨大な首から離れられず、吸血族テロメアが力任せにヒュドラの体内を泳げば凍った毒の体表が散ってしまう。ハイエルフリュドミラに至っては〈アブソリュート・ゼロ〉を継続発動する傍ら無数の首が放つ多属性ブレスを相殺し続けており、一発のミスも許されない弾幕合戦の真っ最中。もちろん不測の事態に備えて全員が余力を残してはいるが、目視できない核を狙う隙がないのだった。


 だが幸いにも、ここは冒険者の聖地。そして核が露出したのは地表と接する部分。

 そこで龍神族リオーネは三人を代表して地上へと叫んだ。


「おいてめえら! その核を適当に剣でぶっ叩くだけでいい! あたしらが抑えてるうちにトドメ刺せ!!」


 他の連中にトドメを託すのは正直プライドが許さないが(ゆえにこのやり方は気が進まないとハイエルフリュドミラは漏らしていたのだが)、いまは四の五の言っている場合ではない。


「わ、わかった!」


 それまで人族の域を超えた戦闘に圧倒されるだけだった冒険者たちが龍神族リオーネの言葉を受け、群衆の中から一斉に飛び出した。


 ポイズンスライムヒュドラはその強さに反し、本体の核は非常に脆い。

 毒の身体に守られている状態ならいざ知らず、完全に露出している核など武器さえあれば子供でも簡単に破壊できるような強度でしかなかった。現役の冒険者たちにかかれば、それこそひとたまりもないだろう。


「ったく、手こずらせやがって。だがまあこれでどうにか――」

 と、龍神族リオーネが勝利を確信して呟いた、そのときだった。


 突如として街のど真ん中に出現した超巨大な危険度リスク9のモンスター――その異例ずくめの存在が、本当にあり得ない行動に打って出たのは。


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