第6話 心の折れる音

職業クラス〉授与によって発現した10のスキルを早速訓練場で試射していたのだろう。自前のメタルプレートと愛用の長剣を装備したジゼルは苛立ちを隠そうともせず、威圧的にクロスへと詰め寄った。


「ぎゃあぎゃあ騒がしいやつがいると思って来てみりゃあ……てめえ、まだ冒険者を諦めてなかったのかよ、0点クロス。いや、今日からはノージョブクロスか?」


 ジゼルは嘲るように言うと、そのままクロスを壁際へと追い詰める。


「なあ、おい。てめぇはまだわかんねぇのか? レベルもあがらねえ、スキルも覚えられねぇ。クソの役にも立たねぇてめえが、なにをどうしたら冒険者になれるんだ、ああ!? 苛つくんだよ! てめえみてえな間抜けは! さっさと退学して、二度とその面見せるんじゃねえ!」


 ガンッ! ガンッ! 

 長剣の柄で石造りの壁を殴りつけながら、ジゼルが尋問でもするかのようにドスのきいた声でクロスをなじる。


 クロスはジゼルから発される敵意にすくみ上がりながら、それでも必死に口を開いた。


「ス、スキルは覚えないわけじゃ、ないよ! 頑張れば覚えられる可能性だってあって……だから、ここで退学になるわけにはいかないんだ……! あ、あの人みたいな冒険者になるために!」


 世界最高峰の冒険者学校。

 ここを退学になれば、ただでさえスキルの習得が難しいとされる〈無職〉の自分は本当に冒険者を目指すことなどできなくなる。そう必死にクロスは訴えるのだが、


「……てめえ、ホントに現実ってやつが見えてねーよな」


 突如、ジゼルの目が据わる。

 そしてあろうことか、


「冒険者ってのはな、モンスターと戦うんだぞ! 撃滅戦士スキル――剣技〈なぎ払い〉!」

「がはっ!?」


 スキルを纏った長剣の一撃がクロスの脇腹にたたき込まれた。

 まるで反応できなかったクロスはボロ切れのように地面に転がる。

 剣の腹で打たれた場所を凄まじい鈍痛が襲い、クロスは立つどころかまともに呼吸することさえままならなかった。


 そんなクロスに、容赦ない追撃が降りかかる。


「オラ! 避けてみろよ! 防いでみろよ! 本物のモンスターはこんなもんじゃねーんだぞ! 凶暴で、人と同じようにスキルも使う!  角ウサギなんかにやられるようなヤツが! 私の攻撃を目で追えてさえいねえヤツが! 冒険者になんかなれるわけねーだろうが!」


 ドガッ! ボゴッ!


 地面で丸くなるクロスの背中に、頭に、ジゼルの蹴りが何発もたたき込まれる。


「やめっ、ジゼルっ、痛い……っ!」

「命乞いすりゃあモンスターが見逃してくれんのか!? ああ!?」


 ドゴンッ!


