#17 すれ違うふたり――すれ違わされるふたり

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従兄弟のクロード、そして元恋人のマオミは、幸せそうなジェームズが気に食わず、一泡吹かせようと企む。ジェームズとエミリーの仲はさらにこじれていく。


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 クロード・ウィルキンスは〈ニックス〉のVIP席でバーボンをあおっていた。

 今夜は大失敗に終わった。高くついたものだ。後腐れがないほうがいいと思って、婚約者役の女性を金で雇ったが、まさか大伯母があんなことを言うとは。にわかにその気になった〝婚約者〟を追い払うために、報酬を上乗せするはめになった。

 くさくさする。もっとも、こうして振り回されても、大伯母のことは嫌いではなかった。アンティーク蒐集家として有名なようだが、それだけではない。バーバラはそうとうの投資家でもある。ああ見えて、侮れない女性だ。

 そう、腹が立つのはジェームズだ。

 子供の頃から、あいつとはそりが合わななかった。いつもお高くとまっているように見えた。一族の基盤である金融界を見くだしているふしもある。家具屋はそんなにお偉いのか?

 正直に言えば、ビーナス像はどうでもよかった。高く売れるのは確かだが、そういう儲け方をしてもおもしろくない。だが、ジェームズが執着していると聞き、どうしても手に入れたくなった。

 クロードは金融が天職だと自負していた。銀行、証券、保険。金が好きで何が悪いんだ? 大金を動かし、増やしていくスリルは何物にも代え難い。

 ジェームズの兄、リチャードはクロードの上司にあたる。リチャードはやり手で、尊敬できる男だが、ジェームズは金の価値がわからない唐変木とへんぼくだ。

 どうにかひと泡吹かせてやりたいが――

「あら、クロード」

 振り返ると、いつもどおりゴージャズな装いのマオミが立っていた。

「マオミか」すぐに向き直り、また酒をあおった。

「荒れてるわね」

「君の昔の男のせいだ」

 マオミは眉をあげた。「ジェームズ? まだ張り合ってるの? そろそろ大人になったら?」

 クロードは顔をしかめた。我ながら子供っぽいのはわかっているが、それこそ子供時代から引きずってきた感情はそう簡単には消せない。

「君には関係ない」

「それはそうだけど、おもしろい話なら聞くわよ?」マオミは隣に座った。

 一瞬ためらったが、クロードは大伯母とビーナス像の件をおおまかに話した。

「ジェームズに婚約者?」マオミが言う。

「ああ」

 マオミは宙をにらんだ。「もしかして、ブロンドで青い目のお人形さんみたいな子?」

 クロードはマオミを見た。「知っているのか?」

 マオミはくすくすと笑い出した。「それ、本物の婚約者じゃないわよ」

 そして、ここ〈ニックス〉で人間オークションが開かれた晩のことを話し始めた。

「――つまり、デイビッドの仕業よ。本当に、とんでもないことをしでかす男よね」

「君もジェームズを競り落とそうとしたのか?」

 マオミは顔をしかめた。「やめてよ、未練なんかないわ。だいたい、見てわからない? 私はここの常連で、しょっちゅう来ているの。あの夜もたまたま居合わせただけ」

「それならいいんだ。僕の見たところ、ジェームズは彼女にぞっこんのようだったからな」クロードは言った。事実、そういう印象を受けた。

 マオミはかすかに顔を曇らせ、はっとして無関心そうな表情をつくろった。

 あの当時、マオミが本気だったことは周知の事実だった。なぜかジェームズ本人にはそう悟られないようにふるまっていたが――まったく、何が〝大人になれ〟だ。マオミのほうこそ、素直になることを覚えたほうがいい。

 ともかく、マオミの話が本当なら、ゆうべどんなふうに見えたにせよ、あの婚約者も偽物だったことになる。ふたりはオークションで期間限定の婚約者になっただけの関係だ。偽の婚約者の名前は確か――エミリー・ウィルキンス。クロードはふと昨晩の光景を思い出した。なぜかエミリーはバロウズ家の御大を〝おじい様〟と呼んでいた。それに、孫のフィリップの名前が出た時のあの顔つき。

 フィリップ・バロウズのことはクロードも知っていた。名門の子息同士というだけではない。ニューヨークは大きな街だが、大金持ちの子女だろうと、有名人だろうと、夜遊び好きのセレブは最先端の店に行くのが常だから、顔見知りになりやすかった。フィリップもマオミもその内のひとりだ。

 フィリップは先日、婚約者が行方不明になったと騒いでいなかったか? 神隠しだなんだと馬鹿なことを言っていた。どうせ浮気でもして逃げられたのだろうと思っていたが――そうか、だんだん読めてきたぞ。

