とある老姉妹のクリスマス
Jack Torrance
とある老姉妹のクリスマス
メイン州ポートランド。
二人の老姉妹が住んでいた。
同じ町に住みながらも二人の関係は微妙だった。
隔絶とまではいかないにしろ、ほぼ疎遠に近い関係だった。
姉のエレナ ガートランドは容姿端麗で知性に富み学生時代も男子の人気の的だった。
一方の妹のグレイス マッキャンは姉のような美人ではなく学力でも姉に劣っていた。
グレイスはいつも劣等感を感じ姉に対して嫉妬心を抱いていた。
エレナはロジャー ガートランドと言う裕福な男と結婚し金銭的にも何不自由の無い生活を送っていたがその最愛の夫に5年前に先立たれた。
グレイスはロビー マッキャンと言う貧しい男と結婚し苦労の絶えない生活を送っていたが小言の一つも漏らさずに献身的に夫を支え貧しいながらも幸せな結婚生活を送っていた。
そんな妹の貧しい生活を慮りエレナは経済的支援を申し出たがグレイスはにべもなく撥ね付けた。
「姉さんの施しを受けなくても私達は自分の力で生活していけるわ。帰ってちょうだい。私達の家計の事情に干渉しないでちょうだい」
グレイスのプライドが許さなかった。
姉に対して少女時代から抱いて来た劣等感。
姉は義兄と結婚し何不自由の無い生活を送って来ている。
それに比べて自分は幸せながらも金運というものには恵まれず貧しい生活を強いられてきた。
だが、それを不幸だと思った事は一度も無かった。
自分を愛してくれている夫と毎日楽しく暮らせている。
それだけで幸せだった。
いつも寄り添い何気ない日常に細やかな幸せを見出していたグレイスも今年の3月に最愛の夫を亡くした。
急性心不全だった。
突然の逝去に狼狽し打ち拉がれるグレイス。
近親者と親しい友人だけでしめやかに葬儀は執り行われた。
葬儀が終わった後だった。
近親者と友人達がグレイスにお悔やみを改めて述べ帰宅した。
残ったのはグレイスとエレナだけだった。
グレイスが最愛の夫の遺品と写真を見つめながらしくしくと泣いていた。
エレナが紅茶を淹れてマグをグレイスに差し出した。
「ありがとう、姉さん」
ハンカチーフで涙を拭いながらマグを受け取るグレイス。
エレナがグレイスに甲斐甲斐しく言った。
「グレイス、大丈夫?これで私達姉妹は到頭二人限になっちゃったわね。父さんも母さんも疾うの昔にいなくなっちゃって私は5年前にロジャーを。あなたは今年ロビーを失って子供のいない私達は到頭二人限。寂しくなったわね、あなたも私も。どう、グレイス、今年のクリスマスは私の家に来て二人で過ごしましょ。いいわね、グレイス、約束よ」
グレイスは心配して言ってくれているエレナの誘いを無下には断れなかった。
「ええ、解ったわ。姉さん、ありがとう。私の事、心配してくれて」
グレイスは夫を亡くして益々金銭的に逼迫した生活を送っていた。
エレナは意固地な妹が金を無心するとは到底考えられず融資も素直に受け取るとも考えられなかったので、せめてひもじい思いをさせまいと、それに身体を崩さぬようにと食料品や医薬品などを妹の家に届けていた。
エレナの献身的な思いやりがグレイスの前にバリアとして張り巡らされていた氷壁のような凍てついた感情をアルプスの雪解けのように溶かし始め徐々にグレイスがエレナに抱いていた劣等感や嫉妬心といった感情の蟠りを拭い去っていった。
そして、クリスマス当日がやって来た。
グレイスがエレナの家に到着し呼び鈴を鳴らした。
吹き荒ぶ風が扉を打ちつけ白綿のような雪片がグレイスの外套をしっとりと濡らしていた。
ポートランドの冬は寒い。
グレイスの吐く息が白く舞い上がる。
荒天模様を呈してきたこの寒さの中でグレイスの防寒は万全とは言えなかった。
だが、それも貧しさ故の致し方ない事であった。
エレナが出迎えた。
「姉さん、こんばんは」
「いらっしゃい、グレイス。メリークリスマス」
「姉さん、メリークリスマス」
グレイスが寒さに震えながらはにかんで言った。
「寒いから、入って入って、さあ。外は寒かったでしょ」
リヴィングには赤々と暖炉の温もりが感じられ貧しい自分の家とは大違いだなとグレイスは思った。
「さあ、その濡れた外套を脱いで。あたしのカーディガンを羽織っていなさい」
エレナがソファーに置いていたカーディガンを手渡そうとしながら言った。
その外套は12年前に買った物ですっかり草臥れていた。
エレナは外套をハンガーに掛けてグレイスをリヴィングのテーブルのソファーに掛けさせた。
エレナは手際よく七面鳥のターキースライスやキャセロールなどを並べて赤と緑のキャンドルに火を灯した。
「姉さん、これ、デザートにジンジャーブレッドクッキーを焼いて来たんだけど。前に姉さん、私の焼いたジンジャーブレッドクッキーが絶品だっって言ってくれたから」