「げほっ……!?」


 ひときわ強い蹴りがたたき込まれ、いよいよクロスからは悲鳴さえ上がらなくなる。


「ちょっ、ちょっとジゼル。いくら弟さんのことがあるからって、これはさすがにやりすぎなんじゃ……ひっ!? あ、いや、ご、ごめんっ、余計なこと言って……」


 さすがに見かねた取り巻きがジゼルを制止しようとするが、無言の一睨みで黙らせられる。


 そしてジゼルは動かなくなったクロスの横に腰を下ろすと頭髪を掴みあげ、


「おい約束しろ。潔く退学して、二度と冒険者になるなんて舐めたこと言わねーってな。そうすりゃこれ以上、痛い目に遭わなくて済むぜ?」


 脅すようにそう告げる。だがクロスはかすれた声で、


「い、やだ……僕は……あの人みたいな冒険者に……」

「……ああそうかよ」


 ジゼルの顔からすっと表情が消える。


「だったらてめえの気が変わるまで、私のスキルの練習台にしてやるよ」


 地面に倒れるクロス目がけ、ジゼルが剣を振りかぶる――そのときだった。


「なにをしているの?」


 静かで美しい声が、ジゼルの蛮行をとがめるように響いた。

 瞬間、その場にいた誰もが驚愕に時を止める。


 特にクロスの驚愕は凄まじく、痛みさえ忘れてその声の主を見上げていた。

 白銀の髪をなびかせた一振りの宝剣のような少女、エリシア・ラファガリオンその人を。


「……これはこれは。勇者の末裔様じゃないですか。そっちこそ、こんなところでなにを?」


 取り巻きたちが見るからに萎縮する中、ジゼルは一人、さすがの胆力でエリシアに聞き返す。


「サリエラ学長に改めて挨拶と、入学の正式な手続きに。それと、少し一人になりたかったから。……それで、そっちはなにを?」

「いえ別に? ただ〈無職〉の分際で冒険者になりてぇなんて言ってるバカをしてただけですよ」

「それは、暴力に訴えなければできないこと?」


 静かに言いつつ、エリシアが腰に下げた刀の鞘に手をかける。


「……チッ」


 最上級職のステータスなら、音や気配だけで私刑の一部始終を把握していてもおかしくはない。さすがにこの状況で誤魔化すのは不可能と判断したのか、ジゼルは取り巻きたちに目配せし、


『これで助かったと思うんじゃねえぞ、0点クロス』

 と言わんばかりにクロスを一睨み。乱暴な足取りで廊下の向こうへと去っていった。

 そんなやりとりの一部始終を「これは夢か?」とばかりの間抜け面で見上げていたクロスだったが、


「大丈夫?」

「……え?」


 エリシアが地面に転がる自分と目を合わせて手を差し伸べてくれたことで、ようやくこれが現実なのだと認識した。

 それと同時にいま自分が酷く無様で情けない状態にあると気づき、顔を真っ赤に染める。


「え、あ、だ、大丈夫! 全然、大丈夫ですよこれくらい!」


 エリシアの手をとることなく、全身の痛みを無視して無理矢理立ち上がる。


 だがその頭の中は未だ大混乱の真っ最中だった。

 しかしそれも仕方ないだろう。


 ずっと憧れ続けていた少女が目の前にいるという信じがたい現実。

 その少女に情けなくもまた助けられてしまったという男として耐えがたい恥ずかしさ。

 さらにその少女はこの4年で目もくらむような美少女に成長しており、こうして目の前に立っているだけでクロスの頬に熱が集まる。


 なんだかもうクロスはわけがわからず、頭に浮かぶことをそのままぶちまけていた。


「あ、あの、助けてくれてありがとうございます! その、えと、今日のことだけじゃなくて、覚えてないでしょうけど、実は僕、前にもあなたに助けてもらったことがあって……それからずっと、あ、あなたみたいな冒険者になりたいって……」


 ああくそっ、こんなことエリシアさんに言ってもしょうがないだろ……!

 頭の片隅ではそう思いつつ、それでも4年間ずっと募らせていた思いの丈を混乱のまま口にすることしかできないでいた、そのときだった。


「……ああ、それ。やっぱり本気で言っていたのね」


 突如。


 エリシアの声が、表情が、酷く冷たいものに変化した。

「私は〈盗賊シーフ〉じゃないけれど、廊下に響いてよく聞こえたわ。あのガラの悪い子とのやりとりだけじゃない。サリエラ学長とのやりとりも、全部」

「え……?」


 エリシアの豹変にクロスが面食らっていた、次の瞬間、


「〈無職〉が冒険者になんて、なれるわけないでしょ」


「……っ」


 憧れの少女の口から発せられた氷のように冷たいその言葉が、クロスの胸に深く突き刺さった。そんなクロスを追い打つように、エリシアの言葉は止まらない。


「人には生まれ持ったものがある。生まれ持ったもので全部決まる。この世界はそういうものだって、子供でも知っているわ。努力で変えられることなんて、最初から変えられる範囲のことでしかない。常識よね?」


