#11 災い転じて福となす
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足を滑らせたエミリーを助け、ジェームズはかわりに冷たい川に落ちてしまう。脚に怪我を負ったものの、身を挺したことで、過保護な兄たち三人に認められる。
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エミリーは悲鳴をあげた。一瞬のできごとだった。落ちると思った瞬間、腕をつかまれ、とてつもない力で引っぱられた。そして、誰かに抱きとめられた。振り返ると、ジェラルドが後ろからエミリーの体に両腕をまわし、険しい顔で川を見ていた。ジェームズは? まさか今の水音は――
「ジェームズ!」
エミリーは叫び、兄の腕からのがれようともがいた。腕に力がこもる。
「離して!」
「だめだ、エミリー」ジェラルドがかすれた声で言う。
その時、ばしゃっと音をたて、ジェームズの顔が水面から浮かびあがった。エミリーはほっとして、もがくのをやめた。でも、このあたりの川は、深さこそそれほどないものの、流れが速い。おまけに真冬の水はたちまち体温を奪ってしまう。ジェームズはなかなか岸にあがってこなかった。まさか、泳げないの?
ジェームズのまわりの水がうっすらとピンク色に染まっていく。はっとして岸辺の岩に目をやると、血らしきものがついている。どこか切ったの?
エミリーは再びもがき始めた。
「離してったら!」
次の瞬間、ふたりのそばを影が走った。続けて、水の音があがる。ハリーが川に飛びこんでいた。手早くジェームズの腕を自分の肩に回し、岸に泳いでくる。
膝から力が抜けた。ジェラルドに抱きとめられていなかったら、エミリーはその場に倒れていただろう。後ろのほうから足音がして、ジェラルドが振り返った。タオルと毛布、気付け薬を抱えたエイダンが駆けてくる。
「エイダン」ジェラルドが言う。
エイダンはそのひとことですべてを了解したようにうなずき、ジェラルドの腕からエミリーを引き取った。瞬く間に、ジェラルドは川岸におりていった。
ふたりがジェームズを土手の上まで引きあげたのは数分後だった。
「水は飲んでいないな。それより脚の傷の出血がひどい」ハリーが言った。
冷たい水に体温を奪われたせいもあり、ジェームズの意識はもうろうとしているようだ。
ジェラルドはハリーとエイダンに向かってうなずいた。やはり、それだけでふたりは何もかも了承したらしい。
ジェラルドがジェームズを抱え、ハリーがポケットからナイフを取り出して、濡れた服を切り裂いていく。それを包帯代わりにして、まずは脚の止血をすませた。そして、ふたりでジェームズの体をタオルでぬぐい、毛布でくるむ作業に取りかかる。
茫然とそれを見ているあいだに、いつの間にか、エミリーはエイダンの手で気付け薬を飲まされていた。
「エイダン? 何、これ?」
「しーっ、ただのブランデーだ」
「ブランデー?」
まぶたが重くなってきた。ブランデーやウイスキーといった強いお酒を飲むと、すぐ眠くなってしまう。それにしても、ひと口で?
「ショックが大きいようだから、少し眠ったほうがいい」エイダンが言った。
「いやよ、だって、ジェームズが――」
「ジェームズには僕たちがついている」
「でも――」
「僕たち三人がついていて、大丈夫じゃなかったことがあるかい?」
ないけど、でも――
まぶたは鉛のように重く、もう目をあけていられなかった。
「ついにこの時が来たか」
「ああ」
「そうだな」
男たちのぼそぼそとした声がして、ジェームズは目を覚ました。しかし、眠りの狭間を行ったり来たりしているようで、男たちの声は聞こえても、話の内容まではわからなかった。
しばらくして、ジェームズはまた目を開いた。どこだ、ここは?
「よお、起きたか」
この声は……ハリー?
そうだ、あの川で意識を失いかけ、もうだめだと思った時、ハリーの顔が見えて――
ジェームズは声のしたほうに顔を向けた。暗い部屋の中、ハリーだけでなく、ジェラルドとエイダンもいるのがわかった。
「命を助けられたようだな」ジェームズの声はなぜかしゃがれていた。
「助けられたのはこっちだよ。あんたはエミリーを救ってくれた」エイダンが言う。
「ああ、命懸けで身内を救ってもらったら、そいつももう身内だ。少なくとも、俺の部隊ではそう考える」ハリーが言った。
「エミリーは?」ジェームズは尋ねた。
「眠らせた」エイダンが答えた。
「眠らせた?」
「ブランデーを飲ませたんだ。忠告しとくよ。あいつに強い酒は飲ませるな。僕のブランデーなら、ひと口でぐっすりだ。朝まで目を覚まさないだろう」
それはもう知っているが、ただのブランデーがそれほど効くものだろうか?
ジェームズの顔に疑念を読み取って、エイダンはにっと笑った。「もちろん、ただのブランデーなら、ひと口で寝たりしない。エミリーには内緒だが、僕のブランデーは特製でね。こう見えても、理科の実験は得意なんだ」
まったく、なんて兄たちだ。ジェームズはうめいた。
「さて、意識が戻ったならもう大丈夫だろう。俺はひと眠りするよ」ハリーが立ちあがる。エイダンもそれに続いて、ふたりは部屋を出ていった。
ジェラルドが残った。
「ここは?」ジェームズは尋ねた。
「エミリーの部屋だ」
「エミリーはどこに?」
「俺の部屋で寝かせている。どうせ、俺は今夜は眠れない」
そう言って、立ちあがり、ジェームズの顔を見つめた。
「今後、万が一、俺が結婚することがあっても、絶対に娘は持たないと決めた。どこの馬の骨ともわからん野郎に渡さなければならないとはな。こんな思いは二度とごめんだ」
ジェラルドはくるりと背を向け、ジェームズの返答を待たずに出ていった。
認めてもらえたのか? ジェームズはただエミリーと離れがたくて、ここまでついてきた。そして、今、父親から愛娘を受け取るという重みをずっしりと胸に感じている。責任は重大だが、人生が新しく開けた気分だった。しかし、その前に、まずはエミリーの本物の婚約者にならなければいけない。
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