 マオミが立ちあがった。「まあまあおもしろい話だったわ。退屈しのぎになるくらいにはね」

「待て。今夜、どこかでフィリップを見かけたか?」

「フィリップ・バロウズ? さっき〈ケリーズ〉にいたわよ」立ち去りかけていたマオミは、振り返って言った。

 やつにエミリー・ウィルキンスの居所を教えてやれば――クロードは腹の底から力が沸いてくるのを感じて、勢いよく立ちあがった。

「マオミ、明日のパーティに来いよ」

「明日のっていうと、セントラル・ホテルでやるやつ? 興味ないわ」

「退屈なんだろう? 来たほうがいい。僕がおもしろいものを見せてやる。なんなら一枚噛むか?」

 クロードはにやりと笑った。


 セントラル・ホテルを貸し切ったパーティは、たいそうな賑わいだった。その賑わいとは裏腹に、ジェームズは暗澹あんたんたる気分に包まれていた。

 できれば出席をキャンセルして、エミリーとじっくり話し合いたかったが、スピーチを引き受けている以上、そうもいかない。すっぽかせば、会社の信用に関わる。

 大勢の人たちがジェームズに声をかけてきた。無難に返事をしながらも、ジェームズはちらちらとエミリーの顔をうかがわずにいられなかった。

 顔に笑みを張りつけているが、目元は赤い。泣いていたのか? 説明しようとしたが、昨晩は部屋に入れてもらえず、今日もエミリーはほとんど口をきいてくれない。

 どこで間違えた? やはりあらかじめ事情を説明しておくべきだった。しかし――僕たちは本物の婚約者になったんじゃなかったのか? エミリーは僕と結婚したくないのだろうか?

 昨日、エミリーはチャールズ・バロウズのことをおじい様と呼んだ。フィリップとの関係については話を聞いていたものの、本当に婚約していたのだと改めて思い知らされた。まさかまだフィリップのことを……?

 チャールズ・バロウズは今日、大伯母のバーバラと一緒に来たようだ。先ほど遠くから見かけたが、声をかける気になれなかった。クロードも来ているのだろうが、とにかく会いたくない。スピーチがすんだら、早々に切り上げ、今日こそエミリーと話し合おう。そうだ、あらためてプロポーズして――

「エミリー!」

 何ごとかと皆が振り返るほどの大声が響いた。ブロンドのやさ男が駆けてくる。そして、エミリーにがばっと抱きついた。

「エミリー、今までどこにいたんだい? 君は神隠しにでもあったんじゃないかと思っていたところだ」

 エミリーは唖然としている。

 男はエミリーの頬にそっと手を当て、顔を見つめた。

「彼女とは別れたよ。やっぱり僕には君しかいない」人目も気にせず、キスしようとする。

 エミリーははっとして顔をそむけ、身をよじった。

 こいつがフィリップ・バロウズか?

 ジェームズも我に返り、フィリップの肩に手をかけた。「やめろ、いやがっているだろう」

 フィリップがけげんそうにジェームズを見る。「なんだ、君は?」

「僕はエミリーの――」婚約者だと言いかけて、口を閉ざした。僕はエミリーのなんだ? エミリーは僕を婚約者だと思っていないんじゃないのか? 「僕は――」

「ジェームズ」その時、誰かに呼ばれた。

 ジェームズは振り返ると、目を見開いた。

「マオミ?」

 マオミはするりと腕を組み、ジェームズに体をつけてきた。なんのつもりだ? なぜここにいる?

「いつまで遊んでいるの? 婚約者ごっこはもう充分でしょう? 本気で結婚するつもりだと聞いたわよ。だったら、相手は私よね?」

 エミリーは目を丸くしている。

 マオミがエミリーを見た。「ちゃんと十万ドル分楽しんだ? ベッドでのジェームズはなかなかのものでしょう? 手ほどきしたのは私よ。感謝してね?」

「マオミ!」ジェームズは大声をあげたが、マオミは離れようとしない。

 フィリップが小首をかしげた。「なんだかわからないけど、帰ろう、エミリー。僕もあのコンドミニアムに引っ越すよ。早く結婚しよう」

 エミリーは身をよじった。ジェームズがフィリップを引き離そうとした時、また別の声が響いた。

「なんの騒ぎだ!」

 チャールズ・バロウズが鬼の形相でずんずんと歩いてくる。

 フィリップはひっと声をあげて、逃げ出した。

 エミリーは目に涙を溜めて、一瞬ジェームズとマオミを見つめたあと、まるでフィリップのあとを追うように駆け出した。

「エミリー!」ジェームズも追おうとしたが、その時、会社の部下に腕をつかまれた。

「そろそろスピーチの時間が……」

 マオミはくすくすと笑っている。

「マオミ、なんのつもりだ?」ジェームズは声を荒らげた。

「退屈しのぎよ。ちょっといじめすぎちゃったかしら。私の演技もなかなかのものだったでしょう?」それから、ひとりごとのように言う。「スクリーンデビューの話、受けようかな」

 そして、手をひらひらと振って歩き去った。人の輪が崩れ、その向こうにクロードの姿が見えた。あいつの仕業か? ジェームズはうめき声をあげた。

 マオミもクロードに気づき、そちらに近づいていく。「そこそこ楽しめたわ。あなたも早く大人になりなさいよ?」

 クロードは顔をしかめて言った。「君こそ、今回の件で懲りたなら、素直になることを覚えたらどうだ?」

 ふたりはにらみ合っている。なんの話だ? いや、なんでもいい。とにかくエミリーを――

「社長、スピーチの時間です」部下はすまなそうに言いつつも、ジェームズの腕を引っぱって、有無を言わせず歩き出した。

 ジェームズにはなすすべがなかった。

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