 そしてエリシアは右手で自分の身体を抱くようにして顔を伏せ、クロスには聞こえないほど小さな声で呟いた。


「……その証拠に、勇者の末裔なんて持て囃されてる私にだって、望むように生きていける自由なんてないのに」


 それから愕然とするクロスの目をまっすぐ見つめると、低い声ではっきりと告げる。


「わかったら、ちゃんと自分の運命を受け入れなさい。ワガママを望んだって、周りに迷惑がかかるだけなんだから」


 そうしてエリシアは、突き放すようにクロスに背を向けるのだった。


「……は……い……」


 廊下に1人取り残されたクロスは、喉の奥から掠れきった声を漏らす。


 サリエラ学長のように理路整然とした説得ではない。

 ジゼルのように暴力に訴える強引なやり方でもない。

 短いやりとり。

 内容だけ見れば、言っていることは先の二人と大差はないだろう。


 だが――。


 ずっと憧れてきた少女から叩きつけられた暗い感情に、容赦のない言葉に、現実に――クロスは初めて、自分の心が折れる音を聞いた。


「……う……あ……」


 ボロボロとこぼれる涙が、誰もいない廊下へ静かにしみこんでいった。


      *


 それから、どのくらいの時間が経っただろうか。


「……ぐすっ……はぁ……これからどうしよう……」


 あれからろくに頭も働かず、クロスは学校から逃げ出すようにふらふらと街をさまよっていた。しかし今日は豊穣祭。どこに行っても幸せそうな陽気が街を満たしており、クロスが落ち着ける場所などどこにもなかった。


 祭りの陽気を避けるようにさまよっていると、その足は自然と比較的人通りの少ない方角へと進んでいく。そうしてクロスがたどり着いたのは、再開発区と呼ばれる区画に隣接した大通り、そこから伸びる細い路地だった。

 

 今日は豊穣祭ということで工事も休みのようで。祭りで賑わう街の中で唯一人気がない。

 クロスは賑わう大通りの喧噪を尻目に、その薄暗い路地に座り込んで大きく溜息を吐く。


「ギルドは就職先を斡旋してくれるって言うけど、僕みたいなのを雇ってくれるとこがあるとは思えないし……」


 誰もが〈職業クラス〉とレベルを持つこの世界において、レベル0というのはどの職業でも致命的だ。たとえば受付業務ひとつにしても、ただ単に帳簿をつけていればいいというわけではない。掃除もすれば買い出しも手伝わなければならないし、水汲みを任されることだってざらにある。肉体労働は基本中の基本なのだ。そして肉体労働において重要なのはステータス。力が低ければこなせる業務は減るし、効率も落ちる。一日にこなせる仕事の量は確実に少なくなるのだ。だというのに、一体誰が好き好んでステータスオール0などという無能を雇うというのか。

 

「……はぁ、本当にこの先、どうしたらいいんだろう……」


 憧れの少女に言われて向き合った現実は果てしなく暗く、どうしようもなく詰んでいた。

 ――と、クロスが途方に暮れていたときだった。


 街に異常が発生したのは。


「……え?」


 それは最初、本当にかすかな異変だった。

 ともすれば大通りの雑踏から聞こえてくる笑い声や足音にかき消されてしまうような、小さな地鳴り。だがその微振動は少しずつ、しかし確実に大きくなっていき――。


「な、んだ……!?」


 沸き起こる悲鳴。ひっくり返る屋台。石畳にヒビが入り、大通りに軒を連ねる建物が軋んで不吉な音色をまき散らす。


 どんどん大きくなる振動は大通りの人々が立っていられないほど大きくなり、やがて揺れとは違う破壊的な轟音が群衆の耳朶を打つ。続けてこの世の終わりのような咆哮が空を揺らした。


 そして再開発区の中央から地を裂いて現れたのは、――形をもった厄災。なんの前触れもなくこの場に現れるはずのない、殺戮の権化。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 街を囲う城壁よりもなお巨大な怪物が、クロスたちの頭上でおぞましい産声をまき散らした。

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