エレナが表情を輝かせ喜ぶ。
「嬉しいわ、グレイス。覚えていてくれたのね。食後にいただきましょ」
準備が整うと白ワインのソーヴィニヨン ブランのボトルを開封してワイングラスに注ぎ入れる。
細やかながら23年ぶりに姉妹揃ってのクリスマス。
「グレイス、覚えてる?私とあなたが最後に一緒にクリスマスを祝ったのは、まだ父さんが生きていた23年前に遡るわね。あの頃は私達は初老は超えてたけど今よりもうんと若かったしロジャーやロビーも元気で賑やかで楽しかったわね。でも、父さんが亡くなってから私とあなたと自然と会う機会が少なくなっていって…でも、今日はとても嬉しいわ。あなたと姉妹水入らずでこうやってクリスマスを祝えるんですもの」
グレイスは姉の嬉しそうな顔を見て心中で悔悟した。
姉さんは義兄を亡くして5年。
一人寂しいクリスマスを送っていたかと思うと。
私が変なプライドなんかを頑なに貫いて片意地を張って姉さんを遠ざけていた事を情けなく思うわ。
姉さんをクリスマスに招待すればよかった。
姉さんは義兄を亡くして辛い想いをしていた時に私は気にも留めなかった。
姉さんは今までの確執なんか気にも留めないで一人残された私をこうやって気遣ってくれているのに…
食事をしながらお酒も入り両親、亡夫、少女時代から学生時代の思い出話と続きエレナとグレイスは子供の頃の少女時代に戻ったように延々と語り合った。
メインディッシュを食べ終えエレナがグレイスが焼いたジンジャーブレッドクッキーとともに紙袋を持って来た。
「グレイス、これ、あなたに似合うと思って」
グレイスが包みを開けると白と黄緑の毛糸で編まれたチェックの手編みのマフラーと厚手でしっかりと綿が詰まった淡い空色の外套が入っていた。
寒いポートランドの冬にいつも着古した薄手の外套ばかり羽織っていたグレイスの事を思ってのエレナからのプレゼントだった。
マフラーはグレイスの夫が亡くなった直後からこつこつと編んだ肌触りの良いふかふかのマフラーだった。
「グレイス、あなたの焼いたジンジャーブレッドクッキーはやっぱり美味しいわね。ちょっと、その服羽織ってみなさいよ」
エレナがジンジャーブレッドクッキーを噛み砕きながらグレイスに促した。
「姉さん、こんな高価な物を…」
グレイスが遠慮勝ちに言った。
「いいからいいから、羽織って見せてちょうだいよ、ほら」
気恥ずかしそうに外套を羽織ってみせるグレイス。
「私のイメージ通り。似合っているわよ、グレイス。あなた、5つは若く見えるわよ」
グレイスは嬉しそうに微笑んだが内心は自分が用意した姉への貧相なプレゼントの事を考えていた。
グレイスは外套を脱いで丁寧に畳み紙袋に入れた。
グレイスはそそくさと自分のバッグから本に挟んでいたしおりを取り出した。
取り出したしおりは文具店で買ってきた厚紙に紫のフリージアを押し花にしてあり裏面にはジェームズ ライトの詩で『ある幸せ』が達筆な筆跡で記されてあった。
紫のフリージアの花言葉は憧れを示唆していた。
「姉さん、これ、姉さんは読書家だから。よかったら使ってちょうだい。それに、今日は姉さんに今までの私の非礼を詫びたいと思っていたの。私は、いつも私より秀でた姉さんに憧れを抱きつつもジェラシーを感じていたの。それで、よくしてくれる姉さんにいつも素っ気ない態度を取ってしまっていたの。ごめんなさい、姉さん」
エレナはグレイスのくれたしおりを繁繁と見てからグレイスに視線を移して言った。
「グレイス、あなた、お馬鹿さんね。私は、そんな事を気にしてないわよ。だって、あなたは私にとってたった一人の妹なんですから。それにしても、このしおり素敵ね。売り物にしてもよいくらいの出来映えじゃないの。大事に使わせてもらうわね。ありがとう、グレイス」
二人の顔が笑顔になった。
「そうそう、グレイス。私もあなたに言おうと思っていた事があるの。どうかしら、この家で二人で暮らすってのは?あなたの家は借家で家賃とか色々と出費も嵩むでしょ。ロビーとの思い出が家の至る所に染み付いているでしょうからよく考えた上で結論を出してくれたらいいわよ」
「ありがとう、姉さん。よく考えてみるわ」
窓の外には深深と雪が降り積もりホワイトクリスマスの聖なる夜へと染まっていた。
「あら、外は大雪ね。今夜は泊まっていきなさい、グレイス」
「ええ、姉さん、そうさせてもらうわ」
外の寒々しい景色とは大違いの心温まる思い出のクリスマスの1ページ。
舞い散る雪片を見上げながらエレナはグレイスから貰った大切なしおりをそのページにそっと忍ばせた。
とある老姉妹のクリスマス Jack Torrance @John-D
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