第5話 世界最弱職

「ふう、毎年のこととはいえ、何千人分もの授与式を最後まで見守るのは骨が折れるな」


 大きな溜息をつきながら冒険者学校の廊下を歩くのは、この学び舎の長、サリエラ・クックジョーその人だった。


 富裕層しか持てない懐中時計と呼ばれる道具でいまが昼下がりであることを確認しながら、一息つくために学長室へと足を向ける。


「しかし今年の授与式は特別だったな……」


 勇者の末裔であるエリシアの存在もそうだが、まさかそう数も多くないギルドの孤児院組からああも両極端な結果が出るとは。

 思い出すだに残酷な結果にサリエラが再び息を吐いていたところ、


「あ! いた! 学長先生えええええええええええええええ!!」

「な、なんだ!?」


 その悲痛な絶叫にサリエラが驚いて振り返ると、そこにいたのはいままさにサリエラが哀れんでいた少年、クロス・アラカルト本人だった。

 

 半泣きで駆け寄ってくる少年に、一体何事かとサリエラが面食らっていると、


「あ、あのこれ! 寮に戻ったら、僕の寝床にこんなものがあって……!」


 クロスがぷるぷると震えながら差し出してきたのは、ギルドから正式に発行された退学勧告の用紙だった。仕事が早い。というかあの結果を見れば、誰も迷うことなどなかったのだろう。


「ギルドの窓口にいっても『決定事項です』とか『今後の受け入れ、就職先の斡旋は可能な限り行いますので』の一点張りなんです! 先生たちに聞いても目をそらすばかりで、サリエラ学長に直談判してみるといい、って……っ」

「ああ、なるほど……」


 クロスの言葉に、サリエラは大体の事情を察した。要はクロスがあまりにも哀れで、全員が彼の説得から逃げ出したのだ。


 しかしそれを上司に丸投げするとはいい度胸だな、とサリエラが思っていると、


「お願いします! 僕、子供の頃からずっとあの人みたいな冒険者になりたくて……だからお願いです! なんでもしますから退学だけは勘弁してください! なんでもしますから!」

「うっ……」


 あまりにも必死な様子ですがりついてくるクロスに、サリエラは胸を痛める。


(く……っ、確かにこれだけまっすぐな子に冒険者を諦めさせるのを躊躇する気持ちはわかるが、学長の私にこんな気の進まない役回りを押しつけおって……あとで覚えていろ)


 サリエラは内心で改めて部下たちに悪態をつきつつ、腹をくくって口を開いた。


「……そうは言ってもな、クロス。レベルが上がらない以上、冒険者を目指すのは自殺行為だ。訓練も無駄に終わるだろう。ならばその時間を別のことに充てたほうがよほど君のためになる」

「で、でも! 僕の適正判断を担当してくださった神官様がおっしゃってくれたんです! 〈無職〉はレベルが上がらない代わりにどの〈職業クラス〉のスキルも習得できるから気を落とすなって!」

「それは……」


 と、言いよどむサリエラの態度を肯定と受け取ったのだろう。

 クロスはさらに続ける。


「だからレベルが上がらなくても、例えば……ええと、剣士スキルと魔法スキルが使える本物の魔法剣士とか、盗賊スキルと戦士スキルを使える不意打ち近接職とか、とにかくスキルさえ伸ばせば可能性はあるはずなんです! だから――」

「まったく……君を担当した神官は優しさをはき違えているな。的外れな期待をさせるなど」

「え……?」


 クロスの必死な主張を、サリエラが途中で遮った。


「確かに〈無職〉には〈職業クラス〉別の習得不能基本スキルというものが存在しない。唯一無二の特性として、どの〈職業クラス〉のスキルも習得できるとされている」

「だ、だったら!」

「だが、それはあくまで理論上の話だ」


 サリエラがぴしゃりと告げる。


「気の遠くなるような修練を重ね、ようやくいくつかの基本スキルを習得できるかどうか。そして仮に習得できたとして、〈無職〉がスキルの熟練度を実用レベルにまで鍛えるにはさらに果てしない時間を必要とする。一生を賭けて器用貧乏になれるかどうか。それが〈無職という〈職業クラス〉の成長速度なのだ。その証拠に――」


