第1話 0点クロス

 いまも脳裏に焼き付いて離れない光景がある。


 あれはいまからおよそ四年前。

 僕――クロス・アラカルトがまだ10歳だった頃のことだ。


 生まれ育った村がモンスターの群れに襲われた。

 事故で早くに両親を亡くした僕を、村全体の子供として育ててくれた暖かい村だった。


 けどモンスターにそんなことは関係ない。


 畑は荒らされ、家は壊され、見知った人たちの悲鳴と怒号が何重にも響いていた。

 もうダメだ。全員殺される。一人残らずモンスターに蹂躙される。


 武器をもった大人たちが次々と倒れ、モンスターが僕たちの目の前に迫り、誰もが絶望に顔を歪めたとき――その人は現れた。


 情けなくへたり込む僕の眼前に。まるで風のように。

 宙を走る銀の剣閃。研ぎ澄まされた宝剣のように輝き翻る白銀の髪。

 勇者の末裔と呼ばれるその人は、当時10歳だった僕よりも2つ年上なだけの幼い身で、巨大なモンスターの群れをあっという間に切り捨てていった。


 修行のために冒険者として各地を回っていたというその人は治癒のスキルを使える護衛も連れていて、倒れた村の人たちを全員助けてくれた。


「怪我はない?」


 たまたま僕が近くにいたからだろう。

 すべてのモンスターを瞬く間に片付けたその人は、そう言って僕に手を差し伸べてくれた。


 そうして村を救ってくれたその人を見上げながら、僕は強く思ったのだ。

 この人みたいに、たくさんの人を守れる強くてカッコイイ冒険者になりたいと。


 強烈に、痛烈に、胸が張り裂けそうなほどに憧れた。


 この人みたいになれるのなら、どんな努力も惜しまないと。

 ――けれどこの世界の現実は、そんな望みが簡単に叶うほど、甘くはなかったんだ。


      *


 要塞都市バスクルビア。

 世界最大の魔力溜まり〈深淵樹海〉を管理すべく冒険者ギルドが運営を取り仕切る都市であり、世界最高峰の冒険者学校が存在する「冒険者の聖地」でもある。


 街の外壁と一体化するかたちで建設されたアルメリア王立冒険者学校には様々な施設とベテラン講師が揃い、すでに各地で活躍する強者や若手冒険者がさらなる実力アップを求めて各地から集まるほどの高等訓練施設として名をせている。


 けれどその一方、この学校はギルドに併設された孤児院で身寄りを失った子供を養い、希望する者には将来の冒険者候補として一から教育を施す特殊な養護施設としての側面もあった。


 訓練場では今日もまた、将来どんな〈職業クラス〉を授かっても役に立つだろう基本的な戦闘訓練が行われ、〈職業クラス〉授与後の本格的な見習い冒険者デビューに向け、少年少女たちが活気に満ちた声を響かせているのだった。


 ――そんな中で、


「うわあああああああああああ!?」


 あまりにも情けない悲鳴が訓練場一帯に轟いた。

 誰の悲鳴かって?


 ……僕、クロス・アラカルトの悲鳴だ。


『ギュイイイイッ!』


 と、地面に尻をついた僕の前で威嚇の鳴き声をあげるのは角ウサギ。

 危険度リスク0に分類される戦闘力の低さと繁殖力の高さから、れっきとしたモンスターにもかかわらず半ば家畜化されている珍しい種類だ。とはいえ人を襲う凶暴な性質はそのままであるため、肉にする際にはまだ〈職業クラス〉を授かっていない子供の実技訓練によく利用されている。


 そして今日はその実戦訓練の日。

 なので僕は気合いを入れて角ウサギに向かっていったのだけど……体当たりで支給品のショートソードを吹き飛ばされ、こちらにトドメを刺そうと迫る角ウサギに対して為す術なく悲鳴をあげていた。


 と、そのときだ。


「おりゃっ!」

『ピギュッ!?』


 一緒に訓練を受けていた孤児院のルームメイトが横から割りこみ、剣を一振り。

 角ウサギを一撃で仕留めてしまった。


「あ、ご、ごめん。ありがとう」


 危ないところを助けられた僕はお礼を言いながら立ち上がる。


「いいってことよ。倒した分は俺の経験値になるしな。けどクロスお前な……14にもなって角ウサギに負けるってのはどうなんだ」

「うっ」


 呆れたような声とともにルームメイトがため息を吐く。


「見てみろよ。数人がかりだけど、角ウサギなんて9歳の年少組でも倒せるんだぜ?」


 言われて振り返れば、僕らのすぐ近くで年少組が角ウサギを逃がさないよう取り囲み、これを難なく仕留めていた。


「こう言っちゃなんだけど、やっぱアレだ。お前は角ウサギとの実戦の前に、年少組との模擬戦からやり直したほうがいいんじゃねーか?」


 と、ルームメイトが言いにくそうに漏らした瞬間。


「えーっ!? いやだよ! だってクロスにーちゃん弱いもん!」

「うぐっ!?」


 突然の罵倒が僕の胸に突き刺さる!


