#15 あなたがほしい

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新年を迎える前日、エミリーは勇気を出して気持ちを打ち明け、ジェームズに身を任せる。まったく新しい体験は、エミリーがあえて閉ざしていた扉を開いてくれた。ハッピーニューイヤー!


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 十二月三十一日。本来、会社は休みだが、ジェームズは出社して、溜まった仕事を片づけていった。年末のパーティやイベントはすべて出席を断ってある。毎年、ニューイヤーイブのパーティには出ていたが、それもキャンセルした。今夜は早めに帰るつもりだ。

 早々に仕事を切りあげ、家に着いたのは十一時前だった。十二時にはまだ時間がある。ジェームズは先にシャワーを浴びることにした。昨日の失敗を踏まえ、今日は特製薬を飲んでいなかった。どのみち、エイダンに言われた薬の服用期間は今日までだ。

 この三週間はあっという間だった。毎日が新鮮な驚きと喜びに満ちていた。とはいえ、そのあいだもずっと、ビーナス像のことは胸に引っかかっていた。真面目で家族思いのエミリーは、大伯母を騙してビーナス像を手に入れようとすることを許さないだろう。ビーナス像は諦めるか? だが、それではクロードの手に渡ってしまうことになる。エミリーに一から事情を説明すれば、婚約者を仕立てあげたのも仕方がないことだったと、わかってもらえるだろうか? その上で、協力を頼むのはどうだろう? しかし、うんと言ってくれるかどうか。そもそも、この話をいったいどうやって切り出せばいいのか? あれこれ考えながらシャワーを浴び、いい案が浮かばないまま寝室に戻ってみると――

 窓辺のソファにエミリーが座って、外をながめていた。薄いネグリジェ一枚の姿だ。

 ジェームズが部屋に入ってきたのを聞きつけ、こちらに振り返る。困ったような笑みを浮べた。

「勝手に入ってごめんなさい。ノックをしたんだけど、返事がなかったから――」

「それはかまわないが――」

「昨日、十二時半くらいに明かりを点けたの。でも、あなたは来なかった」

 エミリーは悲しそうにジェームズを見あげた。

 ジェームズは自分を呪いたくなった。「すまなかった。薬が効き過ぎて、眠ってしまったんだ。気づいていたら、すぐに行っていた」

「本当?」

 ジェームズはエミリーの前でひざまずいた。ゆっくりと手を伸ばし、頬に手を当てる。身を乗り出して、キスをしようとした時、肩に手が触れた。

「待って」

 ジェームズはエミリーの顔を見つめた。もしや、断りに来たのか? あとしばらくのあいだ、婚約者のふりをするだけの関係でいたいと?

「あの、言っておきたいことがあって。私、あまり経験がないのよ。あまりというか全然……その、何人かとお付き合いはしたんだけど、最後の最後でどうしても痛くて――」

 ジェームズはいつしか止めていた息を吐き、体の力を抜いた。自分がはじめての男だという喜びが胸に広がる。

「大丈夫だ。まったく痛くないというわけにはいかないが、それも一瞬だけだ」

 エミリーはまだ不安そうにジェームズを見つめている。

「僕に任せてくれ」ジェームズは言って、また身をかがめた。シルクのような髪に手を這わせ、唇を重ねた。甘く、柔らかなこの唇は、ジェームズの血をたぎらせる。今日こそ、余すところなく味わいたい。唇だけでなく、エミリーのすべてを。

 エミリーの舌に舌を絡ませながら、ジェームズはネグリジェのボタンをひとつずつはずしていった。ネグリジェを脱がせた時、エミリーは手で体を隠そうとしたが、ジェームズはその手を押さえた。少し後ろに身を引き、全身をながめた。

「きれいだ」

 青い目から涙がひと粒こぼれた。「悲しくて泣いているんじゃないのよ。私、なんだか……」

 ジェームズはその涙にキスをして、エミリーをソファから抱きあげ、ベッドに運んだ。

 エミリーは僕のものだ。今夜も、明日も、これからもずっと。


 カーテンの隙間からうっすらと朝日が差しこんでいる。まだ薄暗い部屋の中で、エミリーはジェームズの寝顔を見つめた。寝顔を見るのは二度目だ。一度目は、飛行機の中だった。あの時は手を握るのも躊躇したのに、ゆうべはずいぶん大胆なことをしてしまった。

 でも、勇気を出してよかった。何もかも、はじめての体験だった。ふれられたところから肌が火照って、体の芯が疼き――そこを満たしてほしいという欲求がどこからか湧きあがってきた。そして、本当にジェームズの言うとおりだった。痛いのは一瞬だけ。痛みではなく、ジェームズとひとつになれた喜びで涙がこぼれた。ジェームズはその涙のひと粒ひと粒に口づけしてくれた。

 エミリーはジェームズの頬にキスをした。そのとたん、ジェームズが目を覚ました。

「ごめんなさい。起こしちゃったみたいね」

 ジェームズは身を乗り出して、そっとキスをしてから言った。「ハッピーニューイヤー」

 エミリーは目を見開いた。「すっかり忘れていたわ」新しい年、新しい体験、新しい恋人。未来がまぶしすぎて、くらくらしそうだ。

 ジェームズはエミリーの顔を見つめ、小さく息をついた。それから、何かを決意したように、口を開いた。

「エミリー、あさってのパーティのことなんだが」

「大伯母さまのパーティね」

「ああ、大伯母はバーバラ・ラドリーといって――」

 エミリーはがばっと起きあがった。「バーバラ・ラドリー? 有名なアンティーク蒐集家よ! あなたの大伯母様なの?」

「ああ」

「名字が違うからわからなかったわ」

「祖母の姉なんだ。大伯母はあるビーナス像を持っていて――」

 エミリーはジェームズの話に聞き入った。そのビーナス像のことなら知っている。写真では見たことがあるものの、バーバラ・ラドリーが持っているとは知らなかった。

「じゃあ、あなたはあのビーナス像を見て育ったのね?」

「うん、それで――」

「ああ、私もいつか見られたらいいのに」

「頼んでみるよ」

 エミリーは思わずジェームズに抱きつき、ふたりとも裸だと気づいて、顔を赤らめた。今更かもしれないけれども、まだ恥ずかしい。「ごめんなさい、ついはしゃいじゃって」

 ジェームズはふっと笑みを漏らした。「明日はパーティのドレスを買いに行こう」

「でも――」

「そんなことまでしなくていいと言いたいんだろう? しかし、僕たちはもう本物の恋人同士だ。僕のためだと思って、買わせてくれ」

 エミリーはジェームズの温かい笑みに見とれ、ぼうっとしながらうなずいた。そこで、ふと思いついた。

「できたら行きたいお店があるの」

 エミリーはあの高級ブランド店の名前をあげた。

「じゃあ、そこにしよう」ジェームズはうなずきながらも、不思議そうな顔をしている。

 エミリーは苦笑いを浮べて打ち明けた。「オークションの夜、私が着ていたドレスは、その日に買ったものだったの。婚約指輪を売ったあと、あのお店で衝動買いをしてしまって」

「あれはいいドレスだった」

「すごく親切な店員さんが選んでくれたのよ。気が合いそうな女性で、また買い物に行けないのが残念なくらいだと思っていたの」

「なるほど」

「今日はどうするの? 別のパーティ?」

「一日中ベッドで過ごす」

「え?」

「君に本当の喜びを教えるのはこれからだ」

「ジェームズ――」

 エミリーの声はキスでふさがれた。

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