 と、不意にサリエラがクロスの手をとる。


「え、わっ!?」とクロスが初々しく赤面するが、その表情はすぐ痛みに歪む。

 サリエラがクロスの手のひらにできた血のにじむマメを指で突いたからだ。


「私も夜遅くまで仕事をしていることが多いからね。君が夜中、講師たちに頼んで訓練場を開放してもらい、人一倍努力していることは知っている。だがそれでも授与時に発現したスキルは0だ。本来ならば、〈職業クラス〉授与前の修練で初期スキルの数が多少は伸びるとされているにもかかわらず……君の場合、最低1つは発現するという法則さえ無視しての0。それほどまでに、〈無職〉のスキル習得は難易度が高いんだよ」

「……っ」


 必死に続けてきた努力まで否定され、クロスの双眸に涙がにじむ。だが、


「で、でも、これからどうなるかはわからないじゃないですか! 明日には修練の結果が出るかもしれないし……〈無職〉が数千万人に一人しか存在しない〈職業クラス〉だっていうなら、情報だって少ないはずで、もしかしたらなにか他に特別な長所だってあるかも……っ」


 クロスは粘る。憧れを捨てきれず、その場で思いついた理屈を並べて必死にすがっていた。


「うぅむ……聞き分けのない……」


 と、サリエラが捨てられた子犬のようなクロスの嘆願にいよいよ困り果てていたときだった。


「学長! 良かった、こちらにおられましたか!」


 廊下の向こうから、一人のギルド職員が慌てた様子で駆け寄ってきた。

 職員はクロスの存在も目に入らないといった様子で割り込むと、サリエラになにやら耳打ちする。その瞬間、


「なん……だと……!?」


 サリエラはクロスの存在などすっかり忘れたように瞠目。

 次の瞬間には普段の落ち着いた様子などかなぐり捨て、顔面蒼白でギルド職員に詰め寄っていた。


「あのろくでなしどもがここに……!? 冗談だろう!? なにかの間違い……いや、奴らの名を騙る偽物ではないのか!?」


「いえ……あの強さに威圧感はまさに本物。残念ながら間違いなくのお三方かと……いまは三人とも、学長室で勝手にお茶とお茶菓子を食べています」


「ぐあああああああっ!? 間違いなく奴らだ……! し、知らん、私はなにも知らんぞ! なんの報告も受けていないし、不幸な連絡ミスで奴らの訪問などまったく知るよしもなかった! 君も奴らにはこう報告しろ! 『サリエラ・クックジョーは豊穣祭と勇者来訪に伴う警備で街中を走り回っており、連絡がつかない』とな!」


「それが連中……『あたしらを1時間も待たせたら、校舎の1つや2つ、吹っ飛んでも仕方ねーよな?』と」


「ぐっ……!? 腹をくくるしかないのか……!? 仕方ない……おい君! いますぐ精神安定作用のあるハーブと、私の胃に穴があいたときのため、回復魔法に秀でた〈聖職者〉の手配を! それから、奴らにはあと三十分ほどで行くと伝えろ!」


「え、いますぐ向かわれないのですか?」

「心の準備がいるんだよ!」


 と、必死の形相で叫んだサリエラ学長は頭を抱えながら、突然の事態に呆気にとられていたクロスに向き直った。

「すまない緊急事態だ。とにかく退学の決定は覆らない。早く割り切って、君は早く冒険者以外の道を探しなさい。くっ、それにしてもなぜ奴らがこの街に……!?」

「えっ、あ、ちょっ――」 


 と、クロスが反射的に追いすがろうとするが無駄だった。

 サリエラはA級冒険者の速度で即座にその場を立ち去り、ギルド職員もレベル0のクロスには追いつけない速さでサリエラを追いかけていってしまう。


 一人ぽつんと廊下に取り残されたクロスは、寄る辺を失った子供のようにうなだれる。


「退学、だけは……」


 ギルドから渡された退学勧告の用紙をぐしゃりと握りしめた。そのときだった。


「おいおいおいおい。てめえ、この期に及んでまだ冒険者を諦めてなかったのかよ」

「っ!?」


 クロスの背後から、明らかに苛立っているような声が聞こえてきた。

 その聞き慣れた声にクロスが振り返ると、


「ジ、ジゼル……っ」


 廊下の陰から現れたのは、日常的にクロスをいびっている孤児院の女ボス。

 複数の取り巻きを引き連れたジゼル・ストリングだった。


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