「レベル0だし! ステータスもぜんぶぜーんぶ0だし!」

「普通、クロスにーちゃんの年なら訓練なしでもレベル5くらいにはなってるはずなのに!」「わたしたちだってもうレベル2なのにねーっ!」

「クロスにーちゃん、この前なんて私たちとの腕力比べでも負けてたもん!」


「う、うぅ……」


 年少組の女の子を中心に、訓練そっちのけで容赦のないブーイングが上がる。


「え、お前9歳の女の子に力比べで負けたってマジ?」


 ルームメイトが驚いたように目を見開く。


「嘘じゃないよ! ほら!」

「えっ、ちょっ、うわあっ!?」


 と、年少組が角ウサギよろしく僕に突っ込んできた。途端、まともに受け止めることもできず地面を転がされる僕。周囲からたくさんの笑い声が響いた。


「おいクロス、それ本気なのか!?」

「いくら子供相手に本気出せないからってそりゃないだろ!」

「素振り練習に戻っとけって!」


 ……これが僕、クロス・アラカルト14歳の現状にして惨状だ。


 村がモンスターの群れに襲われたあの日。死人こそ出なかったものの、魔力濃度の異変でモンスターの生息域が変わったために村は放棄せざるをえなくなった。


 村の人たちが領主様の支援を受けて各地に離散していくなか、もう村ぐるみで育ててもらうわけにもいかず、僕は大人たちに勧められるまま、村から比較的近い場所にあったバスクルビアでお世話になることになったのだ。


 のちにここが冒険者の聖地と呼ばれ、希望すれば冒険者の勉強ができると知ったときにはたいそう舞い上がったものだけど……現実はこれ。


 僕は初歩的な訓練にさえまともについていけない、ぶっちぎりの落ちこぼれなのだった。


「だ、大丈夫だって! 次こそちゃんと狩るから! だから訓練を続けさせてよ!」


 僕は必死に周囲へ訴える。

 ただでさえレベルが上がらないのに、街の中で経験値を稼げる貴重な実戦訓練まで逃したら周りとの差がさらに開いてしまう。みんなからの嘲笑にも負けず、僕は懇願を続けた。


 けどそんな訴えは、いともたやすく一蹴されてしまう。


「ああ? 次こそは次こそはって、てめーのそれは聞き飽きたんだよ0点クロス」


 と、砂色の髪と褐色の肌が特徴的な一人の女の子が前に出てきて、整った相貌を歪めながら僕を睨んできた。


「てめーみてーな才能0のザコ、訓練の邪魔だっつーの。とっとと消えやがれ」


 そう言ってドスのきいた声を響かせるのは、ジゼル・ストリング。


 僕と同じ14歳にして、孤児院の絶対的なボスとして君臨するヒューマンの女の子だった。


 気の強さからくる強烈なリーダーシップもさることながら、彼女をボスたらしめているのは、その圧倒的な才能。


“破格の天才”の代名詞である〈職業クラス〉の早期授与とまではいかなかったものの、ジゼルは職業スキルと呼ばれる力を普通より半年も早く発現している。そのことから先輩冒険者に一目置かれていて、ここの卒業生どころか街の外からやってきた冒険者の間でも顔が広い。


 さらにジゼルは生まれつきの特別な力――固有(ユニーク)スキルを所持しているらしく、それを買われて先輩冒険者のクエストにこっそり同行しているなんて噂もあるほどだった。


 そのせいか、彼女のレベルは既に15。


 その実力に裏打ちされた自信も相まって、孤児院を支配する優秀なリーダーとして君臨しているのだった。その貫禄はすでにベテランの荒くれ冒険者と遜色なく、率直に言ってしまうとすこぶるガラが悪い。


 そしてその絶対的なリーダー格はなぜか昔から僕のことを毛嫌いしていて、その傾向はこの半年ほどで加速度的に強くなっていた。


 こうして訓練を邪魔されるのも半ば日常と化しているほどに。


「い、いやいや! でもさジゼル、訓練しないと、それこそ僕なんてずっと弱いままで――」

「ああ?」


 決死の口答えも、たった一睨みで潰される。


「角ウサギにも勝てねーようなザコがいくら訓練しようが無駄に決まってんだろうが。てめえはな、訓練の枠を無駄に消費して、他の連中が成長する機会を奪ってるだけの穀潰しなんだよ。わかったら寮に戻って私らのぶんの掃除でもやってろ、0点クロス」


 どんっ、どかっ。

 ジゼルが僕の肩や足をどつき、訓練場の出入り口へと追いやる。


「おいジゼルー、やりすぎじゃねーのー?」とジゼルの取り巻きが半笑いで言うが、絶対的な支配者であるジゼルの横暴を誰も本気で止めようとはしていなかった。


 訓練の様子を見守る先生でさえ「冒険者という荒くれ商売ではこういう理不尽への対処も訓練のうち」と、助け船を出してくれることはない。いつものように。 


 そうしてジゼルが支配する訓練場にはもう僕の居場所なんてなくて……。


「ちっ、なにが勇者みてーな冒険者になりたいだ。見てるだけで苛つくぜ、現実を舐めたああいうカスはよ」

「……っ」


 吐き捨てるようなジゼルの声を背に、僕は独り、とぼとぼと訓練場を後にするしかないのだった。




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